第三十五章 とりこ

 つめたい夜露にぬれた槍の切っ先が、陽光をあびてひかる。すべりおちた露は、兵の籠手こてをぬらした。夜はずいぶんと冷え込む。秋の気配も側まで迫っている。気温とは裏腹に、兵達は緊張した面持ちで額に汗をうかべていた。

 近くでは中年の男がどっしりとしたたたずまいでありながら、険しい表情を浮かばせている。正騎士エイドリアンであった。

 とうにクラシス要塞に到着してはいたが、しなければならないことがいくつかあった。いまは自身がすることはなく、仲間を信じて待っていた。側にはセシリーとグレン、クラシス要塞の主ディルクがいた。

 元の領主オットーはコーラル国の手によって首をおとされて、城門にさらされていた。この事実を知ったとき、ディルクは自分の無力さに打ちひしがれたが、悲しむ余裕もなく復興にいそしんだ。落ち着いてきたころに、モルダバイト国が進軍してきたのである。

 クラシス要塞を離れて布陣しているが、肝心の報せがやってこない。失敗したのであろうか。そんな考えが皆の中で浮かび始めたとき、接近してくる馬蹄の音がとどろいてきた。天幕テントをあわて出ると、ひとりの兵がエイドリアンにかしづいた。


「ひどく混乱しているようであります。そのため、進軍している様子はないように思われました」


「そうか」


 エイドリアンは兵をさがらせる。となりでグレンが、いまのところ思惑の通りだとつぶやいた。


「向こうも自軍が“捨て駒”だと気づいているんだろうが、進軍せねばならん理由はあの暴君のせいであろうな」


「ええ。しかし、主君に対して反乱を起こそうとしているのであれば、彼らを手なずけるのもたやすいはず」


 にやりとグレンが口角をあげた。


「あと少し、もう一押しだ」


 セシリーは、眼を瞬かせる。グレンのしたり顔をはじめて見たのだ。ホムンクルスであるから、自分で「感情が欠如している」といっていたが立派な感情があった。逆に錬金術師バートに戦慄をおぼえる。生前まったく表舞台に出てこず、国に迫害されて殺された。もしこの国にいれば、さぞ大事にされたことだろう。


「どうかしましたか」


 見つめすぎていたらしい。グレンがいぶかしげにしている。なんでもない。とだけ、かえした。


「やつらの前には、“摩擦”しかない。さて、どう出るか」


 エイドリアンがつぶやく。セシリーは兵士でも策士でもないので、意味がわからなかった。となりにいるグレンが耳打ちしてくれた。計画・命令を実行する上で直面する障害を軍事学では、『摩擦』というらしい。また、作戦・戦闘における不確定要素のことは『戦場の霧』ということまで教えてくれた。

 セシリーはエイドリアンを仰ぎ見る。なやましげに眉間にしわを寄せて、考え込んでいた。


「そういえば、ソロモンさんから来た手紙には、此度の戦のことをどう書いていたの?」


 いままで聞いていなかったと、グレンに問いかける。


「フローライト公国の船は我々が沈めるので、モルダバイト国は任せると。流言をうまくつかえば、向こうが折れるだろうと」


 合点がいく。我が国の兵がモルダバイト国の兵に混ざって、流言を流していたのだ。

 フローライト公国は裏切って、進軍を取りやめた。これを兵に頼み、流したのだ。彼らが信じるかはわからないが、いまのモルダバイト国軍は大統領に不満を持っている。それに流言を持ち帰れば、「この者ではだめだ」と反政府が加速しそうである。否、そうするように仕向けているのだが……。


「上の者と下の者とが、こころざしを共にしていなければ、どんなに強い者達であっても崩れ去る。正直、モルダバイト国軍は脅威ではないな。おれたちにとってはな」


 攻めてきたとしても、十分の兵力がこちらにはあるため迎え撃つことが可能だ。『戦わずして勝つ』のが最もよいのであれば、一計をあんじるのも面白いとでもいいたげなエイドリアンだった。


