1-1【氷の大地 2:~ロン~】




 ”止まないかもしれない”


 そう思った瞬間、猛吹雪の姿が悪魔に変わったような気がした。


 じわじわと俺達をいたぶり殺す悪魔。

 これまで快調に雪を吹き飛ばしながら進んできただけに、まるで立場が逆転したような錯覚を起こした。


 もちろんいつかは止むのだろう、だがそれは俺達の感覚では致命的なほど後かもしれない。

 少なくとも足元の雪の厚さは相当なものだ。

 そしてその硬さは突然変わったりしていない、ただ下に行くほどただ圧縮されて固くなっていくだけだ。


 これは少なくともこの厚さの分だけ連続して降り積もった可能性がある。

 もし仮にそうならば、ここはやはり地球とは少し異なる様だ。


 モニカは早くからこのことに気づいていたようだが、俺の方はそもそも寒いことくらいしか意識がいっていなかった。


 一見するとそこまで強烈な嵐というわけでもないところが憎らしい。

 大丈夫だろうと安易に深入りするとそのうち動けなくなって致命的な罠になりうる。


 また太陽の光が雪に乱反射するせいで、視界が上下左右の区別がつきにくいというのも罠的要素だろう。

 これではほとんどの者が方向を見失ってこの吹雪から脱出できなくなる。

 幸い俺の完全記憶はそれほどやわではないので、なんとか方向を見失わずに済んでいると思うが、方角が確認できないこの状態が長く続けばいずれ見失うだろう。


 となると、モニカの意見どおり出来るだけ素早くここを離れるしかない。


『だけどやっぱり無理はするなよ、最悪あと数日かかる可能性もあるんだ』


 その答えにモニカは答えない。

 口を動かすのが辛いので、代わりに視線を前方向に集中することで返事を行った。


 どうやらまだしばらくはこのペースを維持するらしい。


『体が本当に危なくなったら言うから、その時は絶対に止まれ』

「わかった・・・たぶん・・・そんなに遠くない・・・」

『遠くない?』

「そう・・・思おう・・・その方が気が楽・・・」


 どうやら何か根拠のある言葉ではないようだ。


『俺が居るから方向は間違えないよ、動いていれば必ずいつかは抜ける』


「・・・ンフ・・・ありがと」

『お礼を言われることは何もしていないよ』

「話してくれるだけで・・・前よりも遥かに動きやすい・・」


 確かに1人で何日も無言で歩いたのはきつかっただろう。

 それは俺自身がきつかったことからも分かる。


 当然のようにモニカも同じ感覚を共有している。

 いや向こうが本体の分だけ、その感覚の親近度は多いだろう。

 それでも生き残るために歩みを止めないのだ。




 それから一体どれほどの時間が経っただろうか?

 苦しいほどの寒さと疲れの中では一分が一時間のように感じる。


 俺がこの環境で正確な時間を見失わないのは、ひとえに完全記憶によって作られる時計があるからだ。

 ただそのせいで遅々として進まない時間に発狂しそうにもなるが。


 だが相方がまだ正気を保っているのだ、俺だけが正気を失うのは格好悪い。

 そう自分に言い聞かせて苦痛を凌いでいた。


 それでも吹き付ける風は痛いし、微妙に密度の低い雪に光が乱反射するせいで目が痛い。

 そして風や視界もそうだが何よりも寒さがこたえる。


 直接的に足の動きを阻害するし、内臓などの体の内部にもダメージが入る。

 そのうえ俺自身の様子を見るに、相当精神的ストレスが大きい。


 せめてこの寒さだけでもどうにか出来ないものだろうか?

 結局のところ今障害になっているのは、つまるところそれだけだ。


 そもそもなぜこれほど寒いのだろうか?


 モニカが着ているこの防寒着は見た目はかなり悪いが、内側が毛皮の複層構造でかなり暖かい。

 下に着込んでいる服と合わせるとかなりの断熱が期待できるはずだ。

 それなのにこれほど熱が奪われるとは・・・


 そこで俺はモニカが直接雪に触れていることに気づいた。

 というか雪が多くぶつかる箇所の体温が露骨に低い。


 まちがいなくこの雪が原因だ。

 それは既に分かっていることだ、だがその問題を放置したのは、短期的に見れば無視できるレベルだったことと容易に跳ね除けられることが原因だ。

 まあ、要するに雪を過小評価していたのだ。


 だが長期的に見ればこの体温の低下は恐ろしい。

 少し燃費が悪くなるが対処しないと。


 とりあえずは当たらないようにしたいな。


『モニカ一旦止まってくれ、やることがある』

「?」


 モニカは不思議には思ったようだが、俺に何か方策があると感づくと、意外にもあっさりと足を止めてくれた。


「何か思いついたの?」

『ちょっと待ってろよ』


 そう言って俺は背中に背負っていた棒状の物体に魔力を流す。

 フロウと呼ばれる魔力を流す細い繊維の塊は、俺の魔力操作によって形状を棒から変化させた。

 今は俺達の目の前で板状になっていて、更に中央部から内側に折り曲がり、衝角を形成した。


『これなら体で直接触れなくてもかき分けられるだろう』


 それを聞いたモニカが再び雪に突撃する。

 雪かき用の衝角が俺達の少し手前で雪をかき分けるおかげで、予想通り雪が体に触れる量が一気に減って体温が徐々に上がりだした。

 さらに体で直に弾き飛ばすよりも少ない力で掻き分けられている。

 どうやらこれは当たりのようだ。


『それじゃ、こっちも』


 そう言ってフロウの余った部分で風上に向かって小さな膜を張る。

 さしずめ雪よけの傘といったところか。


 

