第十三章 白虹

 月の明るい夜だった。空に浮かぶ月の周りには虹が架かって輝いており、風情を感じるほど美しい。その月を宿の窓から眺めてソロモンは「そろそろか」と呟いた刹那に別行動をしていたエリス、クライド、ギル、ダミアンが宿へ戻ってきた。それを認めてソロモンが、月に背を向けると同時に窓をぴしゃりと閉めれば室内にあった唯一の明かりであるランプの火が風圧によって揺らめく。

 時刻はちょうど夜の零時。辺りは暗く、すでに宿の者も街の者もとっくに眠っている時間だ。けれど、マリア達は眠る事無く四人の帰りを宿で待っていたのだった。


「どうであった」


 闇の静寂を破らないようソロモンが誰にともなく静かに問いかければ一番にギルが口を開き、酒場で集めた情報を皆に聞かせた。


「どうやら、何度かレイヴァンが情報を掴むために酒場へ足を運んだようでした。それで宗教団体が本拠地としていた場所を掴んでいたようです」


 ギルの言葉が意外でマリアが、目を見開くとエリスが答えるように頷いてギルからその情報をもらい、その場所へ向かった事を告げた。しかし、エリスが向かったときにはすでにがらんどうになっており、本拠地を変えた様子であったという。


「ということは、この街にはもういないのだろうか」


 マリアの呟きにソロモンが「もしくは」と切り出してから、まだこの街に息を潜めているか、国に感づかれたことに気づいて本拠地を変えたか。もしくは本拠地というものすら止めて各地を転々としている可能性も高い事を告げる。


「いずれにせよ、彼らは国を警戒している。ならばこちらも慎重に物事に当たらねばならない」


 重々しく呟いたソロモンの言葉にマリアもまた重く受け止めて頷けば守人達は真剣な表情を浮かべていた。ふと部屋の中に静寂が満ちて、窓の外から虫の鳴き声がよく聞こえ始めたとマリアが思っていると空間に切れ目を入れるようにクライドが言葉を紡いだ。


「それから、街の人々に聞いた話ですが彼らは自らを“ティマイオス”と名乗っていたそうです」


 エリス、ギル、ダミアン以外はクライドの言葉に驚いていた。彼らの中で“ティマイオス”と言えば宗教集団などではなく研究を行っていた組織ですでに国王によって断罪された組織であった。


「詳しい事はわかりかねますが、これが本拠地にしていた場所に落ちていました」


 クライドがそう言ってマリア達に見せたもの、それはレイヴァンが戦うとき胸につけていたスタールビーの宝石がついた正騎士の証である勲章であった。紅玉(ルビー)の中に星の形が現れる不思議なその石は稀少で珍しい。そのスタールビーの周りには小さな柘榴石(ガーネット)がついており、また美しい。この二つの石が織りなす意味は「戦いに勝ち残る」というもので生きて欲しいという祈りも込めてこの石を勲章につけているといつだったか国王が言っていた事をマリアは思い出していた。

 マリアは思わず騎士の名を呼んで、勲章を手に取るとぎゅと胸に抱いて悲しげな表情を浮かばせる。けれど、ソロモンはそれには気づかないふりをしてあくまで策士として「レイヴァンに何かあったことは違いないようですね」と述べる。


「城へ戻ってきた兵の話では黒いローブを纏った集団に囲まれたと言っておりました。つまり、レイヴァンが場所を突き止めたから乗り込まれる前に襲ったのでしょうが」


 そして、そのあとレイヴァンは本拠地に一度連れて行かれ捕らわれて暴行を加えられたか。それとも、すでに殺されたのか――ソロモンが考えを述べたとき、マリアは目を見開き震える手を懸命に抑えていた。確かに捨てきれない可能性であるが考えたくはないものだ。けれど、ソロモンは「しかし」と言葉を紡いで生きているという可能性も捨てきれないと告げる。


