第二十六章 目論見
熱をふくんだ風がながれた。服をはためかせたが、二人の間にながれる空気までもながしてはくれなかった。
無言がつづく。なにが答えであるか推し量ることが出来ずにいれば、黒曜石の目線がふいに横に寄った。背ごしに視線を追えば、くやしそうな表情のジャハーンダールがいる。もしやマリアが一人になるのを見計らって、詭計をめぐらせていたのかもしれない。
「いいですか、この国にいる間は一人になってはいけませんぞ」
マリアにしか聞こえないよう黒い騎士は小さな声で忠告した。“ティマイオス”もさらおうとしているらしいから、気をつけないといけない。気を引き締めるとマリアはこくりとうなづく。
「ああ、わかった。ありがとう」
語尾が少女のそれになっていたが、レイヴァンは気にした様子なくうっすらと笑みを浮かべるだけにとどめた。今は異国にいるし、みずからの立場をわきまえての行動であろう。マリアからすれば、どうもおちつかないのだが。
「“他国の王子”に非礼があったとなれば、この国も終わりでしょうから」
半ば冗談のようにレイヴァンはいったが、マリアの心はどうも引っかかりを覚える。声を大にして「お前はわたしの臣下だろう」といいたいが、それは到底ゆるされない。
「そういえば、あなたはインディラ様の護衛なのでしょう。ここにいてもよろしいのですか」
「先ほども申したとおり、あなたに非礼があってはいけませんから。それに今夜は懇親会です。わざわざ側におらずとも護衛は会場にたくさんおりますよ」
会場にいる衛兵のことだろうか。あまり気にとめていなかったが、会場の出入り口の他に壁に沿って衛兵が並んでいる。これほど警備を固めるとは、この国の治安は悪いのだろうか。
「ずいぶんと気合いの入った数ですね」
「あなたやアンドレアス様に非礼があってはいけないと、皇帝陛下が手配したのですよ。しかし、ここまで守りを固めねばならない国で、安心なんてできるはずないですのにね」
治安は悪いのかとマリアは思いながら、額の汗をぬぐう。すかさず、レイヴァンは絹で出来た7.8ツォル(約20センチ)四方の布を取りだして額にあてがう。
「大丈夫だ。それにわたしの汗がついてしまう」
「かまいませんよ。あなたの汗を拭わない方が失礼にあたります」
マリアが拒否したけれど騎士は折れず、けっきょく、汗を拭いてもらうことにした。その間、レイヴァンを見つめているのも変だと思い、じっと視線を少し下へ下げているが、その様子の方が変であることにマリアは気づいていない。うっすらと頬に赤みが差しているから恋する乙女のようであったが、幸いにも気づいているのはここにいるレイヴァンと、影に身を隠したソロモンだけであった。
意を汲んで一人にしたように見せて、実は影から見守っていたのだ。レイヴァンがマリアに近寄ったのは、ソロモンとしては誤算であったが。
「ここはあついでしょう。そろそろ、会場に戻られてはいかがですか」
レイヴァンがマリアに告げた。心配しての言葉だろうが、もう少し一人でいたいと首を横に振る。
「どうも、こういうのには慣れなくて」
「そんなことだろうと思いましたよ。ここはあついですし、少し移動しませんか」
「え、だけど……」
「大丈夫です。少し涼しい場所へ移動するだけですよ」
レイヴァンに言われるままに広いバルコニーを移動し、会場からは目のつきにくい場所へ移動する。二人の会話が聞こえないソロモンはあわてて、二人の姿を追う。すると、雲に隠れていた月があらわれて、かさなった二つの影を映し出す。月の光が強い。目がくらんで上手く認識できなかったが、唇が離れていくのを見て確信した。口づけを交わしたのだと。
「レイヴァン?」
甘く幼い声が騎士の名を呼んだ。この国へ来て、一度も呼んだことはなかったというのに。気も抜けていて声が少女以外の何者でもない。
騎士の顔がマリアの肩にうずめられ、赤い舌が白くやわい少女の首筋をなぞる。
「や、やめっ……」
幼くなまめかしい声が零れた。止めに入るべきかと悩んでいると、黒曜石の瞳がこちらを捕らえる。そして、人差し指を立てて自らの唇にあてる。唇が「秘密」と動いた。
気づいているようだ。人目がない場所へわざわざ移動したのもうなづけるが、ソロモンとしてはどうも納得がいかない。
