第七章 肺肝を砕く

「ダミアン様~、こちらへ来て下さい!」


 まだ昼間だということでマリア達はリカルダと共に街へ来ていた。リカルダが「王子と一緒に街へ出たい」と言えばザシャは快くマリア達を街へと送り出してくれた。けれどリカルダの目的はダミアンとデートすることであるのでマリアとギルは振り回されるダミアンを少し遠くから眺め暇そうにしていた。


「これじゃあ、ダミアンに付き合っているだけじゃないか」


「まあまあ、いいじゃないか。わたしとしても、リカルダがわたしに好意を持たれなくて良かったし」


「王子、それが一番の理由ではないですか」


 ばれた、とマリアはギルの言葉に返した。正直に言うとリカルダに好かれなくて良かったと思っている。元々、ザシャは自分の娘を政治の道具にしか見ていない様子であったけれど、いざというときはリカルダがマリアを選ばないことがわかったのでホッとしているというのがマリアの心情であった。もしかしたらリカルダの意志なんか関係なく婚姻を結ばせるかもしれないが。そこでマリアは「ありえない」という結論に行き着く。まず国王がそれを認めないことがわかりきっていたからだ。今はまだ男装をしているけれど、いずれは女に戻る予定であるし娘を溺愛している国王がそう簡単に婚姻を結ばせるはず無いと思ったからであった。


「しかし、いかがいたしますか王子。例のクスリ」


 ギルがマリアに耳打ちする。マリアも気になってはいたが情報が無いことにはどうにも出来ないため、「レジーとエリスを待つよ」と答えた。ギルはどこかもどかしそうな表情を浮かべていたがマリアの側を離れて情報収集するのも嫌な様子でしぶしぶと頷いていた。


「すまない、わたしの護衛という役回りで」


「いいえ、それが不満では無いのです。それに俺、これでも一応、武官ですし。そうではなくエマと名乗った女性、気になりませんか」


 ギルの言葉にマリアは一瞬、首を傾げたが「確かに」と思った。どうしてエマは“クスリ”を密輸しているのが貴族だと知っているのだろう。


「どうにかしてあの喫茶店にもう一度、行けないだろうか」


 マリアがそう呟くとギルはダミアンに目配せをする。ダミアンはそれを読み取ってこくんと頷いた。


「リカルダ嬢のことは、ダミアンに任せて我々だけで喫茶店へ行きましょう」


 ギルの言葉に頷き、マリアは少し遠くにいるダミアンに視線だけで「ありがとう」と言うとダミアンはその視線を受けて頷くだけにとどめた。近くに居るリカルダはどうやらそれにすら気づかない様子でダミアンに夢中だった。

 マリアとギルは何とか喫茶店に到着した。喫茶店は相変わらず「close」の文字が扉にかけられている。


「あの」


 マリアが声をかけると店の奥からエマが出てきて店の中へ入れてくれた。店の中へ通されてマリアは、エマに「なぜ貴族が密輸して流していることを知っているのですか」と問いかける。エマは幸の薄そうな笑みを浮かべて答えた。


「偶然スラム街を通った時に聞いてしまったのよ。貴族が密輸したものだって」


 エマの答えにマリアは眉を寄せた。


「おかしいですね。エリスの報告だとスラム街でクスリを売っていた人は誰が流してくれているのか知らないと言ってましたよ」


「いいえ、店じゃ無いわ。路地裏で話しているのを聞いたの」


 ますますマリアは眉を潜めエマに「本当に偶然なんですか」と問いかける。エマの言動が何だか怪しかったからだ。偶然では無くわざとその場にいて情報を集めているようにマリアは感じたのだ。

 エマは小さく笑って「ばらしちゃってもいいか」と呟いたかと思えば「実は私、密偵なんです」と答えた。


「密偵!?」


 驚きのあまり、マリアは口をポカンと開けて言葉を失う。そんなマリアにエマは、笑って見せて「フィーネが私の姉の娘というのは事実よ。だけどフィーネの両親はクスリで冒されたんじゃ無い。殺されたのよ」と言った。


