1-6【北の大都会 15:~名前の重み~】


「え? 1万?」


 モニカが素っ頓狂な声を出した。

 モニカも俺の予想を聞いていたので、度重なる指摘を含めて6,7千程度の値段を予想していたのだろう。

 まあ、それは俺の最後の予想の数字なのだが・・・


 実際にはそれよりもはるかに多くの金額が提示された。

 具体的には・・・・


「1万6320セリスですね」


 パウロが当たり前のようにその数字を述べる。

 実に当初の予想の2倍近く。


 もし仮に1セリス数百円換算だと数百万円・・・・1セリス100円の厳しめのレートでも160万もの額になる。

 それも一応簡単な下処理はしてあるものの加工前のほぼ生の状態の毛皮にだ。


「現在、当商会でのサイカリウスの毛皮の買い取り価格が1ブル四方で381セリス、まとまった大きさがあるのでさらに追加で400セリスで計算しています、詳細はこちらの目録にまとめてあります」

『1ブル四方で400ってアントラムの8倍近い値段じゃねーか・・・・』


 4倍とはなんだったのか?


「なんでこんなに高いの?」


「現在、ルブルムなどの中央の都市でサイカリウスの毛皮の人気が高まっていて、しかも数が少ないので値段が上昇しているのです」


 どうやら良い時期に来たようだな。


 目録を見てみると、毛皮の基本価格が1万5千ほどでそれとは別に付加価値とされるものが減額分よりも多く記載されていた。


「以上で説明は終了ですが、この価格でよろしいですか?」


「・・・・どう思う?」

『どうっていってもな・・・』


 正直、思っていたよりもはるかに高額なので、もうこれでok出してもいいんじゃないかとも思うし。

 これだけ細かく明瞭な目録を出されては突っ込みようもない。

 確認のためにモニカの瞳に映るパウロの様子を暫く観察する。


 はっきりとは分からないがこちらを騙しているような素振りは見られなかった。


『俺は問題ないと思うぞ』

 

 モニカが了解のサインを送ってくる。


「分かった、これでいい」


「では商談成立ですね、お支払はどうします? 現金で? それともどこかの銀行で?」

「銀行?」


「冒険者協会の登録書があれば、その口座に直接振り込むことも出来ますが?」

「うーん・・」

『それでいいんじゃないか? そんな大金持っているのも危ないし』


「それじゃ、銀行へ」

「ではこちらにサインを」


 そう言ってパウロが紙と不思議な見た目のペンを差し出してきた。

 渡されたのは手のひらに収まるほどの大きさの小さな紙片で、赤文字で上に大きくアルヴィン商会と書かれており、その下に規則性のわからない文字が書かれていた、おそらくは何かの暗号だろう。

 紙片全体にその謎の文字列が所狭しと並んでいるのに、真ん中には謎の空白が有る。

 ここに名前を書けということなのだろう。


 紙を受け取ったモニカは、その中心に名前を書いていく。

 だが不思議な事にインクなど何も付けていないのに、ペン作が通った後に赤い線が出来ているので気になって軽く調べてみると、どうやら俺達の魔力が僅かに流れているようだ。


 モニカがそれを気にしていないところを見るに、モニカが文字の練習に使っていたというペンも似たような感じなのだろう。


 ”モニカ・シリバ” 


 協会の診察の時に書いた時はどうも書き慣れない印象があったが、今回は前よりはかなりマシになっていた。

 そして名前を書き終わると不思議な事に、紙に書かれたすべての文字が一瞬光り文字の色が赤から金色に変わる。

 何だこれは?


