人は忘れじ

 まつりは、大学の三回生。

 同級生はそろそろ就活や、就活に向けたセミナーなどに忙しくなりつつある頃であるが、相変わらず、所属するサークルでオカルトや都市伝説の研究をしている。


 将来は、ルポライターになりたいのだ。

 ルポライターとは、ジャーナリストとは違う。あくまで、現場で起きたことを、レポートするのだ。だから、その記事に私見は挟まない。端的に、起きた出来事について述べたり、何かの事件についてのルポルタージュを書くときは、その真相に迫ることを唯一の目的とする。


 以前に藤代神社を訪れたカジマモルという男は、ジャーナリストであった。ジャーナリストの書く記事には、記者自身の私見や批判などを挟む。だから、カジと祭では、そのスタンスが異なる。


 都内の大学だから、藤代神社に足を向けないはずがなかった。当たり前のように、祭は藤代神社に取材に向かった。

「ごめんなさい、写真には、写れないんです」

 評判の通り、とても可愛らしい巫女がいて、写真に写ることを固辞した。

「境内の様子なら、どうぞ、ご自由に」

 と巫女は、優しく笑いかけてくれた。

 歳は、たぶん祭と同じくらいのはずだ。

 しかし、何故か、とても大人びて見えた。

 所作や言動の端々が、良く言えば古風、悪く言えば婆臭いのである。

 とにかく美しいその姿に、女であるはずの祭が、何故か見とれてしまった。


「なにか」

 ──まだ用でもあるのか、とでも言いたげに、巫女はそっと言った。祭は恥ずかしくなって赤面し、

「ごめんなさい。この神社のこと、記事に書いてもいいですか」

 と眼を逸らしながら言った。

「記事に?」

 またか、という顔を、巫女はした。

「ごめんなさい。迷惑ですよね」

「いえ、迷惑ではないのですが」

 巫女の顔が、ちょっと困ったようなものになった。


「でも、いいんです。なんとなく、好きな場所になったから。噂話のことを突っつくより、ふつうにお詣りしていきたい気分です」

「そうですか。あなたも、記者さん?」

「やっぱり、そういう人、よく来ますか」

「たまに」

 やはり迷惑らしい、と祭は思った。それもそうだろう。急にSNSで話題になり、あちこち写真に撮られてネットに掲載され、果てはカジのような記者がやってきて、あれこれと記事を書くのだ。あの雑誌の記事を、勿論、祭も読んでいる。


 その記事自体は、なにか、宣戦布告文のような不思議な熱があるほかは、大したものではなかった。

 祭が藤代神社に興味を持ったのは、その記事を書いたあと、ぱったりとカジマモルという男がメディアから消えたことである。

 彼の活動の最後の地点が、ここなのだ。

 その後、彼がどこに消えたのか。

 この神社にまつわる噂話と、何か関係があるのか。

 それを、祭は調査しに来たのだ。


 しかし、巫女は、やって来ることに、とても困っているようだった。それは、あれこれと取材して記事にされるのが嫌なのか、あるいはもっと別の何かかがあるのか。

 その巫女の困り顔を見、石段の下の都会の喧騒など全く感じない静謐せいひつな空気を感じた祭は、自分の持つ好奇心は、必ずしもそれらに土足で上がり込んで良いだけの理由にはならないと思い直した。


「わたし、浦部祭うらべまつりと言います」

 にっこりと笑い、祭は自己紹介をした。

「祭さん。いいお名前です」

 巫女は、祭に笑顔を返した。

「でしょ。ここ、神社だもの」

 何故か、先ほどから感じていたような緊張感が、ふと解けたように祭は思った。

「この神社のかんなぎをしております、晴名咲耶です」

「咲耶さん。うわあ、綺麗な名前」

 祭は、眼を輝かせた。


 その瞳の光に、恥じらうようにして笑う咲耶の向こうに、紫陽花あじさい

 もう、花をつける季節なのだ。

 それを、

「夏祭りが、近いですね」

 と祭は表した。

「ええ。──でも」

「でも?」

「あんまり、大きなお祭りを、うちはやっていないんです。昔は、それこそこの辺り一体の人が、うちに集まって、賑やかなお祭りをしたのですが」

「ふうん。どうしてなんですか?」


 子供の頃から、どうして、なんで、が多かった。最近、そう母にたしなめられたことを、祭は思い出し、ちょっと発言を後悔した。

「昔と言っても、江戸時代などの頃になると思いますが、その頃は、神様は、お祀りすることで、はじめて人の前に現れるものだったのです」

「今は、違うの?」

 よせ、この知りたい病め。と祭は内心自分に言ったが、止まらない。

「さいきんでは、神様に、簡単に人は会えるようになったのです」

「そうなんですか?なんか、イメージと逆」

「そうでしょうか」


 咲耶は、立ち上がった。

 背は高くない。祭の身長が、一番最近受けた健康診断の時で百五十八センチであったから、それよりも低いらしい。

「巫のわたしが言うのもおかしなことかもしれませんが、神様とは、はじめから神様として存在したのではないと思っています」

「どういうこと?」

「たとえば、石。たとえば、水。そういうものにすら、人はかつて、いのちを感じた。それが、長い時を経て、いつの間にか神様になった、そういうことがあるのではと思うのです」

