第二十五章 声

 すでに日は落ちてあたりは薄闇に沈んでいたが、寝付くことが出来ずマリアは古びた日記帳を開いていた。

 時刻はちょうど零時。窓から吹き込む涼やかな風が燭台しょくだいにある蝋燭ろうそくの灯火をときおり揺らすが、それを気にした様子もなく日記帳を読んでいる。見つけた切れ端の部分しか読めないが、この日記帳で読める部分は、もう他には無いだろう。破かれている部分はもうないし、あとは血に濡れてかすんでしまっているのだった。

 何度目か読み直したとき、日記帳をぱたんと閉じて窓から夜の闇を見つめる。それで、夕食のあとにソロモンに言われたことを思いだしていた。


「代表者はベスビアナイト国の代表になりますので、慎重に選ばなくてはなりません」


 それから、マリアの目から見てどうかと尋ねられれば迷わず「ダミアン」と答えたのだった。“力”という意味ではダミアンが強いということを知っているからか、ソロモンも賛成した。ギルは不満そうではあったが賛成してくれた。もちろんダミアンはマリアから直々に言われたことを誇りそうにしながら、跪いて承諾してくれたのだった。

 そのときを思い出し、口元に笑みを浮かべる。飛び上がりそうなほど喜んでいる様子がおかしかったのだ。自身は彼に何も返せていないと考えをひるがえして、凛と闇の中を見つめていた。

 蝋燭の火が大きく揺れれば、静けさをやぶらぬよう扉をたたく音が耳にとどいた。いつもならば、ジュリアが出るのだが、他の用事があり不在であるし、他に控えている者もいないため自分で出るしかなかった。


「はい」


 こわごわと返事をしながら扉を開くと、インディラにつきそっているはずの騎士レイヴァンが立っていた。凝視するマリアをよそに、レイヴァンは眉一つ動かさず淡々と告げる。


「インディラ様があなた様とお話ししたいと、こちらへ来ております」


 漆黒のマントが揺れてマリアの前から退けば、インディラが立っていた。言葉を失ってしまったが、中へ入るよう促して椅子へ座ってもらった。後ろにレイヴァンが控える。


「それでお話というのは」


「ええ、実は私と婚姻を結ばないでいただきたいのです!」


 はじめから婚姻を結ぶつもりなんてないマリアからすれば、すっかり抜け落ちていた事柄であったので唖然としてしまう。


「ベスビアナイト国の王子様に、このようなことを言うのは失礼かもしれませんが……」


 意味をはき違えているインディラに、マリアは笑顔を浮かべた。


「大丈夫ですよ、はじめからそのつもりはないですから。でも、こんな時間に来るからてっきり、とんでもないことでも言われるのかと思っていたけれど」


「ベスビアナイト国の王子様にそのようなこと、とんでもございません!」


 ジャハーンダールには気をつけなくてはいけないが、インディラは素直で可愛らしい人だとマリアは思う。同じ兄弟のはずであるが、性格がこんなにも違うのは一夫多妻制であるから、母が違うのかもしれない。


「では、あの。ここへ来たことをお兄様には黙っていてもらえますか」


 インディラをマリアの元へ嫁がせようとしているのは、ジャハーンダールだ。本人の耳に入ったら、彼が何をするかわかったもんじゃない。もしかすると、自分の妹であっても罰を与えるかもしれない。


「いいですよ。そのかわり交換条件はどうでしょうか?」


 インディラは怯えた瞳でマリアを見つめる。なにかとんでもないことでも条件として出すとでも思っているのだろうか。マリアは立ち上がると、本を一冊取り出すと机の上へ置いた。コーラン教の聖典であった。


「単語しか文字が読めなくて。ここへ来る前に勉強をすれば良かったのだけど、していなかったから。この国の言葉を教えてはくれないでしょうか」


 呆気にとられたインディラであったが、無邪気に笑って「ええ!」と答えてくれた。ほっとしつつマリアがさっそく紙とペンを用意すれば、インディラは簡単な文章ぐらいは読めるようわかりやすく説明を加えてくれる。二人の様子を眺めてレイヴァンはわずかに口角を上げた。マリアは気づかなかったが、インディラは気づいて頬を赤らめる。


「どうかなさいましたか」


「い、いいえ! なんでもありませんわ。王子様」


 動揺しつつインディラはマリアにまた単語を教えていると、しばらくしてレイヴァンの一言でお開きとなった。


「インディラ様、また教えていただいてもかまわないでしょうか」


「ええ、もちろん!」


 帰り際に一声かけると上機嫌でインディラは答え、踊り出しそうな足取りで部屋を出て行く。そんなに婚姻が結ばれなくて良かったのだろうかとマリアが思っていると、インディラに付き添っていたはずの黒い騎士は扉の前で立ち止まり不敵な笑みを浮かべて耳元でささやいた。


