第十二章 謀を伐つ

 夜、マリア達は街道の途中で野宿をしていた。けれどもソロモンだけは眠れない様子で、たき火の側でじっと炎を見つめている。目を覚ましたギルが声をかけた。


「眠れない?」


「ああ、まあな。それに……レイヴァンのこともあってな」


 ギルは「なるほど」と呟き、寝袋から抜け出して隣に座った。ソロモンはちらりとも見ずに、燃える火をぼんやりと見つめ呟く。


「レイヴァンがあんなやつらに簡単にやられるわけがない。きっと、何かがあったんだ」


 ギルが「随分とレイヴァンのことを信頼しているのだな」と言えば、頷いて「なんたって正騎士であるし、姫様の専属護衛だからな」と告げた。


「それだけじゃ、無いでしょ」


「まあな」


 笑ってソロモンは、返した。確かに一番の友であるから、ひいき目で見てしまっているだろうなと思うが、宗教集団ぐらいであれば彼一人でも十分であると思っていたのだ。それは覆され兵は二人しか戻ってこず、レイヴァンは行方不明。これは想定していないことが起こったに違いないとソロモンは言った。


「姫様の話を聞いた限りでは、テロ組織というよりは宗教テロと言った方がいいのだろうか」


「だが、テロ組織が関わっていないとも言えない」


 ソロモンの考えにギルが付け加える。マリア達を襲い、ザシャに“クスリ”を輸入させていた組織は宗教集団と考えて良いだろう。そして、その宗教集団がテロ行為を行っている事も事実だ。けれど別にテロ組織がいないとも限らないし、テロ組織が宗教集団とつながっていないとも言えない。


「そうだな、今は何より情報が必要だな」


 ソロモンはギルの方を向き直って言った。そこでふとギルの持っているカバンが光っている事に気づく。


「何か光っているようだが」


「ん? ああ……」


 ソロモンに指摘され、カバンを開けて中で光っているものを取り出すとそれは、いつだったか王妃がギルに渡した羅針盤であった。


「あ、しまった。これを姫様に渡すように王妃様から言われているんだった」


「羅針盤? どうして、そんなものを」


「よくは知らないが、姫様の役に立つって」


 あとで姫様に渡そうとギルが呟くとソロモンが興味深そうに羅針盤を見て、ギルにことわりを入れてから手に取ってみた。羅針盤は金色に輝き、中の針が小刻みに震えながらどこかを示している。けれど、その文字盤に示されているものが不可解であった。普通ならば方角が記されているはずであるのに、この羅針盤には方角では無く七つの眷属がそれぞれ示されていた。


「これは、何だ?」


 ソロモンがそう呟くとギルは考え込んだかと思えば、何やら唇を開いて小さく歌を紡ぐ。すると、今まで“地”を指してた針が動いて“水”を指した。


「どうやら、その場にいる〈眷属〉を推し量る事が出来るみたいですね。今、俺は“水”を呼びましたから」


 つまり今は“水”の力が強くなっている事を示していた。しかし、基本的には“水”の力が強くなっているところは川の近くであったり、湖であることが多い。だから街道のような所は“地”の力が強くなっているようだ。


「なるほど、つまりこの羅針盤が示す〈眷属〉が一番強いということか。では、守人達が力を使うときにも影響してくるのか」


「おそらくそうでしょうね。〈眷属〉の力が強ければ、俺たちもそこまで力を使わずともその力を示す事が出るのだと」


 ソロモンにギルがそう返せば「ならば、やはり姫様が持つべきか」と呟く。ギルも頷いて答えて「明日、渡そう」と言ったのだった。


***


 王都、ベスビアスの王城。そこでは、リカルダがフィーネに相も変わらず数学を教え、その近くでゲルトがその様子を見守っていた。けれど、ふと城内が騒がしくなりゲルトはいぶかしげに部屋を出て衛兵に尋ねれば衛兵は「コーラル国の第二王子とカルセドニー国の第一皇子がこの国にいらっしゃるそうです」と答えた。


「なぜまた?」


「それが、交易を再開する件について挨拶にいらっしゃるそうです」


 ゲルトはなるほどと納得すると衛兵に「ありがとうございます」と言って部屋へ戻った。相変わらず、リカルダとフィーネは仲良く数学をしている。けれどリカルダがこちらの様子に気づいて声をかけてきた。


