第二十四章 アンビバレンス

 石がマリアの慟哭をあらわすように紅くきらめいた。猛火の炎がごとく赤いが、その中に群青が迷いをあらわしてゆらゆらと揺れている。ちりちりと胸の奥が痛いのは、石があついだけではあるまい。


「王子様はなにがお好きなのですか」


「本を読むことは好きです」


 今は目の前にいる皇女インディラのことを考えねばならないのに、マリアの頭は上の空だった。となりにいるソロモンとギルは、なにも知らぬ顔で控えているがとっくに気づいていた。

 青い瞳がうばわれていたのは、インディラのとなり。漆黒の甲冑を着た、騎士だ。ただ黙って控えている姿は実に忠臣を思わせるたたずまいである。

 かぶとからのぞく端正な顔立ちは、マリアが見間違うはずがない。レイヴァン、その人であったのである。


「王子様、どうかなさいましたか」


「いえ、何も」


 仮にも皇女の前なのだから、毅然きぜんとしていなくてはならない。マリアは、そう思い直すとたたずまいを正した。


「そうですか、それならいいのですけれど。あまり表情が優れないようにお見受けしまして」


「それは、心配をおかけしてしまいました。申し訳ございません」


 口先だけでも謝ると頭を下げた。表情がすぐれないように見えるのか、せっかくの美しい顔をインディラは歪ませていた。

 口の上手い男であればさりげなく手を取って甘い言葉をささやくのだろうが、マリアにはそのような言葉の使い方を知らない。

 ギルであれば、うまくこの場を回せるのだろうが相手は皇女。へたに助けをもとめれば、あとからジャハーンダールからなにか言われそうだ。

 女性の扱い方を慣れておけば良かったと、マリアが反省しつつインディラに笑顔を向けた。


「本当に大丈夫ですから」


「はい。それでは、王子様はどのような本をお読みになるのですか」


「なんでも読みますよ」


「そうなのですか、それでは――」


 インディラの言葉をすべて聞くことはかなわず、遠のいていく。視界が幾重にも重なっていき、ついには歪んで体がぐらつく。

 ソロモンとギルが異変に気づいたが、それよりもはやく黒い影が動いた。インディラに寄り添っていた男、レイヴァンがマリアの体を支えたのである。


「おぬしたちは、このお方の臣下であろう。あるじの体調管理も仕事ではないのかな」


 鋭い声が部屋にひびいた。ソロモンとギルは素直に「申し訳ございません」と謝る。レイヴァンはマリアを抱き上げる。青い目はうつろで何もとらえていなかったが、朦朧もうろうとする意識の中で優しく名を呼ばれた気がしていた。



 気がつけば意識を失っており、ベッドの上で目を覚ました。誰かいないかと上半身を起こしてあたりを見回したけれど、誰もおらず広い部屋にひとりでぽつんといる。

 マリアの耳を寂寥が満たすけれど、頭の中は考えたいことと疑問とが混ざって思議が止まらない。


(レイヴァンは生きていた。それだけでも、嬉しいけれど――)


 宮殿にいる理由も、皇女につかえている理由もマリアには何一つわからない。聞きたいような気もするが、聞きづらい。それを延々と頭の中で繰り返してしまう。それにレイヴァンを探してここまで来たものだから、これからどうすればいいのかも迷ってしまっていた。