「本拠地にはこの勲章しか残されていなかったのだろう?」


 クライドはソロモンの問いかけに大きく頷いて「はい」と答えればマリアは顔を上げてソロモンを見つめる。そのブルーダイヤモンドの瞳はまっすぐ一片の揺るぎなく希望を宿してソロモンを見つめていた。


「ですから、姫様。希望を捨てないで下さい。あなたが希望を捨てれば我々もおしまいです」


 静かに呟いたソロモンの言葉はマリアの中に深く沈み込んで希望の種をまいた。そのとき、がたんという音が外から響いてきたかと思えば何やら騒がしくなる。窓から外を見ようとしたマリアであったが、ソロモンがそれを制止して窓から様子を伺うとそこには黒いローブを纏った集団がおり、何やら叫びながら人々を襲っていた。


「神の御心のままに!」


 叫んでは赤子までも手にかけて手に持っているたいまつで次々に焼き殺していく。その様子はまるで地獄のようでソロモンですら寒気を覚えるほどだ。 家も次々に焼かれていく。これはまずいとソロモンは思うとマリアに説明し荷物をまとめると宿を飛び出してまだ火の手が回っていなかったひとけの少ない路地へと移動した。


「とりあえず、この街から出ましょう」


 ソロモンに言われ、マリアがこくんと頷いたときであった。空から銀の刃が月の明かりを浴びながら落ちてきてマリアを狙った。けれど、すぐに気づいたソロモンがマリアの肩を抱き寄せてそれを回避し、頭上を見上げると屋根の上に月を背にして立つ男の姿が現れる。その男が剣を突き立てた地面へ降り立てばその男の姿が瞳に映し出された。それは、クサンサイトで見た仮面をつけた男であいかわらず仮面を付けており素顔を見る事は出来ない。


「お前は……っ!」


 マリアが思わずそう言うと男はどこか嬉しそうな声色で「おや、覚えて下さっているなんて光栄です、王子様」と言って地面に刺さった剣を引き抜く。


「きさま、何者だ」


 静かだけれど低く怒りが孕んだ声でソロモンが男に問いかけると気にもとめていない様子で男は、肩をすくめると「そこの王子様とお話をしようかと思いましてね」と言った。


「武器を取り、頭上から狙うなど話をしようとしている者の態度とは思えんな」


 ソロモンが告げて男を睨み付けるが、表情の見えない男の感情は読み取れない。その男は、殺意が無い事を示すためか剣を鞘に戻すとマリアにずんずんと近寄りと顔を近づける。


「ずいぶんと可愛い顔をした王子様だ。本当は女なんじゃ無いか?」


 マリアは体中を何かが駆け巡ったのを感じて、男に凛とした視線を向けてから凜然とした口調で「だとしても、お前には関係ないはずだ」と告げる。


「つれないね」


 感情の読み取れない声色で男は告げるとマリア達に背を向けて歩き出したけれど「そうそう」と言ってマリアの方を振り返ったかと思えばマリアに向かって何かが投げられた。驚いてソロモンはマリアを背に隠して男が投げた物を手に取ってみれば、それは勲章のようだった。コーラル国の兵に与えられる勲章のような星を象ったメダルであるが少しデザインが変わっていて銀製で青い色をしている。


「それを調べたら、何かわかるかもな」


 男はそれだけを告げて本当に去って行ってしまった。マリアは思わず呆然としてしまったが、ソロモンに「急ぎましょう」と言われ断ち切れない思いを抱えたまま街道へと出た。それから街道を少し進んで街から遠ざかってから街を振り返ったけれど、街は煌々と燃える炎に焼かれていく。


「わたしに何か出来たのだろうか」


 マリアの呟きにソロモンが「いいえ」と答えて「今は」と言葉を紡ぎ、いずれはあ宗教集団を滅ぼせば良いと告げる。マリアはぎゅと手を握り締めると「それではいつになるかわからない」と反論するように言ったけれどソロモンは首を横に振る。


