第二十二章 アイタイ
海賊と共に手を組んでいたのを船員に見られていたらしく、一度は港へ戻ったものの船員からのやじが凄まじくマリア達は海賊船に舞い戻ることになった。町人からは「ありがとう」と言葉を贈られたが、船員達に嫌われてはカルセドニー国へ行くどころではない。
「おれたちがカルセドニー国へ送ってやろう!」
快くロベールが引き受けてくれたので、厚恩に深く感謝した。
「ところで、あなたはこのようなところで何故、海賊などと? あなたは、シトリン帝国の侯爵ではございませぬか」
ソロモンがロベールに言えば、マリア達は何も知らないから声を上げた。
「この人がシトリン帝国の?」
マリアが零れんばかりに目を丸々と見開けば、ロベールは豪快に笑って薄い金髪をかき回した。
「ああ、そうだ。おれはシトリン帝国で、貴族の称号である侯爵の地位を持っていた」
マリアが小首を傾げていると、ソロモンが耳打ちでベスビアナイト国での地主の地位ということを教えてくれた。
「しかし、おれも驚いたぞ。五爵の第一位である公爵の爵位を持つお前が、こんなところにいるんだからな。いや、まだ家を継いでいなかったか」
「いいえ、僭越ながら先代が行方をくらましたので、爵位をいただきました」
マリアはいまいち、爵位を理解していない様子であったので「すごいのだな」ぐらいにしか考えてはいなかった。むろん、ソロモンにはすぐに分かって冷や汗を浮かべる。
「クリス様、まさか爵位がわからないと申しませんよね?」
「わからない」
素直なマリアに、ソロモンは丁寧に答えてくれた。
「上流階級には、五爵というものがございましてそのいずれかの爵位を王より授与されております。上から公爵・侯爵(地主)・伯爵・子爵・男爵となっております」
つまりソロモンは、五爵のうち一番高い位にいるということだ。貴族であるというのは聞いていたが、まさか高位だと思わなかった。驚いているのはマリアだけで、守人達は眉一つ動かさない。
「みんな、知ってたの?」
「まあ、参謀なんて任につけるのは公爵ぐらいですからね」
あっけらかんとしてギルが答える。知らなかったのは自分だけかと、マリアが沈むとロベールが肩を組んできた。
「しかし、人間嫌いなソロモンが誰かに仕えるなんてなあ! 坊ちゃん、どんな手を使って悩殺したんだい」
「の、のうさつ……!?」
困惑しているとソロモンが深いため息を吐き出して、つかれた表情をする。
「ロベール、あまりクリス様をからかうな。国王に首をはねられてもしらんぞ」
「はねられやしないさ。おれはシトリン帝国の人間だぞ」
「だとしても、我が国の王ならやりかねん」
確かにと、ロベールは肩を解放する。
「それはいいとして本題に入ろう。おれは今のシトリン帝国に嫌気がさして、国を出てたんだ。この海で漁師をしながら生活していたんだが、この町人達がおかしくなっていくのを見かねて海賊として動き始めた」
なんでも他の漁師達に「助けてくれ」と頼まれたらしい。断れない性格のロベールは、引き受けたようだ。
「それで、ソロモンは? なんだって、カルセドニー国に行くんだ?」
「気づいているだろうが、こちらにおわすのは、ベスビアナイト国の王子クリストファー・M・アイドクレーズ様」
ソロモンはマリアにお仕えしていることと、カルセドニー国に招かれたことを話した。静かに聞いていたロベールは、話が一通り終わると口を開く。
「なるほどカルセドニー国としては、ベスビアナイト国を敵には回したくはないだろうな。表向きでも友好的にいこうと考えているわけか」
「それもあるだろうが、陛下がおっしゃるに向こうの第一皇子が招きたいと言ってきたそうだ。あのどうもいけ好かない皇子のことだから、なにかあるに違いない」
ソロモンが補足する。マリアがぽかんと二人の会話を聞いていると、説明してくれた。
「これでも、わたくし。父親につれられて、外交のためにさまざまな国へ行きましたから、他国のこともよく知っているのですよ」
ソロモンが詳しいのは、そういうわけかと合点がいく。ロベールのことも、父親と共にシトリン帝国を訪れたときに知り合ったのだろう。
「それにしても、そんなにカルセドニー国の第一皇子は性格が悪いのか」
ロベールが疑問を口にすれば、ソロモンはどこか困惑気味ながらも口を開く。