「どうかしましたの?」


「いえ、なんでもございません」


 ゲルトは短くそう答えて首を傾げるリカルダを見つめた。



 数日後、コーラル国の王子とカルセドニー国の皇子が来るという事で城では皆、忙しそうに駆け回っていた。リカルダとフィーネも話を聞かされ、出来るだけ部屋にいるようにと言いつけられた。

 謁見の間では国王が玉座に座り、兵に連れられてやってきたコーラル国の第二王子アンドレアスとカルセドニー国の皇子ジャハーンダールが跪いた。


「遠路はるばるよくぞ参った」


 国王がそう声をかければ、アンドレアスが「此度は、我が国とベスビアナイト国が互いの親交を深めるべく参上いたしました」と言い、ジャハーンダールはまず自ら名乗り、「コーラル国がベスビアナイト国とまた交易を行うと聞き、我が国ともぜひ交易をしていただきたく父上に変わり駆け参じました」と告げた。


「ああ、もちろんだとも、昔のように交易を行おう」


 国王が承認すれば文官が国王に交易を再開する事を認める文書を渡す。国王は文面を読み、それに署名した。それから、国王が今夜は親睦会を開く事を二人に告げると謁見の間をあとにする。二人も出て行こうとしたとき、扉の隙間からこちらをのぞく気配に気づいてそちらへ近寄り扉を開いた。すると、リカルダとフィーネが慌てた様子で隠れようとしたけれど、リカルダはドレスであったため、ドレスの裾を踏みつけてすっころんでしまう。


「大丈夫ですか」


 アンドレアスがかがみ込み、リカルダに手を差し伸べた。


「も、申し訳ございません」


 震える声でそう答えてリカルダは、アンドレアスの手を取り立ち上がる。すると、そこへゲルトは慌てた様子で来て「お嬢様」とリカルダを呼んだ。


「これはこれは、コーラル国の王子様にカルセドニー国の皇子様ではございませんか。我が主がご迷惑をかけてしまったようで申し訳ございません」


 ゲルトが頭を下げてそう謝ったけれど、アンドレアスは「いいえ、かまいませんよ。それよりもお嬢さんがケガしなくて良かった」と言って小さく笑って見せた。それから、ゲルトに「あの、クリス王子はどちらにいらっしゃるでしょうか」と問いかけた。


「王子様は、確か所用で出かけているらしいです」


 ゲルトの答えにアンドレアスは多少なりとも落胆の色を見せて「そうですか、わかりました。ありがとうございます」と告げると下女が来たので下女に従ってジャハーンダールと共に部屋へ案内された。

 部屋はそれぞれ、別に用意されてアンドレアスはジャハーンダールと離れてやっと一人になれたと息を吐き出した。


「……ふう」


 アンドレアスは、ジャハーンダールが苦手であった。

 コーラル国の隣にあるカルセドニー国は表向きでは友好条約を結び、友好的であるが何かと資源を横取りしようとする国であったのだ。此度、コーラル国側と一緒に来て交易をベスビアナイト国へ進言したのも同じ理由からであろう。

 しかも、その国の皇子であるジャハーンダールは、いつも笑顔を浮かべてはいるが何を考えているか分かったもんじゃ無い。もしかすると、今のカルセドニー国の帝王が崩御すれば彼は、友好条約を破り捨てコーラル国に侵攻してくるかもしれない。少なくとも今は、そんなことはしないだろうけれど、コーラル国の王がラースになった今、これからどうなるか分からないのが現状だ。なんとしてでも、自国を守りたい。どうにかベスビアナイト国がコーラル国の後ろ盾になってくれれば安心であるが、ベスビアナイト国を侵攻したのは違い無くコーラル国であるから疎まれる事はあっても好かれる事は無いだろう。それにそんな条約を結べばベスビアナイト国は民から反発を得るのは目に見えている。

 大国とまで言われたコーラル国はすでに落ちぶれたのだ。ベスビアナイト国に後ろ盾になってもらおうと考えるなんて甘い。しかし、それほどまでもコーラル国はいつ攻め入られるか分からない状態だった。

 そういうことであったのでマリア達に相談したかったのだが、当てが外れた。否、そもそもあのジャハーンダールがそんな機会を与えてくれるとも限らないかと独りごちる。


「謀を伐つ、か」


 ついこの間に読んだ兵法に示されていた言葉だ。『上兵は謀を伐つ』つまり『最上の戦い方は敵の謀略、策を読んで無力化することだ』という意味である。簡単に言ってくれるけれど、そんなになかなかできっこないとアンドレアスは呟いた。