「あなたには、タキシードよりも白いドレスの方がお似合いですよ」


 今まで聞いたことがないくらい甘い声に、マリアはめまいすら覚えた。なんとか踏みとどまっている間に、黒いマントをひるがえし騎士は部屋を出て行った。

 しばらく呆然と扉を見つめていたが、数分経ってやっと緊張がとけると床の上に座り込んだ。


「もう、そんな声でそんなこと、ささやかないで」


 零れた言葉は、誰に届くことなく宙に溶ける。それからベッドの中に潜り込んだが、目が冴えてしまって寝付いたころには空がしらばんでいた。



 かわいた闇の中で、形にならない慟哭がとどろいた。頭の中だけで響くその声にクライドは思わず声をあげる。とうに時間のかんかくも失い、右も左もわからず、ただ強い誰かの慟哭が聞こえていた。“闇”の力が強い、この場所であるからよけいだろう。

 激しい頭痛におそわれ思わず額をおさえる。右手を壁について進んでいっているが、いっこうに光は見えてこない。

 皇帝を見張っていたところ、背後からおそわれて気を失い、太陽の光が一片もとどかない場所に閉じこめられてしまったようだった。しかも、ここがどこかなのかまったく見当もつかないものだから心の奥までも寂寞が満たそうとする。それでも、歩き続けているのは“守人”であるがゆえんなのか、“あるじ”に報いようとしているのかは定かではない。

 ……それにしても、さきほどから〈眷属〉をとおして伝わってくる慟哭は誰のものだろう。死者のものであれば、だいたいは夢をとおして伝わってくるものであるから、こうして目をさましているときに聞こえてくる声は生きている人のはずだ。つまり、この闇の中に自分ではない他の人もいることをあらわしていた。それに気づいているからこそ、歩みを止めることもできまい。

 そこに人がいるというのであれば、助けるべきだ。きっと、“あるじ”ならばそう言う。

 クライドは自らの“道”を見失わないようにして闇の中へ足を踏み入れていく。足下もなにも見えない闇の中であるから、一歩をふみだすことも恐ろしいが、それよりも誰かが傷つくことの方が恐ろしいと考えをひるがえして何度も一歩を踏み出してゆく。

 踏み出す度に自らの足音がよく響いた。地下のような場所であるからかもしれない。反響する音がふいに重なった。

 クライドではない足音。遠くから聞こえてきた足音は、クライドと歩調をあわせているようすはない。徐々にはやくなり、足音と共に明かりが近づいてきていた。ぞっとして、身構えたが懐かしい気配に警戒を解いた。


「クライド、ここにいたのね!」


 あかるく元気な声をひびかせてきたのは、クレアだった。手にはたいまつをかかげて、いつものように笑顔を浮かべている。どこかほっとして、息をはいた。


「よくここにいるってわかりましたね」


「私は〈地の眷属〉の守人だもの。人の足音とか、敏感なのよ」


 そのようなことを言っていた気がするとクライドは思う。それからクレアに、皆のことを問うてみれば急に押し黙った。


「クレア?」


「思わず飛び出してきちゃって、誰にもここにいることは話していないの」


 ただでさえ、静かな場所に寂寞が満ちた。クレアは取り繕うように笑ってみせる。


「だ、大丈夫よ! 姫様か、ソロモン様か、誰かの足音を辿ればなんとか――」


「それで今、聞こえているんですか」


「ごめん」


 その答えがすべてをあらわしていた。それだったら自分一人が彷徨っている方がまだマシだったのにと、クライドは密かに思ったが飲み込んで「とりあえず、来た道がわかりますか」と尋ねた。


「たぶん、こっち」


 自信なさげなクレアの言葉が闇の中でひびいた。



 けっきょくマリアが目をさましたとき、太陽は真上にのぼっていた。いくらなんでも、寝過ぎたと着替えを終えて部屋から出るとソロモンが待ち構えていた。クレアの姿も見えなくなったと告げられる。のんきに寝ている場合ではなかった。レジーとエリスが探してくれているから、とりあえず任せましょうと続かれる。今はそうするしかない。だが仲間が危険な目にあっているかもしれないというのに、何も出来ない自分が歯がゆいとも思っていた。