 そのとき扉がひらかれて、お盆の上にスープを乗せてジュリアが入ってきた。


「体の具合はいかがですか」


「随分とよくなったよ。ありがとう」


「それなら、いいのですが無理はなさらないでくださいね」


「大丈夫だよ、ところでそれは?」


「姫様の体調が優れないようですので、エリスが厨房をかりて特別に作ったのです。それから、皇女様から『また体調が戻られたらお話をしたい』と」


 それを聞いてインディラの前で意識を失ったことを思い出し、「あとで謝らないと」とつぶやく。スープをジュリアから渡してもらい、窓を見れば月明かりが零れていた。


「ねえ、ジュリア。わたしはどれくらいの間、眠っていたの?」


「十一時間、でしょうか」


「そんなに!?」


 確かに体はいくらか元気になっているし目も冴えているが、体感ではそんな風にはまったく感じなかったのだ。


「慣れない地ですし、仕方ございませんよ。しばらく、大事を取っておやすみください。皇帝陛下も『この地に急に来てなれるものではないから、ゆっくりしていくように』と」


 皇帝陛下に報告に行ったソロモンやギルも、皇帝から無理しないようにと告げられたらしい。なんでも、この国で体調を崩しているものが多いそうだ。


「それは最近のことなのか」


「詳しいことはわかりかねますが」


 はっとしてマリアはスープを食べ終えると、上着を羽織り「ソロモンのところへいく」と部屋を出て行こうとした。ジュリアも「お供します」とついて来る。

 ソロモンの部屋へ行くと、部屋にはギルとエリスもおり何やら大切な話をしていた様子だ。


「すまない、邪魔をしたみたいで」


「いいえ、かまいませんよ。それよりも、いかがなされましたか姫様。体調はもう大丈夫なのですか」


 やわらかい表情を浮かべてソロモンが問いかけた。


「大丈夫。それより、ひとつ聞きたいことがあるのだが」


 体調を崩しているのは他国から来た者だけなのかどうかを尋ねた。ソロモンは感心して顎に手を当てると。


「それが自国の民も体調を崩しているようです」


「原因は?」


「わからないのだそうです。それから皇帝陛下が申しておりましたが、民が体調を崩す前に第二皇子が後宮ハレムにいる母と共に行方知れずになってしまったのだとか」


 簡単に後宮ハレムの説明をして、「関係があるかはわかりませんが」と続ける。マリアが考え込んでいると、エリスがどこか心憂こころうい表情を浮かべ頭を下げた。


「ひとつ謝っておかなくていけないことがあります。本来であれば“あるじ”である姫様に真っ先に言うべきでしたが、心労させるべきではないと判断し、レイヴァン様のこと黙っておりました。申し訳ございません」


 どうやらエリスはレイヴァンがこの国で皇女に仕えていることは掴んでいて、皆は知っていたらしい。だからこそ、側に控えていたソロモンとギルは驚きもしなかったのだ。


「そうか、おかしいと思ったんだ。ソロモンもギルも驚かなかったから」


「ですが、レイヴァンがなぜここにいるのかは我々も存じません。ですから、姫様。今のレイヴァンに心を許してはいけませんぞ」


 釘を刺すようにソロモンは告げた。けれど、それはマリアも心得ているようで「ああ」とうなずく。


「とにかく、今は“ティマイオス”を崩すことを考えよう」


 マリアが気持ちを切り替えてくれたのだとわかると、皆はほっと息を吐く。マリアが進むべき道を見誤らなかったのは臣下としては喜ばしいことでもあるし、大義名分とするにふさわしい。仮にここで主君が道を見失えば、ソロモンや守人達も路頭に迷うことになるだろう。


「ええ、そうですね。彼らを崩さなくては陛下にも顔向けが出来ない。さきにレジーとクライドにはすでに彼らについて調べるよう言ってあります」


「ありがとう、ソロモン。やはり手回しが良いな」


「お褒めいただき光栄です。しかし、“あなた”という大義名分がいてこそ我らは動きます。それをお忘れなきよう」


 マリアは満面の笑みを浮かべ礼を告げる。ソロモンに「そろそろ休まれた方がいい」と進言されて部屋に戻ることにした。大丈夫と一度は渋ったが、朝に倒れたばかりなのだ。臣下としては、あまり無理をさせるわけにはいかない。

 マリアが部屋を去れば、ソロモンは「さて」と切り出してエリスと向き直る。


「“ティマイオス”の基地は見つけられたか」


「探しているのですが、今のところは見当たりません。それから、ロベール殿が言っていた皇帝陛下が信じ切っているという宗教ですが、今のところ何もわかってはおりません」


 クライドが皇帝を見張っている旨を伝える。ソロモンは腕を組んで考え込む。


「彼らの人数がどれほどのものかわからない今、出来るだけ情報が欲しいところではあるな。ありがとう、エリス。引き続き頼む」


 エリスは素早く窓から外へ飛び出る。それを見送ってから、ギルは口を開いた。


「どうするんだ、策士殿。姫様がいつまでも毅然としていられるとは思えない」


「今なお姫様はあやうい。それでも俺たちに報いようとしているのだろうが」


 ひとりになれば、レイヴァンのことを考えてしまうことだろう。マリアはまだ幼い。そんな彼女に何もかもを背負わせるのは、無謀だ。だからこそ、ソロモンは“すべてを背負うためにここにいる”。