かつて彼は自ら身を引くといったのに、あきらめていないではないかと口元に笑みが浮かぶ。もしマリアをあきらめていないのであれば、黙認するしかあるまい。あきらめた上で、行動を起こしているのであればオーガスト陛下に注進しなくてはならないだろう。
……思えば彼は今、カルセドニー国の騎士であるからオーガストにはさばけない。そのことに気づいたのは、懇親会が終わってからだった。
ソロモン達に部屋まで送ってもらうとマリアは、ぐったりとベッドの上へ沈み込む。
レイヴァンとバルコニーで二人きりになったのも予想外であるし、そのあと「涼しい場所へ移動する」といいながら人の目が届かない場所へさりげなく移動させられて唇を奪われた。その上、首筋に噛みついて“痕”をつけられた。前にレイヴァンが「お守り」といってつけたものと似ているが今回は違う。噛まれたのだ。“痕”は、服から見えるらしく、会場へ戻ったときインディラに声をかけられ心配をさせてしまった。
「わからない、レイヴァンがする行動の意味なんて」
静かな室内にマリアの声が木霊するが、幸いにも部屋には他に人はいないから大丈夫だろう。
けっきょく、あとのことはあまり覚えていない。かろうじて覚えているのはインディラに指摘されたのと、レイヴァンが満足そうに微笑んでいたことだけだ。その微笑みがどうも、マリアの頭の中を満たして離れない。
レイヴァンの行動や言動を思い出すと、ジャハーンダールを気をつけろといっていた気がした。ベッドから起き上がると、落ち着かず部屋を徘徊する。ジャハーンダールを気をつけなくてはいけないが、それだけではない気がしてソロモンの部屋へ向かった。
考えをめぐらせながら進んでいると、ちょうどアンドレアスとばったり会った。後ろには、護衛らしき人の姿もある。
「クリス王子!」
嬉しそうに駆け寄ってくるその姿に思わず警戒を解いてゆるりと笑みを浮かべた。
「アンドレアス様」
「いかがなされたのですか、このような場所で」
「ソロモンに会いに行こうとしていたんだ」
視線を後ろにすべらせると「ジェラール」と名を教えてくれた。それからコーラル国の兵であることと、コーラル国の代表として戦うことを教えてくれた。仮にも戦う相手に教えてしまってよいのだろうか。彼の戦力がどれほどのものかわからないから、誰が戦うのかを教えるのは別にかまわないかもしれない。それに戦争ではないのだから、気楽でいてもいいだろうかとマリアが考えていると、ソロモンとダミアン、ジュリアまでもが廊下を歩いてきた。
「王子、部屋を出ておられたのですか。申し訳ございません。やはり、共をつけておくべきでした」
ソロモンにあやまられたうえ、頭をさげられてしまう。マリアは戸惑いながら「大丈夫だから」と頭を上げるよう告げた。ソロモンは自らの考えの浅さにひどく悩ませながら、顔をあげてマリアに問いかける。
「王子は何のようで部屋を出られていたのですか」
「ああ、ソロモンに話したいことがあって」
マリアが口を開いたとき、「王子様!」と呼ばれた。振り向くと予想通り、インディラが駆けてきた。後ろには黒い騎士が控えている。
アンドレアスは黒い騎士が何者か知っているようすであるが、口には出さず静観しているようだ。
「インディラ様、いかがなされたのですか」
「レイが明日の武道の試合に出ることになったのよ!」
嬉々としてインディラは言っているが、マリアとしては複雑な心境だ。ダミアンとレイヴァンが戦うことになるのだから無理もない話だ。基本的にマリアは戦いを好まず、誰かが傷つくのを嫌う。ただの試合であるからたいした怪我もないだろうが、大切な人どおしが争うとなったら話は別だ。気が気ではないだろう。
それでもマリアは、笑顔を浮かべてみせた。
「そうか。きっと、とても強いんだろうね」
「ええ。とても強いのよ。練習場で見たのだけれど、一人で他の兵達に圧勝していたの。今回の試合に出るとしたら、レイ以外にはいないと思っていたわ!」
興奮気味でまくし立てるインディラに、黒い騎士は謙遜し「そんなことはございません」とかるく頭を下げる。
「インディラ様は少々、わたくしをかいかぶりすぎですよ」
「いいえ、そんなことはないわ! 父上だって、『あれほど強い男は見たことない』と申しておりましたもの」
ことさら褒めるインディラとは反対に、マリアが表情を曇らせていく。周りの者は気づいていたが、誰も口をはさもうとしなかった。否。気づかせてやる必要がないと、あえて言葉を切ろうとしなかったのだ。
