第二十一章 滄海の叡智

「クリス様、勝手に出歩かないでください」


 上甲板で潮風にあてられながら、波の音を聞いていたマリアにエリスが声をかけてきた。

 あたりはすっかり闇に包まれており、静かでどこか寂寥を感じる。波の音はやすらぎを与えるように耳にとどく。


「すまない、エリス。少し一人になりたくて」


 エリスはロベールに、「夜は酒盛りをするのが海賊の流儀だ」と捕まっていたのだ。酒を呑むことは避けられたものの、がたいのいい男達に揉まれ抜け出すことが出来なかった。そこをマリアは、そっと抜け出してきたのだ。


「しかし、クリス様の身に何かあっては大変です。お願いですから、共も付けずに出歩くようなことはしないで下さい」


「すまない」


 再度謝ると倉口からハンクが出てきて、マリア達に近寄ると口を開いた。


「やっぱり、あんた。良いところのお坊ちゃんなんだな」


「うん、まあね」


 マリアはまた夜の闇へ視線を投げる。潮風が薄い金の髪をもてあそび、月明かりがやさしく照らす。


「クリス様、そろそろ船内へ戻りませんと」


「うん、わかった」


 エリスに返して海に背を向けたとき、マリアの首から提げている石が蒼く輝いて、頭の中で名前を呼ぶ声がとどろいた。


『……マリア』


 声はレイヴァンのものであるが、ここに姿は無い。どうやら石を通して声が聞こえてきているらしかった。

 石をぎゅと握り締めてからマリアはエリスと共に倉口から船の中へ入り、ハンモックの上で横になって眠り込む。船はよく揺れたが、疲れていたのかぐっすりと眠れた。

 日が開けるとマリアとエリス。そしてハンクは、元の港へ戻るために小舟に乗った。


「上手くやれよ、坊ちゃん!」


「ああ、もちろん」


 マリアが力強くうなずくと、ハンクとエリスがオールでこぎ出した。交代するようすすめたが、エリスに全力で止められ、ハンクも同意したので罪悪感を抱える。こがせる気は毛頭無いらしい。


「わたしもこいだ方が……」


「大丈夫です!」


 いたたまれなくなってマリアが声をかけたが、二人に全力で拒否された。エリスがなんとなく分かるが、ハンクの真意はわからない。やや困り顔をしてしまう。


「ハンクまで、どうして」


「こういうとき、男を立てて下さいな」


 ハンクは自分が女であるのを知っていることを思い出し、「そういうことか」と納得してしまう。やはり申し訳なさが募るものだからマリアは複雑な心境だ。

 港へつけばソロモンや守人達、ジム達船員もいて船に何やら荷物を運んでいた。レジーが一番にこちらに気づいて、皆に声をかけた。ソロモンは手を止めて、マリア達に駆け寄ってくる。


「クリス様、よくぞご無事で」


「ソロモンも無事のようでよかった」


 守人達もマリアに近寄ってきて、ほっと息を漏らす。ハンクは船員達の元へ戻り、エリスはマリアの少し後ろに立つ。


「ソロモン、少しいいだろうか」


 マリアが真剣な声色で問いかければソロモンは、こくりと頷いて船員に一声かけて港を離れる。食事もするために店へ入り、いくつか注文を終えるとソロモンが口を開いた。


「クリス様は今まで、どこにおられたのですか」


「エリスと共に海賊船にいた。それと一緒にいた男はハンクという者で、海賊の仲間だが間者として潜り込んでいるんだ」


 マリアがハンクのことも話すと、ソロモンはどこか考え込むような表情を浮かべて腕を組む。


「なぜ、海賊の者が潜入など」


 マリアは海賊が襲っている船が、カルセドニー国と取引をして“クスリ”の密売を行っている船であること。国は荒れていて行くのは危険だと、言われたことを話した。


「なんでも、皇帝が妙な宗教にだまされているのだそうです」


 エリスが補足すると、ソロモンは考え込んでしまう。


「クリス様はどうなさると?」


「カルセドニー国へは行かなければならないから、密輸を行っている人物をあぶり出す。そのために一度、港へ戻ると答えた。けれど、海賊が言っていることも本当とは限らないから裏をとりたい」