「これだけの流言で向こうが応じるでしょうか」


「それなんだよなあ。嫌々ながらも攻め入ってきそうなんだよなあ」


 不安要素を口にした。となりで聞いているセシリーも考えこむ。


「そうですね、まだ動機としては弱いかもしれません。彼らが攻めてきたときは応戦もしますが、こうするのはどうでしょう」


 セシリーの考えが、エイドリアンとグレンにひらめきをあたえた。



 月のかがやきがこぼれ出て、草原の淡い緑の色に檸檬れもん色の光をともす。幻想的な異世界にまぎれこんだようで、なんだか楽しい。夜通し起きていなくてはならない火の番は、つまらぬものだが、この夜は火の番でよかったと兵は思う。


「なんだか、わくわくするな」


 若い歩兵が声をはずませる。となりにいた同僚の兵も、「ああ」と楽しげだ。

 このふたりは、コーラル国が追い出されたあと、マリア達の活躍を聞き「自分たちもそうなれたら」と入隊した者達であった。此度の戦が初陣で不安の方が多かったが、きれいな景色にいくらか心が救われていた。


「そういえば、王子様の髪の色は月のかがやきのようなんだろう」


「ああ。一度見かけただけだが、きれいな薄い金の髪だった」


 つぶやき、ふたりの兵は空を見上げる。淡い月には薄く靄がかかり、白い光の輪ができあがっていた。闇にまぎれて斥候が戻ってくる。そそくさとエイドリアンの天幕テントへ入っていった。


「なにか、新しい情報でもあるのだろうか」


「あったとしても、おれたちには何も伝わってこねえよ」


 二人の会話は、つめたい冷気に飲み込まれた。

 そのころ。斥候はエイドリアンにひざまづいた。


「報告します。どうやら、明日の早朝、攻撃をしかけてくるもようです」


「あの流言だけではだめか。よし、明日に向けて兵達にも準備をしておくように言ってくれ」


「はい」


 兵は出て行く。エイドリアンは深く息を吐き出して、乱暴に髪をかき乱す。


「大丈夫ですか」


 だれもいないと思っていたのに、わかい女性の声がひびいた。おどろいて視線を走らせれば、セシリーとグレンがいた。兵と入れ違いに入ってきたらしい。


「ああ、どうやら明日の早朝に攻撃をしかけてくるらしい。お前達もいまのうちに眠っていた方が良い」


「はい。エイドリアン様もちゃんとやすんでください」


 まばゆい笑顔をうかべてセシリーは告げると、グレンをともなって出て行く。微苦笑を浮かべて「参ったな」とエイドリアンがつぶやいたとき。若い兵が駆け込んできた。


「モルダバイト国軍が夜の闇に乗じて、奇襲をしかけてきたもようです」


 戦場では情報は何よりも大切であるが、常に移り変わっていく。それが『摩擦』とよばれるゆえんだろう。


「すぐに攻撃の準備をしろ」


 エイドリアンは命じるとかぶとを身につけて、天幕テントをあとにした。セシリーやグレンもききつけて出てきた。


「エイドリアン様っ!」


 うつくしい絹のスカートをふりみだしながら、セシリーが名を呼ぶ。ふりむき、にっかりと笑顔を浮かべて見せた。


「大丈夫だよ。錬金術師さまの出番はねえほど、おれが活躍してやるから」


 長いまつげが伏せられる。となりでグレンは心配などしていない表情で、セシリーに上着をかけてやりつつ正騎士に視線を投げる。


「たのみます」


「たのまれた!」


 力強くさけび、馬の鞍にまたがった。馬蹄をとどろかせて、布陣している兵のもとへつく。すぐさま、ひとりの兵が口をひらいた。こちらへ向けて進軍がはじまっている、と。うなづくと剣をひきぬき、まっすぐ空へ向ける。月明かりをあつめて白銀の刃が、檸檬れもん色をまとう。