 おもわずマリアが固くこぶしを握り締めると、隣にいたジュリアが自らの手を重ね合わせた。


「大丈夫ですわ、姫様。我々、守人はそんなやわじゃございませんもの」


「ありがとう、ジュリア」


 たとい、はげますためだけの言葉だとしてもマリアは嬉しかった。ソロモンのとなりにいるギルとダミアンもひとまず落ち着いているのを見て穏やかな表情になっている。彼ら自身も不安であろうが、“あるじ”が不安がる方が彼らにとっては問題なのかもしれない。

 そのあとマリアが食事をする部屋へと向かえば、インディラも食事をしていた。後ろには、レイヴァンが控えている。


「インディラ様もお食事ですか」


「ええ、一緒に食べましょう!」


 声をかけると、嬉々としてインディラは言ってくれる。ソロモンと守人達が困惑したものだから、マリアの口から昨晩あったことを話した。すると、今度は別の意味で心配をはじめたようでジュリアはそっと「大丈夫ですか」問いかけた。インディラが尋ねてきたのならば、レイヴァンも一緒のはずだ。共もいない状況で彼とあって、“精神”が心配になったのだろう。マリアは「大丈夫だよ」とあっけらかんと答える。それはそれで困惑気味だった。

 気づかないふりをしてマリアも、食事を取る。ふいに沸き上がった疑問を、インディラにぶつけた。


「そういえばインディラ様はベスビアナイト国の言葉がお上手ですが、習われておられたのですか」


 ベスビアナイト国の言葉は、世界的に決められた公用語ではない。それに海を渡ったところにあるカルセドニー国に、授業のひとつとして盛り込まれているようにはとうてい思えなかった。

 ちなみに隣国であるオブシディアン共和国は、授業の一つとしてベスビアナイト国言語も含まれている。そうはいっても少し発音が違うぐらいであるから、別の言語といっていいものかわかれるところだ。

 未だにひとつの言語としないのは、学者達がもめあっているとかなんとか……そんなうわさをどこかで聞いたとギルが思い出しているうちにインディラは答えた。


「ええ、ベスビアナイト国の言語を勉強しておけば、北方の言葉はだいたいわかるからと言われたので」


 確かに文法は似ているかもしれないがどうだろう、とマリアが考えていると後ろにいたソロモンが少し前へ出て「そうですね」と告げた。


「ベスビアナイト国の言葉は、近隣諸国に比べれば勉強しやすいかもしれません」


 国へ戻ったら近隣諸国の言語も勉強しようとマリアは考えながら、ライタ(ヨーグルトの中に野菜やフルーツを入れたサラダ)を口に含むと大きくむせてしまう。ソロモンが動き出す前に黒いマントがゆれて、黒い騎士が水をさしだして背中をゆっくりと撫でる。ようやくマリアが落ち着きを取り戻して「ありがとう」とかえせば、黒い騎士は甘い砂糖菓子のような表情を浮かべて「いいえ」と笑んだ。

 顔がほてるのを感じながら、マリアは顔をふいっとそらして、またちらりと騎士の顔を盗み見る。涼しい顔を浮かべる彼に甘い奇妙な感覚を覚えていると、「ごほん」とソロモンが咳払いした。


「騎士殿、我が主を助けていただいたことにはお礼を申しますが、なぜ手を腰にまわす必要がありますかな」


「これは失礼しました」


 さっと手を離せば、レイヴァンはまたインディラの後ろに控えた。けれど、マリアのほてった体は冷めず動きはにぶくなってしまう。


「王子様、大丈夫なのですか」


「はい」


 マリアの声も少しおかしいからインディラは、もの言いたげな視線を後ろの騎士に投げた。けれど、騎士は気にもとめず凜然と佇んでいる。

 食事が終わった後、インディラがいぶかしんで黒い騎士に何度も問うたが、結局は答えてはくれなかった。



 一方、部屋へ戻ったマリア達はレイヴァンの行動の意図が読めず困惑していた。今はカルセドニー国の騎士であるはずの彼が、口説くような行動をしてきたのだから無理もない。

 マリアは甘い感覚におそわれ、考える気さえ失いはじめていたがレイヴァンが触れていた場所に手を当ててみれば何かが入っていた。引っ張り出してみると、紙の切れ端だった。


「これは――」


 ソロモンもマリアに近寄って、紙の切れ端を見ると腑に落ちたように不敵な笑みを浮かばせた。


「なるほど、レイヴァンはこれを姫様に渡したかったのですね。だとしても、あんなあやしまれるようなことをしなくても」


 確かにとマリアも思ったけれど微苦笑を浮かべるだけにとどめ、紙切れを開いてみればそこには数字の羅列が並んでいた。


「220と284、1184と1210、2620と2924。これは一体」


 呆然とマリアがつぶやいている横で、ソロモンはしきりに顎をなでる。やがて手がとまると彼の中で考えが浮かぶ。


「なるほど、だから“つながりを示すための数字”か」


 困惑するマリアをよそに、ぶつぶつとソロモンが何かをつぶやく。エリスが窓から入ってきて、“ティマイオス”の基地がこの城の地下にあると教えてくれた。ソロモンが「彼らのフードに書かれている数字を見たか」と尋ねれば、エリスはうなずきいくつか覚えてきた数字を言えば紙切れの数字と一致した。


