第九章 白銀

 あたりはあまりに静かだった。まだ夕方前であるはずなのに呼吸をする気配すら感じられずフィーネは、ふと不安になって部屋の扉を開ける。それから、マリア達の元へ向かうために部屋を出たけれど部屋の場所を知らない事に気づく。こんなことならば、マリア達に部屋の場所を聞くべきだったとフィーネは後悔した。けれど今更、後悔しても遅いので仕方なく誰かいないのか捜す事にする。地主である男は、自分を良く思っていないようだから、あの男に聞くのは無しだ。衛兵でも誰でもいい。むしろ、衛兵や使用人の方が自分を快く受け入れてくれそうだとフィーネは思った。

 部屋からだいぶ歩いたが、衛兵どころか使用人ともすれちがわない。城に来るのが初めてといえど、フィーネは違和感を抱く。いくらなんでもおかしい、とフィーネは辺りをきょろきょろと見回しつつ声を出す事にした。


「あの、誰かいませんかぁ」


 おかしい、誰も来ない。これでは何だか、この城にいるのが自分だけのような錯覚に陥りそうになる。けれど、そんなことあるはずが無いのだから声をさらに張って呼びかけた。やはり、辺りはしんと静まっていて不安と焦燥で頭がおかしくなりそうだとフィーネは思う。


「誰か」


 声が震え、怯えていた。喉の奥に何かが詰まっているような妙な感覚がしてフィーネは自分が思っている以上に今の状況に恐怖を感じているのだと実感する。瞳にはうっすらと涙が浮かび、足はがくがくと震えていた。そんな自らの足を手で打ち、涙を乱暴に拭うと前を真っ直ぐに見据え歩き出す。


(大丈夫、大丈夫)


 生きていた頃の母が自分にしてくれたように心の中で「大丈夫」と呪文のように呼びかけた。すると、不思議と涙は引き足の震えも消えていく。

 とにかく状況を把握しないと、そうフィーネは考えると廊下をうろうろするだけで無く部屋も入ってみたりした。けれど近くにある部屋は、物置だったり押し入れだったりで到底、人が頻繁に出入りするような場所じゃ無い。こんな様子では、一向に人がいる場所に何かたどり着けやしない。周りに人がいないと感じたのは、自分の割り当てられた部屋が実は物置のような部屋だったからだと言い聞かせる事にして遠いだろうが人のいる場所を目指す事にする。

 ずんずんと広い廊下を進んでいくのも暇であるので辺りを見回す事にした。天井にはきらきらと宝石のようにシャンデリアが輝き、廊下の両側には花も刺さっていない大きな花瓶と甲冑が飾られている。全身覆う形のその甲冑は板金鎧プレートアーマーと呼ばれるもので顔すらも隠れてしまう形の鎧だ。もっとも、これは飾りであるが。

 フィーネは、甲冑に近づきぺしぺしと叩いた。それから「全身は守れるけど、これじゃあ戦えない気がする」と呟くとまた廊下をうろうろと歩き出す。その間も誰かいないか部屋を片っ端から扉を開けていた。ある物置の部屋を開けたとき、フィーネは不思議に思って部屋にあるホコリの被っていない“モノ”に近寄ってみる。それは、実用性を重視しながらもそれなりに装飾が施された剣であった。もう一つは、剣とは対照的にずいぶんと使い古された矢籠しこ。これを見てフィーネはマリアがしていた事を思い出す。フィーネを助け出したときには、確かに装備していたのに何故、今はしていないのだろうと疑問に思った。だが、あのいじわるな地主が取り上げたんだと勝手に決めつけるとそれを持ってまた廊下を歩き出す。重たいのか、時折持ち直したりしながら。

 フィーネが前を見ず、別の方向を眺めながら歩いているときだった。前に人がいる事に気づかず、ぶつかってしまう。さらには、手に持っていた剣と矢籠しこも落としてしまった。


「あう、ごめんなさい」


 とっさにフィーネが、謝って前の人物を見ると黒い柱のようなものが目に映った――かと思えば、それは柱では無くダークスーツを身に纏った上級使用人、執事であった。執事は、美しくなれた動きで腰を折り、フィーネと視線を合わせて言葉を発した。


「大丈夫ですか、お嬢さん」


「はい、大丈夫です」


 フィーネはそう答え、慌てて剣と矢籠しこを取ろうとしたが、それよりも先に執事がを手にとってどこか興味深そうにそれを見る。


「それは!」


「君のような子どもがさわるものじゃないよ」


 執事にそう諭され、フィーネが泣きそうになってしまう。それから、地主がマリアにいじわるして取り上げたモノだろうからマリアに返そうとしていたと告げると執事が小さく笑ってからフィーネの髪を優しく撫でる。


