第十一章 雨宿り

 マリア達はレイヴァンの辿った道を行くべく、スフェーン街道を通っていた。舗装されたレンガ道は馬で通るのにも通りやすい。


「ここも舗装されているのだな」


 マリアが何気なく言うと、ソロモンが「ええ」と答え、王都へ来るのに行商人がよく使う道だから舗装されているんだと答える。ちなみにクサンサイトへ行く道の途中にある舗装されたレンガ道も、行商人や旅人が良く通るから舗装されたらしい。


「ソロモンは何でも知っているな」


「いえいえ、陛下がそう教えてくださっただけです。わたくし自身は少しの“はかりごと”を巡らすぐらいと経済学を少し分かる程度です」


 十分ではないのか、とマリアは問うたけれどソロモンは首を横に振り「とんでもない」と否定する。ソロモンからすれば“その程度”になってしまうというのかとマリアは驚いてしまう。マリアからすれば十分、知性があるという部類になると思うのだが。


「わたくしはこれでも一応、貴族ですから。教養などあって当然です。これぐらいでおごっていては民にも申し訳が立たない」


 ソロモンが貴族であったのにもマリアは驚いたがまさか「申し訳が立たない」なんて言葉が飛び出すとは思わなかった。ソロモンはこの国を救ったといっても過言では無いほど、その知謀でコーラル国を追いだしたというのに。けれど、彼は決して名声を求めたりしなかった。表向きは、王子が軍を率いてコーラル国を追い出して国を救ったという話になっている。そのため、ちまたでは王子の英雄伝のような話が出来上がっているとマリアは風の噂で聞いていた。マリアからすれば、そんないつわりだらけの話が出回るのを止めたいのだけれど。

 マリア自身、皆に助けられソロモンの策でコーラル国を追い出したようなものなのだから。けれど、ソロモンはそれを決して口には出さないし皆も「別にいいんじゃないですか」の一言で済ますような人たちなのだ。自分ばかりが持ち上げられていい気はしない。

 そんな風に思ってマリアが僅かに目を伏せると隣にいるソロモンがいたずらっ子のような笑みを浮かべて言葉を紡いだ。


「細い毛を持ち上げるのでは力持ちとは言えず、太陽や月が見えるのでは目が鋭いと言えず、雷の響きが聞こえるのでは耳がさといとは言えない。昔の戦いに巧みな者は無理なく自然に勝った」


 だから、その知謀は人目につかず人から賞賛される事は無いとソロモンが言った。


「誰にでもそれとわかるような勝ち方は最善の勝利では無い。また世間にもてはやされるような勝ち方も最善の勝利とは言えない」


 言ってソロモンは柔らかい笑みを浮かべてから、「だから、わたくしはまだ未熟なのですよ」と告げる。確かにソロモンの策を聞けば誰もが舌を巻くようなものであった。けれど、ソロモンの言うところの“知恵者”というのは「無理なく自然に勝つ」ことのようだ。


「だとしても、ちまたではわたしのことばかりを持ち上げる話が出回っていると言うでは無いか」


「まあ、王子様を主人公にした方が子ども受けはいいですから」


 やっぱり納得いかないとマリアがふて腐れているとギルが何かに気づいて空を見上げる。そこには晴れ渡る太陽が煌々と輝いており、ちょうど昼であることを告げていた。


「お昼にしましょう」


 エリスのその一言でマリア達は馬から下りて草原に腰を下ろしてエリスが作ってくれていた食事を食べる事になった。相変わらずの美味しい料理に皆は頬を綻ばせる。


「やはり、エリスの料理が一番いいな」


 ソロモンはそう言ってモーンゼンメル(カイザーゼンメルの表面にケシの実を散りばめて焼いたもの)を囓れば幸せそうな表情を浮かべて「さすが俺の一番弟子だな」と言った。そこをすかさずエリスが「あなたの弟子になった記憶はございませんよ」とつっこむ。

 この場にレイヴァンがいればエリスと共に鋭い突っ込みが飛んだであろうが、残念な事にこの場に彼の姿は無い。

 思わずマリアが少しだけ悲しそうな表情を浮かべればジュリアがマリアに声をかけてきた。


「どうかなさいましたか」


 マリアがジュリアの方を見れば、そこにはピナフォアでは無く動きやすい服を着ていてどこにでも武器が隠せそうであった。さらにスカートでは無くスパッツのようなものを履き、腰には鞭がくくりつけられていた。長い黒の髪は、上で結わえられており邪魔にならないようにしているようだ。