 迷いのないマリアに、笑みを浮かべ顎に手を当てた。


「海賊が嘘をついている可能性もございますからね。それでは、いかがするおつもりですか」


「もちろん、荷物の中身を確かめる」


 凛とした瞳を見つめて、ソロモンは口を開く。


「実はわたくし、船長殿に何の荷物を運んでいるのか。尋ねてみました」


 はじめて聞いたからマリアは驚いてしまう。


「物資を運ぶということしか教えてくれませんでした。ばれないようこっそりと箱の中をのぞこうとしましたが、船員が来たので残念ながら確かめることは出来ませんでした」


 余計に確かめる必要があると、クライドとジュリアを向き直る。


「クライド、ジュリア、確かめてきてくれるだろうか」


 二人は「御意」と返すと、すぐさま店を出て行った。食事をしてからでも良かったのにとマリアが口にすれば、安心させるためにソロモンが笑みを浮かべる。


「我々はすでに終えていますから」


「そうだったのか」


 食事が運ばれてきて前に並べられる。マリアとエリスが食事をはじめたが、ソロモンはかまわず話しかけた。


「それで密輸だった場合、主犯をどう探し出すおつもりですか」


「ああ、船長殿から船主に会うことが出来るか確かめてみようと思って」


 船主に会うことが出来れば、主犯もおのずとわかるだろう。


「主犯がわかったあとは、いかがなさいますか」


「もちろん、密輸を行わないよう説得する」


 マリアが告げるとソロモンにギル、ダミアン、クレアは少々、面食らったような表情を浮かべて数秒ほど固まってしまう。まさか“説得”という言葉が出るとは思わなかったのだ。


「みんな、どうかしたの?」


 凍ったように動かなくなったものだから驚いてしまい、声が少女のそれになっていたが誰も気づいたようすはない。それ以上に驚く事柄であったようだ。けれども、ソロモンはいつもの表情へと戻る。


「さすが、我が主。わたくしが今まで言った言葉を覚えてくれていたようで何よりです。“戦わずして勝つ”ことが最善手。そのためには、いかがいたしますか」


「まずは証拠を集めなければならない」


 マリアが呟くとソロモンも同意を示し、やわらかく大人の余裕を浮かばせていた。初めて見る表情にどきりとしつつ、目線をそらして食べ物を口へ運ぶ。


「クリス様、お顔が赤いようですが、いかがいたしましたか?」


 ソロモンが問いかけたけれども、マリアは「何でもない」としか答えない。エリスの方を見ればどこか拗ねたような表情を浮かべ、ギルはニヤニヤといやらしい笑みを浮かべている。クレアは目を瞬かせ、レジーとダミアンは気にした様子がない。

 すぐに合点がいって頭を抱える。マリアが自分に対して、ときめきを感じるとは考えてもみなかったことだ。どう考えても、レイヴァンに対して恋愛感情を抱いていたから油断した。逆に“女”としての自覚がないマリアには、ちょうどいい機会かもしれないとも考えていた。