「これ何?」


 モニカがパウロに聞いた。


「そこにモニカさんが名前を書いたことで、その紙に書かれた魔法が有効になったのですよ、あとは冒険者登録書を貸していただければ処理は完了します」

「ええっと、じゃあこれ」


 服が変わってまだポケットの位置になれないモニカが少し手間取りながらも、昨日もらったばかりの冒険者協会の登録書をパウロに差し出す。


 するとパウロはその登録書を受け取らず、その上に先程モニカが名前を書いた紙を乗せ僅かに魔力を流すと2つの紙が金色に光り始めた。


「冒険者協会の窓口以外で簡単にそれを渡してはいけませんよ」


 パウロが軽く窘めるようにそう言う。

 どうやら、軽率な行動を取ってしまったようで、二枚の紙が収まるまでの少しの間、少々気まずい空気が流れてしまった。


「ふむ、処理は完了したようだ」


 パウロが机の上に置かれた二枚の紙と登録書を手で指し示し、モニカがおっかなびっくりといった感じでそれらを手に取る。

 モニカが名前を書いた紙の文字は金色から黒に変わっており、登録書ともども僅かに熱を帯びていた。


「もし確認をしたければ、協会に行けばいいですよ、日が落ちるまでは対応してくれる」


 パウロが最後にそう付け加えた。

 どうやら、これで俺達の口座に入金されたらしいが、ちょっと信じられない気持ちもある。

 あとでモニカに確認しに行くように言っておこう。





 すべての取引を終えた俺達は、経理の女性の案内で2階の応接間で表面が肌触りのいい毛皮で作られたフカフカのソファに座っていた。

 このクッションはなんで出来ているのだろうか?


 目の前には巨大な木から切り出したと思われる大きなテーブル。

 部屋の壁にはアルヴィン商会の深緑色の大きなタペストリーがかかっていた。 

 

 何気なく置かれているテーブルに魔力灯もこうしてみると高級感が有るな。

 それに部屋の中の明かりは全て魔力灯だった。


 蝋燭などの火気の類はどこにもない。


 見栄もあるのかもしれないが、この応接間にそれなりの金が掛けられていることは間違いないようだ。

 もっとも、ついでに出された干し肉に興味が行っているモニカには関係のない話だが。


 それにしてもこの干し肉妙にうまいな、シリバでもらったのは保存のために塩を使っていたせいか塩辛くて食べられたものではなかったが、これはしっかりと肉の味がする。

 昼が豆ばっかりで肉っ気がなかったせいもあってか余計に美味しく感じる。

 

「・・はむっ・・・・何の肉だろうね・・・」


 このようにまだまだ花より団子の子供が相手では、高価な調度も形無しだな。



 ちなみに何故こんなところにいるのかというと、取引自体は終了したのだがその後の諸手続きのために商会長を待っていたのだ。

 たしか、ここで正当な取引をしたかどうかがシリバ村の村長のところまで届く仕組みだったっけ、今にしてみれば少々面倒くさく感じる。

 まあ、そのおかげでスムーズに毛皮を売れたので文句を言うわけにはいかないのだが。


 そんなこんなで干し肉を胃袋に収める事に集中しながら、商会長がやってくるのをひたすら待っていた。


 それにしてもわざわざ商会長が直々に対応するなんて、あの紹介状はそれほど強力なものだったのか。

 テオが”効果は期待してもらっていい”と言っていたっけ。


 まさか行きずりで倒したグルドがここまでの威力を発揮するとはな。

 これでCランク以上を討伐し始めたらどういうことになるのだろうか?


 モニカのスキル調整に立ち寄るカラ地区の討伐依頼で何かあったかな。

 そう思い冒険者協会の討伐依頼の掲示板の視覚情報を引っ張り出す。


 ええっと・・・・なになに。C以上はなしに・・Dもいない・・・Eも・・・・

 そうか、ピスキア周囲の討伐期間の真っ最中なのでめぼしい魔獣は残っていないのか。

 それでなくても街の近くだしな、本格的な討伐は少し離れなければ出来ないだろう。


 残っているのは、ランク外の害獣駆除くらいか。

 まあ今は気に留めておくくらいでいいだろう。

 

 そうやって俺達は1時間ほど待っていた。


コンコン


 応接室のドアが小さくノックされ、それに続いて二人の見たことない男が中に入ってきた。


「失礼、お持たせしたかな?」


 二人の男のうちの恰幅のいい、白い髭を蓄えた初老の男性がこちらの姿を確認するなりそう言いながら近づいてきた。


「ううん・・ほのにく・・・ほいひい・・」


 口の中で干し肉を咀嚼しながらモニカがそれに答える。

 こうしてしっかり何度も噛むと深い味わいがにじみ出てくるのだが、今この場では行儀が悪いな。

 

「仕入先には絶対の自信がありますからな」


 だが幸運なことに相手は失礼とは受け取らなかったようで、自慢げな表情をしながら握手を求めてきた。

 そしてモニカも軽くそれに応じる。


 その男は高価なローブの上からアルヴィン商会の紋章の入った袈裟のようなものを羽織っており、一目で彼がこの商会の顔的な立場の人間だということが伝わってきた。


 おそらく彼がこの商会の商会長なのだろう。


「わたしは当商会で商会長を務めている、ディノ・アルヴィン3世です、気軽にディノとお呼びください」


 どうやら本当に商会長だったようだ。


 となるともう一人は一体誰か?