「いや、何でも無いよ」


 マリアがそう答えたけれど、ジュリアは納得はしていないようでどこか不満そうなのを表情にはおくびにも出さずマリアに告げる。


「姫様、何かございましたら何でも仰って下さいね。姫様はこの国の要なのですから」


「ありがとう、ジュリア。その言葉だけでも十分だよ」


 二人の会話を聞いていたギルがマリアの隣に来ると「姫様はレイヴァンが恋しいんですよね」と言ってマリアを茶化すように言ったがマリアは、頬を真っ赤に染めて反論しようにも反論できずうつむいてしまう。


「え、えーと……姫様?」


 ギルは少し慌ててしまった。まさか、ここまで顔を赤らめて言葉に詰まってしまうと思わなかったからだ。からかい半分、本気半分といった調子のギルの口調は周りから見てもどっちか分からず困惑してしまう時が、よくある。けれどマリアは、やはり本気にしてしまってギルに見破られたと言わんばかりにうつむいてしまった。


「ど、どうしてわかったの?」


 やっとマリアの唇から発せられた言葉にギルは、困惑して「そりゃ、姫様の事はよく見てますから」と答えた。それは嘘では無い。ギルはレジーほどでは無いがよく人の事を見ている。特に相手をからかうために周りをよく見ているとエリスからすれば思ってしまうのだが。


「れ、レイヴァンのこと好きとかそんなんじゃないけど、いつも側に居た人が側に居ないと落ち着かないというか……その……“恋しい”っていうのは、恋愛感情とかじゃ無くて……!」


 必死に弁解しようとするマリアがおかしくてソロモンは、マリアにばれないように小さく笑っていた。それを隣でエリスがあきれ顔で見つめ、更に隣にいるレジーは相変わらずの表情の読めない顔。クレアは驚いたように目を瞬かせ、ダミアンはマリアの事が気になりつつも黙々と食事をする。クライドも黙々と食事をしている。ジュリアは驚いたように目を瞬かせた後、すぐに柔らかい表情を浮かべていた。

 言い出した本人であるギルは、内心驚きつつもいつもの表情でマリアに言った。


「ええ、もちろん。“恋しい”というのは今、側に居ない人に強く惹かれるという意味ですからね。姫様、俺は別に姫様がレイヴァンに“恋愛感情”を持っているとはいっていませんよ」


 そう告げた後で“恋しい”という言葉の中には“慕わしい”という意味も含まれている。その言葉の意味としては懐かしく思うという意味と心が惹かれる、また好きという意味も含まれていると心の中で付け加えた。


(まあ、その“好き”というのにも意味が色々とあるが)


 マリアの“好き”が恋愛感情だと確信に至るまでがまだ遠いとギルは思うのだった。


「そういえば、姫様はどんな方が好きですか」


 ギルの問いかけが意外だったのかマリアは目を丸くして瞬かせる。けれど、すぐに考えはじめて言葉を紡いだ。


「そうだな、あまり考えた事無かったけれど、わたしのために戦場を駆け抜けて助けに来てくれる人。なんて、ね」


 それはレイヴァンじゃ無いか、と誰もが思ったが誰一人としてその名を出す事は憚れた。そのあと、食事を終えてマリア達はまたスフェーン街道を通り始めたけれど、晴れていたはずの空に暗雲が立ちこめて青い空を覆い始める。それを見てソロモンが皆に「どこかで雨宿りしよう」と声をかけたがギルは「このままどこか宿を取った方が良い」と言い、皆で近くに宿が無いか探し始めたがなかなか見つからず、とうとう暗雲から土砂降りの雨が降り注いだ。


「あそこ」


 レジーが街道から少し離れた場所にある小さな宿を見つけてくれたお陰でだいぶ雨には濡れてしまったものの、これ以上は濡れずに済んだ。

 宿に入ると従業員がカウンターにおり、そこで部屋が開いているか確認すれば開いているようなので部屋を借りてマリアは借りた部屋でベッドの上へ横になった。そのまま眠ってしまっても良かったが、眠気は襲ってこなくて部屋を出た。すると、ちょうどソロモンと鉢合わせる。