「では、守人の力を以てあの街を救いますか? あなたが望めばそれは可能でしょう。けれど、守人が力を示すたび、向こうは不思議に思いあなた様のことがばれてしまうかも知れない」


 宗教集団が“ティマイオス”と名乗っているのであればなおさらとソロモンはマリアに言った。危ない橋は渡らないに超した事は無いと言葉を紡いでソロモンが本題に入った。


「ビリュアイトの地主のことですが、ザシャ殿が前の地主が亡くなってから受け持っていたそうです。それから、先ほどの男が渡してきたこの勲章のことですがこれはカルセドニー国の兵士に与えられるものです」


「どうして、そんなものを」


 ソロモンの言葉にマリアがそう返せばソロモンも分からない様子で首を横に振ったけれど「ただ」と呟き、「カルセドニー国があの宗教団体と関与しているのかも知れません」と告げる。


「……カルセドニー国」


 ぼそりとマリアが呟き、凛とした視線を夜空へ投げればブ青い瞳に月が映り込んでおり、その月の周りには相変わらず虹が架かっている。


「レイヴァンはどこに居ると思う?」


「先ほどの街を襲った集団の中には姿は見られませんでした。ですので、今は何とも言えませんがあの宗教集団がどこかへ捕らえているのではないでしょうか」


 マリアの問いにソロモンがそれだけ答えれば、マリアはぎゅと手を握り締めてうつむくとまた顔を上げてソロモンと守人達を見回した。


「レイヴァンを助けたい。そのために皆の力をかして欲しい」


「ええ、もちろん」


 マリアの言葉にギルがそう返した。その次にレジーは無言だけれど力強く頷き、エリスは小さく笑って見せてクライドは「はい」と答え、クレアは「ええ」と答えてジュリアは「かしこまりました」と言いダミアンは「主がそう仰るのであれば」と答えてくれた。ソロモンは不敵に嗤うとマリアを真っ直ぐに見つめて告げる。


「我が主の願いとあらば」


 慣れた動きでソロモンはマリアに恭しく頭を垂れ、跪いた。そんなソロモンを見つめてマリアは笑みを浮かべると「ありがとう」と答えたあと、問いかける。


「では、ソロモン。これからどうすれば良いのだろうか」


「もちろん、レイヴァンの行方を捜す事がお望みと姫様は仰いましたからレイヴァンの行方を捜すのです」


 ソロモンがそう答えたけれどマリアは困ってしまって「だけど、これからどうすれば」と呟いてソロモンを見つめる。ソロモンは口角を上げて微笑むと言葉を紡ぐ。


「今、街を焼いている集団のあとをこっそりと付ければよろしい」


 なるほどとマリアは思って皆であとをつけることを命じれば皆も大きく頷いてくれた。力強い守人達を眺めてマリアもまた足を踏ん張って焼けただれていく街を真っ直ぐに見据える。その手には、レイヴァンがいつも胸に付けていたスタールビーが大きくついている勲章を握り締めていた。


「探し出す、絶対に――レイヴァンを見捨てたりなんかしない」


 決意にも似た言葉を紡ぐ揺るぎないその瞳に何が映っているのか。ソロモンには手に取るように分かって笑みを浮かべると立ち上がり、マリアに答える。


「ええ、彼を救うためにも“あの者達”を追いましょう」


 ソロモンの言葉に頷いて答え、マリアは誰にともなく「行こう」と告げれば少し遠回りになりながらも街を避けて街道からも外れた道を通り始めた。


***


 王都であるベスビアスの王城では、親睦会が開かれ盛大なパーティとなっていた。その場にはうんと豪華な食事や管弦楽団による音楽が流れ、貴族達はダンスを楽しんでいた。またコーラル国からの客人であるアンドレアスやカルセドニー国からの客人であるジャハーンダールと会話を楽しんでいる貴族達もいる。これは三つの国の親交を深めるための会であるから、別にこれでもかまわない。けれどアンドレアスからすればめまいを覚えるほどの緊張感をもつ会であったため、ベスビアナイト国の貴族に声をかけられる度に背がピッと伸びた。