「いや、どうもあの作り笑顔は何を企んでいるのか、不気味に思うほどだ」
そんなにわかりやすい作り笑顔を浮かべているのか。会いに行くのに、重く感じるマリアであったがクレアが気遣う。
「クリス様、お疲れでしょう。少し、休まれてはいかがですか」
「いや、大丈夫」
エリスが「顔色がよろしくありません」と、マリアの意思など関係なく、船長室から連れだして
「大丈夫なのに」
「いけません。そういって、倒れられたらどうするのですか」
過保護すぎるとマリアは思うが、エリスに言わせれば「普通」らしい。
「ありがとう、エリス」
よほど疲れていたのか
*
守人達は散り散りになり、船長室にはロベールとソロモンだけが残される。
「酒を飲まねえかい」
「せっかくですが、お断りします」
「なんだ、乗り悪いな」
「あるじが弱っているときにあまり飲めません。それに
自虐気味なソロモンにロベールは笑って水を注ぎ、どかっと豪快に椅子に座った。
「それで、あの王女様……王子様は、あんたの目から見てもそうとういい女なんだな」
言い直しているのに結局、女と言っている辺りロベールらしい。くすりと笑ってソロモンは杯の中にある水を揺らした。
「やはり、気づいていたか」
「あれを男とする方が難しいだろう。それで、あんたが惚れるほどの女なんだから余計に興味がわいた」
楽しげなロベールの様子が面白く、口元がほころぶ。それが真剣な眼差しに変わって、低い声で問いかけた。
「結局の所、どうなんだ。オーガスト王も自分の子にあんな格好をさせて」
「それ以上言えば、俺がお前の首をはねる」
間髪入れないソロモンに、ロベールも阿呆ではないので噤んだ。他国の、それも王室の事情に入りすぎたことだと気づいたのだ。
「元は陛下の命であったが、今は自分の意思であの姿をしている」
「なんだって、男の格好をしているんだ」
ロベールは尋ねた。彼は物の道理をわきまえているからこそ、今のシトリン帝国が嫌で国を出たほどに利口ではある。しかし、マリアの考えることは計り知れないのであろう。だからこそ、ソロモンも彼にはきちんと返した。
「お姫様では、国を救えないとおっしゃった」
まだ国の平定もままならない状況であるし、マリアの判断は正しいともとれる。否、実際正しかったのだろう。今もなお、マリアは“ティマイオス”に狙われているのだから。
「そんな勇ましいお姫様は、知らないな」
ロベールが笑えば、ソロモンもつられてコップを傾ける。
「こちらからも。シトリン帝国で何かあったのか」
「いや、前々からあったことだが、シトリン帝国はベスビアナイト国に勝てもしないのに戦を仕掛けて何人もの同胞が命を落とした。それでも、止めようとしない。民からも反発がすごいんだよ」
ロベールも今のシトリン帝国のやり方に腹を立てて、皇帝をなぐって国を追放されたと笑う。嫌気がさしたのも、嘘ではないと付け加えた。
「短気はいけないな。頃合いを見計らって、お前が王になるというのはどうだ」
半ば冗談であったが、ロベールは「その手があるか!」と真剣に考え込んでしまう。本気にするつもりではなかろうなと、困惑しつつソロモンは疑問を口にした。
「そういえば、我が主を気に入っていたようだが、どこを気に入っていたんだ」
「ああ、船に乗ったとき、おれを見てもまったく目をそらさなかったんだ。それに面白いことを言う」
水を一杯ぐいっと飲み干して、カルセドニー国へ行くためには海賊を退かせないと行けない。だから、密輸犯を探し出すということ。見つけたときには、戦力として力をかして欲しいこと。捕縛して、止めるよう説得すると告げられたことを話した。
「情報収集のために港へ一度、戻してくれと言われた。だが、実際はおれたちのことも調べていたんだろう?」
ソロモンはうなずいて水を飲む。
「俺の主は“まず人を疑う”所から入るよう、俺が教育しておりますよ」
「大丈夫かよ。お前の教育なんて受けたら、友達なんて一人も出来ないだろう」
はたと我に返ってしまう。マリアが同じぐらいの年頃の子と、遊んでいる姿を見たことがない。まずいのではないだろうか。そもそも、マリアの中に“遊ぶ”という行動はない気がしてならない。
「ああ」
