第八章 わだかまり

 マリアは結局、街へ朝食を食べに向かった。ザシャは城で食べるようマリアに言ったけれど、運ばれてくるのを見ているだけで胸焼けを起こしていたし、水で駄目になった朝食をわざわざまた作って貰うのも心苦しく「朝食は大丈夫です」と答え、街へ下りる。それから、街で開いている店でギルとダミアンと共に朝食を取っていたのだが……


「えっと、リカルダ。ついてこなくてもいいんだよ?」


 なぜだかついてきたリカルダにマリアがそう言えば、リカルダは店で出されたハーブティーを飲みながら「ダミアン様もいらっしゃるのに離れたくございませんもの」と答えた。そういうことか、と思ってマリアが苦笑いを浮かべるとダミアンはどこか疲れた表情を浮かべながらカイザーゼンメル(王冠のような形をしたパン)を囓る。マリアもカイザーゼンメルをバスケットからひとつ手にとって口に運ぶ。


「リカルダは、すでに起きてたって言ってたけど」


「ええ、起きてすでに朝食も終えておりました」


「じゃあ、なんで今日は皆で一緒に食事しなかったんだろう。昨日は、『明日も一緒に朝食を食べましょう』って言ってたのに」


 だからマリアはてっきり、リカルダはまだ起きていないのだと思ったのだ。疑問にリカルダが顔を歪める。


「王子様がなかなか起きられないので先に食べちゃっただけではないですか。父上、だって『王子様は起きてこられないようなので先に食べてしまいましょう』っていっておりましたもの」


「それは、なんだか悪いことをしてしまったな」


 言ってからマリアは、レバークヌーデルズッペ(レバー団子が入ったスープ)を口へ運ぶ。それから「だけどギルやダミアンが食べていないのに自分だけが食べるのは心苦しいし」と心の中だけで付け足しておく。

 最初に城で食事をしたとき、二人も同席して良いかとザシャに問うとザシャはその時は、承諾したもののいい顔はしていなかったのだ。そんなのでは、二人も食事した気分を味わえなかっただろう。

 そういうことがあったので、マリアは出来るだけ城では無く街で食べようと決めていた。さすがに晩ご飯は城で食べるようにしているが。

 マリア達が一通り食事を終えて、お茶を楽しみながらゆったりとしていると店の中へ一際目立つ男が来店してきた。仕立ての良いダークスーツを身に纏い、スッと立つその姿勢はどこかの使用人であろうか。立ち居振る舞いを見るにただの使用人では無く上級使用人といったところだろう。そんな風にギルが考えを巡らせているとその男は、誰かを捜している様子でキョロキョロと辺りを見回す。その視線がこちらでピタリと止まった。かと思えば、軽やかな足取りでマリア達の机の場所まで来てリカルダに向かって静かに告げた。


「お嬢様、お勉強のお時間です」


「いいじゃない、ゲルト。王子様と一緒にいるのだから父上だって承諾しているはずよ」


 ゲルトと呼ばれた使用人は、ジャケットから懐中時計を取りだし時間を確認する。そして「失礼」と言うとリカルダを担ぎ上げた。その行動にマリア達は目を丸くして暴れるリカルダを見つめる。けれどゲルトは気にとめた様子無くマリア達に一礼するとそのまま去ってしまった。


「あれは執事、なんだよな?」


 確認するようにダミアンが呟いた。その呟きにギルは頷いて答え「そうだろうなー」と言いながらまだバスケットに残っていたカイザーゼンメルを頬張る。


「しつじ?」


 マリアはわからないらしく小首を傾げる。ギルとダミアンは驚いて“あるじ”を見つめた。


「クリス様、まさか知らないなんて仰らないですよね?」


 マリアは「知らない」と即答する。ギルはどこか呆れたような表情を浮かべつつ、王族や貴族に召し抱えられる家事使用人の中でも高い位を持つ使用人のことだと説明した。


「というか、城にも執事ぐらいいるでしょう」


「いや、わたしは会ったことなかったから」


 マリアの答えにギルは「本当に知らないんだな」と呟いてマリアに更に説明する。


「家事使用人の中でも執事よりも上なのが家令といって全使用人の長。家令を雇えない貴族は執事に家令の仕事もさせているらしい」


 へえとマリアは目を輝かせる。城での勉強は嫌で逃げてばかりいたのだ。そういうことにも興味が無かったのか全く知らないらしい。


「ちなみに城で働いている人は皆、上流階級の者です」


「そうなのか!」


 マリアはあまりに驚いて目を見開く。そんなマリアを見つつギルは、城は下手に人を出入りさせるわけにはいかないからそういう風になっていると言った。それから、上流階級の家の使用人は中流階級より下の者が多いと告げる。


