満足な痛み

梅田 紫

01.

「ーーーーー。」



動けない、およそ動く気もないけれど。


指先が冷たくて 段々曲げづらくなってきた。


あの人に着せてもらったこの紅いロングのワンピースが

唯一私の身を寒さから守る様に包んでくれている。


この部屋で1人にされてから何時間経ってるんだろう。


流石にそろそろ喉が渇いた。

水差しは 目一杯腕を伸ばして あとほんの少し足りないくらいの所にある。


あの人の小さな意地悪が、こんな所でも垣間見えて なんだか可笑しくなった。


家の中は一切物音すらしないおかげで

換気のために開けてあるベランダへ続く窓の隙間から


遠くの方で車が走ったり

子供が数人ではしゃいでいたり

そういう類のものが絶えず聞こえる。


...あ、廃品回収。懐かしー。

テレビ、エアコン、ラジカセ、冷蔵庫等の家電品...ってか。


人の意見に流されてヘラヘラ笑ってやり過ごしてきた

自分一人じゃ何も決められない、何もしてこなかった


私も 一緒に回収してくれないかな。なんて。



青から橙へゆっくりと移り変わりゆく空の色を眺めつつ、

くだらない事を頭の隅に転がしながら微睡んでいると

玄関の方から鍵が開く音、続いてドアが開き

あの人が帰って来た時の「いつもの音」が聞こえてきた。



早歩きでこの部屋に近付いてくる...


数秒おいて、「カナ、入るよ」

これがいつも通り。


「うん、おかえりなさい」

私もいつも通りの返事。




微笑みながら「いい子にしていたかい?」


私も出来る限りの笑顔で「もちろん。っていうか、いい子じゃなかった日なんてないじゃないの」

頬を膨らませて おどけてみせる。



ー正直なところを言えば、

この人の顔を見ると、顔が引き攣りそうになるけれど

私の事を強く愛しているのが伝わるから

邪険にできない。


例え 私の自由を、四肢を、奪った張本人だとしても。





私は諦めているのだろうか

もう1人ではまともな生活を送れないから

この人に従い、媚びへつらう事で

自分の生命を維持しようとしてるのかもしれない。




本当の意味で「あの人だけの私」になった瞬間の彼は


誰にもとられない確証がついた宝物を見る様な眼をしていた。


大粒の涙を沢山落として

鼻の頭を赤くして

泣いてるのに笑ってて


肋骨が軋む程 抱き締めてくれた。



きっとあの時、私も彼に愛を持ったのだろう。


これだけ真っ直ぐの感情を向けられて

きっと私は幸せ者なのだ。


老いて醜くなって、いつか捨てられる日が来るかもしれない。


でもそれまでの間、こうして偏屈で

世間一般からしたら歪な愛を与えてもらえるなら


そんな人生も悪くないな。



ああ、また幻肢痛だ。

無い筈の指先が、冷たく感じる。

肘も痛む。


これが、人を愛する痛みというものなのかな。


今まで生きてきたけどこんなの知らなかったよ。


教えてくれてありがとう、ずっと一緒にいてあげるからね。

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満足な痛み 梅田 紫 @psychopath006

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