「でも、あの男は――」


 マリアの側に居たソロモンという男。あの男は、もしかしなくともとんでもない策士なのではないだろうか。彼ならば何か相談ぐらいは乗ってくれるかも知れないとアンドレアスは思ったけれど、首を振り「無いか」とぼやく。ソロモンはベスビアナイト国の策士であってコーラル国の策士では無い。力をかしてくれる事があるとすればベスビアナイト国がらみでなければ力をかしてくれる見込みは無さそうだ。

 そんな風に思っていると、扉がノックされる。扉を開ければそこには、遠慮がちにリカルダとフィーネがいた。


「あの、迷惑で無ければご一緒にティータイムはいかがですか。先ほどのご無礼……」


 おずおずと言ったリカルダの言葉に、アンドレアスは合点がいく。アンドレアスは気にもしていなかったが、本人達は気にしていた様子で「怒られるだろうか」とびくびくしている。だから、出来るだけ笑顔を浮かべて言葉を紡いだ。


「気を遣われなくても大丈夫ですよ。けど、そうですね。こちらの国の文化をあまり知らないのでご一緒してもいいですか」


 アンドレアスの言葉にリカルダとフィーネは、子どもらしい無邪気な笑みを浮かべて「はい!」と答えた。それから、アンドレアスはリカルダ達に案内されて中庭へ出た。そこにはすでにティータイムの準備が整っており真っ白な机と椅子があって、ティーポットとカップが人数分、用意されている。さらにティースタンドが置かれ、ティースタンドの上段にはプチフール(一口サイズのケーキ)が置かれ中央にはスコーン、下段にはサンドイッチが置かれていた。

 ふんわりと香るにおいにアンドレアスは、張り詰めていた糸がぷつんと切れた感覚がしてほっと笑みを浮かべた。


「良い香りですね」


 アンドレアスが言えば、リカルダとフィーネが顔を見合わせて笑顔を浮かべた。それから、ゲルトが「どうぞ」を椅子を引き、座るよう促す。そこにアンドレアスが「ありがとうございます」と言って座ればリカルダとフィーネもそれぞれ座り、ポットの紅茶をカップに注いでゲルトが皆に配る。カップから香りが漂う。


「これはアッサムでしょうか」


 アンドレアスが呟けば、リカルダが驚いて「香りだけでわかるのですか?」と問いかけた。アンドレアスは頷いて「はい、我が国は紅茶の原産国ですから」と答える。今まで知らなかったようでリカルダはぐるんとゲルトの方を向いた。


「ええ、そうですよ。紅茶はコーラル国、カルセドニー国が主な原産国です」


 リカルダの視線にゲルトがそう答えると、アンドレアスは「よくご存じですね」と言った。すると、ゲルトは執事らしく恭しく頭を少し下げて「恐縮です」と答える。


「そうやって他国の方に知ってもらえるのはとても嬉しいですね」


 ほんわりと微笑んでアンドレアスは呟く。すると、リカルダが無邪気な笑みを浮かべて言葉を紡いだ。


「わたくし、王子様の国のこともっとたくさん知りたいですわ! ねえ、王子様。コーラル国がどんな国か聞かせてくれませんか?」


「それはわたくしもぜひお聞きしたい」


 突然、そう声が聞こえてきて驚いてそちらを向くとジャハーンダールがいた。

 浅黒い肌で頭にターバンを巻き、そのターバンからは黒い髪がのぞいていた。さらに衣装もベスビアナイト国では見ない全体的に白いシャツと白いズボンであった。そのゆったりとした長いシャツには赤と金できれいな刺繍が施されている。そこには、きらきらと小さな宝石のようなものが埋め込まれていた。

 リカルダとフィーネは、ジャハーンダールの衣装を珍しい衣装だなと思って思わずまじまじと見つめる。

 謁見の間では遠目であったからよく見えなかったし、アンドレアスに声をかけられたときは、それどころじゃなくて狼狽していたため全く気にもとめていなかったのだ。けれど間近で見て「不思議な衣装」だとリカルダとフィーネは思ったのだ。そこでふとアンドレアスの服を見る。服の形状はベスビアナイト国に似ているが服の刺繍はカルセドニー国によく似ていた。