「おや、どうかなさいましたか」


「ソロモンこそ、どうしたの」


「わたくしは、この宿のバーにでも行こうかと思いまして」


 そういえばソロモンは、お酒が好きだったなとマリアは思い出す。レイヴァンが酔っ払ったソロモンを担いでいるのを何度か見た事がある。


「そうか、わたしも一緒に行っていいだろうか」


 どうせ何もやる事が無いのだからかまわない。それにソロモンが一緒ならば安心だろう。そんな風にマリアが考えていたけれど、ソロモンはあまりいい顔はしない。苦虫を噛みつぶしたような彼の顔にマリアは首を傾げた。


「あなたをあまりそういう所には連れて行きたくは無いのですが」


 そういうことかとマリアは思ったけれど、前に酒場だって行った事があるのだから大丈夫だと思うのだけれど。そうマリアが表情に出すとソロモンは、「あの時はあの時ですよ」と言った。


「あの時は、エイドリアン殿もいましたし。それにレイヴァンもいました。それと街の外よりも酒場の方が安全だと思ってお連れしたんですよ。あそこの主人とは顔見知りでしたから」


 けれど、ここは初めて訪れるしマリアを守れる保証は無いとソロモンは告げ「このような場所に連れてきた事がばれたら陛下やレイヴァンもいい気はしない」と言った。


「大丈夫だと思うが」


「ま、そうですね。バーの方が酒場よりも安全といえば安全ですが」


 酒場に来る人なんて、だいたい何かわけありな人が多く口を開けば惨めな話や愚痴ばかりだ。そんな人が酔うために来るような場所であるから、レイヴァンがマリアを近づけたくないのは分かる。バーとて酒場の一種であるが、街にある酒場は下級の者が行くのに対し、バーはそこそこ階級の高い者が行くものだから酒場に比べれば客も礼儀がなっている。


「だったら!」


「しかし、あなた様のような方が行くべき場所ではございません」


 ソロモンの答えにマリアは、少しだけ肩を落とした。仕方ないか、と思い直してマリアは矢籠を腰に付けて宿を出て行こうとすれば、ソロモンがすかさず慌てて「どこへ行くおつもりですか」と問いかけた。


「部屋にいても仕方が無いし、弓の練習でもしようかと」


 ソロモンは頭を抱えた。外は雨がどしゃぶりに降っているから宿を取ったというのにそれではまた濡れてしまうでは無いか。それに、共をつけずに外へ出るなど言語道断だ。


「また雨に濡れて風邪を引かれては困ります。お願いですから宿の外にだけは出ないで下さい」


「けど……」


「わたくしと一緒にバーに来てもいいですから。ただし、これだけは約束して下さい。絶対にわたくしの側を離れないで下さいね」


 マリアは元気よく頷くと、矢籠を部屋へ戻してソロモンと共に下へ降りてバーへ入った。するとそこには、すでにギルの姿がありカウンター席に座って何杯か麦酒を呑んでいる様子であった。


「あれ、ソロモン殿に……姫様?」


 マリアがバーに来るとは思わなかったようでギルが驚いたようにそう言った。ソロモンはマリアをギルの隣に座らせ、自分はマリアの隣に座りマリアを真ん中にはさむように座った。

 マリアはどこか居心地の悪さを感じたが守るためだと分かっているので大人しくしたがった。ソロモンは水と自分が呑む分の麦酒を注文する。バーの主人が水をマリアの前に麦酒をソロモンの前に出した。麦酒を少しずつソロモンが呑んでいるのをマリアがじっと眺めているとギルが「どうかいたしましたか」と声をかけてきた。


「あ、いや……お酒を飲んでるの初めて見たなあ、と」


「ええ、まあ。さすがに主の前でお酒を飲むのは憚れますから」


 マリアの言葉にソロモンがそう返した。ソロモンなりにマリアに気を遣っていたようだ。確かにマリアは、まだ未成年であるし、お酒に興味を持たれても困るのだから当然と言えば当然である。それにソロモンは酔いやすいため、主の前で失態をさらすわけにはいかないからであろう。


「なんだか、悪いな」


「いえいえ、当たり前の事ですよ。主に醜態をさらすわけにはいきませんから」


 思わず言ったマリアの言葉にソロモンは、そう返して柔らかく微笑むと、またコップに口を付けたけれど少ししか口に含んでいない。マリアの前だから遠慮しているのだろうか。


「姫様、今後はこんなところに来てはいけませんよ?」


 麦酒を飲みながらギルがマリアに忠告すれば、マリアは小首を傾げる。どうやらわかっていない様子であるのでギルは、マリアにずいと顔を近づけると言葉を紡いだ。


「こんな所に女が来れば男は放っておかないですよ。特にあなた様のような可愛らしい子。すぐにでも悪い男に捕まってしまいますよ」


 例えば俺とか、と言ってギルは意地悪く笑みを浮かべたけれどマリアは気にもとめていない様子で「いくらなんでも、それはないだろう」と笑い飛ばした。


「わたしはまだ子どもであるし、それにこの格好を見れば誰もそんな気を起こさないよ」


 マリアのその答えにギルは「やれやれ」とでも言いたげに僅かに息を吐き出した。それから「何も分かっていない」と呟くとさらに顔を近づけた。お互いの息がかかる距離でマリアの鼻を麦酒のニオイがくすぐった。