「我らが王よ、七人の眷属達よ。我ら、この国の民として、その意向に沿う者。賢者のこころざしを胸に宿し、その忠義、決して揺るがず」


 さらさらと草原が音をかなでた。まるで言葉に音楽を乗せているようであった。


「我が軍を守りたまえ――突撃!」


 軍を率いるものとして、この国で伝統的に告げる前口上を口にする。瞬間、幾万もの馬蹄のとどろきが起こった。

 前線ではいくつもの刃が交差する音がひびいてくる。ひとつひとつの一閃が月のあかりをまとっており、遠目ではうつくしいがどれほどの仲間が闇に沈んでいるのだろう。

 にがい思いを押し隠し、エイドリアンはさけんだ。


「みんな、ひとつやるぞ!」


 近くにいる兵につげれば、金鼓の音が戦場をかけめぐる。刹那、いっせいに兵達がつたないモルダバイト国の言語でさけんだ。


「お前達の敵は我々ではないだろう。モルダバイト国の者達よ。武器をとる相手を間違えている」


 敵国の動きが止まった。


「おぬしらは、なんのために戦う? “道”のない戦になんの意味があるという」


 さけびは膨らんでいく。繰り返されるさけびに、剣のひらめきもやんだ。徐々に剣が、地面におちていく。そこに戦意は、うしなわれていた。


「なにをしている。戦わないか!」


 ひとりさけぶのは、モルダバイト国の大統領の息子であった。二人の息子のうち、弟に座を渡したがっているときいた。なるほど。……戦死であれば、だれも文句を言い出すことはありますまい。


「剣をおさめよ、“道”のない戦などする必要はない!」


 ひときわ大きな声でエイドリアンが叫べば、モルダバイト国軍が退いていく。


「そうだ、いまの我々の敵は彼らではない」


「本土へもどり、大統領を――」


 兵は口々につぶやき、さけぶ大統領の息子を残して撤退していく。山の向こうに太陽のあかりが灯る頃には、一兵も残ってはいなかった。大統領の息子の姿もきえていたので、兵達を追ったのだろう。


「捕虜にしなくともよかったようですね」


 グレンが、そっと話しかけた。


「なんだ、来ていたのか」


「セシリー様が心配そうでしたので、偵察に」


 なるほどなあ。エイドリアンは笑い、眩しげに陽光を見つめる。


「あの言葉にも応じなければ、“とりこ”にしようとしたが必要なかったようだ。それにしても、あんたの師匠には驚かされるよ」


 グレンは口元に笑みを浮かべる。


「まあ、変わり者ですけどね」


「だが、おれはあんたの師匠に“とりこ”だぜ」


 冗談はよして下さい。疲れ気味にグレンは、あくびをするのだった。


***


 風が太陽のかおりを運んでくる。夏を演出する波の音には、わずかにせつなさをやどしていた。


「終わったようですね」


 上甲板へとおりてきたマリアに、まっさきにレイヴァンが駆け寄った。つかれた笑みを浮かべて、「ああ」と力なくかえしてしまう。


「ひとまず、これで大丈夫でしょう。安心しておやすみください」


「ありがとう、レイヴァン」


 気が抜けて頬がゆるむ。ソロモンも来て、休むよう進言する。微苦笑を浮かべていると、あくびを噛みしめながらダミアンが近寄ってくる。


「姫さん、寝ましょう。陸に着くまで日にちありますし、寝過ごしたって誰にも怒られやしませんよ」


「『臣下として、いただけないぞ』といいたいところであるが、今回はお前にも尽力してもらったしな。いくらでも、休んでくれ」


 ソロモンにダミアンは、昔からの友のように軽口でかえした。前までは不快な感情を出していたのに。絆が生まれ始めたのだろうか。


「きっついね、ソロモン殿は。人使い荒いんですから」


 ジュリアやクライドまでもが、集まってくる。ほかの守人達について尋ねれば、すでに寝室で眠っているようだ。


「では、わたしも行こうかな」


 ダミアンとジュリア、クライドと共に、倉口から降りようとした。レイヴァンとソロモンが来ない。


「あれ、二人は?」


「わたくしたちは、話をしてから寝ます」


「あまり、無理しないでね」


 はやく眠りたかったのもあって、早々に倉口から降りる。覆い蓋がとじられると、ソロモンが口を開いた。


「やれやれ、せっかく眠れると思ったのに。ロベールは真っ先に寝るし。ほかの船員も甲板の上で伸びているし」


 だれかが起きていないと駄目だろう。溜息交じりにつぶやかれた。


「一晩中起きていたのだから、仕方ないだろう。そもそも俺たちの我が儘を聞いてくれたのだから、いいじゃないか」


 レイヴァンに、ソロモンがちいさく微笑む。


「だがな、仮にも海賊だと名乗るのなら、もっと根性を見せて欲しいね」


 あくびをしてぐっと伸びをする。妙に波の音が耳にひびいた。


「ソロモン、聞きたいことがあるのだが」


「今回の戦い方の関してか」


 聞かれることを予想していた策士に、レイヴァンもおどろきもせずに口を開く。戦は『勢』に求めるものではないか。


「本来の戦とはそういうものだ。それを逆手にとるのもまた戦法」


 川を背に布陣をするのは、兵法としてはよろしくない。だが寄せ集めだった兵士達は、決死の覚悟で戦った。敵国の本隊は一時撤退したが、城はかくれていた兵達によっておとされていた。これと同じだ。疲れなど吹き飛んだのか。ソロモンは悪戯に微笑む。


