第六章 恋する乙女の取扱説明書

 親子に案内されてついたのは、小さな喫茶店のような店であった。どうやら母親と娘で経営しているらしく全体的にかわいらしい内装の店だ。女の子の大好きな童話を模したものが飾られており、エリスは思わず目を輝かせた。そういえばエリスはお伽噺が好きだと言っていたのをマリアは思い出した。

 今日は貸し切りのようでマリア達以外に客はいない。そのためか、エリスも遠慮なしに店内をうろうろして楽しそうにしていた。マリアもつい一緒になってうろうろしてしまったが。レジー、ギル、ダミアンは大人しく椅子に座っていた。


「見てください、ガラスの靴ですよ!」


「本当だ! すごい」


 エリスの言葉にマリアは彼が指さしたものを見た。そこにはガラスの靴のアンティークが飾られており、店内の光を浴びて輝いていた。他にもりんごや高い塔の絵も飾られている。やはりメルヒェンチックで乙女心をくすぐられる。エリスは乙女ではないけれど。

 やがて白を基調とした可愛い机の上に女の子が、クッキーの乗ったお皿を置いた。そのクッキーもまた可愛らしい。童話に出てきそうな可愛いポットやカップの絵柄がのっていた。


「二人ともいい加減、椅子に座った方がいいぞ」


 ギルに言われマリアとエリスは、大人しく椅子に座ることにする。その椅子もまたピンクで可愛らしいのだ。エリスは、マリアが今まで見たことないくらい嬉しそうでとした表情であった。つられてマリアも笑みを零す。

 次に女の子が来た時は、お盆に人数分の可愛いカップを載せて運ばれてきた。カップの中身は、ローズヒップティーでほんのりとピンク色だ。お茶のチョイスもまた何だか可愛い。


「ローズヒップティーですか。ビタミンCが多く含まれていていいですね」


 女の子にエリスがにっこりと微笑んでそう言えば、女の子は、頬を真っ赤にしてお盆を床へ落としてしまった。幸いにもカップは皆に配り終えていたから良かったけれど。

 女の子は、お盆を拾い上げると慌てて奥へ引っ込む。ギルが、また嫌らしい笑みを浮かべてエリスに視線を送る。


「何ですか」


「いや~、もてるねえ」


 ギルの言い方に若干、苛立ちを覚えながら「そんなんじゃないですよ」とエリスは反論しながらローズヒップティーを口にした。甘酸っぱい味がエリスの口の中で広がる。


「甘酸っぱい恋の味?」


 またギルがからかって言えば、エリスが大きく咳き込んでしまった。隣に座っていたマリアが慌ててエリスの背中を撫でて「大丈夫?」と声をかければエリスは「大丈夫です」といいながらむせる。ギルの言葉が不意打ちであったらしく、かなり喉に詰まったようだ。


「ごほ、ごほっ」


 女の子は慌てた様子でコップに水を入れ、エリスに渡した。エリスはそれを受け取って一気に飲み干して女の子に笑みを浮かべて「ありがとう」と告げる。たちまち女の子は、耳まで真っ赤にして奧に引っ込んだ。


「あれは、かなり脈ありだな」


 ニヤニヤとギルが呟くとダミアンはこくこくと頷き、レジーは相変わらずの飄々とした表情でローズヒップティーに口を付ける。口の中で甘酸っぱい味が広がればレジーは、マリアが見たことないくらい気の抜けた柔らかい表情を浮かべていた。その表情にマリアもローズヒップティーがどんなものか気になり、一口飲んでみる。レジーの表情の意味が分かってマリアもほんわりと笑みを浮かべた。


「おいしい!」


 マリアが思わずそう言えばエリスがマリアにつられるように笑みを浮かべ、「ローズヒップティーには、ビタミンCの他にリコピンも含まれ抗酸化作用があるんです。それにカルシウムもたくさん含まれていますからリラックス効果もあるんですよ」と言った。


