第十四章 かんざし

 暖かな光があたりに満ちて、春のかおりが漂う庭に幼い少女が泥まみれになりながら花を摘んでいた。着慣れたピナフォアはすす汚れおり、端々が解れている。それでも、気にした様子無くせっせと少女が花を摘んでいると少女より年がひとつ上の少年が少女に声をかけた。


「クレア、何をしているんだい?」


 少女は泥だらけの顔を少年に向けてぱっと顔を上げると満面の無邪気な笑みを浮かべた。


「お兄ちゃん!」


 少女は少年を見上げ、手に持っていた花を見せた。


「見てみて! エリカの花がこんなに咲いていたの」


 少女の持っているエリカの花は春に咲く白い色をしており、荒野に咲くためよく聞く花言葉は『孤独』であった。またこの花をよく摘みに来る少女も周りから白い目で見られ、友などいなかったため周りからは『エリカの花がよく似合う少女』だと言われている。両親はすでになく、家族はこの少年だけであったのだ。


「本当にきれいだね、クレア。そうだ、エリカの花言葉知っているかい?」


 少年がそう問いかけると少女は顔を伏せた。周りから何と言われているのか少女自身も知っていたからであった。すると、少女が思っていた答えとは違う答えを少年が紡ぎ出した。


「『幸福な愛』……これを思い人に贈ると幸せになれると言われているよ」


 少年がそう言って少女の頭を撫でてやると少女は頬を少し赤く染めながら「じゃあ、これお兄ちゃんにあげる」と言って少年に渡す。


「今の大切な人はお兄ちゃんだから、お兄ちゃんがもらって!」


「そうか、ありがとう。クレア、じゃあ、兄ちゃんからも」


 そう言って少年は少女の髪にエリカの花をかんざしのように挿した。少女は無邪気な笑みを浮かべると「ありがとう」と告げて少年に抱きついた刹那――町の人々が二人の姿を見つけると農具をけたたましく鳴らしながら、「化け物」と口々に言った。


「まだこの町にいたのか、この化け物! 早く出て行け」


 怯える少女を少年は庇うように立ったけれど、町人は少年を少女から引きはがして「あんたは普通の子なんだから、こんな子と一緒にいては駄目だ! この子が産まれたせいであんたの両親は死んじまったんだよ」と告げた。その言葉が少女の胸を貫いた。


「お前さえ、産まれてこなければあの人の良い二人も死なずに済んだのに」


 涙が零れた。たった一人の家族であるのに、どうして別れなくてはいけないのだろう。否、自分がこんな忌まわしい力さえ持たなければ誰も傷付きはしないのに……そう少女は己自身を何度呪ったことだろうか。

 涙ぐんだ視界の向こうで少年の唇が動いて声には出さずに「迎えに来る」と告げていた。その声になってはいない言葉は少女の深淵に希望の種を落とした。



 クレアが夢から目覚めれば着慣れたディアンドルの服が汗でぐっしょりと濡れていた。クレアは、少しでも気を紛らわせようと寝袋から這い出るとマリア達が眠っているところから少し離れて月の気配が漂う野原へと出た。月を見上げて深呼吸しているとクライドも来て、クレアの夢を見たこと告げた。


「ああ、やっぱり? 見えちゃったんだ」


「クレア、お兄さんがいらしたんですね」


 こくりと頷き、クレアは「もう顔も思い出せないけどね」と言えばどこからかリュートの弦を弾く音が響いてきて驚いてそちらへ目を向ければ案の定、ギルがそこにいた。


「ギル、いたの」


「いちゃあ、まずかったのかい? お嬢さん」


 クレアは「お嬢さんはやめてよ」と言った。けれどギルはまるで聞こえなかったかのように言葉には返さずにクレアに近寄ると問いかけた。


「それでその“兄”は今どこに?」


「私がまだ幼い頃に町の人たちに仲を引き裂かれて、それっきり」


 クレアは答えてぎゅと手を握り締めると、懐かしむようにどこか虚空を眺めていた。


「ずっと忘れていたのに、思い出すなんて変だよね。最後に言った言葉『迎えに来る』って、忘れていたほどなのに。何だかお兄ちゃんが迎えに来てくれるんじゃないかって今更ながら思っちゃうなんて」