「では、使用人として上流階級の者が働いているのは城だけなのか」


「ええ、そうですよ。ただし騎士は別です」


 兵隊はどんな身分の者も入隊できる、とギルは言葉を紡いだ。それをマリアは「ふむふむ」と真剣にギルの言葉を聞く。真剣に聞いてくれるのが嬉しいのかギルの頬が少し緩んで僅かであるが笑みを浮かべ目を細めた。


「ですが、練習が厳しくほとんどの者は辞めてしまうそうです。だからこそ、“騎士”になるのも難しく“正騎士”になるなんて夢物語のようなものらしいですよ」


 兵隊になるとまずは歩兵からはじまり功績を残すと騎馬兵つまり騎士となる。更に国に功績を認められると正騎士となるのだ。しかし大体の者が騎士止まりで正騎士になるのはほんの一握りだという。

 ちなみに騎士長は、その地で一番長く勤めた者がなるようだ。もちろん、実力などで認められることもある。さらにいうならば正騎士長は条件としては、正騎士であることはもちろんのこと、その地つまり王都で長年勤めた者で実力もあり知力も無ければいけないという。


「だから、正騎士長なんてなかなかなれるものじゃ無いです」


 ギルはそうマリアに説明を終えてお茶を飲んだ。相当、乾いていたようで一気に飲む。


「そう考えると。レイヴァンって、すごかったんだな」


 半ば呆然としつつマリアが呟くとギルは頷いて同意する。レイヴァンは正騎士長では無いにしても“正騎士”の称号を得ている。

 マリアは何気なくレイヴァンが側に居たから知らなかったが、彼が実力で正騎士になり、マリアの専属護衛とまでなったのだと実感せざるを得なかった。


「わたしはやはり、恵まれすぎているな」


 マリアが苦笑を浮かべつつ言うとギルとダミアンは小さく笑って「レイヴァンがあなたに仕えていたのは偶然などでは無く、きっと導かれたのですよ」とギルが言葉を紡いだ。


「だって、あなたは『我らが王』なんですよ。そんなあなたを守るために側に居て、しかも他国からも恐れられる彼がただの偶然であなたの側に居たとは思えません」


 呆然とするマリアにギルが言えば、ブルーダイヤモンドの瞳が零れんばかりに見開かれる。それから、マリアは、今は側に居ない自分の騎士に想いを馳せて頬をほんのりと染めた。


「そうか」


 柔らかい声でマリアが呟けばギルとダミアンは暖かな笑みを零してマリアを見つめる。それから、マリア達はお金を払うと店をあとにして喫茶店へと向かった。喫茶店はあいかわらず閉めており、どこか暗い。

 すみません、とマリアの店の中に声をかけた。けれど中からは足音一つたたずしんと静まっている。今は留守なのだろうかと思いマリアが引き返そうかと思った時だった。中からがしゃんと音がして店の奥からフィーネが走ってきて、扉の外にいるマリア達に気づいた。それから扉に縋るようにドアノブを手に取り、回したけれど鍵がかかっているらしく開かない。


「助けて!」


 フィーネがマリア達に向かって言ったときだった。店の奥からローブをまとった男が出てきてフィーネに襲いかかろうとする。


「フィーネ!」


 マリアが名を呼んだときだった。ダミアンが扉の隣にある窓を壊して店内へ入り、ローブを纏った男に向けてパルチザンを向ける。ローブを纏った男は分が悪いと悟ったのか店の奥へ引っ込んだ。ダミアンがその後を追う。

 ギルは小型のナイフを取りだして扉を破壊するとフィーネに駆け寄った。


「もう大丈夫だよ」


 ギルの言葉にフィーネは涙をぼろぼろと流して泣きつこうとしたが、はっとした顔になり「お義母さんが!」と言葉を発した。エマに何かあったのだろうと思い、フィーネの側にはマリアがつきギルは、店の奥へ進んだ。すると、男を逃がしたらしいダミアンが倒れているエマに駆け寄っていた。