 コーラル国の代表としてベスビアナイト国へ来たのだから、下手なことを口走ったりすれば攻め入ってこられても文句は言えまい。そんな緊張感をアンドレアスは常に持っていた。それにベスビアナイト国の貴族からすればコーラル国の者がこのような会にいることはよく思わないだろう。話し掛けてくれる貴族達は笑顔を浮かべてはいるが、その笑顔の裏側を知るのは恐ろしい。

 そんな風に気を張っているとちょんちょんと腰をつつかれ、驚いて腰のあたりを見ればそこには可愛らしいピンクのワンピースを着たフィーネと目が合った。思わず気が少し緩んでアンドレアスはフィーネと視線を合わせると言葉を紡いだ。


「どうかなさいましたか」


「おうじさま、一緒にバルコニーへ出ませんか。あたし、こういう場は初めてで疲れてしまって」


 フィーネの言葉にアンドレアスは、すぐに気を遣ってくれているのだと気づくと「わかりました。小さなレディーの身に何かあっては大変ですからね、お供いたします」と言うと貴族達にことわりを入れてからフィーネと共にバルコニーへと出た。すると、そこには夜の気配が漂い月の香りが満ちていてどこか神秘的な雰囲気を醸し出していた。フィーネと共に手すりに近寄ると月がよく見えて、月の周りに見える虹をアンドレアスが不思議そうに眺める。


「……白虹(はっこう)」


 フィーネがアンドレアスの心に沸き上がった疑問に答えるように呟けば、アンドレアスは驚いてフィーネを見つめた。フィーネは無邪気な笑みをたたえて言葉を紡ぐ。


「これは月の光のよって出来る虹ですから、特に月虹(げっこう)とも言います」


「よくご存じなのですね」


 アンドレアスが言えば、フィーネは「へへ」と小さく笑い、照れたように頬を赤らめた。


「きれいですよね、お月様。あたし、月が好きなんです。つらいことや悲しい事があっても、忘れられる」


 そうですねとアンドレアスは返してふとフィーネに「君はどうしてここにいるの?」と問いかけた。どこから見ても王族にも貴族にも見えないフィーネがここにいるのが不思議なのだろう。けれど問いかけた後でアンドレアスは失礼だっただろうかと思い直して「申し訳ございません、込み入った事をお聞きして」と言った。フィーネは「大丈夫ですよ」と答えた後、言葉を紡いだ。


「あたし、この国のおうじさまに救われたんです」


 アンドレアスはフィーネの言葉に驚いて目を丸くするとオウム返しに呟いた。


「両親は殺されてあたしを養子にしてくれたおばさんも殺されたところを助けてくれた。だから、あたし、いつも思うんです。この国に生まれて良かったって」


 笑みを浮かべてフィーネがそう言うとアンドレアスが僅かに目を伏せて「そんな風に思われるなんてやはり立派な人なんだ」と思うと共に自らの不甲斐なさにうちひしがれた。フィーネはちらりとアンドレアスを一瞥すると月を見上げ、明るい声で告げた。


「おうじさまも、そんな人になってくださいね。コーラル国の民が『この国に生まれて良かった』と言ってくれる国にしてくださいね!」


 フィーネの言葉に目が覚める思いでアンドレアスはフィーネを見つめるけれど、フィーネはそれに気づかないふりをしてただ静かに月を見上げていた。そのとき、風が吹いて月と花の香りを運んでくる。鼻腔をくすぐるその香りは希望を乗せて運んできたかのようにアンドレアスは感じた。


「あなたは春のひだまりのようですね」


 アンドレアスが思ったままをそう口にして柔らかい笑みを浮かべれば、フィーネは目を丸くして瞬かせたあといつも通りの無邪気な笑みを浮かべてアンドレアスの手を取った。


「ありがとうございます、おうじさま。いつまでも主役であるおうじさまを独り占めしていたら怒られてしまいますね。会場へ戻りましょう」


 ぐいぐいとフィーネに引っ張られ、アンドレアスは笑みを浮かべたまま会場へと戻った。すると、会場は先ほどとは打って変わって先ほどまでの騒がしさとは違う騒がしさで何やらざわめいている。不思議に思ってアンドレアスが近くに居た貴族に問いかけようとすると――