「ところで、王子。わたくしに用があったのではないですか」
インディラはレイヴァンと話しているから、ソロモンはマリアの気を紛らわせるためにも声をかけた。すると、インディラはぐりんとこちらを向いて「あら、そうだったのですか」と興味津々で見つめる。
場をわきまえないインディラに、レイヴァンがため息交じりに「他国のことに干渉してはなりませんよ」と諫言すれば不満そうだ。
「えぇ、なんで」
年相応な反応にマリアは驚いたが、すぐに取り繕い笑みを浮かべる。
「たいしたことではございませんから」
「そうなのですか」
インディラは興味を失ったのか。マリア達に背を向けて廊下を進んでいく。レイヴァンは、一礼をしてから去って行く。
その場に残された者はいっせいにマリアを見つめる。対してマリアはそれどころではないのか。顔をうつむかせ、こぶしを震わせている。
「王子、あなたは毅然としていればよろしい。あなたの望みは我々が叶えます。なんのための臣下ですか」
ソロモンはマリアを元気づけるように告げたけれど、そうではないらしく険しい表情を浮かばせている。
「あのようすだと、インディラは何も知らないんだろう。もし、わたしの望みが彼女を傷つけることになってしまったら」
もしや、そのことを考えていたのかと誰もが驚いて、別の意味でマリアを見つめた。
「傷つける結果になったとしても、蔓延る者をほうってはおけません。それに、傷つけないことが得策とも申せません」
「そうだが……」
「それに偽りの安寧は長くは続かない。すぐにほころびが出て、そこから崩れていってしまう」
たとえインディラが傷ついてしまっても、世界を見通す目を持てば失った数よりも失わなかった数の方が多いことに気づくだろう。
「このままではすべてを失うが、王子が行動を起こしたことによって一部だけを失うだけになるのだから、むしろいいと俺は思いますけどね」
一人称が「俺」になっているから、本心からの言葉なのだろう。
「そうか、ならわたしは彼女に恨まれることになってもいいかもしれない」
清々しい表情を浮かべるマリアに驚いて、アンドレアスは凝視する。人は普通、好かれたい生き物であるはずなのに臆することなく「恨まれよう」と言ってのけたのが衝撃であったようだ。
このお方から学ぶべきものがあるとアンドレアスは、マリアを余計に知りたくなったのだった。
*
遙か遠くから嘆きがひびき、つらぬくように耳に突き刺さる。なんども経験したことではあるが、まったく慣れないとエリスはぼやいた。
〈木の眷属〉の守人であるが、“木”以外の植物の声を聞くことが出来る。その声がこうして聞こえてくるが、この国へ来てからの声はさわがしいほど響いている。
『お守りせよ 我が子等よ
我らが王の嘆きを 痛みを
聞き入れて 許せ 許せ
我らが王の望みを許せ』
ものさびしい嘆きを孕んだ声にエリスはわずかに目を伏せる。〈眷属〉のことばは、マリアの未来を予見するようでおそろしい。けれど、目を背ければ“あるじ”が傷つく未来が訪れるかもしれない。そちらの方がおそろしかった。
望みをかなえるために自らの体をたたいて、街のようすをながめる。あいかわらず、物乞いや孤児が多い。この国ではあたり前のようだが、ベスビアナイト国ではあまり見ない。
真夜中になったのを確認して、エリスは街の酒場へと赴く。テーブル席にギルともう一人、現地の男が座っている。名はラフィーで情報屋を生業としている。
この国の者は、誰でも聞けば答えてくれるがどれも間違った情報が多い。なんでも、それは親切心からくるらしいが正直、情報を集めることに手こずってしまう。もちろん、裏付けをとればすぐに違うことに気づけるのだが異国故に裏付けを取ることが難しい。そんな中、この酒場はすべての情報を網羅しているらしくここで度々、情報を買う。一度、試しに裏付けを取ってみると確かだったので少しは信用にたるとエリスは思っている。
「お待たせしました」
「ああ、エリス。ここの酒はうまいぞお」
「もう呑んでらっしゃるのですか」
あきれたようにギルに返したあと、椅子に座り1ルピー硬貨を机の上へ置いた。ルピーは、ここカルセドニー国とコーラル国の共通の通貨でソロモンからいくらかもらっていたのだ。
「それで何の情報がほしい」
つたない北方の言葉で問うてきた。ベスビアナイト国の言葉では無いが、なんとなく意味も理解できるので会話も成り立つ。
「皇帝陛下について伺いたいのだが」