「殺された?」


「ええ、フィーネの両親も密偵でね。流通し始めているクスリについてこっそり調べていたのよ。それがばれて殺された。その両親が残したメモ帳がこれよ」


 言ってエマはマリアとギルにメモ帳を見せる。ギルがそれを手に取り中身を見てみると確かに貴族がクスリを流していることが書かれているが、それ以上は書かれてはいなかった。


「今はフィーネがいるし、情報屋の仕事もあまり出来なくて」


「情報屋なんですか?」


 マリアが目を見開いてぱちくりとさせているとエマは不敵に嗤って人差し指を立てた。その仕草がどこか艶めかしい。


「密偵をして、その情報を情報屋として売るのが仕事」


 それを聞いてギルは深い溜息を吐き出した。それから溜息交じりに呟く。


「情報屋が儲かってる街なんてろくなもんじゃ無い」


 確かに、とエマも賛同を示して笑う。どうやらエマは情報屋だけで相当稼いでいるらしい。エマは「だから店も開けなくて大丈夫なのよ」と冗談交じりに言ったけれど、相当なものだ。


「クリス様、もうここは用なしです。行きましょう」


 ギルが促すとエマは、ニコニコと笑みを浮かべたまま手を振って「ご贔屓にしてねー」と言った。その言葉を聞きながらマリアとギルはダミアンとリカルダの元に急いだ。

 二人の姿を捜していると、街の真ん中でリカルダが仁王立ちしてマリアを呼んだ。


「王子様!」


 後ろではダミアンが「すまん」という表情で項垂れている。そんなダミアンをギルは軽く睨み付けただけで何も言わずに口を噤む。リカルダがいるからだろう。


「やっぱり、子どもね。街中で迷子になるなんて」


 リカルダの言葉にマリアは、どう返して良いのか分からず困っているとギルが「王子は王子で店に行っていたんですよ」とフォローをしたけれどリカルダが「一緒にいなきゃ、父上に何か言われるじゃ無い!」と言った。どうやらリカルダは高飛車でわがままらしい。

 ダミアンは、少し不機嫌そうな表情になってリカルダに「それはリカルダ嬢の都合だろう。俺の王子に責任転嫁しないで貰おう」とハッキリと告げる。こういう所は、ダミアンは曲がったことが嫌いなんだなあとマリアは思う。けれどリカルダは、そういう風に注意されるのがあまり無いからか目に涙をたっぷりとためて泣き出してしまった。

 さすがにマリアは「これはあとがまずい」と思うと慌ててリカルダにハンカチを渡して言葉を紡いだ。


「ごめんね、うちの従者は嘘がつけない質だから」


「そのようね!」


 泣きながらリカルダは、返してマリアのハンカチをひったくる。そして、さらに泣き出してしまう。マリアは困ったようにギルとダミアンの方を見つめると二人して「それでは泣き止まないですよ」という表情をしていた。

 それからギルは頭をポリポリとかいたかと思えば、リカルダにスッとひざまづいて視線を合わせると柔らかく微笑むと涙を拭った。


「涙を流すお嬢さんも素敵だけれど、俺は笑顔の方が好きだな」


 すると、リカルダの涙がすうと引き恋する乙女の表情に変わってギルを見つめる。そして「ごめんなさい」と言った。


「だけど、王子様なんて嫌いです」


 リカルダにはっきり拒絶されマリアは、困ってしまって複雑そうな表情を浮かべる。そんなマリアにギルが「王子は女性の口説き文句も知らないお子様ですからねえ」と茶化すように言う。


「子どもじゃ無いよ!」


 マリアが拗ねて言えば、ギルは面白いことでも見つけたかのような表情で見つめる。それから両手でマリアの頬を包んだ。


「でも、まあ素直な王子だから俺たちも仕えているんですけどね。けどせめて、女性の扱いぐらいは学んで下さいな」


「う……」


 ギルの言葉にマリアは頷くほか無く、こくんと首を縦に振る。そこで、ふと視線を感じリカルダの方を見ると何だか頬を染めてこちらを見つめていた。その目は、まるで見てはいけないものを見たような視線で何だか居心地悪い。