「たとえ、姫様が望まない結果になったとしても、俺が背負えばいいだけの話だ」


「そんなことをすれば、姫様は余計にあなたに背負わせまいとするのではないですか」


 ギルの考えは実に当を得ている。ソロモン自身もわかってはいたが、人差し指を立てて小さく笑う。


「すべてを主君にあずける必要はない。俺は“あるじ”の“補佐役”ですから、“あるじ”が信頼をくれるのであれば、それに答えるだけ。“あるじ”は全てを任せて、とぼけているぐらいがちょうどいい」


 マリアには肩の力を抜いて、今は十分に休息をとってほしいとソロモンは暗に言っているのであろう。だからこそマリアに問われたことは答えたが、“それ以外”は口にしなかったのだ。


「それ、本人に言ってやってくださいよ」


「言えば、余計に任せてくれなくなるだろう」


 マリアの性格をわかっているからこそ、ソロモンはギルにだけは伝えた。それから、「いずれはわかることになるだろう」と呟いて片眼をつむる。


「まあ、そうでしょうけど。よくもまあ、“すべてを背負う”なんてことを言えますね」


 ギルには、その真意はわかったがそこまで考えが及んでいるとは思わなかったのだ。


「べつに普通だろう。主君と補佐役の間にすきがあれば、そこにつけこまれる。ひとつでも、姫様が俺に疑いを持てばそこをつかれる」


 王都で見たマリアは「頼りにしている」と言ってくれたのだ。ならば答えるのが臣下のつとめだろう。


「じゃあ、ソロモン閣下。なにを以てして姫君にお仕えする」


「知恵の眷属がお仕えしろと……」


 冗談でかえしたが、ギルの瞳があまりに真剣だから押し黙って息を吐いた。


「最初はただの好奇心。レイヴァンがそこまで心惹かれる姫が気になった。だが、危なげながらも前へ向こうとする姫様はしたたかで、俺には仕える以外の答えは出てこなかった」


 ギルは立ち上がると「あんたの正直な気持ちが聞けてよかったよ」と、部屋を出て行った。部屋に残されたソロモンは、息を吐き目を閉じる。

 マリアとはじめて出会ったときの光景が瞼の裏に浮かぶ。あのときは、ひどく憔悴しょうすいしていて見ていられるものじゃなかった。

 戦略の基本を話してやれば、やつれた瞳に子どもらしい光が宿り無邪気な表情になった。

 一冊の本と一晩の宿、それから温かい食事をあたえれば青白い頬に血色の良い赤みが差した。そのあと、軍が来る足音がして避けようとソロモンは考えていたが、レイヴァンがいるとわかるとマリアはすかさず突っ込もうとする。それは、いけない。

 ソロモンはあわててさとし、小屋で話した戦略の事を告げれば大人しくなる。それでもレイヴァンが気がかりのようだった。


「ならば、その弓で彼とやりやっている男を射って下さい。もちろん、男がこちらに背を向けたらですよ」


 マリアに隣で矢を放つタイミングを示した。それから、下へ降りたときにマリアがレイヴァンに告げた台詞。


「わたしは、お前を失いたくはない。だから、武器を取るんだ」


 王城で大切に育てられてきた姫とは、到底思えない。レイヴァンのために軍の中へつっこうもうとするのは、無謀であるがそこまで出来る人はきっといない。

 このお方にお仕えしたいと感じたのは、きっとこの瞬間だった。ふいに思い出してソロモンは、口元に笑みを浮かべるとゆっくりと本を開いた。



 部屋に戻ったマリアはベッドの上へ横になったが、寝付けずに悶々と頭の中で同じ問いを繰り返していた。


『どうしていつも隣にいたあなたが、今は皇女の隣にいるの』


 聞けるはずがない。なのに、何度も浮かんでは流れて浮かんでは流れていく。それに、皇女のとなりにいる“彼”の名を一度でも呼べば、話が広がってベスビアナイト国へ攻め入ろうと考える国が出てきてもおかしくはない。セシリーが王都にいるといえ、油断は出来ない。


