第三十六章 フィヨルドの王
暁月が上る薄青色の空。風はゆりかごが揺れるみたいに優しい。その中に、冷気が忍び込んでいる。薄ら寒い。もう季節が移り変わったようだ。
マリアは露天甲板で、手に息を吹き掛ける。レジーが近寄ってきた。
「さむい?」
「うん、少しだけ」
陸に着くまで数時間はあるから中へ入っていた方が良い。マリアは首を縦に振らない。この景色を見ることが出来なくなるかも知れないから、と深い青の海を眺めていた。
「マリア様」
倉口から出てきた人物へ視線を投げる。レイヴァンだ。マリアが
「朝の風はお体に悪うございます。せめて、中へ入っていて下さい」
「いや、今日中には国につくのだろう。海をしっかり見ておこうと思って」
「おお、存分に見ておけ! 船上じゃねえと、こんな景色見られないんだからよ」
「ありがとうございます」
にっこりと笑顔を浮かべマリアが礼すれば、ロベールはにっかりと歯を見せて笑う。
「礼を言われることじゃねえよ」
「それもですが、わたし達のために船を動かしてもらいましたし」
「かまわんさ、この船に乗った者は皆兄弟。それが信条なんだ」
ですが、助かりました。よくあの量の
「海賊としてことを起こすにも金がかかる。だから、いろんな国へ行き商談をして交易を行うことで、おれたちは船の上で生活している」
ソロモンも来て「今回は、そのことに救われました」と、ロベールに礼する。
「義理堅いねえ。ま、“あるじ”に似ているか」
「そう言われたのは、初めてです」
答えてソロモンが腕をくむと、レイヴァンまでも賛同してうなづく。
「ソロモンは義理堅いからな」
そうだろうか。つぶやき、ソロモンがマリアを見る。
「姫様は、どう思われますか」
まさかこちらに振られるとは。やや困惑したが持ち直して、右に同じだと示した。旧友の行方がわからなくなったとき、ひどく焦燥し、自身をせめていた。それがすべてをあらわしている。
「なら、そうなのでしょうか」
自分ではわからない。ソロモンは顎をさする。策士であるのに自身のことはわからないのか。マリアはちいさく笑う。
「そうですね、そうかもしれません」
はにかむ珍しい表情にマリアが見とれていると、ソロモンが奇策でも浮かんだ策士の顔になる。
「おや、姫様。そんなに俺にみとれて、ほれてしまいましたか」
レイヴァンがソロモンを律しようとしたとき。
「ああ、ほれてるよ。おぬしの策にはいつも驚かされる」
「あははっ」
マリアが失笑すれば、となりにいるレジーまでもが笑う。ねんごろな二人のようすは、見ていてほほえましい。会話を聞いていると、レイヴァンが戻ってきたのだと実感がわいてくる。
「マリア様、わらうところではございませぬぞ。レジーまで……」
「すまない、なんだかとても懐かしい気がして」
笑うマリアに、レイヴァンはつられて微苦笑をうかべる。そうですか。つぶやいて、わずかに顔を伏せた。
「そうだ、国につくまえにレイヴァンに渡しておこう」
かばんから一冊の日記帳をとりだし、レイヴァンに手渡せば首から提げている石がきらめいた。ヘルメスから譲られた石と、マリアの胸元にある石とが共鳴する。こんな反応は、初めてで狼狽しているとクライドが上甲板へとあがってきた。あたまをかかえ、今にも倒れそうなほど足下はおぼつかない。
「大丈夫か」
声をかけマリアがあわててかけよると、クライドが間欠的につむぐ。
「つよい思いを感じる」
「エミーリアさんの?」
マリアに、こくんとクライドがうなづく。よろよろとレイヴァンに近寄ると、日記帳にふれた。刹那にさながら電撃が駆け巡るように感情が押し寄せてくる。
あふれだした感情が涙となってクライドの頬をぬらす。
「この日記を書いた方は、レイヴァン殿のことが最後まで気がかりだったようですが」
もう大丈夫でしょう。笑顔を零しながらクライドが紡ぐ。共鳴していた石も、いつしかやんでいた。
「これは……」
「エミーリアさんの日記帳。ある町によったとき、ある人が渡してくれたものなんだ。守人達がやぶかれた日記の切れ端を見つけてくれて、ようやく読めるようになったものなんだよ」
「そうですか、ありがとうございます」