1ルピーを静かに懐にいれるとラフィーは口を開いて言葉を紡ぐ。といっても、彼の言葉はつたないため要約すると今年に入って第二皇子とその母が誘拐されて行方知れずとなり、第二皇子を溺愛していた皇帝は気に病んでしまったらしい。そこに“ティマイオス”と名乗る集団があらわれたうえ、第一皇子ジャハーンダールまでも“ティマイオス”に荷担しうまい言葉でそそのかしたようだ。同時期に“クスリ”も出回りはじめ、皇帝はますます気に病みふさぎ込むようになったという。
「この街の人々が体調を崩しているというのは」
ギルが尋ねれば、“クスリ”の他に毒もばらまかれているらしいことを教えてくれた。
「詳しいことはわからないが、“ティマイオス”と名乗る集団が皇帝をそそのかしているのは違いない」
ラフィーはそういったあと、手元にあった水を一気に飲み干す。それから、国民もそのことに関してじっとしていられるはずもなく
「そうなればどうなるか。かしこいあんたらならわかるだろう」
エリスとギルは目を合わせ、頷き会う。ソロモンの考えがどうやら間違っていないらしいことがこれでわかったのだ。
ラフィーに礼と共に1ルピー硬貨を渡すと酒場をあとにして宮殿内のソロモンの部屋へ窓から入れば、そこにはマリアの姿があり口を閉ざしてしまう。極力マリアには、情報を渡さないよう忠告されていたのだ。
薄い金の髪がゆれてブルーダイヤモンドの瞳に、エリスとギルがうつしだされた。すべてを見透かすように見据えられ、体を強ばらせていると、マリアの表情が少女らしいあたたかなものになった。
「エリス、ギル。無事のようで良かった」
「ありがたきお言葉」
エリスとギルは、同時にひざまづいた。それから、マリアがここにいる理由を尋ねればレイヴァンの行動や言動で気になることがあったという。
「レイヴァンから言われたのは『この国で一人になってはいけない』ということだが、そのとき会場にいたジャハーンダールがこちらを見て表情を歪めていたのが見えたんだ。もしかして、と思って……」
マリアの考えは間違っていない。エリスが「そのことなんですが」と切り出して、酒場で聞いた「ジャハーンダールが“ティマイオス”に荷担している」ことを話した。
「ジャハーンダールが荷担する理由はなんなのだろうか」
それはわかりません、と素直にエリスは答える。ソロモンは腕を組んで悩みこんだあと、おどけたように笑った。
「本人にしかわかりません。姫様、そろそろ休まれてはいかがでしょうか」
不服げであるがマリアは、ダミアンやジュリアと共に部屋を出て行く。足音が遠ざかっていくのを確認して、「どうであった」と声をかけた。エリスは酒場で得た情報を伝えた。ソロモンは腕を組み考え込んでしまう。
「姫様も薄々ではあるが、国の治安が悪いことには気づいている。果たして、“ティマイオス”を壊滅させたとして、この国は息をしていられるのだろうか」
ソロモンが問題の提起を口にする。一度失った信頼を、取り戻すのは難しい。“ティマイオス”を捕らえたとしても、この国が存続できるとは限らない。国民の不満は、消えたりしないものだ。
「これはカルセドニー国の問題であるから、俺たちには関係のない話ではあるが」
国民が城の門へ押し寄せて、自分たちに危害を加えない保証もない。ならば、その前に皇帝に正気に戻ってもらうのが最善策と言えるだろう。だが洗脳されているであろう今の皇帝に、何をすれば効果的だというのか。
『どうして、あんなことが出来るの? あんな簡単に人を傷つけることが出来るの。父上、おかしいよ。あんなの、おかしい』
おさない時分の声が頭にひびく。その国がどこであったかすら思い出せないが、城門に民衆がおしかけて王族を皆、処刑せよとの声があたりにひびいて恐ろしかったのを覚えている。
目の前に繰り広げられるのは、民衆が殺したことを誇らしげに笑っている記憶。
『これで、この国は平和になったのだ。悪を伐ったのだ』
その間、父親はただ「大丈夫」と何度も呟いて頭を撫でてくれたのを覚えている。すべてが終わって国へ戻るための船の中で再び問うた。
「父上、あの人たちはどうしてあんなことをしたの。わからないよ」
「あの人達には、あの人達の暮らしがあるんだ。それを守るためにあんなことをしたんだよ。お前にはまだわからないかもしれないが」
大きな手が頭の上に優しくおかれ、目線を合わせてから紡いだ。