「エリスは本当に詳しいね」


「はい、栄養学は自分だけでなく大切な人を守るためにも大切な知識だと僕は思ってますから」


 だからたくさん勉強した、とエリスが言葉を紡ぐ。確かに彼の言うことは確かで彼の栄養学の知識はマリアとしては新鮮で楽しいし、彼のお陰で体調もあまり崩れない。


「エリスは本当、すごいね!」


「いえ、そんなことはございません。ですが、まさかソロモンの元で学んだ栄養学が『主』のために役立てることが出来るなんて思いもしませんでした」


 言われマリアは、少しだけ驚いたが「それもそうか」と思う。〈眷属〉の守人は、『我らが王』を待ちわびていたという。それもいつ現れるか分からない『主』をただひたすら待っていたと言っていた。そもそも現れるのかどうかすらあやしい『主』を。何千年と時が流れる間にどれほどの守人が『主』を待ちわび、その命を散らしていったか計り知れずマリアはふと「途方もない」と思う。 けれど、こうして側にいてくれる彼らは確かに目の前にいるのだからせめて彼らの期待を裏切ることだけはしたくないとマリアは思った。

 そんなマリアをギルが不思議そうに見つめていたけれど特に何も言わずクッキーを口に運んだ。ぽろぽろと砕けるクッキーの歯ごたえにギルは思わず頬を綻ばせる。それを見てマリアはクッキーを食べることにした。マリアが手に取ったクッキーには、トランプの絵柄が描かれていて、それもまた可愛い。思わずマリアが食べるのをためらっていると奧から女の子の母親が出てきて「遠慮しなくて良いですから」と言われ、クッキーを口にした。ぽろぽろとクッキーが砕け、トランプ柄の部分であるチョコレートが溶ける。マリアも頬を綻ばせ「おいしい」と呟いた。

 母親はにっこりと微笑み、机の上に大皿を置いた。その大皿にはカリーブルスト(焼いたソーセージの上にケチャップとカレー粉をまぶしたもの)が盛られ、次に個々に置かれた皿には、シュヴァイネブラーテン(ローストした豚肉をソースで煮込んだもの)が盛られていた。


「おいしそう! ですけど、いいんですか。こんなにたくさん」


 マリアがそう問いかけると母親はにっこりと微笑んで頷いて「ええ」と答える。


「娘の命を救っていただいたのですから、これくらい安いものですよ」


 女の子の母親の答えに「確かに」とも思うけれど、何だか申し訳ない。ギルはというと気にした様子なく料理にがっついている。ダミアンも同様にだが。


「では、いただきます」


 マリアも遠慮無くいただこうとカリーブルストを一つ食べてからシュヴァイネブラーテンを口に運んだ。よくついた肉の味と香りにマリアは、うっとりと表情をさせた。その表情をエリスが眺めて頬を赤くさせる。マリアはもちろん、それには気づかなかったがレジーとギルが気づいてレジーは、相変わらずの何を考えているのか分からない表情を浮かべている。対照的にギルは、面白いものでも見つけたように笑みを浮かべていた。先ほどのニヤニヤとした笑みでは無いけれど、どこかいやらしい。


「な、なんですか」


 ギルの視線に気づいてエリスがそう問うと「別に」とギルが返答した。それからまた食事を再開する。エリスはギルの様子に首を傾げたけれど特に気にもとめず食事を始めた。

 やがて皆の食事が終えると片付けを終えて女の子が奧から出てきた。その頬は、相変わらず赤い。


「えと、助けていただき本当にありがとうございました」


 ぺこりと女の子は、エリスに向かって頭を下げた。そんな女の子にエリスは「いいえ」と答える。


「僕では無く主であるこの方ににおっしゃってください」


 そういってエリスがマリアの方を手で示した。女の子は、素直にマリアにも礼を言ったけれどすぐにその視線はエリスの方へ向く。その瞳には、どうやらエリス以外は映っていないようだ。エリスはどこか困ったようにマリアを見つめたけれどマリアもどう返して良いのかわからず苦笑いを浮かべた。それから、そっと言葉を紡いだ。


「まあ、わたしがエリスに頼んだにしても助けたのはエリスだし」


 確かにそうですが、とエリスはマリアの言葉に肯定を示したけれどエリスにとっては『主』であるマリアが命じたから助けただけであって感謝されるいわれは無いというところなんだろう。

 女の子の母親も奧から出てくる。そして、再度エリスにお礼を言った。その母親にエリスがまた同じように言ったら母親の方は娘の方とは違い丁寧にマリアに礼を言った。


「わたしは何もしてないから」


 マリアは思わずそう言ってしまったけれど、母親の方は身分の高いものが低いものに対して人助けをするよう臣下に命じることがないのをよく知っているようでマリアに対して感謝の念を少なからず持っているようだった。