思わず頭を抱えてうずくまるソロモンに、ロベールは言うのはまずかっただろうかと内心焦る。
「そ、ソロモン?」
「友達、友達……」
何度もうつろに呟く様は恐ろしい。これは考え事をしているときの仕草であった。無意識のうちに唇が動く様子は不気味ではあるが。
ソロモンは水を飲み干して立ち上がると、酒を呑んだわけでもないのにふらふらと扉に近寄る。寝ると告げて船長室を出て行った。寝室ではなく上甲板に上がると、潮が混じった優しい風に当たる。
夜であるからか潮騒の音がよく聞こえた。そのとき、倉口からジュリアとクライドも来たので驚いてしまう。この時間に甲板に来る人物など、ギルぐらいだと思ったからだ。
「まさか、二人がここに上がってくるとは」
「どうも、眠れそうにないので甲板に上がろうとしたら、クライドも寝付けないようすで」
船になれていなければ、寝にくいから余計だろう。ましてや、ここは異国の地。旅に慣れていても、寝付けないものは仕方ない。
「せっかくの船旅だ。のんびり波の音を聞いているのも悪くない」
ソロモンにジュリアは、何やら神妙な面持ちで口を開いた。
「尋ねたかったのですが、“レイヴァン”はどのような方なのですか」
マリアが大切に思う人を気になるのだろう。
「姫様の専属護衛ということは知っているだろう。それだけでなく、他国からも恐れられるほどの男だ。姫様が幼い頃から側におり、城を追われてからは特に心のよりどころにしていた」
最初から側で見てきたわけではないが、見てすぐに分かるほどマリアはレイヴァンに心酔していた。頼れるのが彼しかいなかったというのも大きい。
「そうだったのですね、だから身を危険にさらしながらもこうして」
「だが、今の姫様を動かしているのは、ただ“レイヴァンに逢いたい”という思いのみ。それが崩れたとき、どうなってしまうのか」
ぞくりとジュリアの背を何かが這う。マリアが壊れてしまうのだろうかと、考えると恐くなったのだ。今まで黙っていたクライドが口を開いた。
「姫様が自分の進むべき道がわからなくなったときは、我々が手を差し伸べれば良い。それが臣下の出来る精一杯だとやつがれは思います」
ジュリアは心に平穏が戻ってきて、ゆるりと笑みを浮かべる。潮風になびく黒髪が、さらさらと風に流れて心を表しているようだった。
「そうですね、まだ決まったわけでもございませんわね」
「そうですよ、ジュリア殿」
「殿はやめてください、ソロモン閣下」
ジュリアがなびく髪を耳にかければ、仕草がどこか艶めかしく見える。ソロモンは「誘ってますか」と、冗談交じりにつむいだ。
「まさか、女の香りがする男なんて興味ございませんわ」
「それは失敬」
やはり冗談で返し合うと、小さく笑い合った。
「もうひとつ、聞いてもよろしいですか」
「もちろん」
ジュリアが摯実な様子で口を開くと、ソロモンも真摯にうなずいて先を促す。
「姫様は、レイヴァン殿を好きなのですか」
「もちろん、好きでしょう。なんといっても、いついかなる時も側にいて城を追われたときも救ってくれたのだから」
「そうではなく、恋愛対象として好きなのでしょうか」
ジュリアは、まっすぐに翡翠色の瞳を見据える。
「どうだろうな。俺にもわからない。姫様の中にある“好き”が恋愛としてなのか、ただ家族に対するような“好き”なのか。むしろ、姫様は後者だと俺は思いますが」
「なぜですか」
「幼い頃から側にいて“親”のように自分を慈しんでくれた相手を、恋愛対象として見るのは難しいと思わないか」
ソロモンの見解は、ジュリアにも容易に理解できた。口では言いながら表情は、釈然としていない。疑問を抱いて尋ねれば、波にかき消されそうな声が耳に届いた。
「どうしても、俺はレイヴァンの肩入れをしてしまうものだから。姫様とそういう関係になってくれたら、と思ってしまう」
マリアの意思も考えなくてはいけないのは誰よりも知っているが、自身の親しい人の思いが成就することを願ってならない。
戦であれば自軍を贔屓目で見るのと同じだ。策士としてそれはいただけない。客観的に見ることに長けていると自負していたが、マリアが自分に対して“ときめき”を覚えたとき、ソロモンは、わからなくなってしまっていた。
「俺もしょせん、人間か」
『忠義を唄え 眷属よ