「じゃあ、わたくしが王子様に返してあげておきますから」


「本当に?」


「ええ、このゲルト。この命にかえましても、王子様のご友人の命を承りました」


 刹那にフィーネは、ぱっと表情を笑みに変えて「お願いします」と頭を下げるとパタパタと廊下を駆けていった。その背中をほほえましそうに眺めながら執事、ゲルトはふと真剣な眼差しへと変わり懐から懐中時計を取り出すと時間を確認する。


「さて、フィーネ殿のおつかいに行って参りましょうか」


 呟いてゲルトは、窓の外を見る。そこには、オレンジ色の景色が広がっていた。



 マリア、ジュリア、レジーは先ほどの地下へ押し込まれ、手足を縛られていた。ジュリアはザシャを睨み付けレジーは相変わらずの飄々とした表情であったが、その瞳の奥には焦りと怒りが混ざっていた。ふたりの様子を眺めつつマリアはザシャに問いかける。


「あなたは一体、何がしたい?」


 強めの口調でマリアが問いかけたけれどザシャは気にもとめていない様子でマリアの方へ視線を向ける。その目は確かにマリアを見ているはずであるのに、別の何かを見つめているようにマリアは感じた。


「もちろん、初代女王の魂を今一度呼び覚まし、我が国に革命を起こすのです。我が主が王子の血と肉を捧げようと申しております。王子は初代女王陛下の血肉となるのです!」


 ザシャの瞳は何も映してはおらず、狂ったように地下にある本の方向に何度も頭を垂れては“救世主メシア”と叫ぶように祈り、手をすりあわせる。

 その光景にマリアだけで無く誰もがぞっとした。ザシャの近くに控えている衛兵達も自分の主を半ばあきらめたように眺めていた。けれど、慣れているのか軽蔑の眼差しでは無く「仕方なく」という表情で見つめる。その狂った主とそれを見つめる臣下達の様子もどこか“いびつ”に見えてマリアのブルーダイヤモンドのようなきれいな瞳が悲しげに歪められる。


「あなたは何に対してそんなに祈っているの」


 ぼそりとマリアが呟けば、ザシャの口元が歪められ、マリアにずいと顔を近づける。


「大いなる王のためですよ。王子にもきっといずれわかります。偉大なる王の為に!」


 言ってザシャは、ポケットから“白い粉”を取りだした。それを見てレジーが「“クスリ”」とボソリと呟いた。どうやら、ザシャが持っているのはカルセドニー国から輸入された“クスリ”らしい。


「もしかして“クスリ”の密輸を行っていたのは、あなたなのですか」


「ええ、我が主の御心に沿い穢れを打ち払うモノなのでございます」


 マリアの問いにザシャは答えながら杯に水を注ぎ、白い粉を流し込めば、たちまち白い粉は水の中に溶け込む。その杯をマリアの前に差し出した。


「さあ、お飲みください。これを飲めばあなた様は神になれるのです」


 ずいずいとザシャは、杯を近づけマリアに飲ませようとする。マリアは「神になんてわたしはなりたくない」とハッキリと拒絶の言葉を発した。けれどザシャの方はあきらめが悪くマリアに尚も飲ませようとする。マリアはさすがに恐くなって目をぎゅと閉じた。刹那に風切る音が聞こえてきたかと思えば杯が下へ落ちて水が零れた。マリアが驚いて目を開くと杯の隣には“くない”が突き刺さっており、どうやら“くない”が杯に向けて投げられたようであった。

 息を飲んでマリアが呆然と“くない”を見つめていたがザシャは辺りを見回しながらわめき散らす。


「誰だ、神聖なる儀式を邪魔したのは」


 けれど、周りに居る衛兵達も知らないようで辺りをキョロキョロと見回していたが、衛兵の一人が天井を見上げて固まった。刹那に黒い影が天井から下りてきて衛兵の側を駆け抜けるとマリア達の元へ到達したかと思えば皆の縄をほどき始めた。


「ギル!」


 影の主が誰か分かるとマリアは、頬を綻ばせて名を呼んだ。するとギルはニッと笑みを浮かべてから「俺だけじゃ無いですよ」と答えれば天井からエリスとダミアンも現れて衛兵達を縛り上げる。