「陛下、王子様がおられないというのはどういうことですか」


 ホールでそう声を発したのはジャハーンダールであった。そんな彼を困った表情で見つめているのはこの国の王で、まるで威厳など失ったかのように冷や汗を浮かべて困り果てている。確かにベスビアナイト国の王子が王都にいないというのは問題であるが、こちらは客でさらに外交目的でここへ来ている。それなのに他国の事を口出しするとは、自分の地位が危うくなるとは考えないのだろうか。ジャハーンダールの言葉ももっともであるが、ベスビアナイト国は屈強な国でコーラル国やカルセドニー国のような弱小国があれこれ言える立場では無い。ジャハーンダールに言葉を発しようと貴族達の間を縫って向かおうとしたが、それをフィーネに止められてしまう。ぐっと強く服を握られ思わずフィーネに言葉を紡ごうとしたときだった。


「わたくしはぜひ、この国の王子にもご挨拶したい。せっかく、これから国同士が仲良くしようというのに王子様に挨拶しないのは不敬になりましょう?」


 オーガスト国王が「確かにそうだが」と言いよどみ、困り果てているとジャハーンダールはオーガスト国王がこちらと目を合わせないと見て取ると不敵な笑みを浮かべる。その笑みにアンドレアスは、ぞっとして「止めないといけない」と思うのに体は硬直したように動かない。口が渇いて唇が少し、震えればアンドレアスの異変に気づいてフィーネが手をさすり、小さな声で「大丈夫、大丈夫」と繰り返していた。


(そうだ、いくらジャハーンダールでもベスビアナイト国にとんでもない要求はしないはずだ)


 思うと気持ちが少し楽になった。そんなアンドレアスには気づいていない様子でジャハーンダールは言葉を紡いだ。


「では“友好の証”として、今度は我が国がベスビアナイト国の王子を招待いたしましょう!」


 会場が一瞬、氷に閉じこめられたかのように音も止まり皆が呼吸すら忘れたかのように息を止めていた。その空間に亀裂を入れたのは、この国の王妃であるアイリーンであった。


「我が国の大使を使わすのではいけないのでしょうか」


「いえいえ、“友好の証”として王子様がよいのです。どれほど、我が国とベスビアナイト国が堅い絆で結ばれているのか示す事が出来ます」


 ……この男は何を考えているというのか。アイリーンが眉根をわずかによせれば、ジャハーンダールは嫌みなくらい笑みをアイリーンに向けていた。


「コーラル国と仲の良い貴国となれ合うのはあまりよろしいとは言い難いのですが」


「しかし、先王は崩御された。これからは、新生コーラル国となるのですからかつてのコーラル国は滅んだのです。それに此度、この国へ参ったのは親睦を深めるためではございませんか」


 アイリーンに堂々とジャハーンダールは言ってのける。そんな様子をオーガスト国王は、おろおろと二人を交互に見つめてどうすることも出来ないと困り果てていた。その視線がアンドレアスでピタリと止まったかと思えば駆け寄って「どうしよう」とアンドレアスに耳打ちする。


「どうしようと言われましても……」


 一度は攻め込んだコーラル国の王子に相談する国王もどうかと思うが、ジャハーンダールが何を考えているのかアンドレアスには分からなくて困ってしまう。そんな風に思ってアンドレアスがジャハーンダールの方へ視線を戻せばジャハーンダールの瞳がこちらを捕らえていた。思わずアンドレアスの背筋が伸びればジャハーンダールは相変わらずの仮面を貼り付けたような笑みを浮かべてこちらへ近寄り、言葉を紡いだ。