 服でも文化を感じられてリカルダは何だか楽しい。


「わあ! 不思議な服」


 思わずリカルダがそう言えば、ジャハーンダールが「わたくしも混ぜてもらってもかまわないかな」と言った。よく考えれば客人であるアンドレアスだけ誘って彼を誘わないのは失礼だと思い直し「はい、もちろん」と答えてゲルトに用意させた。刹那にアンドレアスは、と背を伸ばして、緊張が戻ってきたようだった。なんとなくフィーネはアンドレアスのようすに感づいていたから、リカルダにアンドレアスだけ誘うように言ったというのに、これではティータイムの意味が無い。普通にティータイムをするはずが、国と国との話しになんてなったらたまったもんじゃないとフィーネは思った。


(……お姉ちゃん)


 フィーネはふと実の姉では無いけれど、「お姉ちゃん」と呼んでいるマリアの事を思い返していた。マリアがこの場にいれば、この二人が揃ってもこんなに緊張感は持たないかもしれない。


(はやく、戻ってこないかなあ)


 そんなことを思ってフィーネは空を見上げたけれど、空には溢れんばかりの眩しい太陽が輝き小鳥たちが音を奏でて舞っているばかりである。それをぼんやりと眺めているとリカルダが心配そうにこちらを見てきた。


「フィーネ、どうかしたの?」


「ううん、なんでもないよ」


 フィーネが答えるとリカルダは、「そう? 気分が悪くなったらいつでも言ってね」と言ってジャハーンダールに国の事をあれこれ聞いていた。それをどこか険しそうな表情でアンドレアスは見つめている。フィーネはアンドレアスに声をかけた。


「スコーン、美味しいですよ」


 フィーネの言葉にアンドレアスは一瞬、呆気にとられたが、すぐに笑みを浮かべて「うん、いただくよ」と言うとスコーンを口に含んだ。


「本当に美味しいですね」


 笑顔でアンドレアスがフィーネに向けて言った。フィーネも無邪気な笑みを返して「でしょう? ゲルトさんのスコーンは格別なんだから」と言った。するとゲルトは「恐れ入ります」と答えて笑みを浮かべる。

 フィーネとゲルトが作ってくれた和やかな雰囲気にアンドレアスは、深く感謝してまた一つスコーンを口に放り込んだ。


***


 マリア達は、ビリュアイトにたどり着いていたが、変わった様子は特に見られず、陽気な街であった。あちこちで笑い声が響き街の人々は皆、笑顔であったのだ。しかし、ソロモンはどこかおかしいと呟きエリスに何かを調べてくるよう言い、自分たちは一通り街をぐるりと回った後に宿の部屋を借りた。そこでようやくソロモンが口を開く。


「元々、ビリュアイトは陽気な街ではございますが誰も彼も嘘くさい笑顔のように感じられます」


 ソロモンの言葉にマリアも頷いて「確かに」と言った。


「笑顔を浮かべてはいるが、皆どこか暗い顔をしている」


 マリアの言葉が意外であったのかソロモンは驚いて目を見開いたけれど、それも一瞬ですぐにいつもの調子に戻り「ええ」と答える。


「ですから、エリスに情報を集めてもらっています。ひとまず、彼の帰りを待ちましょう」


 ソロモンにそう言われ、マリアは「ああ」と頷いてぎゅと拳を作った。その手にジュリアが手を重ね「きっと、大丈夫ですわ」とマリアを安心させるように言葉を紡ぐ。


「ありがとう、ジュリア。わたしは大丈夫だから」


 マリアは笑みを浮かべ、ジュリアにそう答える。けれど表情は少しばかり強ばっており、どこか落ち着かない様子であった。それもそのはずだ。レイヴァンの行方が途絶えたのがここビリュアイトであるし、ここに消息を絶った手がかりがあるのかもしれないのだ。落ち着かないのも無理は無い。それに、あの宗教団体の手がかりもここで見つけられる可能性が高い。マリアは、はやる気持ちを隠しながら凛とした瞳で前を真っ直ぐ見据えていた。その瞳に魅入られるようにジュリアはマリアから視線を離せずにいた。ジュリアには確かに目的があり、マリアと一緒について行く事を決めた。しかし、心からマリアについて行きたいという思いがふつふつとわき上がってくる。

 ついて行こうと決めたのは、この国に蔓延っている宗教団体を消すため。マリアと一緒について行けばある程度であれば情報が掴めるかも知れないと思ったからだ。それにもし、マリアが宗教団体を追い出したくとも彼女は王族であるから動けないというのであれば自ら動けば良いと考えていた。けれど、マリアは城を抜け出してまでこの国のために尽くそうとしている。こんな彼女を見放す事が出来るであろうか。否、ジュリアには到底できない。それが守人という欲目であったとしても心からマリアに仕えたいと思った瞬間だった。そして、今も同じような感覚に襲われている。