 ギルはマリア達の縄をほどき終えるとザシャを冷徹な瞳で見つめた。


「さあて、この落とし前どうつけてもらおうか」


「落とし前って。わ、わたくしは我が主のために!」


 ザシャが叫んだときだった。地下室にぞろぞろと黒いローブを着た妙な集団が入ってきた。それを見てザシャはその集団に「助けに来てくれたか」といったが黒いローブを着た集団の一人がザシャにとって絶望的な言葉を吐いた。


「我が主の望みも叶えられぬ無能な人間はいらぬ、切り捨てろ」


 ザシャは喚いたが、黒いローブを着た一人に槍で刺され、血を流して倒れた。それから黒いローブを着た集団はとマリアの方へ一斉に視線を向ける。驚いてマリアが、体を強ばらせればギルが前に立つ。


「お前等、何者だ」


 あくまで冷静にギルが問いかけた。黒いローブを着た集団は、どこか不気味な雰囲気を纏いながら答える。


「もちろん、我が国の本当の王を敬い慈しむ。それが我々の目的であり、信念」


 ハッとギルは嘲笑って「何が信念だ、ただのテロリストだろ」と告げればローブを着た集団は口々にギルの言葉に異論を唱え、槍をギルの方へ向ける。心配そうなマリアとは対照的にギルは余裕の笑みすら浮かべて呟いた。


「やれやれ、困ったねえ。“武力革命主義者”は」


「そんな野蛮な者と一緒にするな!」


 叫んだかと思えば、ローブを纏った集団が襲いかかってくる。マリアが怯えて見ていると、ギルがそっと囁いた。


「大丈夫です、信じてください」


 それだけを告げるとマリアと離れて刀を鞘から抜く。そして、ギルに襲いかかった者達は皆、血を吐いて地面に倒れると動かなくなった。


「まだやる? 俺はそれでもいいよ」


 ギルが言うとローブを纏った集団は怖じ気づいて槍を持った状態で固まる。けれど、その中の一人がマリアの方に視線をやるとマリアに襲いかかろうとしたが、その前にエリスが弓で矢を射ってその男を倒した。

 もう大丈夫だろうか、とマリアが思ったときだった。ローブを纏った集団の中で位が高い人物が、いつの間にかマリアの後ろにおりマリアに剣を向けていた。


「それ以上、仲間を殺せば王子を殺す」


 ギルは「ぐ」と奥歯を噛みしめて刀を持つ手を強めた。けれど、その顔に余裕の表情が浮かんできて「はいはい」と呟いた。その余裕に男がいぶかしげに思っていると男の体がふと自由が利かなくなり、男は焦燥する。


「なんだ」


 マリアは口笛の音に気づいてレジーの方を見れば、口笛を吹いていた。

 やがて男は剣を手から滑らせ、マリアの体を解放する。マリアが慌ててレジーに駆け寄れば、転がり込むように来たマリアの体を受け止めてくれた。


「ありがとう、レジー」


「いえ」


 短くレジーが答えると男は、槍を持ち直しマリア達に向かって投げる。思わずレジーはマリアを背に庇うがこのままでは二人とも槍に突き刺されると思った時だった。その槍がダミアンのパルチザンによって地面に落とされたのは。どうやら、ダミアンがパルチザンを横から投げ、見事に槍に当たったようだ。

 ダミアンが笑みを浮かべつつ地面に突き刺さったパルチザンを引き抜けば男は悔しそうに舌打ちをする。そのとき、地下の様子を怪しんでかリカルダがやってきた。


「父上?」


 男はリカルダをすぐさまつまみ上げると今度はリカルダに剣を向けた。衛兵達もさすがにざわめいて焦燥の色を浮かべる。


「リカルダ」


「お、王子様……」


 マリアが名を呼べばリカルダは目に涙をたっぷりと浮かべ、マリアを呼ぶ。けれど、マリアは自分が力不足である事は誰よりも分かっているのでリカルダを助け出したいものの実行できずに歯がゆそうな表情を浮かべていた。

 しかし次の瞬間。男は背後から刺され、リカルダを手放した。駆け寄ってくるリカルダをマリアが受け止めると同時に男が地面に血を流して倒れ込む。そして、そこに立っていたのは執事、ゲルトであった。