「この数字がなにかわかるのか」


 ソロモンはうなづく。


「これは“友愛数”と呼ばれるものです」


 友愛数とは、異なる二つの自然数の組み合わせで“その数”を除いた約数の和が互いに他方と等しくなる数のことらしい。

 そうは説明しても、皆はわかっていない様子であるから、ソロモンはカバンから横幅が9.8ツォル(約25センチ)、縦幅が7.8ツォル(約20センチ)の黒板を取りだして、それと共に出した4ツォル(約10センチ)四方のケースから白墨チョークを出せば滑るように220と284の数字を書く。


「姫様、220の約数はわかりますか」


「ええっと、1と2と4と5と――」


 マリアが詰まった様子であるから、ソロモンは小さく微笑み、答えが出るまで待てば青い瞳がひらめきの光をやどして声を上げた。


「10と11、それから20、22、44、55、110、220」


「はい、そうです」


 ソロモンは黒板に数字をすべて書いた。“220を除いた”数字をすべて足す式を書いてマリアの方を見つめれば、困った表情でしばらく悩んでいた。


「わかった、284なんだ!」


「ええ、さすが姫様。あっていますよ」


 微笑んで見せてからソロモンは次に284の約数をマリアに尋ねる。すると、用意していたかのようにマリアの唇からするりと答えが導き出された。


「1、2、4、71、142、284ではないか?」


「はい、あっておりますよ」


 マリアは楽しくなってきたが、ダミアンはどうも腑に落ちないのか。いぶかしげな表情だ。ふいにソロモンがダミアンに問いかける。


「では、284を除いた和はわかるか」


「それは、220?」


「正解」


 淡々と告げてソロモンは、黒板に約数と和をそれぞれ書いた。


「次にベスビアナイト国で見た数字ですが、あれは“いとこ素数”です。差が4ある素数の組です」


「それは一体、何を表しているというのですか」


 ギルやダミアンも気になるものの、突っ込めなかった本題をエリスが問いかければ、ソロモンは口を開く。


「元々、“ティマイオス”は研究者集団であるがアトランティスの研究の他にも数学も研究していたんだ。数学にこそ、何かが秘められていると信じて」


 まさか“ティマイオス”が数学の研究もしていたとはおどろきだ。マリアだけでなく、皆も驚きは隠せないらしい。


「ベスビアナイト国にいた彼らに割り振られていたのは、“いとこ素数”つまり元あった“ティマイオス”と血のつながりが少しでもあることを示すための数字」


 “つながりを示すための数字”とはそういうことかと、納得がいく。


「ここ、カルセドニー国で彼らに割り振られているのは“友愛数”。この数は稀少な数字のペアで滅多に出現しない親密な数字」


 二つの数字を見ただけではつながりを見いだせない、不思議な数字だとソロモンはつむぐ。


「“いとこ”のように血のつながりはまったく無いが、固い絆があると示すために割り振ったのでしょう。しかし、果たして割り振った意味がどこにあるのでしょうか」


 わざわざ、そんな数字を割り振らなくたってかまわない。ましてや、友愛数はあまりに桁が大きすぎる。


「そこでわたくしが思うのですが、今の“ティマイオス”は数学には精通していないように思われます」


 むしろ、よくわかっていないのではないか。ソロモンには名前の響きだけで、数字を割り振っているだけのように感じるとのことだった。

 説明を聞く限り、そのようにしかとれない。

 同じ“ティマイオス”という集団であるのに振り分ける数字がベスビアナイト国では“素数”、カルセドニー国では“自然数”と違うのだ。どうせなら、統一すれば良いのにされていないのだからソロモンの考えは間違っていないようにとれる。