(ああ、この人が『王』でよかった)


 ジュリアは自分の心に確かめるように心の中でそう呟く。そのとき、マリアのポケットに収まっていた羅針盤が落ちてしまう。

 ギルが「渡すのを忘れていた」とかで渡された羅針盤は今、“闇”を指していた。


「“闇”……」


 マリアが呆然と羅針盤を見て言葉を紡いでクライドの方を見ればクライドもあまりよい表情はしておらず、どこか複雑そうな表情を浮かべていた。


「やはり、この街には何かありそうですね」


 クライドはそれだけを言い、考え込んでしまう。マリアも顔を伏せて羅針盤を見つめるが羅針盤はただ不吉な予兆を告げるばかりで何が起ころうとしているかは教えてはくれない。

 部屋に沈黙が満ちてしばらくたったとき、エリスが部屋へ来てマリアに頭を垂れて跪くと言葉を紡いだ。


「皆、口を閉ざすので詳しい事はわからないのですが宗教団体が関係しているのは間違いなさそうです。それからこれが」


 言ってエリスが取りだしたもの――それは、マリアもクサンサイトで見た事がある“クスリ”であった。


「これはもう、密輸されていないんじゃ……!」


 マリアが驚き呆然と言葉を紡げば、ソロモンが口を開く。


「おそらく、今まで密輸したものがここで広まってしまっているのでしょう。リカルダ嬢によれば数年ほど前から密輸を行っていたという事でしたので、密輸を行っておらずともまだ使っていない分があっても不思議ではございません」


 マリアの目にうっすらと涙がたまり、悔しそうに唇を噛む。手は強く握り締められており、それほど伸びていない爪で手のひらを切ってしまうのでは無いかと思われたほどだった。

 ぐっと拳を握る手を強めるとマリアはソロモンに問いかけた。


「どうすればいい? この街を、この国を救うにはどうすればいい。わたしは未熟で考えが足りないから教えて欲しい」


「もちろん、根絶すればよろしい。そのために今は何より、“情報”が我々には必要です」


 答えたソロモンの言葉に、マリアもまた頷いてエリスとクライドに街の調査を頼んだ。それを聞けば二人は、すぐに街へ繰り出す。ソロモンはギルとダミアンには酒場で情報収集して貰うよう言った。ギルはすぐに承諾して向かうがダミアンはソロモンに言われるのが気にくわないらしく少し面倒そうにしていた。しかしマリアに「頼む」と言われれば嫌では無い様子ですぐに酒場へ向かう。


「レジー、クレア、ジュリアはひとまずはわたしと一緒にいてもらうが良いだろうか」


「御意」


 マリアの言葉に三人は、そう答えて跪く。笑みを浮かべてマリアは確認するようにソロモンの方を見ればソロモンも笑みを浮かべて頷くと答えた。


「夜にはこの部屋へ戻る事として、それまで街へもう一度行ってみますか」


 マリアは頷くと羅針盤をポケットに突っ込んでソロモンとレジー、クレア、ジュリアと共に街へ出る。けれど大きな異変というものは感じられずマリアは、ふとソロモンに問いかける。


「“彼ら”は一体、どこにいるんだろうか」


「夜になれば何かわかるかもしれませんよ」


 ソロモンの答えにマリアが目を瞬かせるとソロモンがニッと笑って人差し指を立てる。


「悪事というのは闇に紛れて行うモノですから」


 マリアはソロモンの言葉に納得して「確かに」と思った。夜の方が人目につかずに物事を行えるからであろうと思う。けれど、彼らがそれを気にするのだろうかともマリアは考えた。昼間であろうと堂々と悪事を働く者達なのだから、この街でもてっきり当たり前の当然のように悪事を働いていると思ったのだ。

 そんな風にマリアが考えているとマリア達に老人が声をかけてきた。


「あなた方は旅のお方ですか」


「ええ、そうです」


 老人にソロモンが答えれば老人は、ひそひそ声で話し掛けて「悪い事は言わん。早くこの街から立ち去った方がお主等のためじゃ」と告げる。こんな風に人目をはばかって忠告してくるということは、相当この街には根深く根ざしているようであった。