「兵法書どおりに行っても、勝利はおさめられない。真に大切なのは、兵法書をあたまに入れた上でどう戦術を考えるのか」


 山のむこうに滲んだ陽光が、わかい二人の顔を照らし出す。まぶしげに双眸がほそめられた。


「夜明けのようだ」


 つぶやきにレイヴァンは、「ああ」とだけ返した。気が抜けたのだろう。あくびをして、目頭と鼻の付け根をおす。相当、目も疲れているらしい。


「大丈夫か」


 旧友を気遣うと「大丈夫だ」ともどってきた。疲れているのなら寝た方がよい。


「一人で起きているのもつらかろう」


「お前がそういうのならいいが、姫君に心配をさせるなよ」


 ソロモンに、にわか驚いて息をつめた。


「それをいうのなら、お前だってそうだろう。マリア様は臣下全員の身を案じて下さる」


 それもそうだな。返して微笑む。すでに太陽は姿をあらわしていて、まばゆいかがやきを地上へおくっていた。



 かすかに秋のけはいを漂わせる陽光に、目をさます。太陽はするどく、ずいぶんとたかく上っている。いささか寝過ごしたのではないかと、マリアは飛び起きた。いくつかの吊り床ハンモックは“から”であるが、レジーとギル、ダミアンはすやすやと寝息を立てている。三人には無理をさせてしまったし、よほど“ちから”を使ったのであろう。このままにして、皆を起こさないよう寝室をあとにした。

 甲板へあがると案の定、太陽は真上にのぼっており正午をつげていた。秋のかおりを運ぶ風を大きくすいこみ、吐き出すと伸びをする。


「起きましたか」


 背後から声をかけてきたのは、ディアナだった。


「はい、寝過ごしてしまいましたけれど」


「大丈夫ですわ、王子様。夜通し起きておられたのだし」


 人差し指を立てると、「こっちへ来て」とマリアを船尾楼へ案内する。ついていくと、甲板の上で眠りこけるレイヴァンとソロモンがいた。毛布が掛けられているが、ディアナがかけたのだろうか。


「つかれているのに、ずっと起きていたのよ。だれかが起きていないとだめだからって」


 起きたとき、二人がそういっていたのだという。まもなく夢の世界へいざなわれたようだ。

 いつもと違う。力の抜けきった二人を、マリアはまじまじと見つめてしまう。新鮮に感じて近づいた。のぞきこんでいるが、二人は起きる気配がない。つかれているようだ。当たり前だ。夜通し戦っていたのだから。