「そんなことわからないでしょう? 人にはぞれぞれ好みというものがあるのですから。それに今、この場にいる俺やソロモンだってあなたを酔わせて襲うかもしれない」


「何、言って……」


 マリアがそういったときだった。マリアの後ろでガタンと音がしてコップが倒れて中身の麦酒が零れたのは。驚いてマリアとギルがソロモンの方を見ればすでに酔いつぶれており、顔を真っ赤にして意識を失っていた。


「酒に弱いのは知っていたが早すぎだろ」


 ギルが思わず呟いてカウンターに2マルク紙幣と50ペニヒ硬貨を主人に一言いってから置くとソロモンをおんぶしてマリアと共に部屋へ戻る事となった。

 ギルと共にマリアはソロモンの部屋を訪れ、ギルはソロモンをベッドの上へ寝かせるとマリアと共に部屋を後にする。それから、マリアはギルと少し外へ出る事にした。外といっても宿にあるベランダへ出るだけでギルは酔いを覚ますために出るようだ。マリアは付き添いといいう名目で一緒にベランダへ出る。

 ベランダには、簡素であるが机とベンチが置いてあった。そのベンチに二人して座れば、ギルが口を開く。


「お姫様、今後はバーになんて来ては駄目ですよ」


「ソロモンとギルも一緒だったのだから、いいじゃないか」


 無邪気な笑みを浮かべてマリアは、答えたけれどギルはいい顔をしない。それから、マリアにもたれかかれば青い瞳が驚いてギルを見る。


「そういう問題じゃ無いです。それに男と二人っきりにもなってはいけませんよ。今みたいに」


 ギルは、マリアにまた忠告した。けれど、マリアは聞き入れるつもりは無い様子で「大丈夫だよ」と言った。


「だって、ギルは仲間じゃないか」


 ついにはギルの方が、何も言えなくなってしまって口を噤み「参ったな」と呟いた。いくら言っても、マリアにはどうもギルからの忠告は効かないようで馬耳東風だ。否、きっと誰が言っても“この忠告”は聞き入れないだろう。マリアにとって旅の仲間は、自分に害をなさないことを信じて疑わないからこそ出る言葉だろうとギルは思う。

 ニヤリと口角をあげてギルが、マリアの手を握った。ギルの手からマリアにあついような冷たいような飲酒をした人独特の体温が伝わる。


「ギル?」


「ねえ、お姫様。あなたはどうしてそこまで、我々を信じてくださるのですか」


 ギルの問いかけが意外でマリアは一瞬、目を見開いたけれどすぐに笑みを浮かべてなんてこと無いように言ってのける。


「そんなの無条件でわたしに仕えているからに決まっているだろう?」


 ギルは「え」と言葉を漏らした。けれどマリアは毅然としており、一片の揺るぎも感じられなかった。


「無条件でわたしに仕え、無条件でわたしを守ってくれている。そんな人たちに疑う余地なんて無いよ。むしろ、何も返せなくて申し訳ない」


「けど、何か“利”があるからあなたの側に居るだけかも知れませんよ。もしかしたら、寝首をかかれるかもしれない」


 ギルの言葉にマリアは、小さく笑って外を眺める。 ベランダからはどしゃぶりの雨で辺りはよく見えなかったけれどマリアの目はどこか遠くを見つめていた。


「少なくとも、ギルはそんなこと考えて無さそうだ。そうやって、忠告してくれるのだから。本当にしようとする人は、そんなこと忠告したりしないよ」


 本当に甘い……ギルはそんな風に思ってマリアを見つめていた。そう思わせて寝首をかくかもしれないというのに主は、一片も疑わない。それどころか、「大丈夫」だと簡単に言ってのける。守るのも主からの信頼を得るための嘘かも知れないというのに。誰かが裏切るという可能性を何一つとして考えない。だから、この国は一度はコーラル国の手に落ちたというのに。けれど、マリアの言葉は誰よりも重いとギルは感じていた。マリアの言葉には、信頼しているから裏切るなと言われている気がするのだ。マリアとて裏切られるのが一番、恐いからだろう。だからこそ、前をまっすぐに見据え、少なくとも我々に報いようとしている事は手の取るように分かる。