 ギルは目を見開きエマに駆け寄るとエマは、大量の血を流して倒れているではないか。ダミアンは顔を歪めて顔を横に振る。もう助かる手立ては無いようだ。

 ギルとダミアンは、マリアの待つ店の出入り口へ向かう。そこには泣きはらしたフィーネを慰めるマリアがいた。そんなマリアの青い金剛石ブルーダイヤモンドの瞳がこちらへ向き無言で「どうだった」と問いかけてきた。それにダミアンはただ目を伏せ、ギルは無言で首を横に振った。全てを察したマリアは、ただ悲しげに泣いているフィーネの肩を抱きしめていた。

 少し経って泣き疲れたフィーネはぐっすりと眠ってしまった。そんなフィーネをダミアンがおんぶして、「これからどうする」とマリアに問いかけるとマリアは「とりあえずは城へ連れて行こうと思うのだけれど」と答えるとギルとダミアンも「そうするしかないか」と呟きどこか悲しそうな表情を浮かべていた。


「だけど、これからどうしようか。密輸を行っているという人物が誰かもわからない。わかるのは黒いローブを着た者ということだけ」


 店を後にしてマリア達は城への道を進みはじめて、マリアが誰にともなく問いかけた。力の無い問いかけは、どこか悲しげでつらそうだと感じ、ギルとダミアンは無言で顔を見合わせる。そのとき、フィーネが声を漏らして目を覚ました。


「フィーネ、起こしちゃったか」


 ダミアンが出来るだけ優しくフィーネにいうと「ううん」と答えてをかえして、ダミアンに降ろしてくれるように言った。素直にダミアンがフィーネを地面へ降ろすとフィーネは、すくっと立ちマリア達を見回した。


「ありがとう、お姉ちゃん達」


 にこっと無邪気に笑ってフィーネが言えば、皆が口を噤んでしまう。言葉がつっかえて出てこないようで、何か言おうとはするものの結局は口を閉ざしてしまう。そんなマリア達を知ってか知らずかフィーネはマリア達を見回す。それから「そうだ!」と明るく言ったかと思えば、ポケットをまさぐると布に包まれたものとぐしゃぐしゃになった紙を取りだした。


「これは?」


 マリアの問いかけにフィーネは無邪気に告げる。


「お義母さんがこれをお姉ちゃん達にって」


 それに手を伸ばそうとするマリアを止めてギルが、フィーネから受け取った。包みの中から“何か”を感じ取ったらしい。ギルは、それを丁寧にまたハンカチにくるみ込むとポケットに入れ、フィーネに言った。


「ねえ、フィーネちゃん。君はこれから、どこか行く当てある?」


 わからない、とフィーネは目を伏せて答えた。悲しげに細められた目にはまたうっすらと涙が浮かび始めていた。無理も無いことだ。両親は殺され、義母となってくれたエマも殺されたのだから。


「じゃあ、フィーネちゃん。俺たちと一緒にお城へ来る?」


 ギルの問いかけが意外だったのかフィーネは、大きな目をさらに大きくさせて「うん!」と無邪気に答えた。ギルは「よし、決まりだ」と言うとフィーネの手を引いて歩き出す。その後ろをマリアとダミアンも続いた。

 城へ戻り、ザシャにマリアはフィーネのことを知り合いの子だと説明し、自分が滞在する間この子も一緒にここに滞在できないかと問えば相変わらずのどこか信用できない笑みを浮かべて「かまいませんとも」と答えてはくれた。

 そして、フィーネのための部屋も用意してくれた。なんだか申し訳ないとマリアが言うとザシャは「これぐらいなんてことございません」とは口先では言っていたがひしひしと雰囲気から嫌だというのを感じる。けれど、とりあえずは部屋も用意してくれたことだし大丈夫だろうとマリアは結論づけるとギルとダミアンと共に部屋へ戻った。