 だがこちらは暴風に耐えるために結構な魔力を無駄遣いしてしまい、あまりうまくいかなかった。


『こっちは微妙か・・・』

「いや、風がなくなった分だけかなり楽になった、ありがと」


 それでも風を直接浴びないだけ、こっちの方が良いらしい。



 フロウによる除雪のおかげでペースが一気に上がる。


 依然として吹雪の勢いは続いているが、今はそこまで寒くない。

 フロウで雪が遮断されたおかげで、まるで晴れたときと遜色ない快適さが確保できた。

 

 その後も俺達の勢いは留まるところを知らず、上から見れば恐らくナイフで紙を切る様に真っ白な雪の大地を切り裂き進んでいく。


 先程まで猛烈に感じていた吹雪も、段々と弱まってきている気がした。

 視界もだんだんと開けていき、ぼやけて見えなかった太陽の位置がはっきりとわかる。


『よかった、どうやら向きは間違っていなかったぞ!』


 おおよそであるが、太陽の動きと位置が俺達の進行方向の正しさを裏付けてくれた。

 そしてその言葉を受けたモニカの足に一層力が入る。


 そうなれば吹雪を抜けるのにそれほど時間はかからなかった。


 ゆっくりと風はその力を減らしていき、雪の大きさも数センチくらいの物から、粉雪程度に変わっていく。


 今では見上げると、はっきりと空の色が認識できるほどだ。


 モニカが振り返れば、ほんの数百メートル先より向こう側は真っ白な雲に覆われてその先が見えない。


 しかし前方は開けており、かなり先まで見通すことができた。

 これは・・・


「ハァ・・・ハァ・・・抜けた?」


 若干方で息をしながらモニカが聞いてきた。


『ああ、たぶん今ので吹雪からは抜けただろう、まだしばらくはフロウで雪を掻く必要があるけれど本体は抜けたと思う』


「ああ、よかったぁ」


 その声には万感の思いと疲れがこめられていた。

 まだ楽観はできないものの、今回は乗り越えたと見ていいだろう。


『それに今後は吹雪は恐くないからな』


 フロウがあれば埋もれず、さらに速度も落とす必要もない。


「・・・吹雪によるけどね・・」

『まあ、なんの対策もないよりはマシだ!』

「・・・それはそうかもしれない」

『そうだろ?否定的になる必要はない、困ったときは今度も俺がなんとかしてやるよ』

「・・・ップフ、分かったその時はまたお願いね」

『任せておけ!』


 その後、あれほど分厚かった雪の層は急激に薄くなっていき、遂にはこの銀世界のいつも通りの地面である凍った大地がすぐ足の裏に顔を出した。

 こんなものでも、見えると安心するのだから不思議だ。

 モニカもそう感じたらしく、一旦足を止め足で氷をいじって確認している。

 

 そこでふと何かに気づいたように足を止めた。


「そうだ、名前」

『名前?』

「そう、あなたの名前聞いてなかった」

 

 聞かれたのは単純な疑問。

 ここまで、俺は自分の名前を名乗ってはいなかった。


『名前っていってもな・・・覚えてないし』

「本当に?」

『本当だ、少なくとも名前は覚えていないな・・・急にどうしたんだ?』


「これからわたし達は街へ行くよね?」

『うむ』


「じゃあさ、いっぱい色んな人に会うよね?」

『そうだな』


「そのときに”あなた”じゃ、誰に話しかけているのかわからない」

『なるほど』


「だから、あなたの名前が知りたい」


『といっても、知らないものは知らないしな・・・モニカが好きなように呼んでくれたらそれでいいよ』

「フランチェスカ・・・じゃないの?」

『あれは、モニカのスキル群の総称であって、その一部である俺のことじゃない』

「わたしには違いがよくわからないんだけど・・・」

『うーん・・・、たしかに俺も同じような気がするな・・・・』


「じゃあフランチェスカでいい?」

『やめてくれ、俺は男だ』


「じゃあフランチェスコ?フランク?」

『紛らわしいんで他のにしてくれ・・・』

「フランクでいいと思うのに・・・・・それじゃあ・・・・」


『おう、いいやつを頼む!』


「ええっと・・・んん・・・・・」


『うん』


「・・・・ロン?・・・・」

『ロンか・・・』


 ウィー◯リーではないぞ、微妙に発音が違うし。


「ごめん・・気に入らないなら・・」

『ロンでいい、いや、ロンがいい』


「本当に?」


『本当だ』


「・・・ありがと」

『お礼を言うのは俺の方だろ?』

「それでも、ありがと」


 そう謎の感謝をするモニカの表情は、妙に明るかった。


『これってひょっとして、何かいわくつきの名前だったりする?』

「そ!?、そんなことはないよ!?」


 ああ、これは何かあるな・・・


『まあいい、どんな理由があろうとモニカが呼びたいのならばそれでいいよ。

 よし!たった今から俺はロンだ!』


 そう心に決めるとなぜだか分からないが、何か満ち足りた気分になる。

 やはり人は名前を持って初めて自己が確立されるのだろう。

 よく分かってないけれど、きっとそうに違いない。


「よろしくね、ロン!」

『こっちこそよろしく頼むぜ、モニカ!』





 俺はスキルである。


 名前はロン。


 モニカの頼もしい相棒だ。




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