ふたつ さくやこの花
恨みそめにし
午後五時には、売店を閉める。咲耶がその準備をしようとしていたとき、本殿の前の鈴が鳴った。それに、咲耶は弾かれたように顔を上げた。
その願いの持ち主の背中は若い。女だ。見たことのある制服を着ている。高校の名までは咲耶は覚えていない。
咲耶は、なぜかちょっと困ったような顔をして、
「絵馬、ください」
女の子の眼は、燃えていた。
復讐?怒り?
その感情を、咲耶は知らぬ。あるということだけ、知っている。
「どうぞ」
油性ペンが、感情がそのまま表れた字を連ねてゆく。
「お父さんを殺した奴に天罰を」
それが、咲耶にもちらりと見えた。
そのまま、黒い心を燃やしながら、柵のところまで行った。
──お父さんを、返せ。
──お父さんが、自殺なんてするわけない。
──お父さんは、わたしのことが大好きだったのよ。
──あいつに決まってる。
制服の女は、そっと、それでいて確かに、紐を結わえた。
「お父さんを殺した奴に天罰を」
あまりにその自らの字を睨み付けるからか、少し字が浮き上がったように見え、思わず首を振った。
いきなり、背後で気配がした。女は振り返った。そこには、錦の小袋を差し出す巫女がいた。
「あなたは」
「もしよろしければ、どうぞ」
「噂は、ほんとうだったの」
「噂?」
「この神社にお詣りをして、絵馬を掛けて、巫女さんにお守りがもらえれば、その願いは叶うって。学校でも皆言ってるわ」
同じ制服を着た学生が、よく参詣に来る。大抵、複数で連れ立って、騒ぎながら。それで、冗談半分のような願いを絵馬に書き、吊るし、自撮り加工アプリで写真を撮影し、眼が大きく、顎が細く、肌が綺麗になり、何故か動物のの耳が生えた自分が、SNS上に出現するのだ。
そういう姿を咲耶は思い出し、眉を下げて微笑んだ。
「同じ制服の方が、よくお詣りにおいでになります、
絵馬に、そう名が記されていたのを、咲耶は見ていた。
「人の絵馬、じろじろ見ないでよ」
「ごめんなさい」
「学校では、噂が当たり前みたいになってる。でも、お守りを貰った子はいない。願いが叶った子もいない。だから、嘘だと思ってた」
「嘘かまことかは、見方によるもの」
「なによ、賢ぶって。馬鹿にしてるの?」
「まさか」
咲耶の髪が、風に揺れる。
「皆さん、神様よりも、インターネットでお願いをなさる方が多いようです」
「ネットにお願い?」
「何かを求める心が、何かを引き寄せる。そういうことが、あるのかもしれません」
「変な巫女さんね」
「よいお詣りでした」
瑠花は、その錦の小袋を受け取った。
その夜。
瑠花は自室のパソコンに向かい、キーボードを叩いていた。
それを求める一心で。
今日、話した巫女の言葉が、心に引っ掛かっている。
そして、瑠花は探り当てた。
「なに、これ」
そのサイトに、アクセスした。
テレビ通話ができるようになっている。
震える指で、クリックする。
画面は暗転した。
暫くのホワイトノイズのあと、男の声。
「何の用?」
「恨みを、晴らしてほしいの」
「よく、ここが分かったな」
「色々調べてたら、急に繋がったの。ねえ、どういうこと?本当に恨みを晴らしてくれるの?」
「あんた次第だ」
暫くの間、真っ黒な画面から流れてくる男の声と、話した。話が一通り終わったあと、男の声は、
「あんたの恨み、買ってやるよ」
と呟き、通話を一方的に切った。
翌朝。
慌てる母の声で、眼が醒めた。
「瑠花。起きなさい。立花のおじさんが、亡くなったわよ」
立花のおじさん、というのが、父を殺した男の名だった。
まさか、と思った。
母曰く、立花のおじさんは、今朝早く、一人で仕事をしているとき、自分の経営する会社の階段から転がり落ち、死んだのだという。
──神社で、お詣りをしたから?
──昨日の、変なサイトの男と話したから?
何も分からない。
「おじさんまで亡くなってしまったら、うちの会社は、もうおしまいね」
母は、力なく笑った。
制服を着たままの瑠花は、母から、立花のおじさんが、いかに死んだ父の会社を助けていたかを聞いた。
何も知らなかった。
不景気で会社は倒産寸前。古い馴染みの立花のおじさんが父を憐れみ、利子なしで金を貸したり、できるだけ父の会社のものを買ったりして、ずいぶんと助けていたらしい。
「瑠花、ごめんね。お母さん、どうしていいのか」
瑠花は、目尻を吊り上げた。
「やめて。わたしが、ちゃんとするから。もう、うんざりよ。お父さんが死んだだけで、もう沢山。来年、卒業よ。仕事するわよ。お母さんも、パートでも何でもすればいいじゃない」
「そうね。ごめんね、瑠花。あなたは強い子だから、一人でも、やっていけるわ」
「一人で、って何よ、お母さん」
「ちょっと、立花のおじさんのところに行ってくるから。学校、ちゃんと行くのよ」
「分かったわよ」
学校から戻った瑠花が見たのは、床から浮いた状態で揺れる、母の姿だった。
夕暮れの住宅街に、彼女の悲鳴が響いた。
石段を上りながら、咲耶は、ついお気に入りのコロッケをつまみ食いしてしまう。社務所を兼ねた自宅に入ると、咲耶がおじいさんと呼ぶ老人が椅子に腰掛け、テレビを見ていた。
「咲耶。付いとるぞ」
「あら」
咲耶は、口の端についたコロッケの衣のかけらを摘み取り、口に入れた。
夕焼けが映る窓の向こうに、白い月がひとつある。
「月てふものは、恨みそめてき」
「相手を月と思い定めたら、それすらも憎らしい、か。百人一首かね?」
「続後撰和歌集です」
「
「お夕飯、今から支度しますね」
そう言って咲耶は、台所に入って行った。
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