 見た感じパウロと少し毛色は違うものの、明らかに何かの専門家じみた雰囲気があり。

 背も高く体もガッシリとしているが、その手はまるで少女のように綺麗だった。

 きっと何か手先を器用に使う仕事をしている人間に違いない。


「彼の紹介はまた後でしましょう、その方が話が進みそうだ」


 もう一人を気にするようなモニカの視線に商会長が、そう言った。


「まず改めて、今回は当商会に毛皮を卸してくれたことを感謝します」

「それはシリバ村の村長に言って、わたしは村長から紹介されたから来ただけだから」


「ええ、もちろんシリバ村の村長へは返答書類にて感謝しますが、それとは別にあなたにも感謝したいのですよ」

「なんで?」


「サイカリウスの毛皮はある意味で北部の毛皮を扱う当商会の目玉商品なのですが、数が足りないせいで取引先から ”まだ入らないのか!?” と恐ろしいまでに催促が来るんですよ、それこそいい狩場があれば教えてほしいくらいだ」


 俺は頭のなかでモニカの家の周囲に転がる大量のサイカリウスの死体を思い浮かべた。

 あれを全部毛皮に加工して持ってこれればそれだけで一財産になるのではないか?


 まあ、そう何度も運べないほど遠いんだけれど。


「これが返答の書類です、どうするかは聞いてますか?」

『確か、中央局とやらに持っていくんだったか』


 モニカもそのようなことを言うと、商会長が満足げに頷いた。


「ええ、それで構いません」


 書類の入った封筒を差し出す商会長の顔から安心が見える。

 そんなにこれが重要なのか?


「そんなにこれって大事なの?」


 モニカが商会町の様子を不思議に思ったモニカが質問する。


「ええ、何しろ小さな村とはいえ公的な書類として残りますからね、商会の信用としてもとても重要だ、取引に応じなかったり、不当な価格で取引したとあっては、公的な信用を大きく損なうことになる、むしろモニカさんが持ち込んだ紹介状は当商会にしてみれば、脅迫状にも近いものなのですよ」


 なんとそれは予想以上にとんでもない代物だったようだ。

 

「もちろん、当商会がきちんと対応できると信用するから書ける代物でもあるんですがね、それにしてもあなたは相当気に入られたようだ」

「・・・・?」


 モニカが怪訝な顔になる。

 気に入られたとはどういう事なのか?


「この紹介状にはあなたのことを、”モニカ・シリバ”・・つまりシリバ村のモニカと記載されています、そしてこの返答書にも同じことが書かれている、さて、これを中央局経由でシリバ村に戻し村長がサインするとどうなると思います?」


 どうなるって、公的な機関がやり取りした文書に全部”モニカ・シリバ”と書いてあったら・・・・


「・・・・みんなわたしのことをモニカ・シリバだと思う?」

 

「そう、それも正式に認められた名前になる、それだけではなく正式な身分としても扱われる、その価値がお分かりで?」


 モニカが首を振る。

 そして俺も名前が認知される以上の価値を見いだせなかった。


「紹介状にはあなたの簡単な身の上も載っていたのですが、もしあなたが唯の”モニカ”のままならば、街で家を持つことも職を得ることもできませんし、事業を起こそうにも誰もお金を貸してくれないでしょう。

 しかし今は違う、もう、どこの誰とも分からない人間ではないし、求めれば身元はシリバ村が保証してくれますし、もっというなら保証しなければならない、更にこのやり取りに含まれる当商会もあなたを保証したことになる、これは信用上の強固な絆であり、また呪いでもあるのです」


 俺達は商会長のその話をただポカンと聞いている他なかった。

 まさか、”モニカ・シリバ”という名前にそれほどの重みがあり、それほどの繋がりがあるなんて思っていなかったのだ。

 最初は村長がちゃっかり村の一員として俺達を利用しようとしたのかとも思ったが、とんでもない。


 これは彼らが俺達にできる最大級の恩恵だったのだ。


 そう思うと、胸にジーンとこみ上げるものがあった。


『これはいつか必ずシリバ村に行って、ちゃんと感謝しないといけなくなったな』


 俺のその言葉にモニカが同意の感情を送ってきた。




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