「お姫様、あまり無理しないで下さいね。俺だってずっとあなたを見ているわけでは無いんでね」


「ああ、分かってるよ。ありがとう」


 ギルは思いの丈をマリアの告げると立ち上がった。それから、マリアの方を向いて「そろそろ戻りましょう」と告げればマリアは頷いて「うん」と答えた。そのあと、二人は自分の部屋へ戻る。けれど、やはりやる事が無くてマリアは「つまらないなあ」とぼやいた。


「はやく、レイヴァンに逢いたいのに」


 思わず呟いて窓に近寄ると窓は、立て付けが悪いのか風でカタカタと音を立てていた。もう一度、その名を呼ぶとさらに雨風が強くなって窓の隙間から冷たい風が降り込み、マリアの体温を奪ってゆく。

 思わず指先が冷えて温めるように服でくるみこむと、マリアの首から提げているペンダントの宝石が淡い緑のような青の色を呈した。

 マリアが思わず呆然と「え」と呟くと、どこからか懐かしい自分の名を呼ぶ声が聞こえてきた。


『マリア……』


「誰?」


 マリアが思わず問いかけて辺りを見回したけれど誰もおらず、その場には自分しかいなかった。名前を確かに呼ばれ、しかもその声はどこか“レイヴァン”に似ていてマリアは「どこにいるの」と問いかけたけれど、答えとなるものは返っては来ない。

 マリアは座り込み、ペンダントの宝石を握り締めたけれど決して声は聞こえてこず、ただ時間だけが過ぎていった。


 翌日、雨が上がったので宿をあとにする。それから、預けていた馬を馬小屋から出して鞍をつけると馬にまたがって街道をまた進み始めた。その間もギルは何やら落ち着かない様子でどこか遠くを見つめている。そんなギルにレジーが声をかけた。


「どうかした?」


「いや、“水”がどこか一カ所に集まっているみたいでな」


 どこに、とレジーが問いかけるとギルが指さす。そこには太陽の光を満面に浴びてきらきらと輝く川があった。まだ街道をあまり進んではいなかったけれど、ソロモンが今にも吐きそうな青白い顔であったため、そこの河原で休憩する事にした。

 風にゆれる草花の上にソロモンが座り込むとすかさず、エリスが彼の介抱をする。ギルとレジー、ダミアンは川の中へ足を突っ込んで何やら探し始める。クレアも川の中へ足を突っ込んでいるが、どうやら暑かったようで涼んでいる。クライドとジュリアは、マリアの側におり、どうやら護衛として側に居るようだった。マリアは断ったのだが、二人して頑なであったためマリアの方が折れて二人に側に居て貰う事にした。

 しばらく、そうしてくつろいでいると川の中から何やら紙の切れ端を見つけ、ギルがマリアに差し出した。


「これ、もしかして……」


 マリアはそう呟き、カバンから日記帳を取り出すと切れ端と合う部分を探してページをぺらぺらと捲る。やがて、あるページで手を止めて切れ端とあわせればピタリと合わさった。そこには、こう書かれていた。


『ジークはレイヴァンを守れただろうか。今、どこにいるのだろうか。今すぐに会いに行きたいけれど、それは許されないから。どうか、私の愛しい人たちが傷つかないように、悲しまないように。どこか遠くへ祈ろう。いつか、また出会えるように』


 切れ端では、ここまでしか読めなかった。マリアが持っている日記帳をソロモンや守人達も覗き込んでソロモンは前にクライドとクレアに言ったようにジークフリートの話をマリアに聞かせた。


「わたくしが知っているのはこれだけです。申し訳ございません」


「いや、かまわないよ。十分だ」


 ソロモンの言葉にマリアがそう返した。それからマリアはぎゅと日記帳を抱きしめて愛おしげにどこかを見つめる。そんなマリアの手と自らの手をクライドが重ね合わせた。驚いてマリアがクライドの方を見つめればクライドは言葉を紡いだ。