「ゲルト!」


 誰よりも驚いてリカルダがそう名を呼ぶとゲルトは短剣をしまいこみリカルダの元まで近寄ると恭しく頭を垂れる。それは、とても慣れた動きであった。


「恐い思いをさせて申し訳ございません、お嬢様」


 リカルダはマリアの元を離れ、ゲルトに抱きつく。相当、気心の知れた間柄なのだろう。そんな風にマリアが思ってほほえましそうに笑みを浮かべていると黒いローブを纏った集団は、退散しようとした。だが、その前にギルとダミアン、レジーによって捕らえられ縄で縛られた。

 衛兵達も縄で縛られたままであったがゲルトが「この方達はあなた方を襲うつもりはありませんよ」という一言でほどく事にした。ゲルトの言葉を全面的に信じたわけでは無いが、確かに衛兵達は命令されてしただけのようであったのでそれに従った。


「それから、王子様。こちらを」


 言ってゲルトはマリアに剣と矢籠しこを渡してきた。


「ありがとうございます」


「いいえ、お礼はフィーネ殿に仰ってください。フィーネ殿が見つけ、わたくしにこれを王子様に渡して欲しいとおっしゃいましたから」


 ゲルトは、マリアの言葉に返した。そんな彼にマリアは「でも礼のひとつくらい言わせてくれ」と答えて剣を帯剣し、矢籠を腰に付ける。刹那、ローブを纏った集団が小型のナイフで縄を切るとマリアに襲いかかってきた。マリアはとっさに剣を抜き、男達の手を狙って斬りつける。ゲルトも懐からナイフを取りだして男達の手を狙って投げれば、それは寸分の違い無く手に突き刺さった。男達はうずくまって大人しくお縄にかかるかと思いきや、それでも足掻いて外へ出て行った。慌ててマリアは剣を鞘に戻して追いかければ後ろでレジーがマリアを止める声が響いたけれどかまってられず、飛び出す。外へ出ると、マリアの前に一人の武装した男が立ちはだかって剣を引き抜いてマリアに襲いかかってきた。マリアは慌てて剣を抜き、かまえると男の剣を受け止める。マリアの剣が月の光を浴びて白銀色に煌めいた。

 マリアは男の顔をよく見ようとしたが、月光を背にして立つ男の顔は、仮面に覆われており素顔は見えない。


「この俺の剣を受け止めるとは。世間知らずな小僧だと思っていたのにやるな」


「あなたは、何者……」


 マリアが問いかけたとき、地下から守人やジュリア、ゲルト達も現れてジュリアが一番に男の存在に気づいて男に向かってナイフを投げれば、男は大きく飛び退いた。


「おっと、こちらのほうが分が悪いようだ。悪いが退散させてもらうぜ。俺はもうすでに役目を果たしたしな」


 それだけいうと男は、走り去ってゆく。マリアはその背を眺めながら剣を鞘に戻せばマリアの周りに守人やジュリアにゲルト、それからリカルダや衛兵達もやってきた。

 マリアはふと空を見上げる。そこには、煌々と輝く月が全てを知っているかのように昇っていた。


「王子様」


 リカルダが小さくマリアを呼ぶ。マリアは振り返りリカルダを見つめれば、目を伏せていいにくそうにしながらも言葉を紡いだ。


「数年ほど前から父上は、おかしくなってしまったのです。妙なローブを纏った男が『平和のため』とかなんとかいって父上をそそのかして、父上はあの集団のいう事を何でも聞いてしまうようになってしまったのです」


 話してくれてありがとう、とマリアがリカルダに告げれば涙をたっぷりと浮かべて「ごめんなさい」と何度もマリアに謝る。マリアは「謝る必要は無いよ」とリカルダにいったけれど首を横に振り、すんすんと鼻をすすりながら涙をこぼした。


「父上に変わり、わたくしがどんな罰でも受けますわ」


 リカルダの言葉にマリアは優しい笑みを浮かべて首を横に振る。それから「罰は下さない。だけど、一緒に王都へ来ないかな」とマリアが言えばリカルダは驚いたように目を瞬かせ顔を上げる。


「この地には今、地主がいない。だから父上にそのことを相談しないと。それから、今後の君の境遇の事もね。もちろん、悪いようにはしないよ」


 マリアの言葉にリカルダは泣き崩れる。その体をゲルトが支え衛兵達に的確な指示を出してゆく。それからリカルダが泣き疲れて眠ってしまうとマリア達を向き直り、「ありがとうございました」といって頭を下げた。


「いえ、わたしは何も」


「王子様はこの街に蔓延った“根”を絶ってくださいました。ザシャ様は残念な事になりましたが、遅かれ少なかれこうなる運命だったのです。皆様にはお食事を用意いたしますから」