 ソロモンはギルとは少し違うが、女性の扱いには慣れていた。レイヴァンがこの場にいないのは面白くないが、これは使えると考えて口元に悪戯な笑みを浮かべる。

 エリスとギルが驚いてソロモンを見つめたが、本人は気にした様子はない。


「とにもかくにも、クライドとジュリアが戻ってこないことには何もできませんな」


 話を戻すソロモンに、マリアはほっとした表情を浮かべる。乱された心が元に戻ったようだ。

 マリアとエリスが食事を終えた頃に、クライドとジュリアが戻ってきた。二人が言うには、今日出した船には“クスリ”らしきものは乗っていなかったらしい。


「わたしたちが調べていることを知っているとは思えないし、今回はたまたまなのだろうか。そういえば、海賊は?」


「今回の航海には現れませんでした」


 やはり、“クスリ”が乗った船だけを焼いているのだろうか。まだ情報が欲しい


「しばらく情報を集めよう」


 皆も賛同してうなずいてくれたから、ほっと息を出す。ハンクに聞けば何かわかるかもしれないと、ソロモンに話してみれば「あとで行ってみましょう」と賛同してくれた。

 店で少し休憩したあと、マリア達はハンクがいるであろう港へ向かった。案の定、港で荷物を船に載せていた。


「ハンク!」


 マリアが声をかけると、ハンクは手を止めて振り返る。


「どうしたんだ」


 ソロモンが「場所を変えましょう」といったので、ハンクは船長に声をかけてからマリア達の元へ来た。ひとけの少ない場所まで移動すると口を開く。


「聞くのを忘れていたんだが、“クスリ”を取引する日にちとかわかるのか」


「普通のカレンダーには記されていないんだが、船長だけが持っているものには書かれているんだ。それをいつも、こっそりのぞいて日にちを確認している」


 ハンクはあっさりとマリアに明かしてくれた。ソロモンが不思議がっていると、視線で察したらしく口を開いた。


「うちの船長からきつく言われているんだ。この坊ちゃんに協力するようにってな。船長がこの坊ちゃんを気に入っててね」


 海賊船に乗っているときに何があったというのか。疑問がソロモンの頭の中によぎったが、口には出さなかった。人を魅了する不思議な少女に惹かれるのは、他にもいるのだと実感する。


「それで、ハンク。次はいつ取引する?」


「今夜、だったな」


「日中でもしていたのに、なぜ」


 ハンクは「今回は、ちと違うからな」と、難しそうな表情を浮かべる。重々しい顔にマリアが眉根を寄せる。


「今夜、多量の“クスリ”をカルセドニー国から買うらしいんだ。輸入した分がそこをつきたようでな」


 海賊に見つかりにくいように夜に航海するらしい。ちなみにこの情報は、海賊の船員達には流しているとのことだった。

 マリアが考えを巡らせているとき、男がこちらに向かってふらふらと歩いてきた。レジーがいぶかしそうに見つめていれば、「“クスリ”」と何度も呟いている。やがて足が止められ、ナイフが懐から出てきた。マリア達に向かってきたが、レジーがナイフを叩きおとして腕を取るとねじ上げる。なおも、男は「“クスリ”」と呟いていた。


「レジー!」


 マリアは心配げに声をかけて、カバンから布と薬品を取りだした。布に薬品を染みこませると男の鼻にあてがえば、夢の世界へと誘われる。


「今のうちに逃げよう」


 マリアが声をかけると皆も頷いて、立ち去った。追ってきていないのを確認してから、あることを決めるとクライドに耳うちしてからハンクに告げた。


「クライドも、情報収集のために助っ人として少しの間、船に潜り込ませたいがいいだろうか」


「ああ。もちろん、いいぜ」


「ありがとう、ハンク。……クライド、お願い」


 クライドは「御意」と聞き入れて、ハンクと共に港へ向かった。ソロモンはマリアに近寄る。


「何をお願いされたのですか」


「まだ海賊を信用したわけじゃない。クライドには、ハンクの言ったことが本当か調べて欲しいとお願いしたんだ」


 マリアは、ギルとダミアンを向き直る。


「二人には船主が誰か調べて欲しい。誰かにかしている船であれば、かりている人物も調べて欲しい」


「御意」


 ギルとダミアンも、船長に話を聞くべく港へと向かう。


「この町に“クスリ”があるのは違いないようだ。それも海賊達の言葉を信じるならば、“ティマイオス”とも」


 マリアが呟いたとき、甲高い女性の悲鳴が響き渡ってきた。驚いて向かうと、二十代前半ぐらいの女性が男に腕をつかまれていた。周りにいる人は、誰も助けようとはせずにようすを伺うばかりだ。


「レジー」


 名を呼べば、レジーは間に割り込んで男の腕をねじ上げる。マリアは用意していた布で、男の口と鼻を覆った。男は意識を手放す。その間にジュリアが、女性の手を取って逃がした。二人も、距離を取ってから立ち去る。なんとか、その場をおさめることに成功した。


「大丈夫でしたか」


 ジュリアが女性を気遣って問いかけると、安堵の表情を浮かべてうなずく。たいした怪我もないみたいだ。


「ありがとうございました」


 深々と女性は頭を下げる。レジーが「大したことじゃ無い」といったあとで、問いかけた。


「この町ではああいうこと、多いの?」


「はい。最近だと“クスリ”も裏で流通しているらしくて地主様が手を出さないようにと呼びかけてはいるのですが手を出す者が多く」


 地主も手を焼いているとつづかれる。ジュリアが「海賊がいるようだけれども」と話をすれば、女性も海賊は知っているらしい。だが話しぶりはまるで、友達のことのように軽やかだった。