「もしかして、お二人は“そういう関係”なのですか」


 リカルダの言う“そういう関係”がマリアには分からなくて疑問符を浮かべる。ギルには、意味が分かったらしくて意地の悪い笑みを浮かべていた。


「ええ、実はそうなのですよ。お嬢さん、このことは地主様には黙っていていただけますか」


 ギルの返しにマリアは、ますます意味が分からなくなって焦燥する。けれどリカルダの次の言葉で合点がいった。


「ええ! 誰にもいいませんわ。人にはそれぞれ趣味嗜好がございますもの。王子様が女性に厳しいのもそういうことなのでしょう? しかし、王子様が同性……あ、口にしてはいけませんわね」


 マリアは目を丸々と見開いて思わず頭を抱えかけた。どうやらリカルダは、“王子”が同性愛者だと思ったらしい。まだマリアが女性とは公表していないのだから、思っても仕方が無いことではあるが。


「ち、違う。わたしとギルは、そんな関係じゃ無い!」


「いえ、王子様。隠さなくてもかまいません! それに、同性だという禁断の愛。なんと素敵なんでしょう」


 うっとりと頬を赤らめリカルダが呟く。確かに年頃の娘であれば「禁断の愛」というものにどこか惹かれてしまうものだけれど、リカルダの言う「禁断の愛」は、かなり危ないものだとマリアは思う。冷や汗を浮かべるマリアにギルは、肩を組んで耳打ちする。


「そういうことにしといた方が良いんじゃ無いですか」


「良くは無いよ」


 ギルの考えをマリアは一蹴する。けれど、その間もリカルダは頬を染めて「きゃー」と言っていた。マリアは困ったような呆れたような表情を浮かべて深く溜息を吐き出した。



 夜になり、マリア達は城へ戻った。夕食も終えてマリアはザシャに弓道場の場所を聞くとマリアは部屋へ戻ること無く弓道場へ向かう。

 弓道場へ着くとつんと冷たさが肌に刺さる。春とはいえ、夜は寒いのだから仕方が無いことだ。寒いと思い外套を着ているのが救いである。

 ふと夜空を見上げると青白い光を放つ朧月が目に入る。春らしいぼんやりとかすんだ月に風情を感じマリアはそのまま月を眺めていた。けれどさすがに寒いので弓の練習をすることとする。そういえば、ここ最近弓の練習はしていなかったとマリアはふと思う。中々、弓の練習まで気が行かなかったというのもあるが、それはただの言い訳でしか無いと自分自身を戒めるとマリアは、矢籠から弓と矢を取りかまえる。28クラフタ(約50メ-トル)先の霞的をまっすぐ見据え、矢を放った。それはまっすぐ空を切り、霞的の中心へと突き刺さる。腕が落ちていないことを確認してからマリアは、次に56クラフタ(約100メートル)先にある霞的に移動して矢をかまえた。そして、矢を放ったけれどその矢は残念なことに的に当たる前に地面へ落ちてしまう。射程距離として39クラフタ(約70メートル)ぐらいであろうか。

 マリアは落胆しつつ矢を回収し、また戻ると56クラフタ(約100メートル)の霞的へ向けて矢をかまえる。もう一度、矢を放ったけれど結局、霞的に届く前に地面に落ちてしまった。

 マリアは肩を落として溜息ついた。そのとき、闇の中から声がした。


「王子様?」


 幼い少女の声にマリアは驚いてしまって振り返る。すると、そこにはリカルダが寝間着に外套を羽織った状態で立っていた。


「リカルダ様。どうかなさったのですか」


「いえ、王子様が出て行くのが見えましたから」


 リカルダの答えにマリアは、どう反応して良いのかわからず困ってしまう。リカルダは自分のあとを付けてきたということだろうが、ご令嬢がこんな夜更けに外へ出て言い訳が無い。


「そうでしたか。だけど、外は危ないんですよ。部屋まで送りましょう」


「あなたに送ってもらわなくとも平気ですわ!」


 リカルダがはっきりと、マリアをまた拒絶するように言った。マリアは「やはり駄目か」と心の中で呟くと苦笑いを浮かべる。


「はは、そうか。逞しいな」


「そういう王子こそ一人で出歩いては駄目なのではございませんか」


 リカルダがいったときだった。また闇の中から声が聞こえてきたのは。


「リカルダ嬢の仰るとおりです。外は危険がいっぱいあるのですよ」


 闇の中から姿を現したのはギルであった。ギルはマリアの近くまで行き、溜息を零す。それから「やれやれ、困った王子様ですねえ」と呟いた。マリアは、むっとして「別に大丈夫」と強がって言えばギルは、どこか楽しそうな笑みを浮かべる。