「ありがとう、お疲れさま」


 二人の名を呼んで、そっとつぶやく。レイヴァンの指が、ぴくりと動いた。


「マリアさま……」


 唇まで動いて名を呼ばれた。おどろいてしまう。起こしてしまったのであろうか。黒曜石の瞳は硬く閉ざされたままだ。

 ちいさく息をもらして、ディアナがその場を去る。マリアがその背をながめていると、とつぜん腕をつかまれて引っ張られてしまう。

 吃驚して相手をみると、レイヴァンだ。まぶたは下に降りたままであるのに、体を抱きすくめられた。

 無下にすることも出来ない。そのままの状態でいれば、欠伸をしながらギルが起きてきて面白がる。


「姫様どうです? 特等席の心地は」


「からかうな、助けてくれ」


 ギルはにやにやと笑みをうかべるばかりで、助けてくれる気配がない。


「いいじゃないですか。女性に大人気の正騎士レイヴァンの腕の中なんて、貴重ですぞ」


「そうはいっても、レイヴァンにだって女性の好みぐらいあるだろうし」


 どこか拗ねた表情なマリアにギルは、面白がってつむぐ。


「女性の好みなんてあってないようなものですぞ。好きになったら、その女性が“好み”になるのですから」


 なかなかギルにしては珍しい。おどろいたが顔が意地悪げであるので、台無しである。それが、不意に消えた。


「好みなんて、誰かひとりに“とりこ”になってしまえば一瞬でくずれさる」


 言い残してギルは、伸びをするとさっていった。とりのこされてマリアが、表情につかれをうかばせる。


「マリア様」


 耳元で名をよばれる。顔をあげれば、黒々とした双眸が見つめていた。優しいというよりも、甘い顔をしているものだから胸が高鳴る。


「ごめん、起こしてしまったか」


 視線を外しながら問いかける。そうしないと、照れくさかったからだ。平静をよそおうが、声が少女のものになっていた。動揺しているのが、目に見えて明らかである。


「いいえ、大丈夫ですよ」


 砂糖菓子より甘い声でささやかれ、耳がとけてしまいそうだ。その耳があまくかじられる。


「ひゃっ!」


 自身でもおどろくほど、あだっぽい声が飛び出た。


「そんな声を出して、俺を誘っているのですか」


 いたずらに微笑み、いじわるな声色でささやかれる。体温が上昇し、頬が紅潮していく。そんな自分に「からかっているだけだ」と言い聞かせて、熱を沈めるとレイヴァンをみあげた。


「さそってないよ、レイヴァン。すこし、驚いただけだから、もうしないでね」


「いやです」


 マリアは目をまたたいた。


「あなたが俺だけのものになるまで、やめません」


 なりふり構っていられないのか、独占欲が丸出しだ。寝ているふりをしていたソロモンが、とうとう我慢出来ずに吹き出す。


「お前な」


「いやあ、すまん。ふりをするのも、つまらなくなってきてな」


 軽口でソロモンはレイヴァンにかえし、視線をマリアに向ける。それから、臣下らしく手を取った。筋肉の付いた男らしい手は、ほどよく日にやけている。


「お姫様。あなた様に硝子の靴を履かせる王子様は、どなたでございましょう」


「洒落たことをいうんだな、ソロモン。でも、わたしは元から王家の子だから硝子の靴ではなく、毒林檎を魔女からもらうかもしれない」


 そうなると、王妃様が魔女になってしまいますね。ソロモンが楽しげだ。


「それもそうか。ならば、『がちょう番の娘』とか?」


「でしたら、お姫様はだれかに嫁がねばなりません」


「じゃあ、マレーン姫」


 レイヴァンは苦笑いをうかべ、手をほどく。


「そもそも、なんのお話をしていたんでしたっけ」


 はっとなって思い直すと、マリアは立ち上がる。


「そうだ。ソロモンがいいたいのは、わたしの運命の相手だったよな」


「ええ、そうです。なのにどうして、童話の題名タイトルを次々言っていくのですか」


「すまない」


 ソロモンに返して「だけど、どれも好きな童話なんだ」と紡いだ。エリスがやってきて、「昼食の準備ができましたよ」と知らせてくれた。


「ありがとう」


 ソロモンはたちあがる。レイヴァンもたちあがると、三人で船首へむかう。船員と守人達、ディアナ、ヨハンが食事をとっている。


「あら」


 ディアナは三人を見て、顔をほころばせると駆け寄った。


「もう大丈夫?」


「ええ、すっかりよくなりました。ご心配をおかけして申し訳ございません」


 かるくソロモンが頭をさげれば、鈴を転がす声で紡ぐ。


「いいのよ。それより何か話し声が聞こえたのだけれど、なにを話していたの?」


 ソロモンの「硝子の靴」発言から、なぜか童話の話しになったと話した。ディアナも便乗してきた。


「“ラプンツェル”」


「え?」


「王子様に似合うお話は“ラプンツェル”よ。高い高い塔に閉じこめられた女の子。魔女の畑を荒らしたあわれな母親。野萵苣ラプンツェルをぬすんだ罪はあまりに大きかった」


 青い瞳がひらかれる。哀愁をただよわせて、きれいなまつげを伏せていたからだった。マリアには感情を推し量れなかったが、微笑みを浮かべる。


「だけど、最後で王子様と結ばれるラプンツェルは幸せでしたよね」


 生き別れていた母親にも、会いに行ったかもしれない。つむいだ王女に、ディアナは自らの感情を押し隠して笑顔を浮かべた。

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