「詳しい事情を聞かせてはくれぬだろうか」


 ソロモンが問えば、老人は押し黙る。あまり口にはしたくない事柄のようで額には、冷や汗を浮かべて持っていた杖を握る手が強められた。それから「こちらへ」というとマリア達を薄暗い路地へ連れ込み、その狭い道をずんずんと進んでゆく。マリアが不安になっているのを汲み取ってソロモンがレジーに小さな声で「ついて行っても大丈夫か」と問いかけるとレジーはこくりと頷く。


「少なくともこの人から悪意は感じられない」


 レジーの言葉にソロモンとマリアはホッと息を吐き出して暗く深い路地を進んでいく老人を見つめる。老人はこちらを振り返る事無く闇の中へ足を突っ込んでいき、やがて一つの扉の前で足を止めるとマリア達を振り返った。


「こちらです」


 老人にそう促されるままにマリア達は扉の中へ入った。中は適当に木で繕った壁と屋根があるだけの部屋で床はなく、下は地面で申し訳程度に茣蓙(ござ)が引いてあるだけだ。

 マリア達に老人は茣蓙の上に座るよう言い、自分は地面の上へ座り込む。マリア達はすでにぼろぼろの茣蓙の上へ座ると老人は「何がお知りになりたい」と問いかけた。


「ここは陽気な街でございますが、皆何かを畏怖しているように感じられるのです」


 ソロモンの言葉に老人は悲しげに目を伏せて「数年ほど前」と切り出して言葉を紡ぐ。老人が言うには、数年ほど前から黒いローブを纏った集団が現れて「神の御心のままに」という言葉の下、彼らはこの地を支配したという。それから、この地の者はその者らに従わされるようになってしまった。武力でねじ伏せる彼らは、自分の都合が悪くなれば街の人を殺すのだという。抵抗を試みた者も少なからずいるが皆、殺されてしまったようだ。その上、その者達はコーラル国がこの国を占領していた間はすべてコーラル国の仕業に見せかけて小さな村々で殺戮行為を行っていたという。


「神のため、神の御心のままにというのが彼らの神髄だとか言っておったがやっている事はただの殺戮行為じゃ」


 老人が最後にそういって悲しげに目を伏せる。マリアも目を伏せて悔しそうに手を握り締めるとその様子に気づいたソロモンがマリアをじっと見つめた。


「ありがとうございます、素性も知らぬ我々に教えていただいて」


「いや、客に何のもてなしも出来ませんで」


 ソロモンの言葉にそう返した老人に最後にレイヴァンの事を聞いてみたが残念ながら知らないと答えられた。そのあと、礼を言ってから老人と別れ少し進んでからマリアはやっと口を開いた。


「わたしが知らないところでこんなにも苦しんでいる人がいる。救わなきゃ、本当に約束を果たすまで」


 マリアの言う“約束”が何であるかジュリアには分からなかった。けれど、前をまっすぐに見据え、危なげな足取りでも進もうとするマリアが眩しく、神々しくも見えた。

 そこでふとソロモンは疑問に思って口を開く。


「さて、姫様。ひとつお聞きしてもよろしいですか」


 静かにソロモンが問いかければマリアはソロモンの方を向き直り、「もちろん」と答える。すると、ソロモンは問いを口にする。それはジュリアやクレアにとっても驚きの問いであった。


「将来、姫様はどうなりたいのですか」


 ジュリアとクレアは、てっきりマリアが女王となりこの国を治めていく者と決めてかかっていたから、この問いに驚いてしまったのだ。当然、この国の女王となるのだろうと二人は思っていたがその予想はあっさりと裏切られた。


「無論、わたしは大地に立ってこの世界を見渡し、この世界に“ひずみ”があるのであればそれを正しい方向へと導く。そのためならば、手段は選ばない。なんて、高すぎる理想だろうか」


 いいえ、と告げてソロモンは首を横に振り笑顔を浮かべて「最高ですよ」と答えた。


「あなたの望みが叶うまで我々は共にあるだけです」


「ありがとう、わたしのどうしようもない我が儘に付き合わせてしまって」


 ソロモンの言葉にマリアが返せば、ソロモンはフッと笑いマリアに恭しく頭を垂れた。


「あなたこそ、我らが主――」


 あなたのような人を望んでいたのかも知れないとソロモンは心の中で呟いた。それを知ってか知らずかマリアは笑みを浮かべ「ありがとう」と再度、告げて聖女のように笑って見せた。否、聖女のような残忍な者では無い。ましてや、悪魔でも神でも無い。この世界を変えてしまうかもしれないという希望の種を深く心の奥に植え付ける笑みであった。

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