あたたかさの中に切なさをふくませて、レイヴァンはかえした。クリフォードが口にした名の人物が書いた日記帳は、血と土でよごれていたが、どことなく微笑んでみえた。
「ひめさま!」
場の雰囲気を破壊する声をひびかせて、クレアが駆け寄ってきた。その髪には、白いエリカのかざりがついた“かんざし”をしている。
「クレア、そのかんざしは?」
「えへへ、お兄ちゃんがくれたの!」
兄とはヨハンだろう。この船に乗ってから、たびたび話しているのを見かける。
クレアの無邪気な笑みにマリアもつられてしまう。家族は一緒にいるほうがいい。兄弟のいないマリアであるが、父や母と離れている間は、仲間とは違うさびしさを覚えていたからだった。
「レイヴァンをさがしてここまで来て、思わぬこともおこるものだ」
ソロモンに、マリアはちいさく息を吐く。
昼過ぎに陸へあがると、ロベールと共に王都をめざして歩き始めた。馬をかりようとしたが、ロベールが「おれが乗ると乗りつぶしちまうからおれはいい」と断った。なので、歩いて向かう。
数週間かけて入城したが、使用人と数人の兵士しかいなかった。九月も中旬とはいえ、この時期は離宮にいる。すっかり失念していた。
徒歩で一時間ほどかけて離宮へつけば、兵が取り次いでくれた。正面の入り口まで来た瞬間。宝石とかざりでいろどられた礼服を、まとった国王があらわれた。つよくマリアを抱きしめる。
「おお、マリア。無事であったか、心配したのだぞ」
「お兄様。いくら可愛いからといって、あまり強くしてはいけないわ」
ディアナにおどろき、オーガストが反射的にはなす。
「ディアナ、なぜ、ここに……」
うれしさと困惑がまじる表情で見つめられ、ディアナもいささか苦慮する。くらい表情をうかべたが、カルセドニー国であったことを話した。
「そうであったか、つかれたであろう。食事の用意をさせるから、皆で食事をしながら話を聞かせてくれ」
食卓に皆がつくと、アイスバインや豚すね肉を炭火で焼いたシュヴァイネハクセ。牛肉をにこんだシチュー料理グーラッシュといった肉料理。カルトッフェルザラート(ポテトサラダ)やカルトッフェルズッペも振る舞われる。
船上でたべた昼食は、かるい食事だったので食欲をかきたてた。報告をせねばならぬのに、忘れ去って食事に傾注してしまう。国王も怒ることなく、うれしげにながめていた。
机上におかれた皿がすべて“から”になってしまうと、ようやくレイヴァンから報告する。
「報告がおそくなり、申し訳ございません」
「いや、かまわぬ。ソロモンから知らせはもらっている。レイヴァンは、カルセドニー国に間者として捜査しているとな」
端から咎めるつもりはないらしい。カルセドニー国でのことを報告すれば、国王はしばし目を伏せた。ティマイオスではない集団が何者であるか、考えあぐねているようだ。
「とにかく、みなにはちゃんと褒美をとらせよう。それぞれに地位をあたえようと思っている。それから、もうひとつ。なにか欲しいものを考えておいてくれ」
なんでもさずけよう。刹那にレイヴァンが「なんでも」と、口の中だけでつぶやく。雰囲気がかわったレイヴァンを、ソロモンがちらりと眺める。マリアも不思議に思ったのか見つめていた。
「国王陛下、わたくしはあなた様にお話があって王子様に同行させていただきました」
ロベールは国王に、かしづく。船に乗っているときと違う。さすが貴族といったところだろうか。
「ソロモン殿の知らせに同封したと思いますが、わたくしは商業船をもちい、様々な国と取引をしております。そこでベスビアナイト国とも、ぜひ取引したく存じます」
「ああ、君がロベールか。話は聞いているよ。君たちに我が国は、大きな恩がある。もちろん、かまわないよ」
文官をよぶと、署名してロベールに渡す。ありがたげに受け取ると、すぐさま港へもどろうとした。国王に止められ、ゆっくりしていくよう言われてしまう。戸惑うが、一日だけ泊まっていくようだ。解散して皆がちりぢりになったころ。マリアも部屋を出ようとしたときだった。
「王子様!」
幼さがのこる少女の声が空間に響き渡った。今ははや、見栄えするピナフォアをひらめかせたビアンカであった。
「ビアンカ、元気だった?」
