1-1【氷の大地 3:~クレバス~】


 吹雪を抜けてから更に1週間以上が経過していた。

 旅が始まってからもうすぐ半月、食料も若干予想よりペースが遅いが半分ほどを消費している。


 この間変わったことはなかった。

 せいぜい雪が少し降ったくらいか?


 あの吹雪のおかげで最初は警戒したのだが、結局本降りになることはなかった。


 モニカによるとあれは吹雪にはならないと言っていたので、何か違いがあるのだろうが俺にはまださっぱりだ。

 

 そのモニカだが、ここ数日でいくつか分かったことがある。

 まずオンとオフが非常に激しい性格だということ。

 移動中などは本当に無口で、少しの異変も見逃さないといわんばかりの集中力を発揮し、”できる”ハンター感が凄い。


 反面休憩中などはその表面に隠された”本性”が見えてきていた。


「・・・ロン!」


 彼女はこう見えて甘えたがりなところがあり、気を許す相手がいると一気に気を抜くのだ。


「ねぇー!」


 もちろん最初は俺に対して、そこまで心を開いてくれず、ふとした時にどこかよそよそしい距離感を保とうとしてきたのだが。

 流石に四六時中一緒で感覚も共有しているとくれば、打ち解けるのにそれほどの時間はかからなかった。


「ねえってば!」


 今では索敵などについて限定的ではあるが信用してくれる場面が多くなり、特に俺の索敵でも問題ないと判断した場合においては積極的に甘えてくるようになった。


「おーい!」


 おそらく排泄中の索敵が評価されたのがきっかけ・・・・


「聞いてる!?」


 あー。


『どうしたんだい?モニカ』

「お話止まってるよ?」


 おや、これは俺としたことが。


『すまんすまん、気が散ってた』


 現在俺はモニカに絶賛甘えられている。

 甘えられているといっても、本を読んでくれとせがむだけなのだが、それでもかなり気を許してくれている気がしていた。


『どこまで読んでたっけ?』

「ベラムの迷宮に入ったとこ!」

『ああ、そこか・・・』


 俺は完全記憶の中から読んでいた本の情報を引っ張り出す。

 見てみれば当然だが、どこまで読んだかのログも残っていた。


『迷宮の壁は分厚い蔦で覆われていて、先が見通せない・・・・』


 そのログから先を読み上げる。


 こうして俺が暇な時は、俺のログにある本を読んで聞かせるのがここ数日の日課となっていた。

 本のログ自体は”家”を出る時に、本棚にあった本をすべてチラ見して俺の中に残している。

 

 欠点は結構な頻度でモニカに読み上げ機の代わりをさせられることだが、視覚ログをモニカの方で見る手段が現状存在しないので仕方がない。

 


 休憩を終えた俺達は再び動き出す。

 といってもやはり変化はないのだが。

 