(見失わないように。わたしの“道”を)


 心の中で呟いて、意識は闇に飲まれた。



 日が開けるとジュリアは、強い日差しをうけて目を覚ます。本来であれば扉の前で眠るべきなのだが、マリアが「申し訳ないから」といって譲らず部屋のソファの上で眠っていた。

 それをわかっているのか、ソロモンはマリアが眠ってから扉の前に護衛としてダミアンをつれてきたのは秘密だ。

 扉を開けて「大丈夫よ」と告げれば、マリアが気にしないようにとダミアンは自分に割り当てられた部屋へ戻る。ソロモンに言われるのは嫌そうであるが、マリアのためと言われれば断れないのだろう。昨夜、そんなようすがうかがえた。


「ジュリア?」


 眠たげなマリアの声が聞こえたから、部屋へ戻って体の調子を尋ねる。


「大丈夫だよ」


「それは良かったです。体調がよろしいのであれば、少し外へ出てみるのもよいかもしれませんね」


 ジュリアが告げたとき、扉がノックされたものだから不思議に思いながらもジュリアが「はい」と答えて扉を開けると、そこにはインディラとレイヴァンが立っていた。どうやら、インディラがマリアを心配して様子を見に来てくれたようだ。


「王子様の具合はいかがですか」


「はい、だいぶ良くなっています。ご心配をおかけして申し訳ございません」


 軽くジュリアが頭を下げるとインディラは「いえいえ」と首を軽く振った。


「私こそ、王子様に無理をさせてしまって申し訳ないですわ」


 ジャハーンダールと違い、素直そうなインディラにジュリアは好感を覚えつつ「いえ、わざわざ出向いて下さりありがとうございます」と頭を下げる。いくらマリアがベスビアナイト国の王子といえど、皇女自らが出向くなどほとんどないものだ。


「実は父上が王子様と一度、一緒に食事をしたいと申しておりまして。あ、もちろん体調が回復されてからでかまいません。我が国の料理は、刺激が強いですし」


 インディラにジュリアはあいまいに頷く。そういえば、まだこの国の料理を食べていない。ちょうどソロモンが来たものだから、すがる視線を投げてしまう。

 話の内容は分かっているのか、ソロモンは何一つすきを感じさせない笑みを称えた。


「そうですね、王子にはきちんとお伝えしておきましょう」


 インディラは「よろしくお願いします」とソロモンに告げると、レイヴァンを従えて去って行く。その背が見えなくなってからジュリアは問いかけた。


「そんなに刺激が強いのですか」


「ああ、なんといっても香辛料スパイスをつかったカリーという郷土料理が主に食べられておりますからな。しかもさまざまな香辛料スパイスを多用しているそうですよ」


 ソロモンが説明を終えたとき、エリスがお盆に食事を乗せて運んできた。それを見てソロモンとジュリアも共に部屋の中へ入れば、マリアはすでに服を着替え終えていた。


「今日はもう大丈夫なのですか」


「ああ、心配をかけてすまない」


「いいえ、かまいませんよ」


 エリスは返して、机の上に“白い粥状”のものが入った皿を置く。


「これは?」


「はい、城の料理長に教えてもらって作ったものなんです。“キール”という料理でココナッツミルクにお米を入れて炊いたものです。この国では“おやつ”として食べられているそうですよ」


 ベスビアナイト国でいう乳粥ミルヒライスだとも付け加えた。椅子に座り、マリアがスプーンですくって食べてみると、なるほど乳粥ミルヒライスともとれるが牛乳ミルヒではなく、ココナッツミルクを使ってあるぶん甘く感じる。


「うん、おいしい!」


「それはようございました」


 マリアの元気な声を聞けば、エリスもほっと息を吐く。それから、エリスが予定を問えばジュリアと少し外へ出てみる旨を二人にマリアは告げる。


「では、ジュリアはもちろんのこと、護衛としてダミアンも同行させましょう。もちろん、わたくしも共として同行させてもらいますが」


 マリアが案を受け入れるとソロモンは部屋を出て行き、ダミアンを呼んでくる。二人が来る間にマリアは食事を終えると、エリスは食器を片付けて街へ下りたのだった。

 ソロモンがついているし大丈夫だろうと、引き続き“ティマイオス”の手がかりを探すべく、あちこちへ行き情報を集める。“ニオイ”はするのに姿すらまだ見つけていない。それでも、しばらく捜索し街から少し離れた水辺に近寄った。そのときだ。異様な光景を目にしたのは。