忠臣は二君に仕えず 我らが王はただひとり
我らはもとより 我が王の臣下』
唄えば海の水が震えた気がした。これが〈眷属〉の守人なのだろうかと考えていると、ギルがソロモンに近寄る。
「肩入れをするのは当然のこと。〈眷属〉はもとより、姫様に肩入れをしている」
ギルの言辞に「たしかに」と、ソロモンは思う。関係ないけれども、わき出た疑問を口にした。
「そういえば、〈眷属〉というものはどこにあるんだ」
三人とも首を横に振る。知らないようだ。
「ベスビアナイト国の各所に〈眷属〉の神殿があったな。何か手がかりでもあるだろうか」
「いや、何もございませんよ」
ギルが答える。どうやら、行ったことがあるらしい。中は何もなく、崩れ落ちそうなほど老朽化しているという。文字が刻まれているが、古い文字であるし、ヒビが入っていたり崩れていたりで読めるものではないらしい。
「その文字を読むことが出来れば、何か分かると思うのだが」
少し残念そうにソロモンが呟く。仕方がないのはわかっているので、もうそれ以上は噤み話題を変える。
「ところで、クライド。今、その手に持っているものは何だ」
クライドが来たときから気になっていたものだ。 手には、古い紙切れが握られている。
「町で見つけたものなんです。これに“闇”が集まっていたので、姫様に届けようと思っていたのにすっかり忘れていて」
古い紙切れは確かに日記帳の切れ端だ。その紙切れは他と違い、乾いた血がこびり付いていた。
「いったい、何が書いてあるというんだ」
ソロモンはぞっとして、つぶやいていた。
日が開ければ、朝早くにマリアは上甲板に来た。はやくに寝ていたから、すっかり元気を取り戻している様子だ。
「気持ちいい」
朝の日差しと潮風にあてられ声を零せば、クレアも上がってきてぐっと伸びをする。
「本当にいい朝ですね。最初はどうかと思いましたが、船で眠るというのも、なかなかいいですね!」
「うん」
マリアにクレアが肩を振るわせて「かわいい!」と抱きついた。そこへ、欠伸を噛み殺しながらギルが来て「なあに、王子様といちゃついてんの」とつぶやく。
「いいじゃない」
「悪いとは言わないが、あまりべたつくなよ。それを見て妙な嫉妬をする人間もいるんだから」
「ちゃんと、周りをみてやってるわよ!」
「本当かなぁ」
「本当よ!」
ニヤニヤと人をからかうギルに、クレアは不機嫌になってマリアを離すと詰め寄った。あいかわらず仲が良いなと思っていると、倉口からエリスも出てきて近寄ってくる。
「お体は大丈夫ですか」
「大丈夫だよ。ありがとう、エリス」
「いえ、姫様が倒れられる方が問題ですから」
ギルとクレアに気づいて「またやってる」とでも言いたげに、呆れた視線を二人に向ける。すっかり自分たちの世界に入っていて、こちらの様子には気づいていないようだ。
「元気がありすぎるのも、問題がある気がしますね」
「いいじゃないか。それに、これから向かうのは異国の地。ああやって、じゃれ合えなくなるかもしれないだろう」
「そうですが、気を抜きすぎです。姫様のお命は、今も危険にさらされているのですから」
少し固くなりすぎていると、マリアは思う。見透かして、エリスは口を開く。
「姫様も、あまりにその自覚がなさ過ぎます。もう少し自覚というものを持って下さい」
「エリス、ますますレイヴァンに似てきたな」
いつの間にかソロモンがいて、マリアをかばう。
「僕は普通です!」
「レイヴァンに聞いてみろ、同じ答えをかえすだろうから」
エリスは不機嫌になって、ソロモンに詰め寄ると「そんなことありません!」となおも反論する。それをさらりとかわすと、マリアに近寄った。
「体調はいかがですか」
「大丈夫だよ」
「それはよかったです。これから、また大変ですからな。きちんと体調を整えておきませんと」
「そうだね、心得ておく」
マリアはぎゅとペンダントの石を握り締める。石は、蒼い色を示していた。
「あいたい、ですか」
ソロモンが問いかけると、表情に陰りが差す。
「『あいたい』という言葉には『靉靆』という言葉もありまして、気持ちが晴れないときにも使います。ちょうど、今のあなたのような」
すべてを見透かされた気になって、マリアの口からぽろぽろと言葉が溢れた。それは、ずっとため込んできたものなのだろう。洪水のように氾濫して、止まらなくなる。