「うわ、巫女さんが言うと、説得力ある」

 咲耶は、喜ぶ祭に合わせて、くすくすと笑った。

「それと、昔より今の方が神様が身近って、どう関係があるんですか」

「さあ──」

 そう言って、咲耶は、また微笑んだ。


 その向こうの紫陽花にも。彼女らが踏む砂利の一粒にも。そして、咲耶の髪を揺らす風にも。いのちがあり、神様がいる。

 それは、人がそう思うから。


 ──人が、神様に名前を与え、産み出した?

 ──あちこちの神社でお祭りをするのは、その神様に、人が会いたがるから?

 ──この神社で、最近、そのお祭りがあまり行われなくなったのは、神様に会いたいと思う人が少なくなったから?


 そうなると、咲耶のはじめの話と矛盾する。

「分からない。どういうことですか?」

 祭の知りたい病が、ギブアップを告げている。

「わたしにも、よく分かりません」

 咲耶は、風に髪を靡かせながら、また困ったように笑った。髪が揺れる度に、紫陽花ではない何かの花の香りが運ばれてくる。


「もう、行きます。ほんとうは、調べたいことがあったんですけど。また、来ていいですか」

「ええ、もちろん。あなたが本当に知りたいことが何なのか分かったら、もしかしたら、お力になれるかもしれません」

「ありがとう、咲耶さん」

 ぺこりとお辞儀をして、祭は本殿の方へと駆け去った。

「咲耶さんと、もっと仲良くなれますように」

 参詣の作法などめちゃくちゃである。

 小銭を賽銭箱に投げ入れ、柏手もそこそこに、大きな声で祭はそう言った。

 本殿から咲耶の方を振り返ると、また祭の方を見て、くすくすと笑っている咲耶が居た。



「また、変なのが来たわね」

 玉前たまえである。売店の奥から、空になったうどん鉢を抱えながら出てきて、

「ああいううるさい手合いは、苦手よ」

 と溜め息をついた。

「あの方は、わたしは平気です」

「あら。ずいぶん、寛容なのね」

「あの方は、渇いていませんでした」

「さすが。敏感なのね」

「ええ。渇いた人には、なかなかが分からないようですが」

「ほんと。馬鹿ばっかりよね。ああ、嫌だ。もうお店の時間よ。あのクソオヤジどもの相手をして来るわ。あんたも、今度一緒にどう?咲耶ちゃん、可愛いから、あっという間に人気が出るわよ」

「人の中に混じり、何かをするなど、わたしには、とても──」

 咲耶は、慌ててかぶりを振った。


「冗談よ。ここに来る人の多くと、わたしのお店に来る阿呆どもとが、似ているなと思ったの」

「そうなんでしょうか」

「皆、渇いてるわ。どうでもいい何かを得るために、大切な何かを少しずつ切り取って。そうやって、すり減って、くたびれて」


 だんだん、陽差しは夏に近い。

 中天の陽が移り、西に傾きつつある頃が、最も陽はうるさくなる。それが作った光の穴の中に、二人はいた。

「自分ではないいのちの力に頼り、すり減らすのは、悲しいことです。自らのいのちにもまた、おおいなるものが宿ると、気付かぬまま」

「ま、どうでもいいわ。わたしには、今日の飯、明日の糧よ。うどん、ごちそうさま。お店行ってくるわ」

「いってらっしゃい、玉前さん」

「生きてゆくのって、大変よねぇ」

 長い髪を掻き上げ、一つ嘆息をこぼすと、玉前はまたタイトスカートの腰をくねらせながら、器用に、素早く石段を降りて行った。


 咲耶は、ぽつりと呟いた。

「淵は瀬になる世なりとも、思いそめてむ人は忘れじ」

 川の淵が瀬になるように世の移ろいは激しいが、この人こそと思う人のことを、忘れることはないだろう。そういうような意味である。

 誰が詠んだかは、咲耶も知らない。

 恋の歌のはずであるが、どういうわけか、人というのが特定の誰かではなく、世の人のことを大きな枠で捉えたようにも解釈出来るのが、なんとなく今の心境に合うと思ったのか。


 祭の願いは、叶うだろうか。

 それは、咲耶にも分からない。

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