 告げるとゲルトはマリア達の元を去って行く。その場にはマリアと守人、それからジュリアが残された。外にいても仕方ないと思いマリア達が、城へ入ると目を真っ赤に腫らしたフィーネがマリアに抱きついてきた。


「よかったー、お姉ちゃん。あの悪いおじさんに何かされたんじゃ無いかと思って」


 フィーネの言葉が当を得ていてマリアは驚いてしまったが「大丈夫だよ」と告げて安心させる事にした。けれどフィーネはわんわんと泣き出してしまい何度も「よかった」と呟いていた。そんなフィーネの頭をエリスが撫でてやるとフィーネはやっと泣き止んだ。すると、ちょうど夕食の準備が出来上がってマリアと守人達。それからフィーネは一緒に食事をすることとなった。

 ジュリアは下女として皿を準備したりし始めた。そんなジュリアにマリアは、にっこりと笑み浮かべて見せ言葉をかけた。


「ありがとう、ジュリア。色々と助けて貰って」


「いいえ、とんでもございませんわ。『我らが王』のためならば」


 ジュリアの答えにマリアは目を見開く。そんなマリアにジュリアはにっこりと笑みを浮かべて見せて「秘密」とでも言いたげに人差し指を立てた。そんなジュリアにギルも声をかける。


「もっとちゃーんと自己紹介して欲しいね、守人さん」


 ジュリアはギルの方を一瞥した後、すす汚れたピナフォアのスカートの裾を掴んでお辞儀をする。そして、「改めまして、わたくしは〈金の眷属〉の守人ジュリアと申します」と告げた。


「そうか、だから『守り抜いてみせる』と言ってくれたのだな」


 そうマリアが呟いた後でギルが意地悪そうな笑みを浮かべて告げる。


「それに王子が朝食を食べようとしたら水をぶっかけられたでしょう? 実はあの食事には睡眠薬が入っていたのですよ」


 つまりジュリアは、わざと水をマリアにかけて食べさせないようにしたのだ。けれど、それで辻褄が通った。朝食にリカルダが一緒で無かった理由も。


「そうか、その時からすでに守ってくれていたのだな。ありがとう」


 マリアの言葉にジュリアは微笑み、スッと跪いてマリアに告げる。


「どうか、王子様の旅にわたくしも同行させてはいただけないでしょうか」


 マリアは驚いて目を瞬かせて「いいのか?」と逆に問いかける。今までの守人と違ってジュリアは城で働いていたから一緒に行くのは難しいと思っていたのだが、ジュリア自らが「同行したい」と言ってくれた。


「ええ、もちろんですとも」


 ジュリアの答えにマリアは嬉しそうに頬を綻ばせて「これからよろしくね、ジュリア」と告げれば、つられたように笑みを浮かべて「はい!」と答えた。



 ゲルトはベッドの上にリカルダを横たえさせた。それから、リカルダの部屋を後にすると廊下を真っ直ぐに進んでいき、やがて中庭へ出た。

 中庭には夜の匂いが漂い、月の明かりを浴びて真ん中にある噴水の水が宝石のように煌めく。そんなきれいな景色名の中で佇む女性がいた。その女性は薄い金の髪にブルーダイヤモンドのような瞳をしている。マリアに容姿が酷似した女性だった。

 その女性の姿を認めるとゲルトは女性に恭しく跪く。


「遅れて申し訳ございません、ディアナ様」


 ディアナと呼ばれた女性は、ゲルトの方を振り返り慈愛に満ちた微笑みを浮かべて首を横に振る。


「大丈夫よ。ゲルトはもう少し時間にルーズになってもかまわないのよ」


「いいえ、参りませぬ。それが習慣になってしまうと時間を気にしなくなってしまい、この国に蔓延る者を逃がしてしまうやもしれません」


 堅実ね、とディアナは呟いた後ゲルトに「それでどうだった?」と問いかけた。


「はい、それがあと少しというところで逃げられてしまいました」


「そっか。まあ、仕方ないわね。けど、ティマイオスの狙いが何かはわかったわ」


 ゲルトも頷いて答える。


「初代女王の再来を望み、王子を狙っている」


 いかがいたしますか、そうゲルトが問いかけるとディアナは「リカルダの共としてマリア達の側に居なさい」と命じればゲルトは「御意」と答えて城へ戻った。中庭で一人残されたディアナは、天満月が輝く空を見上げて呟いた。


「誰一人として失わせやしない。彼らの思い通りになんてさせない」


 風がひゅうと吹いてディアナの髪と服を弄んだかと思えば、洋琵琶リュートの音色が響いてきた。


『あの街に行くのかい?

