1-3

ルミナート博士に案内されたのは、この施設の地下一階にある実験用スペース、もとい戦闘訓練用のスペースだ。ルミナート博士は


「ボクは別室でみてるよ何かあれば実験はすぐに中止にするから」


と言って、この部屋から出ていってしまった。

この部屋の広さは、だいたい縦横ともに50mくらいだろうか、各所に足場が設置されている。こういった地形を利用して得られるデータもあるのだろうか。


『心の準備はいい?』


室内にあるスピーカーからルミナート博士の声が響く。心の準備か…

僕が倒れてるのを発見されたとき僕の左腕の骨は折れていた。でも、この国の医療技術は、たった5日で僕の骨折を治したのだ。軍医の人からは、あまり腕に負担をかけないようにと言われているが、さすがにほとんど動かしていないとなると、自分の腕じゃないような気がして気持ち悪くなってくる。正直記憶を失ってるんだから戦闘経験なんてないに等しいし、このインパクトスーツだってちゃんと使いこなせるのか分からない。不安は消えない…けど、何はともあれ、腕は治ったんだリハビリも兼ねて、じゃんじゃん動かしていこう。


「いつでも行けます」


正面奥の壁が扉となって開き、薄暗い空間から、獣の足音のようなものが聞こえてくる。音は次第に大きくなっていき、それはついに僕の前にその姿を表した。体長は1〜2m前後、四足歩行で全身が黒いオーラみたいなのを纏っていて、尖った耳と顔の周りを覆う鬣に、睨んだだけで小動物なら失神確定の鋭い眼、2本の牙が上顎から見えていて、とてもじゃないが怖いなんてもんじゃない。それに、鎧みたいに硬そうな鱗のようなものがそいつの前足部を守っている。


「爪も相当鋭いし、あれにちょっとでも引っ掻かれるようなら、ひとたまりもないぞ…これがガイナス、訓練用に造られたダミーとはいっても迫力が半端ないな…」


でも、せっかくここまで来たんだし、どうせなら博士の期待にも応えたいこの気持ちに嘘はないし、実はどれだけこのスーツがすごいのか試したかった自分もいたのだ。


「ガァァァ…」


ダミーガイナスがこちらを睨んだままの体勢で低く唸る。僕を警戒しているんだ、とりあえずいきなり突っ込んでいったら、返り討ちにあうのは目に見えている。だから今は、この間合いを保ったまま動いて相手の注意を引く、獲物が目の前にいるんだ、向こうからすぐにでも飛びかかってくる。その隙をついてカウンターをいれてやる。


「グァッ!」


動いた!こっちに向かって、そのまままっすぐ飛び込んでくる。まずは、鼻に一発!


「ここだぁッ!」


タイミングをしっかり見極めヤツの顔面を狙って拳を突き出す。だが、僕のカウンターは決まらなかった。


「うそ、なんで…」


予想外だった。あの獣はなんと自分めがけて飛んできた僕の一撃を避けて、そのまま垂直にジャンプし、体を捻りながら天井に爪を突き立てて張り付いたのだ。一瞬だった、ダミーガイナスの一連動作全てが一瞬だった。