 クレアの頬を涙が伝えば、ギルが優しく指でぬぐい取り、そのまま頬を手のひらで包み込むと真剣な眼差しで言葉を紡いだ。


「いいんじゃないか、たった一人の肉親の言葉を信じても」


 ギルの言葉が意外でクレアは目をまたたき、「ギル、何か変なものでも食べた?」と問いかければギルが不服そうな表情を浮かべる。


「お前な、俺をなんだと思ってるんだ」


 言った後で「まあいい」と呟くとクレアを真っ直ぐに見つめて柔らかいけれど、どこか掴めない笑みを浮かべた。


「もしかしたら、今もお前の兄はお前を捜しているかもしれないしな」


 だとしたらいいな、とクレアはギルに笑みを向けて呟けばクライドも柔らかく笑みを浮かべて「きっと」とだけ言った。そのとき、空がしらばんで太陽の日が山の向こうからのぞき始めていてクライドの「そろそろ戻りましょう」という言葉でクレアとギルは頷き、三人はマリア達が眠っているであろう場所まで戻る。すると、エリスはすでに起きており、朝食の準備に取りかかっていた。


「おはよう、エリス。ずいぶんと早いのね」


 クレアが言うと、エリスが「ええ」と答えた後で「追っ手がいる場合もあるので」と言って早めに起きているのだと告げた。そのとき、草をかき分ける音が聞こえてきてそちらへ視線を向ければ、ジュリアが何かの肉を抱えていた。エリスは礼を言って受け取ると、調理を再開して慣れた手つきで肉をさばき、沸かしていた鍋の中へ放り込む。少し経って肉の香りが辺りに満ち渡れば、マリアが目を覚まして寝袋から出る。ひとつ欠伸を噛み殺せば、眠気を払うようにエリスに声をかけた。


「おはよう、エリス。朝から精が出るな」


「おはようございます、姫様。まだ日が出たばかりですから、眠っていてもよろしかったのですよ」


 マリアは首を横に振り「皆が働いているのに主が休んでいてはいけない」と言えば、エリスは笑みを浮かべて言葉を紡ぐ。


「いえ、僕は食事の準備をしていただけですから」


 マリアは「やはりわたしだけが寝ているわけにはいかない」と凛とした瞳で言えば、エリスは仕方ないと思ってそれ以上はもう何も言わずに調理に戻った。何か手伝えることは無いかと問いかけたけれど、エリスが「何を仰っているのですか」とマリアを一蹴する。あまりの剣幕にマリアは根負けしてしぶしぶと立ち去る。それから、少し歩くとすでに起きていたソロモンが険しい表情で空を見上げていた。マリアが「どうかしたのか」と問いかければ、策士は驚いて振り返ると言葉を紡いだ。


「わたくしが行かせたにしても考えが浅はかでした。姫様を心労させてしまい、申し訳ございません」


 ソロモンが真摯にそう告げてマリアに頭を下げると、マリアは困った表情でソロモンに顔を上げるように言った。


「こうなってしまっては仕方が無いことであるし、ソロモンのせいじゃない。わたしのほうこそ、ソロモンばかりに我が儘を言ってしまっている。本当に申し訳ない」


 マリアが言ってソロモンに頭を下げれば、ソロモンの方が困ってしまって「顔をお上げ下さい」と言った。ゆっくりとマリアが顔を上げると、ゆるりと笑みを浮かべて言葉を紡ぐ。


「だけど、ソロモン。お主のその“知恵”を以てわたしを助けて欲しい。お主がいなくては、わたしは大切な人すら救えない」


 マリアの言葉が意外であったようすで、ソロモンは目を丸くしてマリアをじっと見つめる。やがて、表情に笑みを浮かべると友と交わすときみたいに不敵な笑みを浮かべて言葉を紡いだ。


「もちろん、“俺”はレイヴァンよりいくらか知恵が回りますから」


 友と交わすときのような声色で言ったソロモンの声は優しい。そんなソロモンにマリアが「任せたぞ」と言えば「お任せあれ」と自信たっぷりに答える。


「ああ、それでこそソロモンだ」


 ソロモンは心の中で嘆息する。


(どちらが策士と言うのか)


 ソロモンは、ほぼ無自覚の内にマリアに“動かされた”のだと実感する。マリアはソロモンの中にあった“臆病”な感情に気づいて自らが謝り、「お前がいないと駄目なんだ」と思わせて元気づけたのだ。