 マリアが自分の部屋へ行くとエリスがおり、どうやら何か情報が集まったようだ。


「何かわかった?」


「はい、“クスリ”の出所のことですが――」


 マリアの問いかけにエリスが答えようとしたとき扉をノックする音が聞こえ、マリアが扉を開けるとそこには不気味なほどにんまり笑顔を浮かべたザシャがいた。


「少し、よろしいですかな」


「はい、なんでしょう」


 ついてきてください、とザシャに言われマリアはエリスに「ちょっといってくるね」と告げて部屋を出て行く。エリスが止めようとしたけれど、バタンと扉を閉められザシャに鍵までかけられた。


(――まずい)


 エリスは焦燥してバルコニーへ出ようとしたが空いていたはずの窓に鍵がかけられていた。くそっ、と毒づいてエリスはどこか出られる場所は無いかと部屋を捜索し始めた。けれど、どこから出ているというのか。甘い匂いがどこからか溢れでてエリスの意識を奪ってゆく。


(こんなことをしている場合では無いのに。はやく、姫様に)


 思いも空しくエリスの意識は、闇の中へ落とされた。



 マリアはザシャに促されるまま城の地下へと通させる。


「あの、本当なんですか。密輸を行っている貴族に会わせてくれるというのは」


「ええ、わたくしめもこの街でそのような事が行われていると知り、心苦しいばかりです。しかし、こうしてつかまえることが出来たのも王子がこの街へ訪れてくれたからです」


 にこりと笑みを浮かべるザシャにマリアは「不気味な笑みだけれど実はいい人なのかな」と少し思っていた。見ず知らずのフィーネの部屋も用意してくれたのだから、意外といい人なのかも知れない。

 そんな風にマリアが思っていると厳重な扉の前まで来てザシャは足を止めたかと思えば、どこからか影が伸びてきた。その影は何かを染みこませた布をマリアの口元にあてがう。何かの臭いを吸わされ、マリアの意識は闇に溶けた。



 名前では無く「王子様」と呼ばれてマリアは目を覚ました。目の前には、マリアに向かって水をぶちまけた下女、ジュリアが必死になってマリアに呼びかけていた。朦朧としていた意識を取り戻し、目をはっとして開くとジュリアの姿がはっきりと見えた。


「よかった、王子様」


 大人の女性らしい大人っぽい声が発せられた。それから体を起こそうとすると手足を縛られているらしく無理に動かそうとすると痛みが走った。


「無理に動かさない方が良いですよ。きっと、アザが出来てしまいます」


 ジュリアの言葉を聞きつつもマリアは、無理に動かないようにしながら何とか上半身を起こすことには成功した。それから、カバンは無事であったが武器はザシャに奪われてしまっていた。

 ジュリアの方を見てみると、なぜだか縄で縛られており、彼女の着ているピナフォアがすす汚れてしまっている。どうやら、そうとう乱暴に扱われたようだ。


「ジュリアさんこそ、すごく服が汚れてますし」


 マリアのいわんとするところがわかったらしく、ジュリアは微笑んで見せた。


「大丈夫ですよ、わたくしは。これでも体は丈夫なんですから」


 そうなんですかとマリアは、呟いた後でふと周りを見渡す。ここはどうやら地下らしく床も壁も岩で出来ているようだ。たまに水のしたたる音が聞こえてくる。それから床を見ると何やら円形の模様が描かれていて文字も刻まれているがマリアには残念なことに読めなかったため小首を傾げる。その模様の先は四角い台のようなものが置いてあって火の灯ったろうそくと古い装丁の本が置いてあった。


「これは一体」


 マリアが呆然と呟くとジュリアは瞳を険しくさせて「儀式」と呟いた。その言葉に反応し、青い瞳がジュリアをまじまじと見つめる。


「聞いたことはございませんか。神や悪魔を人に降ろす儀式」


 少しだけ城で習ったことがあるのを思い出し、こくりと頷く。けれどあれは迷信であったりするので本当に出来るわけが無いのでは無いかとマリアがジュリアに問うとジュリアもマリアに賛同し「ええ」と答えた。


「けれど、それを信じた者もいるのです。妄信的に」


 ジュリアが言葉を発したときであった。ザシャが重たい扉を開けて入ってきたのは。


「お目覚めでしたか、王子様。これから、あなた様を我が主に捧げるための儀式を執り行おうと思います」


 ザシャのとした笑みにぞっとした。なぜだかわからないけれど体中を何かが這い、ぞくりとしたその感覚にマリアは絶望を見た感じがした。けれど、確かにわかるのは、自分はとんでもく危険にさらされているということだった。