「逢いたいよ、逢いたくて仕方がない。たまに最悪なことばかりを考えて、落ち込んで、それでも希望を捨てきれずにここまで来た」
あふれる言葉は自分では止められなかった。
「たまに恐くなって、わからなくなる。自分の進むべき道がわからなくなって、余計に恐くなる。自分の進むべき道があっているのか、皆に報いることが出来るのか」
全部言い終えたのを確認して、ソロモンは口を開く。
「今はただ、あなたが望むままに我らをお使い下さい。けれど、その道を違えようとすれば我々は全力であなたをお止めします」
マリアの心にささる。後ろからダミアンとジュリアも来れば、うなずく。さらに、クライドとレジーが来た。
「うん、マリアはしたいことをすればいい」
「我々は我が主に付き従うのみです」
前者はレジーで、後者はクライドだ。言葉にできない嬉しさがこみ上げて、マリアは笑みを浮かべると「ありがとう」と返した。それから、まっすぐに前を見据えればどこまでも続く水平線を眺めていた。
はたと気づいてクライドは、マリアに紙切れを渡す。日記帳を取り出すと、ぱらぱらとページをめくり合う箇所をさがす。なかなか見当たらない。ようやく合うページを見つけ合わせてみると、書かれている文字はかすれてほとんど読めない。かろうじて読めたのは『父』と、横にある『パーライト』の文字。それから、『私を皇帝として立てようとしている派閥がある。私はただ、お腹の子とジークと幸せになりたいだけなのに』と書かれているところも解読できた。
ソロモンが険しい顔をする。何か知っているのだろうか。マリアが疑問を口にしたけれども、首を振って否定されれば何も言えなくなってしまう。レジーとギルだけは、うたがわしげな視線をずっと策士にそそいでいた。
***
「レイ。ベスビアナイト国の王子様は、いついらっしゃるのかしら?」
灼熱の太陽が照りつけ、砂がたまに舞うほどに近いところに砂漠があるカルセドニー国の大都市パレスには、皇帝の住居である
黒に近い薄い茶の髪を揺らしながら落ち着かない様子で、部屋の中をくるくると回っている。足取りは楽しげで、何も知らないものから見れば踊っているようにもみえる。
「インディラ様、船でこちらへ来られるのでまだ来るまで数日はかかります。昨日も告げたはずですが」
レイと呼ばれた男は、数日前に女性インディラの護衛として来たものであった。あまり表に表情も出ないし、全身が黒の甲冑であるが、
また黒曜石の瞳の奥が憂いをおびており、よけいに女性達がほうっておくわけがない。だが女性など目もくれず、黙々と目の前の仕事をこなす男だった。それでも、インディラは彼の心を開こうと、必死に話し掛けているのだ。
「だって、とても楽しみなんだもの。
長いフレアスカートを蝶のようにひらめかせて、部屋を何度も回っている。足が止められると、「あ」と声を上げた。
「そうだわ、新しい服を新調しないと!」
「すでに新調済です」
淡々としたレイに、インディラはつまらなそうにする。
「ねえ、何か話して」
「話すことなど、ございませぬ」
聞いた自分が
「私、ベスビアナイト国の王子様と結婚しちゃうかもよ?」
「そうなったときは、お喜び申しあげます」
感情の無い人形のような彼であるが、たまに瞳の奥に悲しみが揺らぐことがある。見る度、インディラは胸を締め付けられる痛みに襲われる。気を惹こうとしても、彼はこちらへ向かない。そもそも、身分が違いすぎるから惹かれあっても結ばれることはまずないだろう。
「私、皇女じゃなくて平民に産まれたかった」
「はあ、それではインディラ様と結婚しようと思う殿方はいないでしょうね」
返事が来て、おどろいた。それ以上に、とんでもないことを言われて怒り心頭してしまう。
「なんですって!」
「では、わたくしは公務に戻りますので」
告げるとレイは、そそくさと皇女の部屋をあとにする。廊下へ出れば第一皇子ジャハーンダールが、反対側から歩いてきてすれ違いざまに小さく笑った。不快げに眉を潜めて、レイは書類仕事を終わらせるために部屋へ戻った。
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