「王族とは、ただ贅沢な暮らしをしているわけではない。国の全ての責任を背負う。そのことを覚えておきなさい」
正直、この時は何一つわかっていなかっただろう。学問を修め知識が増え、熟慮をするようになって思うことがある。本当に王を殺して、幸せになったのだろうか、と。あれはただの利己主義なのではないだろうか。
父親に言うにも、そのときすでに姿を消していた。今のこの考えを聞いてもらうことが出来ないのは残念だが、自分が未熟なのだろうとはソロモンは思っている。
「ソロモン?」
ギルに声をかけられ我に返れば、エリスまでも驚いて凝視している。
「どうかしたか」
「いえ、ソロモン様がひどく青ざめておられたのでどうかなされたのかと」
自分で驚いてしまい「そうだったのか」と何気なく額に手を当てれば、びっしょりと汗がついた。
「昔のことを思い出してな」
苦笑を浮かべソロモンが呟けば、エリスもギルもじっと沈黙をたもつ。やがて、青白い顔に血色の良い赤みが戻り唇が動いた。
「しかし、そうだな。あんな思いはもうこりごりだ」
ソロモンの言葉は二人には計り知れなかったが、マリアの望みと一致するだろうと思い笑みを浮かべた。
部屋へ戻ったマリアは落ち着かないのか、部屋にある本を一冊とりだして読んでいた。だが同じページを開いたり閉じたりしている。かわいらしい顔に似つかわしくない“しわ”が眉間に寄っているし、気がかりなことがあるようだ。
「姫様、お休みになった方が――」
「うん、そうするよ」
ジュリアに声をかけられて、やっとベッドの上へ横になったが落ち着かないようだ。さすがにこのままでは眠れないかと、ジュリアはまた声をかけた。
「なにか気になることでもあるのですか」
ソロモンに部屋を追い出されたような形であったし、尋ねたいことがまだあったのかもしれない。マリアは上半身を起こして、まっすぐに見つめて紡いだ。
「国民も国の異変には気づいているはずだろう。このまま何も行動を起こさないとはとても思えなくて」
ジュリアとダミアンは前に、ソロモンから聞かされていたものだから驚いてしまう。それとともに「マリアはしたたかであるから感づかれるだろう」との旨も言われたが、まさか本当に考えが及んでいるとは思わなかった。
「そのようなことを、ソロモン様は申しておりました」
「それで他には何かいっていたか」
「いいえ、わたくしどもが聞いたのはそれだけです」
口惜しそうなジュリアに、マリアはゆるりと笑みを浮かべた。
「そうか、ソロモンが気づいていないはずがなかったな。なら、安心だ。わたしが望む、最善の策を考えてくれるだろう」
安心したようで布団の中へ潜り込み、寝息を立て始めた。それほど信頼の置ける人なのだと、身を以て実感してしまう。羨ましいと思いながらも、胸をなで下ろした。
***
「ああ、どうか助けたもう……」
皇帝バハードゥルは黒いローブをまとった男に向かって必死に祈っている。
「国も安定せぬ、息子も妻も見つからぬのは信仰心が足りぬからだ」
「で、では、どうすればいい? おぬしたちの言うとおりしてきたのではないか」
黒いローブの男はにやりと笑みを浮かべた。
「ベスビアナイト国の王子をこの国の牢獄へ閉じこめろ。一番、深いところにだ」
「そ、そんなことをすれば、この国は――」
「しなければ、お前の息子も妻も見つからぬままだぞ」
ぞっとしてバハードゥルは、承諾し一心不乱に祈りはじめる。横目で眺めてジャハーンダールは、不気味な笑みをうかべた。
「おそろしいね、皇子というものは」
ローブを着ている男の一人が言った。
「もちろんだ。第二皇子なんぞに王位をゆずらん。この国の王位を継ぐのは、この俺の他にいない」
薄ら笑いを浮かべてジャハーンダールが宣言すれば、ローブを纏った男もまた不気味に笑う。
「醜いものよ、一国の皇帝の姿とは思えんな」
自らが仕向けたのに、何一つ悪びれず第一皇子がつめたい言葉を吐く。自分の親であるというのに、残忍さはどこからくるのだろうとローブの男は直接問うた。ジャハーンダールの答えはこうだった。
「俺が王になるためであれば、親であろうと利用する。もちろん、お前等とも今は利害が一致しているだけにすぎんけどな」
そのあとに続く不気味な笑い声が、バハードゥルの祈りにかぶさった。
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