 ただ無言で水を浴びるように飲んでいる男が数人いたのだ。それでも、喉の渇きはなくならないのか一心不乱に水を飲む。


『カルセドニー国から輸入されている“クスリ”は非常に発汗作用があり、喉が渇く』


 まさか、と男に近寄るとエリスの気配に気づいた男は血走った目を向けてきた。ひび割れた唇からは泡が吹き出して垂れている。

 ぞっとしてエリスが固まっている間に男達は、ナイフをかざして襲いかかってきた。次の瞬間、男達の動きがピタリと止まる。ようすを見ていると、男達はうめいて泡を吹き地面の上へ倒れ込んだ。

 一人一人の脈を診てみるとすでに息絶えており、軽く祈りを捧げて立ち去る。やはり、この国にも“クスリ”は出回っているらしかった。

 クライドがいるであろう、皇帝をよく見張れる木の上にのぼったが姿はなかった。真面目なクライドが怠慢などあるわけがないと決め込むと、エリスは窓越しに皇帝を見れる。皇帝は黒いローブをまとった男に何やら祈っているではないか。

 早くソロモンに伝えるべく向かおうとしたとき。背後から人の気配を感じ取り、懐に手を伸ばしながら振り返る。

 刹那。目先を白銀色の何かが走った。驚いて後ろに退けば、足場をなくし体が宙に浮く。受け身を取り、なんとか地面へ着地し“くない”を取り出す。

 木がざわめいて上から仮面をつけた男が降ってくる。なんどか、マリアを狙った男だった。


「お前はっ」


 言葉を発する時間すら与えてもらえず、男は斬りかかってきた。“くない”を投げて、一瞬でも時間を稼ぐと短剣を取りだして撃を受け止める。

 にぶい金属の音があたりに響き渡った。


「なぜ、我が主を狙う?」


「違うね、あんたらの主が“彼ら”の行く先々で現れているんだ」


「お前は“ティマイオス”の仲間なのか」


「さあ、どうだと思う?」


 余裕な男の口ぶりに嫌気がさして、剣を思いっきり弾いた。衝動で男の懐から白い何かが落ちた。それは白いエリカの飾りがついた“かんざし”だった。エリスが口を開いたとき、男は“かんざし”を慌てて拾い上げた。