「王子は素直じゃ無いですねえ。そこがかわいいところでもあるんですけど」


「かわいいって、言うな。恥ずかしい」


 マリアが頬を真っ赤に染めて言えば、ギルが少し驚いたような表情を浮かべる。こんなに赤くなるとは思わなかったらしい。ギルはくすりと笑ってマリアの頭をかき混ぜた。


「そんなかわいい表情したら、堪らなくなるでしょう?」


「ねえ、ギル。その堪らなくなるって、どういう時に言うの?」


 ふと以前にレイヴァンに言われたことを思いだしてマリアは問いかける。するとギルは、ニヤリと怪しい笑みを浮かべ人差し指を立てると言葉を紡いだ。


「そんなの“我慢ができない”って意味に決まっているでしょう?」


「我慢?」


「そう我慢。その人が愛おしくて我慢出来なくなるって、意味ですよ」


 刹那にマリアは赤かった頬を更に赤くさせてうつむいた。そんなマリアの脳内にはレイヴァンの低く優しい声が反響していた。


『そんな可愛いことを言われたら、堪らなくなる』


 あれはそういうことだったのか、とマリアは思う。けれどレイヴァンが好きなのはバルビナであるはずなのにどうして自分にそんなことを言ったのだろうともマリアは思った。

 なにやら考え込んでいる様子のマリアにリカルダが声をかける。


「それよりも王子様、このような場所で何をなさっていたのですか」


 リカルダの問いにマリアは現実に引き戻され、「弓の練習だよ」と答えた。リカルダはその答えが意外だったのか目を丸く見開く。


「どうして、こんな時間に」


「弓の練習をしたくなって」


 答えにリカルダは、瞳の奥に何かを宿してマリアを見つめていた。ギルはというと溜息交じりに注意を促す。


「だとしても、臣下をお連れ下さい。何かあってからでは遅いのですよ?」


「すまぬ」


 マリアはギルに謝って苦笑いを浮かべる。そんなマリアに柔らかい笑みを浮かべるとギルが、薄い金の髪を手に取って口づけを落とす。マリアは思わずどきりとして頬を染めた。


「ちゃーんと、仰って下さいね。でないと、あなたに鎖でも何でも付けて逃がさないようにしますよ」


 それは嫌だ、とマリアは顔を青くさせて言った。ギルはやはり楽しそうに笑みを浮かべて「なら、いって下さい」と言葉を紡ぐ。その笑顔が何だか恐くてマリアは身震いさせた。そんな二人の様子を見ていたリカルダもなぜだかにこにこと笑みを浮かべている。


「り、リカルダ様まで!」


 マリアがそういったとき「リカルダでかまいません」とリカルダが言った。それを聞いてマリアは頬を綻ばせると「では、リカルダ。あなたまで笑わないで下さいよ」とリカルダに言う。けれどリカルダはマリアが今まで見たこと無いくらい可愛らしい表情で笑っていた。マリアは心の中で「少しだけ打ち解けただろうか」と思い、心が少し軽くなった気がした。

 それから三人はしばし雑談をした後、城へ戻ることとなった。城へ戻り、マリアがリカルダに「おやすみ」を告げて別れてギルに護衛されながら部屋へ戻ると部屋の中にレジーがおり、優雅にお茶を楽しんでいた。それを見たギルはどこか呆れたような表情を浮かべて「来てたのか」と問いかける。レジーはこくんと頷いて答え、クスリについて二人に聞かせた。


「やっぱり、詳しいことはわからないけれどクスリの詳細なら掴めたよ。カルセドニー国から輸入されたもので症状は主に幻覚症状や幻聴などが聞こえたりする」


 そこまでは他の“クスリ”と呼ばれるものと変わらない。けれど、その“クスリ”は少し違うのだという。


「依存性があるのはもちろんのこと、この国に過去に出回った“クスリ”と違い発汗が活発にあり、非常に喉が渇くらしい」


 マリアはレジーの言葉をオウム返しに呟いて考え込む。そんなマリアをレジーは促して椅子へ座らせるとカップにお茶を注ぐ。湯気の立つお茶にマリアはホッとしてカップに口を付けた。