「はい、彼らのお陰で“クスリ”の流通も減っているんですよ。海賊が来てくれる前まで本当に荒れ放題だったんです」


「ならば、海賊が狙っている船をご存じですか」


「ええ。彼らが狙う船は、“ティマイオス”と名乗る謎の集団の船です」


 やはりここにも、“ティマイオス”が蔓延っているようだ。女性の言うことが正しいならば、説得で解決できるほど簡単ではない。


「ありがとうございました。御身に気をつけて」


「いえ、こちらこそ、助けていただきありがとうございます。それでは」


 ソロモンが女性に言えば、軽く会釈をして礼をすると、立ち去っていく。遠ざかる女性の背を眺めていたとき、ジムがマリア達に駆け寄って声をかけてきた。


「おーい!」


「ジム殿、いかがなされた」


 振り返ってソロモンが問うと、ジムが「今夜の航海には同乗するかい」と尋ねてくる。不思議に感じてマリアは口を開く。


「どうして、今夜の航海には海賊が出るとわかるんだ」


「そりゃ、船長が出るっていったんだよ。詳しいことはわからねえけど、今夜の航海には出るって」


 ジムに嘘は見られない。本当にただ雇われているだけなのだろう。


「でも、本当に不思議なんだよなあ。船長が『出る』って言ったときは出て、『出ない』って言ったときは本当に出ないんだよ。船長は未来が見えるのかねえ」


 ソロモンがくつくつと笑って、「そうですね」と口角を上げる。


「なんといっても、“船長”ですからな。波を読むように人の行動も読んでしまうのですよ」


「うまいなあ、兄ちゃん」


 ジムは素直に感心しているが、マリアは出来なかった。船長が密売に深く関わっているから、海賊に狙われる日もおのずとわかるというものだ。けれどもジムは関わりがなさそうであるし、下手に言うのも感心しない。そういう意味では、ソロモンは誤魔化すのが上手いなとは思う。


「それで、どうする? 乗るか?」


 再度、問いかけてきた。少し困ってマリアがソロモンを見つめると、やわらかい表情を浮かべて肯定した。ジムは、まだ仕事があるのかすぐに港の方へ戻っていった。


「何を迷われたのですか、クリス様」


「この町にある“ティマイオス”の基地をたたくのなら、船に乗る必要があるかと思って」


 問いに弱々しく答える。マリアの言葉も最もであるが、まだ海賊が全面的にいいと決まったわけではない。だからこその迷いだと、ソロモンは分かっていた。


「ええ、確かにそうですね。しかし、まだわかりません。あとからでも、乗るのを止めるといってもかまわないでしょう」


「うん、そうだな」


 それから数刻が過ぎたとき、ギルとダミアンが戻ってきた。


「二人とも、どうだった?」


「はい、それがですね。船長が何も教えて下さらなかったのですよ。仕方ないので他で情報を集めていたら、船長と船主が“ティマイオス”の者だということがわかりました」


 ギルに補足してダミアンが、「基地にしている所も目星をつけました」と教えてくれる。


「基地へ行ったのか?」


「はい。行ってみましたが、数人しかおりませんでした」


 マリアは考え込む。この町にある基地は数人しかいないというのは、なぜだろうか。ベスビアナイト国にはかなりの人数がいたように思われたが。


「密輸を行う人数しかこの町にはいないのかもしれません。それにカルセドニー国の方に集まっているようですし」


 ソロモンが考えを述べる。それが正しいとするのならば、“ティマイオス”は元々、この町に過激なことはしないつもりなのであろうか。密輸を行っている時点で犯罪ではあるが。