「はやく、この場から立ち去れ。“奴ら”が来る」


 なにか言いたげなエリスであったが、結局はつぐんで足早にその場を立ち去った。そっと振り返ってみると、そこには確かに黒いローブをまとった男が数人集まっていた。



 そのころ、マリア達は中庭にいて外の風に当たっていた。やはりベスビアナイト国と違い、日差しが強いものだからソロモン達は半ば強引に水分補給をさせていた。

 気を遣いすぎじゃないだろうかとマリアが苦笑を浮かべていると、欠伸を噛み殺しながらギルが中庭へ出てきた。


「お前な、あまりに緊張感が無いんじゃないか」


「お前は肩に力はいりすぎてるんじゃないか」


 ダミアンにすかさず、ギルは返した。よくみれば、ギルの後ろにはクレアも一緒だ。


「二人とも、どうしたの」


 何気なくマリアが問うと、ギルとクレアから同時にかえってきた。


「暇だから」


 マリアは苦笑を浮かべる。そのとき、焦燥をうかべてエリスが来た。


「クライドはこちらにきてはおりませんか」


「いや、来ていないが。何があった」


 ソロモンが答えるとエリスは、膝を折り頭をさげて報告した。


「ご報告いたします。皇帝陛下を見張っていたクライドの姿が見えないのです」


「それって、どういう」


 呟いたマリアにエリスは、クライドに皇帝をだましているという宗教について調べさせていたのだという。


「ロベール殿が言っていたのを覚えていますか」


「ああ、もちろん。それで何の宗教かわかったのか」


「はい、やはり“ティマイオス”のようです。黒いローブを纏ったものが皇帝陛下と接触しておりました」


 エリスにマリアは“ティマイオス”にクライドは誘拐されたのだろうかと呟く。賛同して「可能性はあります」と、自分も狙われたことを告げた。


「ちょうど、接触しているところを目撃したところ、背後から仮面をつけた男に狙われました」


 なぜか逃がしてくれましたが、とも言葉を紡ぐ。すると、ソロモンは腕を組んで考え込んだ。


「あの仮面をつけた男、我々にたどりつくように仕向けている気がする。それにあの男は、黒いローブをまとってはいないし」


 あたりはさらさらと流れる風の音だけが満ちる。一瞬の静寂が支配すれば、レジーが来て不思議そうにマリア達を眺めていた。


「あれ、みんな揃ってる」


 レジーにクライドのことを話せば少し悩んでから言葉を紡いだ。


「もしかして基地は、この城のどこかにある可能性はない?」


「それも考えたのだが、さすがにそれは……いや、待てよ。皇帝陛下が貸し与えていればなくはないな。エリス、レジー、ギル、頼めるか」


 ソロモンがお願いすれば、三人はそれぞれに答えると宮殿の中へと姿を消した。心配そうに三人を見送るマリアにジュリアが優しく声をかける。


「きっと大丈夫です」


 マリアは頷くだけにとどめて、ぎゅと石を握り締めていた。

 夕刻になるとマリアは元気だからと皇帝と一緒に食事をすることにした。ジャハーンダールの他に、アンドレアスやインディラも一緒だ。もちろん、彼女の後ろにはレイヴァンが控えている。


「ご迷惑をおかけしてしまい、申し訳ございません」


「体の方はもう大丈夫なのか」


「はい、ありがとうございます」


 答えたのを合図に次々に食事が運ばれてくる。前菜としてライタと呼ばれるヨーグルトの中に野菜やフルーツを入れたサラダが運ばれてきて、次にソロモンの言っていたカリーが運ばれてくる。明るい茶色で、横にはナンと呼ばれる小麦粉で作ったものがついている。次にタンドーリチキンと呼ばれるヨーグルトと香辛料につけ込んだ骨付き肉が出された。

 どれも確かに美味しそうであるが、マリアの胃はまだあまり食べ物を受け付けないものだから、ライタを主に食べてしまう。

 カリーも見よう見まねでナンをちぎり、カリーを付けて一口食べてみる。ソロモンのいうとおり、刺激は強いが十分おいしい。

 ほっと息をついたときだった。皇帝がマリアに告げた。


「急で申し訳ないが、親睦会を明日の夜に開こうと思っている。大丈夫だろうか」


「ええ、大丈夫ですよ」


 マリアが答えたときレイヴァンの顔が陰ったことを、ソロモンは見逃さなかった。


「それでは、代表者を決めておいてくれ」


「代表者?」


 間抜けな声を上げてマリアが言えば皇帝は簡単に説明をしてくれた。


「我が国では親睦会として、国の代表者を戦わせる武道の試合も行われる。武道の試合を行うのは、あさってになるが」


「そうなのですか」


 戸惑いつつマリアが皇帝に受け答えしていると、ジャハーンダールはと不気味な笑みを浮かべ、インディラは不機嫌そうな表情を浮かべていた。その真意はソロモンには測りかねたが、この皇族にはなにかあるだろうと考えていた。



 食事が終わり、インディラはベッドの上へ沈み込んだ。


「食べてすぐ横になると体に悪うございますよ」


 すかさず、レイヴァンが進言したがインディラは「だって」と呟いた後、吐き捨てるように言葉を紡いだ。


「武道の試合を行うなんて、はじめて聞いたわ! 何を考えているのよ、父上もお兄様も!」


「それはもちろん、我が国の兵が強いとベスビアナイト国やコーラル国にしめすためです。さすれば、少しでも我が国が優位に立つことが出来るとお考えなのでしょう」


「頭痛くなってきた」


「熱中症ですか」


「原因あきらかにわかってるでしょう」


「まあ、そうですね」


 めずらしくレイヴァンが肯定するで「お」と声を上げると、インディラは起き上がった。


「ねえ、私は政治とかそういうのわかんないけど、父上とお兄様を止めて欲しいの。これ以上、この国がおかしくなっていくのを見てられない」


「かしこまりました」


 レイヴァンは騎士らしく応えた。

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