(この主は、どうしてこうも何も知らないふりして誰よりも人のことに気づいている)


 柔らかく微笑むマリアにソロモンは言葉を失ってじっと見つめていれば、辺りに追っ手がいないか偵察を行っていたレジーとダミアンが戻ってきて「この辺は大丈夫だ」とマリアとソロモンに言った。


「それから、あの宗教団体のことだけど彼らはどうやら追っ手を引き戻したみたい。それから、この国を出て海を渡るつもりみたいです」


 レジーの言葉にマリアが「それは風の声?」と問いかければレジーはこくんと頷いて肯定の意を示す。ソロモンは考え込んで少しだけ顔をうつむかせる。


「それはカルセドニー国へ行くということなのだろうか」


「おそらく、そうだと思われます」


 マリアが険しい表情を浮かべて顔を少しだけ伏せた後、顔を上げれば皆の視線とバチリと合う。三人の視線に少し驚いたけれども、視線を鋭くさせて問いかけた。


「レイヴァンがカルセドニー国にいるという可能性はあるのだろうか」


「確かに、ここまで捜していないとなれば可能性はございますが」


 ソロモンの答えにマリアは「探しに」と言いかけた台詞は遮られて、最後まで紡げなかった。


「駄目です」


「あんた、なに考えてんだ!」


「マリア、危ないよ」


 同時に三人に止められたものだったからマリアは驚いて目を見開き、数秒の間、固まってしまう。


「大丈夫だと思うけれど」


 三人共は頭を抱えて「やれやれ」とでも言いたげに首を横に振り、「姫君が他国へ赴くなど、しかもあの宗教と関わりのある国へ行くなどもってのほかです」とソロモンが告げた。珍しく強めに言うものだからマリアは、しぶしぶとうなづく。


「姫様は何かなさろうと思わなくてよろしい。そういうことは、臣下である我々のつとめです」


「うん……」


 ソロモンの言葉にマリアはしゅんと肩を落としてそれだけ答えたけれど、心の中ではどうやってカルセドニー国まで行こうかと考えていた。もちろん、三人にはそれは手に取るようにわかったため「困った姫様だ」と心の中だけで呟いてどうやってこの頑なな姫君をあきらめさせようかと考えていた。

 すると、朝食を作り終えたエリスがマリア達を呼びに来た。それに応じ、マリア達は朝食を取ると馬にまたがり、また王都へ向けて進み始める。その道中でもソロモンはマリアが気がかりであるのか話し掛けていた。


「姫様、どうかご辛抱下さい。あなた様のことは我々も分かっているつもりではございますが」


 ソロモンの言わんとするところが、マリアにも分かって「うん、わかってる。わたしは一国の王子なのだから皆にこれ以上、迷惑をかけてはいけないよね」と答える。けれど、あまりにマリアが悲しげに笑うものだからソロモンは心に根付いた不安の影をぬぐえなかった。

 それから、少し王都までの道を進むと小さな町へ辿り着く。追っ手がいるかも知れないと街道では無く、違う道を通ってきたのでひとけの少ない寂れた町がそこにはある。その町は随分と荒らされていたようだが、少しずつ復興に向かう途中のようで少ない人数ながらもあちこちで人の声が呼び交い、辺りにはトンカチの音が響いていた。

 通り過ぎてしまおうかとソロモンが考えているとマリアは復興の手伝いをしたそうに町を眺め、エリスは「そろそろ昼食ではございませんか」と言って明らかに町へ寄りたそうにしていたため、町へ寄ることにした。

 町へ着いて馬から下り、馬のくつわをエリスが取って馬を町の隅にやる。町の人々は、驚いたようでマリア達を不思議そうに見つめて町の男が声をかけてきた。


「このような町へ何のご用ですかな」


「我々は旅の者ですが、少しの間ここで休ませてはいただけないでしょうか」


 ソロモンの言葉に男は「休むだけなら」と答えてまた力仕事を始める。そんな彼にマリアが「何か手伝えることがあるでしょうか」と問うたけれど男に「そんな柔い腕じゃ持てないよ」と言ってマリアの申し出を断って去ってしまう。しゅんとマリアが肩を落とせばクライドがそっとマリアに近寄って手を引く。驚いたマリアであったが町へ馬車が入ってきたようで、その馬車には木材が大量に詰め込まれていた。どうやら、復興するために必要な材料をどこからか仕入れているらしい。