「儀式は本日の夜に執り行います。それでは、また」


 言い残すとザシャは部屋を出て去って行く。そのことにひとまずは安堵の息を漏らしたけれど、このままここにいては何をされるかわかったもんじゃない。どうにかして脱出しなければとマリアが思っていると、いつの間にか縄をほどいたジュリアがマリアの縄もほどいてくれた。


「ありがとう、ジュリアさん」


 マリアの言葉にジュリアはにこっと微笑むと「ジュリアでいいですよ」と告げて扉へ駆け寄る。けれど、扉は鍵が閉まっているらしくいくら引っ張っても開かない。

 どうしようとジュリアは漏らした。そんなジュリアをマリアは、ふとまじまじと見つめてしまう。今まで気づかなかったがジュリアは、とても女性らしいきれいな体つきをしていた。胸がなかなかの大きさがあり、腰は少し小さめで足はすらりとしている。流れるような闇色の髪はどこか煌めいていて美しい。けれど髪色とは違い、黄金色の瞳は宝石のように美しくとても目を引く。

 そんな風にマリアが思っていると視線に気づいたジュリアがマリアににこりと笑みを浮かべて「どうかした」と問うてきた。それだけであるのにどこか艶めかしく感じ、マリアは少しどきりとする。


「いえ、ジュリアってすごくきれいなんだなっと思って」


「ありがとうございます、王子様に褒めていただけるなんて光栄ですわ」


 すっかりほつれてしまったピナフォアのスカートの端をつまみ、お嬢様のようにお辞儀をした。けれど、今はそれどころではないとジュリアは切り替えると部屋の中を何やら調べ始める。どうやら、隠し扉でもあるんじゃないかと捜しているようだ。マリアも一緒になって調べ始めたけれど見つからず、二人して焦りばかりが募る。


「どうしよう……」


 不安げな声がマリアの唇から発せられた。そんなマリアを気遣うようにジュリアは、笑みを絶やさずにほほえみかける。


「大丈夫です、あなたを守り抜いて見せますわ」


 ほとんど会話すらした事無いというのになぜそこまでしてくれるのだろうか、とマリアは思う。王族だからだろうか、それとも……同時に「まさか」という疑問が浮かんだが、今はそれよりもここから出る事が先決だと思い直してジュリアに「ありがとう」と答えた。


「そういえば、どうしてジュリアまで捕まっていたの?」


「わたくしが密偵としてこの城に潜り込んでいた事がばれてしまったからですわ」


 マリアは目を見開き、固まってしまう。そんなマリアの様子にジュリアが笑って見せて「驚きましたか」と問いかけた。マリアは頷いて答え、「どうして」と更に問いかけるとジュリアは「地主の動向がここ数年、怪しかったから」と答えてくれた。


「わたしは、本当に無力で無知なんだな」


 ぼそりと呟いたマリアの言葉にジュリアは、笑みを浮かべながら壁をとんとんと叩く。


「そんなに自らをさげすまなくてもよろしいでしょう。王子様には立派なものがあるではございませんか」


「立派なもの?」


「ええ、学ばれようと思う心と人を思う心。他にもきっとわたくしの知らない王子様の魅力があるでしょうね」


 答えてジュリアは扉の前に立つ。それから、ポケットから細い針金を取り出すとそれを扉の鍵穴にさして何やらガチャガチャと動かし始めた。かと思えば、と音が静かな地下に響いて重たい扉が開かれた。


「行きましょう、王子様」


 ジュリアは言って、マリアの手を引いて駆けだす。二人で一本道の地下を駆け抜けると階段が目の前に現れてジュリアが先に昇り、天井を手で押すと音を立てて開かれた。そこからジュリアが出た後にマリアも出るとそこはどうやら、城の中のようだった。なんとか地下からは脱出できたらしい。


「行きましょう」


 誰にも聞こえないように小さな声でジュリアがマリアを促せばマリアもこくんと頷いてジュリアがマリアを守るように先立って進み、人の目をかいくぐる。兵士達の話し声が聞こえてきてマリア達は飾ってある像に身を隠した。兵達の足音が近づいているように感じたが、どこか別の場所へ向かったようで足音が遠ざかってゆく。ひとまずは安堵の息を漏らしたときだった。