「わかったのは、それだけなのか」


 ギルの言葉にレジーが頷く。どうやら、クスリの取引を行っている者は隠すのが上手らしい。犯罪を行っているのだから隠すのは当たり前だけれど。

 マリアはふと情報収集を任せっきりで主として何だか申し訳ない気持ちになっていく。そこでマリアは「わたしも街へ出て情報収集したい」と言ったがもちろんのこと、二人には反対されてしまった。


「何を仰っているのですか。外は危ないとあれほど言ったでしょう」


「マリア、情報収集はオレ達に任せてくれれば良いから」


 前者がギルで後者がレジーだ。マリアは言葉に詰まり何も言い返せなくなってしまう。特にレジーとギルは、レイヴァンと旅を始めた頃に仲間になってくれているから言葉に何だか重みがある。


「だって、何だか申し訳ないし」


 言ってうつむいたマリアをレジーとギルが一瞥してから二人して顔を見合わせると小さく笑う。それから、二人してマリアに跪いて見せた。


「『主』であらせられるあなたが望むことを誰が『嫌』などと思いますか。あなたは、堂々としておればよろしい。なんと言っても、俺が選んだ『主』なのですから」


 ギルの言葉にマリアは目を見開いたけれど、すぐに柔らかい笑みを浮かべて「ありがとう」と答えた。そのとき、扉をノックする音が聞こえてきた。ギルはマリアの安全のためにもと扉を開けるとそこにはザシャが立っており、あいかわらずのどこか不気味な笑みを浮かべていた。


「王子、どうでしたかな。リカルダは」


 どうやらリカルダといい関係を築けるかどうかを聞きに来たようだ。そんなザシャにマリアは苦笑いを浮かべる。どう答えれば良いのか困っている様子だ。


「少々、わがままな所もございますが学のある良い娘でございます」


 どこかだとギルが、ザシャの言葉に心の中だけで毒づいた。マリアもギルの言わんとするところが分かったけれど、おくびにも出さず言葉を紡いだ。


「しかし、わたしはやはり妃など考える余裕もございませぬ。今はまだ未熟ですから」


「そうですか。ですが、いつでもその気になりましたら結婚する準備を整えておきますので」


 いってザシャが部屋を出て行く。足音が遠ざかってからマリアは、深く溜息を零した。彼の期待を完全に折ってしまいたいが、未熟であるからこそ、歯がゆく苦心してしまう。思わず黙り込んでしまったマリアをギルとレジーが無言で見つめる。その視線を受けつつマリアはザシャのことは脳の片隅に置いておいて“クスリ”について考えることにした。そこでふと疑問が浮かぶ。


「そういえば、あの密偵のエマさんはどうしてわたしにあんな情報をくれたのだろう」


 情報屋であるならばなおさらだ。マリアの口にした疑問にギルは「確かに」と同意を示す。レジーは小首を傾げたけれどギルがレジーに説明した。それを聞いてレジーは「明日、聞いてきましょうか」とマリアに問いかけたけれどマリアが首を横に振る。


「いや、わたしが行く。それぐらいだったら、いいだろう?」


 マリアの問いにギルとレジーはどこか不安そうな表情を浮かべたけれど「仕方ない」と呟いて妥協した様子でマリアに告げた。


「ただし、危ないことはなさらないで下さいよ」


 ギルの言葉にマリアは頷く。それからレジーはまた情報収集へと夜の街へ向かった。ギルはマリアに「外へ勝手に行かないでくださいね」と釘を刺してからダミアンが寝ているであろう部屋へ戻った。マリアもさすがに疲れ果て、ベッドに潜り込む。すると、マリアは自分でも気づかぬ間に眠りへと誘われた。


 次の日、マリアは窓から零れる日の光で目を覚ました。ゆっくりとマリアが上半身を起こし、ぐっと伸びをしたときバルコニーにふと気配が立つ。マリアは不思議に思ってバルコニーへ出るとエリスがおり、何か情報を掴んだらしかった。そんなエリスはマリアに恭しく跪く。