マリアが椅子から降りると、ビアンカはおどるような足取りでとびついた。
「はい、元気です。王子様のおかげで、毎日すごく楽しいんです」
ビアンカは頬を真っ赤にさせて、飛び退いた。
「も、申し訳ございません! お、王子様にたいしてとんだご無礼を!」
どうということはない。マリアが笑みを向けた。レイヴァンが近寄ってくる。カルセドニー国で船が用意されるまでの間、レイヴァン不在の間をすべて話していたのだ。そのときに、ビアンカも話してある。
「ビアンカ、紹介するね。この人が正騎士で、わたしの専属護衛レイヴァン」
「ビアンカと申します、よろしくお願いします!」
瞬刻「ああ!」と、とどろきがした。ピンクのドレスをひらめかせて、リカルダが駆け寄ってきたのだ。うしろには、フィーネも一緒だ。
「あなた様が、あの英雄レイヴァン様ですね!」
リカルダの気迫にレイヴァンがたじろいでいると、ソロモンが背後にいて咳払いした。さすがに上流階級の娘を相手に黙り込むのも失礼だと、騎士らしく答える。
「英雄とは恐れ多い。わたくしは、一介の騎士にすぎませぬ」
おごそかな言葉にリカルダは感激したらしく、胸の前で指を組んで感嘆の息を零す。頬は熟れた果実のようにあかい。
「ダミアン様も素敵でしたが、レイヴァン様の筋肉もおうつくしい」
くつくつ。ソロモンが笑い声をあげて、レイヴァンに向かっていった。
「よかったな、レイヴァン。貴族のご息女にほれられているぞ」
「からかうな」
本当に二人は仲が良いんだな。マリアがわらっていると、レイヴァンが沈鬱な表情をうかべてしまう。
視線をかわして
☆
秋の気配をのせて、夜明けの風が吹いた。広々とした庭園にある池の水面がたゆたう。花びらがアーチをくぐり、ビアンカの足下におちた。
竹箒を手にレンガ道の上を掃いていたが、とめて大きく深呼吸する。芳醇たる秋のかおりは、食欲を刺激した。まだ仕事の途中だと思い直して、落ち葉を集め始める。
バルコニーから眺めていたマリアであったが、せっかく早起きしたのだから早々に着替えて部屋をあとにする。まだ早い時間のためか、使用人もあまりいない。
静かな広い離宮で自分だけしか起きていない気がして、ちょっぴり楽しくなる。
毎年離宮へ来ても、どんな部屋があるのか見させてもらえなかった。外といえば庭園にしか出してもらえなかった。ちょうどいい機会だ。離宮の中を探索しよう。
朝食にもまだ早い時間であるし、オーガストからの話がはじまるには十分に時間がある。外套を羽織り、はずむ足取りで廊下を進んでいく。
「マリア、はやいね」
声をかけてきたのは、レジーであった。いつもどおりのなにを考えているのかわからない顔だ。
「レジーもはやいな」
「そんなことはないよ、オレはいつもこんなものだから。それより、マリアはどこへ行こうとしていたの? ひとりで出歩いたら、危ないよ」
城の中を探索しようとしたと伝えた。
「じゃあ、オレも一緒に行く」
レジーが一緒であれば、レイヴァンも怒らないだろう。歩き出そうとしたが、今度は
「おやおや、姫君。お部屋を抜け出してどこへいこうというのです」
階段から聞こえてくる音は、ギルだった。
「起きていたのか」
「ええ、俺はお姫様のいるところにあるのですから」
マリアに近寄ると弦を弾く。すると、ひょこっとクレアまでも顔を出す。もしや守人がみな、集まってくるのではなかろうか。その予感は的中してエリスとクライドまでもやってきた。
「姫様、朝食の準備ができました」
もうそんな時間か。窓から空を見上げると、深い青の空が広がっていた。探索はまたあとにして、エリスに案内されるまま庭園へと出た。テラスでは、国王と王妃がすでに椅子に座っていた。マリアを待っていたようすだった。レイヴァンとソロモンも別の席へ座り、ジュリアとダミアンも別の席で待機していたようだ。
「待たせてしまったのでしょうか」
「いいや、待っていたわけではないよ。すこし、レイヴァンやソロモンと話をしていただけだ」
オーガストにおどろいてしまい、レイヴァンとソロモンを見た。顔が伏せられており、感情は読み取れない。あとで聞こうと決め込むと、促された国王や王妃と同じ席に座る。