「マリア」


 声をかけられ驚くと同時にマリアが振り返るとレジーがおり、ほっと息をつく。ジュリアは、レジーを知らないはずであるが敵で無いと認識し声をかけた。


「人が少ない通路わかりますか」


「こっち」


 ジュリアの問いかけにレジーは答え、マリア達をひとけの少ない通路へと案内し、人がいても何とかやり過ごして城の外へ出た。ほっと息をついたのもつかの間、いつの間にやらザシャが衛兵を連れてマリア達を囲んでおり、逃走経路を塞がれてしまった。

 ジュリアが息を飲んでマリアを守るように背に隠した。レジーもマリアを隠しながら短剣に手を伸ばし始める。マリアは冷や汗を浮かべながらその様子を眺めていたが、はっとした表情になってカバンを漁る。カバンから出された手には、丸い玉が握られていた。

 それを見て取るとレジーは短剣にのばし始めていた手を止めた。マリアはそれを確認し、ジュリアに告げる。


「ジュリア、わたしが『一、二、三』の合図を出して彼らのめくらましをするから、その間に突っ切って」


 マリアの言葉にジュリアは「え」と呆然と呟いていたが、マリアがすでに「一、二、三」と言っていた。ジュリアは慌てて体勢を整えた、刹那。

 マリアが丸い玉をザシャに向かって放っていた。マリアの手を離れた玉は、ザシャの方へ飛んでいき地面へ落ちると白い煙を吐いた。その煙はザシャと衛兵達の視界を塞ぐ。その間にマリア達は衛兵達の間を縫って城門の外へ出ることに成功する。けれど、あの玉だけでは煙が長く持たずすぐに彼らの視界が開けてしまい衛兵達に捕らえられてしまった。

 ジュリアが悔しそうに唇をかんだ。そして、「あなたは何が目的なのですか」とザシャに問いかけた。ザシャはと言うと不気味な笑みを携えてジュリアに顔をずいと近づけて告げる。


「もちろん、初代女王の再来。王子の血と肉を捧げよと我が主が仰せなのです」


 ゾクッとマリアの体を何かが駆け巡る。そのことにレジーとジュリアは気づいてマリアの方を見つめると暴れ出した。

 レジーは口笛を吹いて自分を縛っている衛兵の動きを止めると短剣を取りだし、衛兵を斬りつける。ジュリアもどこからか小型のナイフを取りだして衛兵を傷つけ、衛兵から逃れる事が出来た。そして、マリアを助け出そうと足を向けたけれどマリアに向けてザシャが剣を向け告げた。


「そこから一歩でも動けば、この剣で王子を殺し血肉を我が主に捧げる」


 ジュリアとレジーが共に息を飲んで動きをぴたりと止める。そんな二人にマリアが「わたしのことはいいから」と告げたけれど二人して「それは出来ない」とでも言いたげに鋭い視線をマリアにぶつけていた。



 ギルとダミアンは、部屋でフィーネから預かったものを開けていた。布に包まれたものの方はギルがよんでいたとおり“クスリ”で紙にはそのクスリについての説明、それからそのクスリの密輸ルートまで示されていた。


「これは」


 呟いてギルとダミアンは焦燥し、慌てて部屋を飛び出すとマリアの部屋のドアノブを回す。けれど鍵がかかっていて開きそうも無い。仕方なくギルが小型のナイフで鍵を破壊すると部屋へ入る。しかし、そこにはマリアの姿はすでになく、いるのは倒れ込んでいるエリスだけであった。


「おい、エリス! しっかりしろ」


 ギルがエリスの体を起こして揺さぶるとエリスは朦朧とする意識を振り払い「姫様がザシャに連れ去られた」と言葉を発した。それを聞いた刹那、守人である三人は息が出来なくなるほどの頭痛とめまいに襲われる。〈眷属〉が『我らが王』をお助けせよと。

 耳鳴りのように聞こえるそれを振り払い、ギルとダミアンは立ち上がる。エリスもおぼつかない足取りながら立ち上がった。


「エリス、お前は休んだ方がいいんじゃないのか」


「大丈夫です、これくらいなんてことありません」


 ギルの言葉にエリスが返すと「無茶だけはするなよ」といい、三人は部屋を後にした。

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