「名前の響きだけで数字を割り振ったとするならば、元の“ティマイオス”は本当に壊滅したと考えて良いだろう。だが、今の“ティマイオス”が何をしようとしているのか」


 復讐という言葉がソロモンの脳裏をよぎる。確信を得るまでは考えを口に出すべきではないと判断すると押し隠し、いつものように笑ってみせた。


「とりあえず、姫様の護衛はジュリアとダミアンにお願いするとしましょう。いいですかな」


 ジュリアは「ええ」とこころよくうなずいたのに対し、ダミアンは「ああ」と素っ気ない声色だ。気にしないのかソロモンは、次にギルとエリスを見つめた。


「二人には、クライドとクレアの捜索をお願いするが」


「はい」


 頷くだけにとどめると二人は、早々に部屋を出て行く。ソロモンも出て行くかと思ったが、今夜が親睦会であるからかマリアになにかあっては困るからと、夕刻になるまで部屋にいたのだった。



 正装に着替えて、部屋を出るとジュリアもダミアンもおらず心細かったのもあってソロモンのもとを訪れれば彼もやはり正装を着ており雰囲気が見違えて見えた。いつもはどこかしら着崩しているのに、きちんと着ており、普段は気にしていない様子の髪もきれいにとかれ、窓から零れる夕日を反射して輝いて見える。スッと立っているその姿は忠実な臣下を思わせ、均整のとれた体つきは男らしくたくましいように見えた。

 気づいていないようだから立ち去ろうとしたがソロモンに声をかけられた。


「姫様、来ていらしたのですか」


「うん」


 マリアの声が部屋の中でひびいた。怪訝そうにしながら、ソロモンはマリアの腕を取ると強引に自分の方へ顔を向かせる。どきりとしてマリアは顔を背けたが、ソロモンの視線はマリアをつかんで離さない。


「姫様、あなたは男の部屋に入るという意味をわかっていますか」


 そのとき、扉が開かれて呼びに来たインディラとレイヴァンが入ってきた。


「お兄様に言われてお迎えにあがったのですが」


「大丈夫だよ。行こうか」


 ソロモンから解放してもらいインディラの方へ向くと、マリアはなんでもないように告げる。インディラは一瞬、呆然としたものの「ええ」と答えて会場まで案内してくれた。もちろん、後ろからソロモンもついて来る。となりにはインディラの騎士である、レイヴァンがいるが無表情でどこか冷たい印象を受けた。


「クリス様!」


 呼ばれて振り向くとジュリアとダミアンが来て、謝ってから事情を説明してくれた。


「使用人達が運んでいる荷物があまりに重そうで思わず手伝いを申し出てしまって……」


「大丈夫だよ。それに君たちが思いやりの無い人だったら、わたしの側になんておかないよ」


 持ち場を離れたというのに、そんな風にいわれるとは思っていなかったようで二人してもう一度、謝るとそっと優しい表情を浮かべていた。

 それから、会場につけばきらびやかに輝いており豪勢な食事もうんと並んでいる。マリアは、挨拶をそこそこに食事に徹していた。そうはいっても、胃の調子はよろしくはないから果物やスープ類ばかりを口にしている。けれど、やはり食事ばかりするのも失礼であるから「風にあたってくる」とソロモン達に告げてバルコニーへと出た。もちろん、共をすると三人は申し出てくれたが一人になりたかったのもあって、やんわりと断ったのだった。

 さみしげに目を細めてマリアは、小さく息を吐いた。ベスビアナイト国のように涼しい国であれば、夏であっても涼しい風が吹くというのにカルセドニー国は熱気が顔にあたるものだから、室内よりもあつい。それでも、人がいるよりはまだ救われると思い直すと、空を見上げた。

 すでに空は闇に包まれており、小さな星々のあかりが地上を照らし出している。けれど、今夜は懇親会であるから会場のあかりの方が明るいように思われた。


「王子が共も付けずに不用心ですよ」


 おどろいて顔を向けると、そこには黒い甲冑をまとった騎士レイヴァンがいた。


「ご忠告、ありがとうございます。ですが、どうしても一人になりたかったもので」


 答えたが、レイヴァンは共をするようにマリアの隣へ来た。その行動にも驚いてしまったが、ふと気づく。この国へ来て、レイヴァンと再会をして二人になったのは初めてでは無いだろうか、と。

 レイヴァンはいつも、インディラの側に控えていたからよけいだ。


「数字の意味、わかりましたか」


「うん、ありがとう」


 話題をふられると思わなくてとっさにそう返しレイヴァンを見上げると、端正なその顔立ちが目の前に迫っていた。


「じゃあ、俺の行動の意味はわかりますか」


 黒曜石の瞳に射竦められ、マリアの肩が小さく震える。口元には笑みを浮かべているのに、瞳の奥は笑っていない。彼の真意がわからず、肝がつぶれる感覚におそわれた。

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