「もちろん、あなた様もご招待いたしますよ。アンドレアス王子」


「それは、ありがとうございます」


 引きつる笑顔を浮かべ、アンドレアスがそう答えた。否、とっさにそう答えるしか出来なかったと言った方が正解だ。アンドレアスは口が上手いわけでは無い。それをジャハーンダールもよく知っており、アンドレアスがベスビアナイト国の王子を贔屓目で見ているのも知っていての言葉であろう。確かにアンドレアスはラースである現国王とともにベスビアナイト国の王子に心酔している。それほどまでも、マリアを尊敬しているし、また会って話がしたいと思っていたのだ。それからベスビアナイト国がどうやって奴隷を廃止したなど、その歴史についても入念に調べたりしていたのだからばれていても仕方が無い。


「それでは決まりですね」


 にっこりとどこか不気味な笑顔を浮かべてジャハーンダールが言えば、オーガスト国王は表情を青くして王妃アイリーンを見つめたけれどアイリーンは「仕方ない」とでも言いたげに首を横に振る。その様子を眺めてアンドレアスは何かに巻き込まれたような感覚に襲われた。


***


 一方、マリア達は黒いローブを纏った集団の後を追っていた。小さな町で馬を買い、街から出てきた集団の後方から後を付けていたのだがなかなか彼らの本拠地にはたどり着かず、追跡がばれているのではないだろうかとソロモンの中で疑問が生まれていた。けれど、もしばれているのであればたかだか数名。後を追わせるなどさせず、さっさと殺してしまうであろうという結論に達し、大人しくついて行く事にする。

 丘を越えて少し馬を走らせた頃、テントが大量に張ってあったのでそこが本拠地だろうかとソロモンは思い、近くの森へマリア達を誘導し、自らも身を隠した。

 どうやら、そこは本当に彼らの基地らしい。ローブを纏った集団は馬から下りると馬装を解いて各々、馬を預けるとそれぞれのテントへ入っていった。

 ソロモンは後ろから忍び寄り、まだテントへ戻っていなかったローブを纏った男を裸締めして気絶させるとローブをはぎ取った。その男が胸元にしていたもの、それはカルセドニー国の兵士の勲章であった。ソロモンにマリアが駆け寄り、「やはりカルセドニー国は何らかの関与を」と紡げばソロモンは無言で頷く。それから男を締め上げて口元も布で覆うと森の中へ隠してエリスにローブを渡せば、エリスは心得たようでローブを羽織り、ローブについているフードで顔を隠した。そのフードには小さい字で“967”と数字が書かれていた。


「エリス、もし何かあったときはこれを」


 そうマリアは言ってエリスに丸い玉を渡した。エリスは「ありがとうございます」と快く受け取るとニッと笑みを浮かべてテントの方へ向かう。それを確認してから、マリア達はまた森の中で身を隠した。

 エリスは男の持っていた荷物から男の名前とともにコードネームと書かれた紙を見れば、それはフードに書かれている数字であった。それらを覚えると探りをいれるためにテントの中へ入る。テントの中へ入れば仲間らしき男が声をかけてきた。