「“ティマイオス”はいったい、何が目的なんだ」


「どうやら、資金集めらしいぞ。詳しいことは“そいつら”も知らなかったようだが、“ティマイオス”は金をあちこちから集めているようだな」


 ダミアンが、かえした。


「基地に乗り込んだの?」


 呆然としたマリアに、ギルとダミアンが大きくうなずく。数人しかいないから基地を一掃し、知っていることを洗いざらい吐かせたようだ。


「じゃあ、もう密輸もなくなるのだろうか」


 神妙な面持ちのマリアに、ダミアンは「いや」と首を振る。


「基地にいた船主は逃亡しているから、おそらく今夜出る船に乗り込んでいると思う。船長も、カルセドニー国へ逃げ込む気ではないだろうか、と」


 それならば船に乗るしかないとマリアは、皆を見回して告げる。ちょうど、クライドが戻ってきて淡々と述べた。


「ハンクが申したことは本当でした。船長の持っているカレンダーにだけ書かれておりました」


「ありがとう、クライド。これで戦いにのぞめる」


 マリアの凛とした声が辺りに満ちれば、皆の決意も固まった。



 夕刻。マリア達が港へ向かうと、ジムが船へ乗せてくれた。今回の航海には、あまり荷物がないらしい。それでも海上で飢えないようにと、腐りにくい食料がたんと積まれていた。

 マリアはどうにかして船長と話がしたいと思い、ジムに訊いてみるとあっさりと船長室へ通された。あまり大勢の人数は入れないとのことなので、ソロモンとエリスが付き添うこととなった。

 倉口から降りて船長室へ向かい、外から声をかけると中から野太い男性の声で「はい、どうぞ」と聞こえてくる。マリアが中へ入ると、そこには男二人が椅子に座っていた。


「船長殿、此度の航海は何を取引なさるのですか」


 顎にヒゲを蓄えた男に、ソロモンが切り出した。男は眉根を深く寄せて、不快げな声色を唇から発した。


「カルセドニー国との取引だ」


「“どこ”とは訊いておりません。“何を”と訊いたはずですが」


 余裕の表情を浮かべ、ソロモンはなおもつづける。


「もしや、言うことが出来ないようなものを取引なさっているのか」


 挑発的なマリアに、船長は不機嫌そうに口を開いた。言葉が飛び出る前に、ソロモンが声をひびかせる。


「そう挑発なさるな。船長殿にだって守秘義務もありますし、黙秘する権利もございましょう。しかしながら、その態度は疑われても仕方がございませんが」


 船長の男はご立腹らしく、怒鳴り散らす。それから、「出て行け」と言われてしまった。マリア達は結局、何も掴めぬまま船長室を出て行った。

 上甲板に上がるとハンクがおり、ギル達と何やら話し込んでいる。不思議に思いながらも近寄るとこちらへ来るよう促す。間に入るとハンクが、船員には聞こえない小さな声で教えてくれた。


「騎士と役人だ。地主は海賊が“クスリ”を売りさばいていると思っているからな」


 ハンクが指で示した岸の方には、騎士と役人が何人も武装して船に乗り込もうとしていた。それを険しい瞳でマリアは眺めたあと、首から提げているペンダントの石をぎゅと握り締める。


(レイヴァン……)


 心にある不安を払拭するように名を呼んだ。すると、不思議と臆病風に吹かれることもなくなってマリアの瞳には自信が宿る。

 凛とした青い金剛石ブルーダイヤモンドの瞳がすべてを断ち切りように前を見据えれば、ハンクは驚いたように体を強ばらせた。


「みんな、わたしに力をかしてくれ」


 ソロモンと守人達を見回せば、「仰せのままに」と恭しく頭を垂れる。地平線の彼方には赤い夕日が少しずつ沈んでいる。夜の気配がすぐ側まで迫っていた。



 船には護衛のための騎士と役人が乗り込み、航海へと出立していた。あたりはすでに闇に落ち、お互いの姿すらろくに見えない月も星も見えぬ夜。だけが闇を明るく照らし出している。こんな夜ならば海賊にも襲われまいと騎士も役人も考えていた。あちこちでする笑い声からそれが見て取れる。

 夜の闇に息を潜めてマリアは、騎士や役人の動きを警戒していた。羅針盤を開けてみれば、“水”と“火”が同じぐらいを示して針がカタカタと震えている。

 そのとき、エリスが闇の中から現れてマリアに告げた。


「予定では、そろそろ現れるはずですが」


「来ないな。今夜は現れないつもりであろうか」


 そもそも海賊は自分たちを最初からだましていたのだろうか。マリアが考え込んでいると、船が大きく揺れる。海賊がこの船にぶつけてきたようだった。あちらこちらで声が飛び交い、金属のぶつかる音がひびいてくる。