建物の奧からバルビナが、銀色の大きな盆にハムやチーズといった朝らしい食事をのせて運んできた。
「バルビナ、ひさしぶり!」
少女らしい甘えかかる声のマリアに、バルビナもやさしい笑みを浮かべて「はい」と机上に食事をおいた。
「マリア様、お顔がずいぶんと凛々しくなられたのに、そういうところは変わりませんね」
臣下らしく手を取った。こうしてバルビナとちゃんと話すのはいつぶりだろう。マリアが考えていると、アイリーンがほくそ笑む。まるで何かが成功した表情にソロモンは、不可解げに眉を潜めた。
朝食を終えると、謁見の間に皆があつめられる。玉座に座れば国王は、みなを見回した。
「守人達に対する評価は、レイヴァンやソロモンから聞いた話を参考に与えることとする」
先ほど言っていたのはそれか。マリアは納得すると共に、レイヴァンとソロモンを盗み見る。
「まず、レジー。おぬしには、マリア付きの武官として側にいてもらおうと思う」
レジーは「はい」と頭を垂れる。つぎに呼ばれたのは、ギルだ。武官からは外れて令外官に命じられる。なにであるかギルが尋ねると、国王曰く、マリアのために“何でもする官吏”らしい。これといって、きまった仕事内容はないようだ。
クレアは、王女付きの文官となった。エリスは皆の監督査察を行う監察官をあたえられ、クライドは引き続き使職。
ダミアンは武官となって、ジュリアはギルと同じく令外官を与えられた。
「レイヴァン、おぬしには軍事勲章をあたえよう」
国王は臣下が持ってきた円盤状のものを手に取ると、玉座を降りてレイヴァンの首にかけた。勲章は銀の縁でかたどられ、中にはベスビアナイト国の国章、
「マリアの専属護衛の任を解いて、正騎士長に任命する」
青い瞳が見開かれた。こうなることは、容易に予想できたはずであるのに。考えが浮かばなかった自身に苛立ちを覚える。
もう側にいることはできないであろう。マリアが思ったとき。
「わたくしには、身に余る思いでございます。それに、陛下。マリア様をお守りすることが出来るのは、わたくし以外にはおりませぬ」
「兼任はいくらなんでも無理だろう」
国王の重々しい言霊が満ちたとき、がたんと扉が開かれた。
「おいおい、陛下。正騎士なら、ここにもうひとりおりますぞ」
エイドリアンである。いくら国王が温厚だといっても、この場によんでもいない者が来るのは無礼にあたるが気にしていないようすだ。
「お前には向かないだろう」
「ええ。おれには、向かないし正騎士長なんて面倒くさいもの、引き受けろと言われても引き受けたくはない」
国王の前でどうどうと、とんでもないことを言ってのけてしまう。冷や汗をかいているのは、近くにいる臣下や使用人だけだ。本人は、けろりとしている。
「しかし。この若造がいきなり正騎士長では、納得のいかぬ者もいるだろうし。レイヴァンも重圧がかかってつらかろう」
レイヴァンはじっとだまりこみ、エイドリアンの次の言葉を待っている。
「そこで、陛下。提案なのですが、おれが“正騎士長補佐”というのはどうでしょう」
少し間が空いて、提案が発せられた。国王は黙り込み、考え込む。
「採用!」
愉快げな声を広間にひびかせた。
「エイドリアン、それはよい考えだ。レイヴァンも、それでよいだろうか」
「はい、もちろんです」
肩の荷が下りたようで、やわらかい声がレイヴァンから発せられた。
「それから、ソロモン。おぬしには、国の参謀として城にいてもらいたいのだが、よいだろうか」
「かまいませんよ。むろん、姫様の臣下でいさせてくれるのでしたら」
心労するのでは。国王が心配するが、両立するとかたくなであったので、マリアの臣下兼国の参謀となった。
「もうひとつ、みなに言ってあったことがあるだろう。なんでも、欲しいものをいってくれ」
むろん、無理な願いは聞き入れられないが。レイヴァンがあきらかに目を伏せた。レジーとギルは、すぐにきづいて視線を向ける。国王は何一つ気づかない。
「さあさ、何でもいっておくれ。マリアも何でも欲しいものをいってごらん。なにが欲しい? 今まで買ってやれなかったビスク・ドール? それとも、万華鏡?」
マリアは少し考えて、「いいえ」と首を横に振る。