 ふとマリアが辺りを見回せばソロモンや守人達も各々で行動していた。エリスは食事を作るための食材を手に入れるために市で何やら品物を買っており、そこにはソロモンの姿もあってその店先の奥さんと談笑を交わしている。ギルは近くにある木の上へ昇り、そのまま昼寝をはじめダミアンはパルチザンの刃こぼれを研いで修繕していた。

 ジュリアは興味惹かれるものがあったのか小物を売っている市を眺めていた。しかし、レジーとクレアの姿は無い。偵察にでも言ったのだろうか。けれど、追っ手はいないとレジーは言っていたのにとマリアは不思議に思ったが追っ手では無くとも何かあるのかも知れないと結論づけると特に疑問に思わなかった。


「ありがとう、クライド」


 もう大丈夫だからとマリアは言ってクライドに寄りかかっていた体を離す。すると「少しお休みになってはいかがですか」とクライドに言われ、マリアはクライドに従うことにした。

 町にいては邪魔になってしまうと考え、マリアはクライドに護衛をお願いし町の外へ出れば自分たちが通ってきた舗装されていない道へ出る。そこは誰一人として通っておらず、広がっているのは見渡す限りの草原と彼方まで続く青い空であった。さらさらと風が流れれば草花は静かに重なり合って音を立てる。恍惚となってマリアが思わず感嘆の息を零せばクライドは心配そうに見つめていたけれど、ふとその視線が移り変わった。


「姫様、あちらに」


 クライドの指さす方を見れば、泥だらけになったクレアとレジーがこちらに手を振っていた。何事かと思い、二人の下へ駆け寄るとクレアの手には紙の切れ端が握られている。手渡された紙の切れ端を呆然と見ていたマリアであったが、すぐに合点がいって日記帳を取り出すと合う部分を捜す。ピタリとはまるページを見つけて切れ端と合わせれば、今までと同様に日記帳に書かれている文字が読めるようになった。


『私はずっと捨てられたのだと思っていた。けれど、私の元に届いた手紙には訳あって側で育てられないのだと書かれている。私、会いに行かなきゃ後悔する気がする。一目会うだけでもいい、両親に会ってみたい。だから、旅に出よう。両親を捜す旅に』


 ページは日記帳の一番最初であった。文面から顔を上げてマリア達が顔を見合わせてしばし沈黙していたがマリアが空気の流れを作るように言葉を紡いだ。


「レイヴァンの母は、自分がどこの家の子かも知らなかったのか」


「そのようですね、それで旅してその途中でジークフリートさんと出会ってレイヴァン殿を授かったのでしょうか」


 マリアの言葉にクライドがそう返したとき、エリスが町から出てきて辺りを見回しているかと思えばマリア達の姿を見つけると駆け寄ってくる。


「姫様、ここにおられたのですか」


 エリスの言葉に頷きつつマリアはクレアが日記帳の切れ端を見つけたことを報告し内容を見せれば一瞬、考え込むように顔をうつむかせた後、昼食の準備が出来たので呼びに来たことを告げる。マリアは日記帳をカバンにしまい込むと「じゃあ、町へ戻るよ」と返して守人と共に町へ戻った。すると、そこでは町を挙げての祭りのように町の人々までもが一緒になって朝食を食べており、マリア達は少々、面食らってしまう。エリスに手を引かれ、その輪に入ったマリアを町の人々は意外にもすんなりと迎え入れてくれた。そのことに驚いている余裕無く町の人々に声をかけられる。


「あんた、この人達の主なんだって? あんたも大変だなあ、こんな奴らを束ねなきゃならないなんて」


 町の男性にそう言われ、マリアはゆるりと笑みを浮かべると言葉を紡いだ。


「いや、むしろわたしが皆に助けられている。感謝しても足りないくらい」


 マリアの唇から発せられた言葉に何故かソロモンや守人達だけで無く、町の人たちまで呆気にとられてマリアを見つめていた。その視線に驚いてマリアが皆を見回した刹那にマリアは問いかけられた男性に肩を組まれる。


「そうか、そうか! あんたって変わってるんだな。お前も上流階級の者に見えるけれど、ひとつもおごらない。あんたみたいなのもいるんだな」


 嬉しそうに男性に言われ、マリアも思わず頬が緩んでしまう。そんな様子を少し遠くからソロモンは眺めて小さく笑った後、空を見上げた。空にはただただ青く晴れ渡るばかりで何も知らぬ顔をしている。