「マズい!次が来る!」


ダミーガイナスは天井に張り付いたまま、後ろ足に力をこめて思いっきり蹴ったのを見て、僕はしゃがんで地面を殴った。

床にひびが入った程度だが、それで十分だった。ひび割れた床を捲って、小さな瓦礫の破片を手にし、それを思いっきりやつの目をめがけて投げつけた。


「鋭いやつをお見舞してやる!」


破片は物凄い勢いとスピードで横回転し、空を切り裂いた。しかしそれは、体を捻られて避けられてしまう。だが、すかさず2つ目の瓦礫がダミーガイナスの右目に命中した。


「このまま僕の頭にかぶりつこうって考えだったんだろうが、いくらお前でも避けた動作のあとに空中で…しかも、自由落下中に身動きはとれまい!」


一つだけなら避けられてしまうのは予想できた。なら、避けられたあとにもう一発同じパワーで破片を投げれば、流石に反応はできても体は動かないんじゃないかと考えたのだ。

予想通り、体勢を崩し頭から地面に落下したダミーガイナスは、ゆらりと立ち上がり首を振って体勢を立て直すと、こちらを振り向き残った右眼で睨みつけてきた。


「やっぱ致命傷にはならねぇよな…にしても、かなり怒ってるな、お前…」


でも、これで少しは戦いやすくなった。死角をついて立ち回れば、生身なら無理だが、このスーツのパワーなら倒しきれる。


「あれ…?なんで、俺今…倒しきれるなんて断言できたんだ?」


俺?僕は…僕?僕って誰だ…俺は、俺…?俺って…俺は…僕は…


「お前は誰だ…?ぐっ…頭が…割れる…」


意識が、遠のく…ダメだ…体から力が抜けていく。遠くからなんだが声が聞こえる。


『大丈夫かい!しっかりしろ!今助けに行く実験は中止だ!』


あぁ、ルミナート博士か…そうだ…実験…インパクトスーツの…ダメだ、頭が…割れそうだ…


────あぁ、ちょっと、いやかなり早いが綻びが見えてきたね…ダメだよ?しっかり眠っててくれアレン・ハーヴェン君


この声を…俺は知ってる…お前は、あのときのあのときの…誰だ…誰だ…僕は、知らない…何も…思い出せない




目が覚めた、割れそうな程の頭痛は嘘みたいに治っていた。そして、知らない部屋に知らない人が僕のそばで椅子に寄りかかって眠っていた。


「んん…やぁ、目が覚めたかいボクのモルモットくん」



その人は美しく長い銀髪を腰まで下ろしていた。女性のはずなのに、ボクという一人称を使っている。


「すみません…僕、何も思い出せなくて…」


「何も覚えていない、か…じゃあ、逆に何か覚えていることはあるかい?」


「すみません…何も…そうだ…地球へ帰るんだ…一緒に…ニッポンに行くって…誰と…?どうやって…?ここは…どこだ…僕は誰なんだ…?」


何も、思い出せない…


「大丈夫、大丈夫、怖くない、怖くない」


銀髪の女性が僕を抱きしめて、呪文のように何度も何度も、大丈夫、怖くないと囁き続けてくれた。


「どうして…僕は、あなたを知らないのに、なんで」


何故か、胸を締め付けられるような感覚がした。


「どうしてかって?簡単なことだよ、君がボクのモルモットだからさ、君がボクのことを知らなくても覚えてなくても、ボクは君を知っている。この街を初めて見て、子どもみたいにはしゃいだ君を知っている。階段を上ってバテてた君を知っている。記憶がなくて不安なはずなのにがむしゃらに元気そうに振舞っていた君を知っている。初めて見たガイナス相手に本当は怖かったはずなのに勇敢に立ち向かった君を知っている。たった1日の間だけど、ボクはたくさん君のことを君から知ったんだよ。科学者としてではなく、一人の人間としてね」


今まで見てきた彼女の笑顔とはどこか違う、これは、優しさの笑顔だ。


「あれ、なんで…僕、泣いて…」


気が付けば、涙がどんどん溢れ出ていた。それと同時に、一時的に忘れていた僕の名前と、彼女の名前、地球のこと、ニッポンのこと、ケンゴのこと、記憶を失ったこと、記憶を失ってからの今までの日々を僕は思い出していた。


「泣いてもいいのさ、わけがわからなくても涙は出るものなんだよ、そういうときは、涙が止まるまで、泣き続ければいい」


そんなの、そんな言葉ずるいよ、記憶を失う前のことは思い出せない…でも、なんとなく、だけど、あの声だあの声の主が、僕の記憶を消した犯人だ。どこの誰だか知らないけど、待ってろよ必ず見つけ出して、記憶を取り返してやるからな。

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