 パセリ、セージ、ローズマリーにタイム

 そこに住むあの人によろしく言っておくれ

 彼女はかつて恋人だったから』


 驚いてディアナが振り返ると、ギルが洋琵琶リュートを奏でながら立ち歌っていた。


「まさか、あんたとあの執事がつながっているなんてねえ」


「どうするつもり?」


 どうもしないとあっけらかんとギルが言い放てば、ディアナは驚いてしまって目を見開く。けれど、すぐに笑みを浮かべて「ありがとう」と呟いた。


「礼を言われる事は何にも無いですよ。それから、ずっと考えていたのですがあなたはもしや」


 ディアナは人差し指を立てて自らの唇に当てるとくすりと笑って暗に「それ以上は口にしては駄目」と告げていた。そんなディアナにギルは、くすりと笑って見せて「わかりましたよ」と答える。


「姫様にも言わないでおきますね」


「そうしてくれると助かるわ。やっぱり、あなたたちの前に姿を現すべきでは無かったわね」


 手をぎゅと握り締めてディアナが言うと、ギルは肩をすくめて見せた。


「いいんじゃないですか。姫様の前にさえ、出てこなければ。“俺たち”がイレギュラーなだけですから」


 そうね、とディアナは呟くと小さく笑いそっとギルの手を取る。それから「どうかこれからもマリアを守ってね」と祈るように言えばギルはディアナの方を向き直り真剣な眼差しで「はい」と答えた。



 日が開けてマリア達は、クサンサイトをあとにした。旅の仲間にリカルダ、ゲルト、ジュリア、フィーネを加えて王都へ向けて旅立ったのである。


「わあい、街を出た事が無いから楽しみ!」


 無邪気に笑ってフィーネが言うとリカルダは「まあ、そうね」とどこかそわそわしながら辺りを見回す。


「どうかしたの」


 マリアが問いかけるとリカルダは「べ、別に街の外が初めてだからどきどきしてるとかそんなんじゃないですわ」と言いながらも楽しそうに辺りを見回していた。

 そんな様子にマリアは思わずレイヴァンと旅をしていた時の事を思い出して笑みを浮かべる。


「何を笑っていますの?」


 どぎまぎしながら問いかけたリカルダにマリアは柔らかい表情を浮かべて「ううん、何でも無い」と答えた。それから「早くレイヴァンに逢いたいな」と心の中で呟いて真っ直ぐに前を見つめていた。


***


 その文面を見たとき、ソロモンは自分でも驚くほどに言葉を失い目を疑った。


「これは、どういう意味だ」


 誰にも届く事無い呟きは宙に溶けて答えは返ってこなかった。そのとき、王城の外が何だか騒がしくなる。すぐに何事か分かって下へ降りるとそこには、血を流しながらも何とか生き延びている兵士が二人ほど戻ってきていた。

 ソロモンは慌てて兵の一人に医務官を呼ぶように言い今にも倒れ込みそうな兵士二人に声をかけた。


「一体、何があった」


「それが、突然……黒いローブを纏った集団に囲まれて。我々は何とか離脱することが出来たのですがレイヴァン様は――」


 行方知れずだと兵士が告げる。すると、ちょうど医務官が来て兵士二人を診てくれることとなった。ソロモンは「わかった、あとのことはなんとかするからお前達は休め」と告げると兵士二人を医務官に預けて城へ戻った。

 部屋に戻ったソロモンは、何やら考え込んでうんうんとうなり出す。そこへクライドがやってきて「どうかしたのか」と問いかければソロモンはクライドに手紙を見せる。それを見てクライドも言葉を失って立ち尽くした。


「そんな。ソロモン殿は、この街を荒らしている者達を存じていたのですよね」


「ああ、コーラル国に乗っ取られる前から妙な宗教団体が動き出していたのは感づいていた。だから、レイヴァンに一掃するように頼んだのだが」


 その宗教団体とは別の組織も動いているようだとソロモンは言葉を紡いだ。それを聞いてクライドが目を見開いて「それは?」と問いかけたけれどソロモンは首を横に振り、自らの頭をぐしゃぐしゃとかき回した。


「わからない!」


 珍しく動揺したように狼狽えるソロモンにクライドは何も言えず、ただじっと見つめていた。

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