「始まったようです」


 エリスはあくまで淡々と事実を述べた。マリアはうなずくと、皆が気を取られている間に倉口から船長室へと向かう。中へ入ると船長とひとりの男が、小舟で脱出を図ろうとしていた。

 それをエリスは素早く縄で縛りあげて、二人の動きを封じ込める。そこへハンクも来ると船長に詰め寄って問いかけた。


「船長、どうして“密輸”なんて行ったのですか」


「やはり、お前は間者か。我々の崇高なる神のお考えはお前達にはわかるまい」


 恍惚とした表情で船長は呟いて、どこか遠くを見つめる。どうも不気味で鳥肌が立つ。そこへ、いつの間に乗っていたのか。海賊や守人達までも来ており、ロベールは船長の前へ出た。


「お前が主犯か」


 ロベールが問えば船長は不気味な笑みを浮かべて嗤う。ぞっとしてマリアが数歩あとずさると、ギルが体を支えてくれた。

 船長は縄をほどいて、距離を取る。手には、小型の剣が握られていた。


「何をする気だ」


「決まっている。我々の作戦は失敗に終わった。ならば、この身を以て責任を取るしかあるまい」


 今まで黙っていた男がロベールに答えた。瞬間、縄を解き船長の元へおもむろに近づく。やがて足が止められると、うつろな目がマリアを捕らえた。


「さようなら、ベスビアナイト国の王子よ。我々を止められるものなら止めてみよ」


 船長が床に油を撒いた。彼らが何をしようとしているか、ひらめきが走ってマリアは手を伸ばした。


「やめろ!」


 船長は手を止めず、鋼鉄片の火打ち金をとりだした。火がおこされると、瞬く間に焔と化してしまう。


「はやく甲板に上がって、船に乗り移ろう!」


 ハンクの声で我に返ると、甲板へ上がり海賊船へ乗り移る。どこか割り切れない様子のマリアは、沈没していく船をじっと眺めていた。


「クリス様……」


「どうして、自害なんて莫迦ばかな選択をするんだ」


 行き場のない感情を話し掛けてきたソロモンにぶつける。不快に思うことなく、マリアの隣に来ると出来るだけ優しい声色でつむいだ。


「宗教によって人生の価値や思想まで左右されます。狂信的になればなるほど、自らが持っている判断力を失い、冷静さを失います。その結果が、あのような人を生み出してしまうのでしょう」


 マリアは瞳にたっぷりと涙をためて、ソロモンにすがりつく。


「わかっているなら、ソロモン。どうして止められなかった! おぬしのその知恵で彼らを救うことも出来たのではないか!」


 珍しくも汚く言葉が吐き捨てられる。近くにいた守人達は、心を痛めたようすで眺めていた。


「知恵を以てしても、彼らを止めることは出来ません。なぜなら彼らは、信じて疑わないのです。わたくしの言葉など、彼らの神の前では、すべてすり抜けてしまいます」


 痛いほど理解できてマリアは、自分の未熟さにうちひしがれた。それでも受け入れてくれたソロモンは、泰然自若で何一つ弱いところを見せない。

 叱ったり、怒ったり、激情したりしない。不条理にも責め立てられたというのに、眉一つ動かさなかった。


「どうして、お前は毅然としていられる。わたしは、お前に無茶苦茶なことを言っているのに」


「あなたが、彼らのために泣いたり、怒ったりしてくれるからですよ。仮にも敵である彼らのために、そこまでしているから」


 心の底から、ソロモンが微笑んだ。その笑顔に惹きつけられて、涙を乱暴に拭う。


「わたしは、まだまだ子どもだから、おぬしに迷惑ばかりかけてしまうな。ソロモン、ありがとう」


「いいえ、わたくしは何もしておりません」


 たとえ、広い海のような知恵を以てしても彼らを止める術はなかっただろう。だからこそ、ソロモンはそれを教えるために激情もせずに冷静でいたのだとマリアは思った。


「それよりも、探しに行きましょう。カルセドニー国へ」


「ああ!」


 マリアは深く頷いて、どこまでも続く水平線を眺めていた。

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