「おいおい、お前は新入りだろう? それに各テントには“二人ずつ”だ。間違うな」


「申し訳ございません、覚えきれていなくて……」


「声がなんか違うな、まあいい。お前は“967”であろう」


 そう男は言ってテントから出てエリスをテントまで案内する。そのテントへ入ると、同じテントの中にいた男のフードには“971”と記されていた。

 ここまで案内してくれた男は、さっさと自分のテントへと戻っていく。


「おつかれさま、どうであった」


 “971”に話し掛けられエリスはあくまで仲間のとして「ああ、無事に成し遂げたよ」と告げれば“971”は「それは良かった」と笑う。


「それにしても、覚えにくいですよね。こんな数字だと」


 エリスがそう言えば“971”はいぶかしそうにしながらも「入隊するときに説明があっただろう」と言いながら、おそらく入隊するときに聞かされる言葉を聞いた。


「これはかつて存在した“ティマイオス”とのつながりを示すための数字だ。れっきとしたかつての彼らの意志を継ぐ者として数字」


 エリスが数字の意味を問うたけれど、“971”も知らないと答える。思わず落胆してしまってエリスが肩を落とせば“971”は明るく言葉を紡いだ。


「まあ、意志を継ぐ者って言われたっておれたちには関係ないしな」


 ますます分からなくなってエリスは、呆然と「え」と紡げば、“971”はやはりいぶかしそうにしながらも答えてくれた。


「だってよ、上の方の者達はそうかもしれねえがおれたちは強引に連れてこられたんだぜ? 家族を人質に取られてよ。組織から抜け出せば家族を殺されちまう」


 それを聞いてエリスが悲しげに目を伏せた刹那に“971”の顔がずいと近寄ってきて「で、あんたは何者だ?」と問いかけてきた。思わずエリスは飛び退いたが、“971”はへらへらと笑って「心配しなくても、告発したりなんかしない」と言ってから言葉を紡ぐ。


「この組織を壊滅させてくれるなら、協力だってするさ。おれだって、こんなところにいたくない」


「でしたら……」


「聞いてただろ、おれがここを出れば家族が殺されちまう」


「僕の主は誰一人として見捨てたりなんかしない。お前が望のなら、きっと家族だって救い出すと言って下さる」


 “971”にエリスがはっきりと告げれば“971”は悲しげだけれど嬉しそうな表情を浮かべて「それはいい“夢”だな」と呟いたかと思えば、“971”が大声で叫んだ。


「侵入者だ、間者が紛れ込んでいるぞ!」


 呆然とエリスがしていると“971”はやはり、悲しげに微笑んでローブのしたからナイフを取りだした。


「悪いな、そんな夢物語よりも目の前のお前を始末して上に差し出した方がいいんだよ。家族を失うわけにはいかないんだ」


 エリスは額に汗を浮かばせつつ「そうですか、それは残念です」と答えたかと思えば襲いかかってきた“971”の腕をねじ上げ、そのまま腕を関節をねじ曲げると“971”の動きを封じ込めた。そして、テントから出ればローブを纏った集団があちらこちらからきてエリスを取り囲おうとする。けれど、茂みに身を隠していた守人達が出てきてエリスの援護へ来た。ダミアンは槍を振るい、ギルも刀を振るった。レジーは、矢で命中させ、クライドも戦輪で応戦している。そうやって出来た抜け道からエリスは何とかローブを脱ぎ捨てて包囲網から逃れる事に成功した。

 けれど、包囲網の中の一人が三人の目から外れたところでエリスを狙って槍を放った。もう駄目かとエリスが思った時、ジュリアの鞭がしなり、びしゃんと音を立てて槍を地面へ打ち付けた。


「……!」


 エリスが思わず言葉を失っていると馬に乗っていたジュリアは「早く」とだけ告げてエリスを先へ促した。その先にはマリアとソロモン、クレアが馬に乗ったまま待っていてエリスに慌てた口調で「馬へ乗って逃げるぞ」と言えばエリスは心得て馬に乗る。それを見て取るとレジー、ギル、ダミアン、クライドも馬へ乗り駆けだした。

 そうしてしばらく駆けていると馬にも疲労が見えて誰からともなく馬を止めた。


「とりあえず、ここまで来れば大丈夫だろうか」


 マリアがそう言えばソロモンは小さく頷いて同意を示した後、言葉を紡ぐ。


「これで向こうに我々の存在がばれてしまいました。それに、あのテントの場所にもレイヴァンの姿は見られませんでしたし一度、王都へ戻りましょう」


 ソロモンの言葉にマリアが頷いて答えたときであった。空に煌々と輝いていた月がすでに傾いており沈みはじめて闇色だった空がしらばみ始める。空には太陽が昇り始めていた。


「うん、戻ろう。ベスビアスへ……」


 太陽が山頂からのぞきはじめ、辺りが明るくなり朝の気配を感じる時間帯の事だった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る