 モニカについて分かったこととしてもう一つ、どうやらこの変わらない景色に対して一向に飽きる気配がないのだ。


『モニカはこの景色に飽きたりはしないのか?』


 まあ、飽きたところでどうにもならないのだが。


「飽きるって?」

『いや、出発してからずーっと、おんなじ景色でつまらなくないか?』

「そうかな?」

『よく集中力を切らさないよなーと感心してるんだ』

「ああ!そういうこと」


 モニカが何かに合点がいったように足を止める。

 そうして進行方向の少し右側の地面を指差した。


「あそこ、何かわかることは?」


『何かと言われてもな・・・、俺にはただの氷にしか見えないぞ』


 ついでにいい感じに真っ白だ。


「ふふふん♪じゃあ答えを・・」


 そう言ってモニカが少し得意げな顔で、フロウを引っ張り出すと、棒状のそれをただ伸ばしてくれという注文が来た。

 モニカは今ではこうして簡単な注文ならほぼ無意識で飛ばしてくるようになった。

 俺の方も今ではこの程度は無意識で行える。

 若干俺の領域である”人格層”をスルーして”処理層”が直接やり取りしている疑惑があるが・・・


 そうやって5mほどに伸ばしたフロウを、少し先の地面にちょこんと当てる。


 その瞬間、その地面が轟音を上げて崩れ去った。


 現れたのは幅が50cm程度、長さは20mもある裂け目だった。


『クレバスか!?』

「クレバス?」

『こういう裂け目をクレバスっていうんだ』

「へえ”ディラケア”ってクレバスっていうんだ」

『ん?あ、いや”ディラケア”でいい、同じ意味だ』


 どうやらクレバスは初めて使われたので、変換されなかったらしい。

 すぐにモニカの言葉が”クレバス”に置き換わる。

 今後は自動的に”ディラケア”が”クレバス”に置き換わって表示されるはずだ。


「ん?そう?じゃあ”クレバス”のままでいくけど、こういうふうにそこらじゅうに隠れてるの」

『そこらじゅうに?』


 モニカが反対側の地面を叩くと同じようにそこが崩落した。

 俺の中で、血の気がサーっと引く。


「こういうふうに段々と増えてきてるから、気を抜く暇なんてないよ」


 そう笑いながらまたも歩みを始める。


『ちなみに、落ちたら・・・』

「ソリが引っかかってくれたらそこで止まるけど、引っかからなかったらそこまでだね」


 俺の中の謎の記憶が、動画サイトとやらで見たクレバスにハマった人間の末路を思い出させてきた。

 クレバスに落ちるとどこかに引っかからない限り、数百m以上落ちることも珍しくない。

 その状態から這い上がるのは不可能に近く、こういった氷の大地では一番恐れられているものなのだ。


 そして何よりも・・・


『俺、全然わかんねえぞ・・・』


 そう、感知系スキルが充実した今でさえ全く感知できないのだ。


「慣れればすぐにわかるんだけどね、地面の色が違う」


 といわれても俺にはただの白にしか見えない。

 試しに先程2つのクレバスの崩落前の映像を注視してみる。


 すると僅かではあるが微妙に反射の仕方が異なるような気がした。

 なんというか微妙に白が安っぽい様な。


 俺は現在の視界にその特徴に当て嵌まる箇所を全てマーキングした。

 するとそこらじゅうに筋状のマーカーが浮かび上がる。


『これは恐いな・・・モニカ、進行方向10歩ほど先に横に走る形であるのはクレバスか?』

「えーっと、うん、そうだよ」


 となると、このマーカーはほぼ全てクレバスと見ていいだろう。

 確かにもう単調な景色には見えないな。

 今では完全に地雷原だ。


「それじゃぁ、あれは分かる?」


 そういってまた視界の一角を指差す。

 見た感じそこにはマーカーもなく、特に変わったところはない。


『何かあるのか?』

「あそこにはいかないよ」


 その言葉に込められたすさまじい真剣さに俺は言葉を失う。

 きっと、とんでもなく恐ろしいものがあるのだろう。


 そこから先の行程は先程までとは印象がガラリと変わった。

 景色は相変わらずどこまでも白一色なのだが、クレバスの位置が一部見えるようになったおかげでスリルが出始めたのだ。

 いや、もうスリルしかない。


 なにせ右も左もクレバスの縁ギリギリが標準で、時折なんとそのクレバスの上を通過することすらあるのだ。


 最初は心臓が縮み上がる思いだったが(なお心臓はモニカの言うことしか聞かない)、モニカいわく大丈夫なところを見極めて通っているとのことだ。

 だがそれでも恐ろしいものには違いない。

 何よりクレバスの上にいるときは、確かに足下がスカスカの感触があるのだ。

 

『やっぱりこええよ・・・』

「大丈夫!大丈夫!」

『今絶対ボソッていった!絶対これだめなやつだって!』

「ここは大丈夫なんだって、ちょっと横はダメだけど」


 モニカが力強く地面を踏みしめる、だがわずかに地面が揺れるものの崩れる気配はない。


『モニカはすげえな・・・』

「慣れれば簡単だよ」


 俺としては慣れたくないのだが。



 それからまた暫く間何もない行程が続いたのだが、もう景色が変わらないなどとは思わない。

 

 むしろ一歩一歩が緊張の連続だ。

 ところがモニカの方はどこ吹く風で、次々に危なそうなところを超えていくので、神経が凄まじい勢いで削れていった。


 やはりモニカの言うとおり、徐々にクレバスの密度が増えていっているようだ。

 まだ立ち往生することはないが、徐々にモニカの進路が右往左往することが多くなり始めた。


 まだなんとか大きなクレバスや”何か”を避けているようだが、大きく迂回するようになるまでそれほど時間はかからないだろう。


 せめてこれが暖かい地方に向かっている証拠ならいいのだが。


 そんな緊張状態だったから気がつけたのであろう。

 俺の感知スキルに何かが引っかかったのだ。


『モニカは感じるか?』

「何が?」


 どうやら察知できたのは俺だけらしい。


『かなり先だが、動いている奴がいる。多分複数だ』


 その助言でモニカが足を止め、進行方向へ目を凝らす。


「なんだろうあれ」


 地平線に何やら今まで見たことのないものが薄っすらと見える。


『靄・・・じゃないな』

「ここからじゃよくわからない」

『とりあえず進もう、もう少ししたらよく見えるだろう』


 地平線にうっすら見えていた”何か”は、近づくにつれ徐々にその色を濃くし始めた。

 

 更に近づくと、その”何か”が大地を埋め尽くしている様子が見えてくる。


「・・・毛?」


 その姿は確かに地面から白い毛が無数に生えているようにも見える。


『モニカ・・・あれは”木”だ!』


 その正体は雪を被った針葉樹で、そしてそれが無数に生えているのだ。


「あれが・・・木!?あんなに尖ってるの?」


 どうやら針葉樹は初めて見るらしい。

 そういえば氷のオアシスに生えていたのは、どれも苔に覆われて曲がりくねったものばかりで、あそこに見えている木は大きく印象が異なるな。


『本で見なかったのか?』


「あんなにいっぱいあるとは思わなかった」


 それは俺も同感だ。

 ここまで大量に生えているとは想像もしていなかった。


 そして近づくにつれその規模の大きさがさらに鮮明になってきた。

 

 どうやら大量という言葉でも不十分らしい。

 視界の端から端まで”木”!”木”!ひたすらに木ばかりが生えている。


 そこでふと俺の頭のなかに”シベリアで木を数える”というブラックジョークが浮かび上がった。

 もしこれを数えろと言われたら俺は発狂するだろう。

 

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