「いまは、レイヴァンがもどってきただけで胸がいっぱいです。なにも、ほしいものはございません」
わたしよりも、助けてくれた皆に褒美を与えて下さい。マリアにソロモンはちいさく笑い、守人達は微笑みあう。
「我々の気持ちも“あるじ”と一致しているようでございます。レイヴァンは、“欲しいもの”があるようでございますが」
「おお、なんでも言ってくれ」
ソロモンが声色に、いたずら心を忍ばせる。国王は軽快な表情だ。対してレイヴァンはいたって堅実な瞳でみつめかえすと、厳粛な面持ちで口を開いた。
「陛下……」
ごくりと国王が喉を鳴らす。
「マリア様を……っ」
顔をあげたレイヴァンの言葉を最後まで聞かぬうちに、国王は気力におされ卒倒してしまった。
「父上!」
「陛下、大丈夫ですか」
マリアとレイヴァンが真っ先に駆け寄ると、オーガストは真っ青な顔で意識を失ってしまっている。近くにいる使用人や臣下たちも駆け寄ってきて、担架で医務室へ運んでいった。
「残念でしたね、正騎士長殿」
ギルが意味ありげな薄ら笑いをうかべる。
「そうだなあ、まさか、陛下の方が耐えられず倒れてしまわれるとは」
ソロモンも賛同した。みなも同じような表情を浮かべているが、マリアだけは何もわかっていない表情で目を瞬く。
いったい何か聞きたいが、聞ける雰囲気でもない。言葉を飲み込んだ。
「話は終わったようだな」
使用人達が開け放していった扉から、ロベールが現れる。どうやら船に戻るそうだ。マリアが港まで送るといったが、時間がかかってしまうからここでいいと言われてしまう。
「ならば、せめて城の外まではおくらせてくれ」
「ありがとよ」
城の外まではついていく。
「ロベール、本当に世話になった」
「いいえ、王子様。ベスビアナイト国との取引が出来るようになったし、王子様のおかげですぞ」
「そうか。ロベールは、交易をおこなって何かしたいことがあるのか」
「おう、ソロモンに助言されたとおり、国を打ち立てる!」
ロベールが拳をにぎりしめ、胸を張って宣言した。
「まさか、あれを本気にしたのですか」
あきれとも感心ともとれる口調で、ソロモンがつぶやく。
「ああ、もちろんだとも! もし国を打ち立てたら、王子様をいちばんに呼んでやるぜ」
「楽しみにしておくよ」
満面の笑みでマリアはかえした。ロベールは大声でわらってから、背を向けて歩き出す。
後に彼は、フィヨルド王国の創始者となる。交易により得た資金で、秩序のない島を買い取ると、学び舎を建て、言語をおしえ、島をひとつにまとめ上げた。こうして民から多大な支持を得ていく。そんな彼は親愛の情をこめて、いつも徒歩で移動しているのにちなみ「徒歩王」と呼ばれることとなる。
「戻りましょう」
「うん」
マリアはレイヴァンに返し、弾む足取りで離宮へと戻っていった。
*
すっかりあたりは夜のかおになって、窓の外にある草木のざわめきが室内にまでとどく。ソロモンは暗い城の一室で、なにかを探していた。
「あるはずだ、どこかに」
一心不乱に
妙なところはないのだろうか。ソロモンが思ったとき、はらりと別の羊皮紙が落ちる。あわてて拾うと、そこには両親の欄にディアナとニクラス。子の名にクリストファー。“男児”表記がある。生後数ヶ月ほどでなくなっていると記されている。
……本人が“娘”といっていたのに、戸籍には“息子”になっている。疑問を抱いたときだった。
「誰かいるの」
びくりとして机上にあった羊皮紙が床へ落ちる。
「あら、ソロモン。どうかしたの」
ランプを手に近寄ってきたのは、ディアナであった。
「いえ、なんでもございません」
ソロモンは動揺を押し隠す。
「紙を落として……」
とめる間もなく、ディアナは羊皮紙を拾いあげて目を見張る。
「見たの」
「はい」
あきらめてソロモンがかえすと、悲しげに微笑んだ。
「やはり、姫様は――」
「そう、私の娘」
黒い草木のざわめきが、いっそう強く耳に残る。マリアの十四歳の誕生日を控えたこの日。ソロモンは、あまりに重い枷を背負った。
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