「レジーから“クスリ”の詳細は伺ったかと思われますが、そのクスリの出所が未だつかめておりません」


 エリスの言葉にマリアは、考え込む。それから「何かわかったの」と問いかけるとエリスは、こう告げた。


「詳しいことはわかりませんが、“クスリ”を売っている者は黒いローブを着た妙な男だと言っておりました」


 それもクスリを売っている者すべてが口を揃えてそう言ったのだという。それにマリアは思い当たる節があった。


「もしかして、カリフォルナイトでみた人たち?」


「その仲間かも知れません。今はまだ何とも申し上げられませんが」


 マリアはエリスに引き続き調査をお願いすると部屋へ戻り、いつもの男物の服に着替え部屋を後にする。扉の前ではギルとダミアンが待ち構えており、マリアが起きるのを待っていたようだ。


「ごめん、待たせてしまって」


「いえ、かまいませんよ。そんなに待ってませんから」


 ギルが答えて三人で朝食を食べに向かう。食卓のある部屋へ行くとザシャはすでにおり、リカルダはまだ眠っている様子でその場にはいなかった。

 ザシャに促されるままに椅子に座る。ギルとダミアンはマリアの後ろに控えていた。

 少しして食事が運ばれてくる。あいかわらずの豪勢な食事だ。

 次々と運ばれてくる食事に昨日も思ったことではあるがマリアは見ているだけで胸焼けを起こしそうになる。


「さあさ、お召し上がりください」


「では……」


 マリアがフォークを取り、薄切りのロースを食べようとしたときであった。下女の一人であろうか、ピナフォアを纏った女性が手を滑らせてマリアに水差しの中身をぶちまけた。

 マリアは一瞬、何が起こったか分からず呆然としていたが、ザシャは怒り心頭といった様子で下女を怒鳴り散らした。


「申し訳ございません」


 下女は地主に謝りつつマリアにも謝り、慌ててハンカチでマリアの服を拭く。マリアが「かまわないから」と言ったけれど下女は「いいえ、参りません」と答え「服をちゃんとクリーニングさせてください」と言ったかと思えばマリアに替えの服を渡し部屋へ戻るようにと言った。替えの服を受け取ってマリアは下女の言うとおりにすることにする。

 部屋へ戻るマリアの後ろには、ギルとダミアンも一緒だ。けれど二人して何やら考え込んでいる様子でマリアは不思議そうに二人を見ていたが部屋についたので部屋へ入る。ギルとダミアンは、部屋の外で待機だ。

 それからマリアは下女の用意してくれた服を着る。質素だけれど質の良い服を着込み、部屋の外へ出るとそこにはすでに先ほどの下女が待ち構えており、マリアが着ていた濡れた服を預かってくれた。


「責任をもって服をきれいにいたしますので」


「ありがとう、助かるよ」


 下女の言葉にマリアがそう返すと下女は小さく微笑んだ。それから「はい」と言うとパタパタと服を抱えて駆けてゆく。

 その後ろ姿をじっと見つめているとリカルダがマリア達の元へ来た。


「あれ、まだ起きて無かったんじゃあ」


「何を仰ってますの、すでに起きてましたわ」


 マリアの言葉にリカルダがそう返す。それから下女が向かった方を眺めて「何かあったの」と問いかけてきた。その問いにマリアが「水をかけられてね。あの人がクリーニングしてくれるって言ってくれて」と答えればリカルダは「誰がかけたの」と更に問うた。


「さっきの人だよ」


 するとリカルダが不思議そうな表情を浮かべて言った。


「あの人がそんな失敗をするなんて珍しい」


「そうなの?」


「ええ。あの人、ジュリアっていうんだけどとても几帳面で真面目でわたくしもよくお世話になったわ。今まで失敗なんてしたことなかったのに」


 そう言った後でリカルダは眉根を寄せ、マリアにずいと近寄る。


「王子様、もしかして何か悪いものでも持ってきたのではないですか」


「それはないと思う」


 マリアは苦笑を浮かべつつそれだけ答える。心の中で何かが引っかかるのを感じながら。

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