(お前の大切な守るべき主はここにいるというのに、お前はどこにいる)


 ソロモンの心の中で産まれた呟きは、形になること無く深淵に消えた。


***


 耳をつらぬく爆発音が王城に響けば、城にいる誰もが慌てること無く呆れたような表情を浮かべて「またか」と呟いた。それから、青い空へと立ち上る黒い煙が発祥している場所へ目を向ければいつも同じ場所で壁が崩れているのが目に入る。その壁の向こうには、セシリーのいるであろう実験室があったのだ。そして、次にはセシリーの助手と名乗る“彼”の――


「あなたは何をやっているのですか!」


「ごめんなさあい!」


 グレンの怒声と師であるはずのセシリーの謝る声が聞こえてくる。それが王城で日常となりつつあった。その声を聞けば誰もが「今日もこの国は平和である」と実感したものだ。けれど、セシリーが作っているのは爆弾でこの国を守るための手段の一つであることを誰もが知っていたため、それを口にするのは憚れた。それに「平和」と言っても一時的なものであるし正騎士であるレイヴァンの行方も掴めていないのだから、余計に「平和だ」と簡単に口にすることも出来ない。

 それは兵士にとっての暗黙の了解であった。国王も心労で失神したり、熱を出したりとしていたためメイド達はかなり忙しそうにしていた。

 平和なのは兵士達と錬金術師であるセシリーとその弟子、グレンぐらいであろうか。けれど、セシリーは国王を元気づけようと何度か国王の下を訪れている。国王に楽しんで貰いたいが為に日々、楽しい錬金術を考え出しては国王に見せていた。周りからすれば「爆発するんじゃ無いか」とハラハラしていたが、爆薬は使わないため爆発はしない。もちろん、皆はそれを知らないわけであるが。

 セシリーが考える誰もが楽しいと感じる錬金術は元々、エイドスにある孤児院に訪問する際、アーロンに「子どもを楽しませるものを考えておいて欲しい」と言われたのが始まりだった。

 新しい武器を生む出すために教えられた錬金術でそんなこと出来ないとセシリーはその時、思ったけれどその地の主であるアーロンに頼まれたことであるし、半ば仕方なくといった様子で考えてみた。そうして産まれたのが“花火”だった。どうせ、みんな怖がってしまうだろうとセシリーは思っていたが不思議と子ども達に喜ばれ次もお願いしたいとアーロンから言われた。それから子ども達の喜んだ顔が嬉しくてセシリーは、兵器を作るのでは無く人を楽しませる錬金術がしたいと考えるようになっていたのだ。


(いつか戦が無くなったら、私のしたいことが出来るのかな)


 マリアの言葉がふと蘇り、セシリーはそんなことをよく考えるようになっていた。けれど現実がそう甘くないことを本人も分かっているため、首を振り思考を止めてすすで汚れた室内の掃除を再開する。夢物語のようだけれど、クレアが惹かれたあの王子ならば実現してしまうかも知れないと望んでしまう自分もいた。

 思わずうつむいて雑巾を持つ手が止まってしまっているセシリーにグレンが不思議そうに声をかけた。


「どうかなさいましたか」


「いえ、私は端から見れば滑稽に見えるでしょうね」


 セシリーの言わんとするところが分からなくてグレンがさらに不思議そうな表情を浮かべたけれど、虚空を見つめていたセシリーは気づかない。セシリーが答えてくれそうに無いと悟るとグレンが手を動かしながら言葉を紡いだ。


「国のため、国王のため動いているあなたを誰が滑稽などと思われますか。あなたの言いたいことが俺には理解できませんが、誰かのためにすることは良いことだと俺は思います」


 目を覚ましたようにセシリーはグレンを見上げたあと、やんわりといつものように無邪気な笑みを浮かべて「ありがとう」と言った。いつもと様子が違うセシリーに戸惑いながらグレンが「さっさと手を動かして下さい」と言ったときだった。城内がなんだか騒がしく、メイド達が動き回っている。メイドの一人を捕まえてグレンが問いかけるとアンドレアスとジャハーンダールが国へ戻ることを告げた。それで忙しくしているのかとグレンとセシリーが掃除を止めて忙しなくしている様子を眺めているとアンドレアスとジャハーンダール、それからリカルダにフィーネまでもがやってくる。驚いてしまってセシリーとグレンはその場に立ちすくんだ。