「いつかその日記帳をレイヴァン殿にお渡ししましょう。その日記帳からはレイヴァン殿への強い思いが感じられます」


「じゃあ、レイヴァンに渡さないとね」


「はい」


 マリアは嬉しそうに表情を浮かべ、「はやく会いに行かなきゃ」と呟いた。


***


 王都、ベスビアスの王城。

 国王オーガストは、落ち着かない様子で自室でうろうろしていた。マリア達がいなくなったのはもちろんのこと、国政についても考えなくてはならなかった。まだ国は復興に至ってはいない。まだ時間のかかる事だ。

 そんな様子のオーガストに王妃アイリーンは言葉をぶつけた。


「そんな風に室内をうろうろしていても解決しないでしょう? 慌てず、落ち着いて、はい深呼吸」


 子どもに言うようにアイリーンが言うとオーガストは素直に従って深呼吸する事にした。けれど――


「どうしよう!? このままじゃ……」


「落ち着け」


 慌てるオーガストにアイリーンが今度は冷たく言い放つ。呆れ果てアイリーンは、とにかくオーガストに落ち着くよう言った。オーガストは何とか落ち着きを取り戻したものの、落ち着かない様子でやはりそわそわしている。


「とにかく、“待つ”ということも大切よ。もし、攻めてこられたとしてもソロモンがちゃんと書いて行っているんだから」


 言ってアイリーンはソロモンが書き残した手紙に目を通す。そこには、計略が書かれていた。


「そもそも、オーガスト。あなたはまだ起こってもいないことで心労しすぎなのよ。もっと肩の力を抜きなさい」


 アイリーンがオーガストにそう言ったときであった。コンコンと扉が遠慮がちにノックされ、アイリーンが返事をするとセシリーが部屋へ入ってきて二人に頭を垂れた。


「お久しぶりです。国王陛下、王妃様」


「そんなにかしこまらなくていいわ、セシリー」


 王妃がセシリーにそう声をかけるとセシリーはいつもどおりの人なつっこい笑みを浮かべて「はい」と元気よく答えた。


「それで、グレンは今どこに?」


「私と一緒に王都へ来ています。今は客室で待機中です」


 王妃の問いにセシリーがそう答えると国王は「わざわざエイドスからありがとう」と告げる。 セシリーは思わずかしこまったけれど、王妃が「かしこまらなくていいから」と念を押して言った。少し困ったような表情をセシリーは浮かべたけれど「はい」と答えて軽く会話を交わした後、部屋を後にした。

 廊下を歩いていると正騎士であるエイドリアンが反対側から歩いてきたセシリーに声をかけた。


「あれ、セシリーじゃ無いか」


「はい、お久しぶりですね。エイドリアン様」


 セシリーがエイドリアンにそう返せばエイドリアンは、満面の笑みを浮かべて笑う。あまりに豪快に笑うものだからガチャガチャと武具が重なって音を立てる。


「かたっくるしいのは、よしてくれ。それにしばらくは王都にいるんだろう?」


「はい! しばらくは王都で錬金術をやろうと思っています。なので、よろしくお願いします」


 ぺこりと頭を下げてセシリーが言えばエイドリアンは「堅くなるなよ。これから、よく顔を合わす事になりそうだしな」と言った。


「聞いてるだろ、王都に呼ばれた理由」


「はい、確か防衛のためだと聞きました」


「ああ、だからあんたが王都にいてくれたらおれたちも万々歳だ。あんたがこの国を守っているようなものなんだからよ」


 大げさだとセシリーは言ったけれど、エイドリアンは「大げさじゃ無いさ」とセシリーに告げ、「あんたの兵器がこの国を守っているんだからよ」と言った。

 確かにエイドリアンの言ったとおりで、セシリーが新しい兵器を作ったから他国が攻め入れない要因の一つとなっている。


「えへへ、ありがとうございます」


 セシリーが返して頭をかくとグレンが部屋から出ていたのか、エイドリアンが来た方向と同じ方向からやってきてセシリーの姿を見つけると声をかけてきた。


「セシリー様、このあとどうなさいますか」


「ん? 今日は部屋で休もう。さすがに疲れたし」


「そうですね。セシリー様がよく寄り道をなさるから」


「だ、だって~、珍しい植物があったら採取しておくものでしょう」


 セシリーがそう言えば、グレンが頭を抱えかけて「全く、それでどれほど時間がかかったと」と呟いた。セシリーは、子どものように「だって、だって~」と駄々をこねる。その様子を眺めて、エイドリアンが小さく笑うと言葉を紡いだ。


「ずいぶんと仲良くなったなあ」


 しみじみと呟いた言葉にグレンは、どこか心の奥が暖まるような感覚がした。

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