第12話-おはようございます、お嬢様。

 初夏の眩しい日差しが川面にきらめいて光る。川のせせらぎが涼やかに聞こえる中、川原では夫婦らしき二組の男女がバーベキューを楽しみながら賑やかに笑いさざめいている。そこから少し離れた浅瀬では幼い少女が一人、水に手を差し入れきゃっきゃとはしゃいでいた。魚の背を追うように少女は浅瀬を進み、時折水を跳ね返しては無邪気に笑っている。

 魚を追ううちに、少女は徐々に浅瀬から川の中ほどまで進んでいた。たくし上げていたズボンの裾が濡れるのも構わず、少女はどんどん川の中に入っていく。腰まで水に浸かったところで少女はふいに辺りを見回した。川の流れは穏やかに見えて意外に強い。水の冷たさと強さに不安になったのか、少女は引き返そうと足を踏み出した。その途端、川底の石に少女は足を滑らせた。突然のことに声をあげることもできず少女は水の中で必死にもがく。もがけばもがくほど、冷たい水は捕え絡めとるように少女を水底に引き込んでいく。

 少年の鋭い叫び声が川原に響いた。中学生くらいの男の子が釣竿を投げ出し少女へ向けて駆けていく。水に足を取られながらなんとか少女の元に辿り着いた彼は水に潜るとぐったりとした少女を抱き上げる。

そして「もう大丈夫だ」と少年は少女に声を掛けた。

 異変に気付いた父親らしき男達も川に足を踏み入れる。女達は慌てながらもPHSを手に取り119番をコールする。

 男達が少年と少女の近くまで来たとき、少年もまた川底の石に足を滑らせたのか少女を抱え上げたまま転倒した。少女を水に浸けまいと腕を高く掲げたままの少年は起き上がることが出来ず、容赦なく冷たい水が彼に襲い掛かる。男達が少年と少女の元に辿り着いた時にはすでに二人とももうぐったりとしていた。なんとか二人を抱えた彼らは急いで川原へ戻り、レジャーシートの上に二人を横たえバイタルを確認すると心臓マッサージを開始した。ややあって、少女が水を吐きだし泣き声を上げた。徐々に救急車のサイレンが近づいてくる。少年はまだぐったりしたままで、男は必死に心臓マッサージを続けている。

 到着した救急隊員によって少年と少女は担架に乗せられ、女達が一緒に救急車に乗り込む。茫然と立ち尽くす男達を残して救急車が走り去っていく。


「お、兄、ちゃん」

 掠れた自分の声で私は目を開けた。焦点のぼやけた視界には白い天井があった。装置にぶら下げられた点滴のパックから垂れ下がっている管を目で追っていくと自分の手の甲が目に入った。その視界の端、黒いスーツの男が憮然とした表情で座っていた。

「おはようございます、お嬢様」

 なにがあったの、と言いかけ声がうまく出ないことに気付く。死神は黙ってナースコールのボタンを押した。パタパタと駆けてくる足音が聞こえ、看護師が顔を見せた。

「すみません、意識戻ったみたいです」

 憮然とした表情のまま死神が看護師に告げると、看護師は急いでドクターを呼びに行った。

「悪い妖魔惹きつけやがって、精気吸われてぶっ倒れたんだよ」

 死神が小さな声で言う。聞き返す間もなくドクターがやってきた。

「ここがどこかわかりますか?」

 慎重に伺うように私の様子を見ながら、ドクターが見当識障害がないか確認するためにいくつか質問をしてきた。咳払いをすると掠れながらも声が出るようになったので質問に答えていく。

 ドクターは何回か頷くと聴診器をあて心音を聴き、手足の浮腫を確認するとほっと息をついた。

「まだ安心は出来ませんが、心エコー、心電図、血液ガスも異常はありませんでした。特に浮腫もないようですね。以前から例えば息苦しかったりとか、だるくて疲れやすいとか、そういう症状はありましたか?」

 首を横に振って応える。

「そうですか」

 ドクターはしばらく考え込むと、「念のため胸部レントゲンの検査も行いますので、今夜はこちらにご入院ください」と言い首を傾げつつ立ち去った。

 看護師とドクターが立ち去るのを確認してから死神がぼそりと言う。

「お前、精気がっつり吸われて心肺停止したんだぞ。俺の適切な処置に感謝しろ」

 あの少女に口づけされた首筋にそっと触れると、また背筋がぞくりとした。

「たまに原因もわからず突然死するやつがいたりするだろ。所見は便宜上、急性心不全ってことで片づけられるけどな、そのうちの何割かはお前みたいに死にたがってるやつが妖魔を惹きつけて精気を吸い尽くされて死んじまうケースなんだよ」

「え、じゃあまた」

 あの少女が現れるのか、言いかけると死神は強く打ち消すように首を振ると「大丈夫だ」と鋭く言った。

「あいつはもう来ない」

 私の不安を払うように強く言うと死神は立ち上がった。そしてポケットに手を突っ込むと何かを掌に握りこみ、数秒の間、目を瞑り何かを呟く。目を開けると死神はポケットから手を出し、私に差し出して見せた。

 死神の大きな掌には直径1cm程度の小さな玉虫色の珠があり、珠にはチェーンが付いている。チェーンについた留め具を外すと死神は私の首に腕を回す。思わず首を竦めると死神は「大丈夫だ」と耳元で囁いた。抱きしめるような距離感に、死神の体温を感じて私は目を閉じた。なんてほっとする温度だろう。

 首の後ろで留め具を付けると死神は私の頭をぽんぽんと軽く叩くように撫でた。

「もう大丈夫だ」

 いつもの醒めた声ではなく、何かを堪えるような声に不安を感じ私は死神を見上げた。しかし死神はすぐに背中を向けると「また明日くる。ゆっくり寝ろ」と言って去って行った。

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