「いやはや、お主がセシリー殿に弟子であらせられるグレン殿か。ずっと気になっておったのだ、お主等のことを。帰る前に一目でも会いたいと思っておったのだ」


 ジャハーンダールの言葉にセシリーはピッと背筋を伸ばして「そそそそそそそのようなお言葉、ももももったいのうございます!」と噛みまくりで頭を下げる。グレンは思わず溜息ついてセシリーを背に隠すとジャハーンダールと向き直った。


「このような場所に足を運んでは足が汚れてしまいます。ここから、離れた方が良いと存じますが」


「確かにそうかもしれぬが、我々はお主等に会いに来た。少し話をしないか」


 グレンの言葉にジャハーンダールがそう返せば、グレンの眉根が僅かにより、不機嫌な様子が見て取れた。けれどジャハーンダールはそれに気づかぬふりをして笑みを浮かべていた。すると、港までの馬車の準備が出来たと下女が呼びに来たのでジャハーンダールは話がしたいからとセシリーとグレンにも見送りに来て欲しい旨を伝える。あまり無下にも出来ないと悟り、グレンは仕方なくといった様子でアンドレアスやジャハーンダールと共に馬車へ乗った。そこにはリカルダやフィーネ、それからセシリーも乗り込む。セシリーは緊張してしまうからか断っていたが、ジャハーンダールの言葉に乗せられて同じ馬車へ乗り込んだ。

 なんとも言えない空気が馬車の中に満ちてセシリーは冷や汗をかいて喉も渇ききっていた。それをグレンが見つめているとジャハーンダールが面白おかしく言った。


「もしや、グレン殿は師であるセシリー殿に好意を抱いていらっしゃるのですか」


 まさか自分の名が出ると思わなかったのかセシリーは肩をビクつかせて、困ったようにグレンを見つめる。その視線を感じながらもグレンは溜息を吐きつつ「残念ながら皇子様が考えているようなことはありません」と冷静に答えた。本当にそうなのだから、それしか答えようが無い。けれど、ジャハーンダールは笑顔を浮かべたまま「そうか、それは残念だ。わたくしは、どうも何でも恋愛に結びつけてしまう悪い癖があってな。不快に思われたのならば詫びよう」と告げる。表情からはとてもじゃないが、“詫びる”という感情は読み取れない。ますます不快になってグレンは眉根をよせた。ジャハーンダールはそれを見て誰にも気づかれぬようほくそ笑むと言葉を紡いだ。


「では、セシリー殿を我が妃と迎えてもかまわないのだろうか」


 馬車の室内が水を打ったように静まりかえったかと思えば、グレンがセシリーですら今まで聞いたことが無いドスの利いた低い地の底から出すような声で言った。


「お戯れが過ぎるのでは無いですか」


「いやいや、わたくしは本気だとも。セシリー殿が良いと言って下さるのならば」


 ジャハーンダールの真意がグレンにはわからない。それにジャハーンダールがどんな人間かもよく知らないのだから仕方が無いことであるが、グレンは無性に苛立っていた。

 本気かどうかはわからないが暗にベスビアナイト国の要の一人をこちらへ渡せと言っているようにもとれる。セシリー自身は自分がそんな大それた人間だとは思っていないが、正直言ってセシリーがこの国からいなくなっては困るのが現状だ。セシリーは上流階級でも王族でも無いが、セシリーを手に入れればそれよりももっと大きなものが手に入る。それは、何よりも大切な“情報”だ。

 セシリーが今まで培ってきた“経験”そのものが情報となっているのだから、国が欲しがってもおかしくは無い。ベスビアナイト国の切り札である“爆弾”の作り方を他国に教えては切り札になり得ない。

 グレンにとって大切な“主”でもあるセシリーを“まつりごと”の道具になんてなって欲しくは無かった。

 当の本人は、どこか困った様子で額に汗をうかべてグレンをじっと見つめていた。相手は皇子だから断って良いかどうか迷っているようにもとれる。しかし、やはりセシリーは自分の重要性に関しては気づいていない表情であった。


「冗談だとも、あははは」


 ジャハーンダールの一言で場にいる全員が、一気にほっと息を吐き出した。けれど、そのあともグレンはどこかつまらなそうな表情を浮かべていた。

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