「いいえ、見るからにあなたは身分のお高い方なのでしょう?」


 母親の言葉にマリアは、言わんとすることが分かって「好きでやっていることですから」と答えた。母親はどこか悲しげに微笑んで「身分が高くともあなたのような人もいらっしゃるのね」と呟く。その言葉に驚いてマリアは目を見開いた。そんなマリアを知ってか知らずか可愛らしい包装とレースのついた可愛いリボンが結ばれている箱を差し出した。その箱は包装はピンク色で箱の大きさは1フース(約30センチ)四方の大きさで、高さは2ツォル(約5センチ)ほどの大きさのある箱だ。レースのついた白いリボンは、3フース(約90センチ)の長さがあり、可愛らしく蝶結びされている。


「どうぞ、召し上がってください」


 お菓子や食事をもらったのにさらに、手土産まで渡されてさすがにマリアは断ったけれど母親は「どうぞ」と言って譲らず、半ば強引に箱を手渡された。マリアはその強引さに驚きつつもそれをありがたく頂戴することにする。そのあと、マリア達は宿を取り借りた部屋へ入った。そこで先ほど貰った箱を開けるとクッキーが敷き詰められており、たくさんのクッキーにマリアは目を瞬いた。

 ギルはひょいと箱の中のクッキーを取って食べる。先ほどあんなに食べたというのにまだ食べれることにマリアが驚いているとギルが取った箇所からクッキーが規律を失って少しずれた。ずれたことにより、クッキーの下に何か紙があるのを見つける。なんだろう、と思いマリアはクッキーが崩れないように紙を引っ張り出すとそこには文字が書いてあった。


『この街でおかしなところはございませんか』


 ただ一言、そう書かれていてマリアは首を傾げる。その紙を守人達も覗き込んで「なるほど」とギルが呟いた。そんなギルにマリアが問いかける。


「何かわかったの?」


「ほはひひほほほは……」


「ごめん、何言ってるかわかんない」


 クッキーをくわえたまましゃべろうとするギルにマリアが言えば、ごくんとクッキーを飲み込んで言葉を発した。


「おかしいとハッキリと分かるところは無いが、女の子を襲ったあの男、気になる」


 ギルの言葉に賛同するようにレジーもコクリと頷いた。マリアはわからなくて首を傾げる。そんなマリアにエリスが跪いて言った。


「あの母親がこの街を“おかしい”と思っているのならば“おかしい”ところがあるはずです。姫様、どうかご命令を」


 その言葉にマリアは頷き、エリスに街の調査と女の子を襲った男についての情報を集めるように命じた。エリスはニッと笑みを浮かべ「御意」と答えると宿を後にした。


「また明日もあの喫茶店へいきますか」


 ギルの言葉にマリアも頷く。もしかしたら、また何か情報をくれるかもしれないと思ったのだ。レジーとダミアンも賛同するように頷いて答えた。


 夜、マリア達はベッドの中にいた。けれどマリアは眠れないらしく憂いを帯びた瞳でどこか虚空を見つめていた。けれど、ふと扉の近くで気配が立ったのを感じマリアは体を起こす。


「どうだった」


 扉近くにある影にマリアが問いかける。すると、その主は言葉を発した。


「はい、どうやらあの男は“クスリ”に冒されていたようです。それも密輸された“クスリ”のようで僕が見たことも無いものでした」


 影の主が窓から零れる月明かりで照らされた。エリス、その人だった。


「そうか。ありがとう、エリス」


 マリアがそう声をかけるとエリスは「これからいかがいたしましょうか」と問いかけてくる。マリアは「今日はそれだけ分かれば十分だよ。そのクスリについても自分で調べてみたいし」とマリアが答えればエリスは「わかりました」と答え、ベッドに入った。けれど、マリアはそのあとも寝付けずベッドの上で何度も寝返りを打った。



 翌日。またマリア達は喫茶店を訪れた。相変わらずの貸し切り状態で出迎えてくれてマリア達にお菓子や食事を振る舞ってくれる。今日はお金を払うとマリアが言ったけれど母親は「かまいません」とお金を受け取るのを拒否した。申し訳ないとマリアが言えば母親は悲しげに微笑むばかりであった。

 女の子はというとエリスの隣に座っているが頬を赤らめるばかりでエリスと目を合わせようともしない。そんな様子を眺めてギルは、いやらしい表情でエリスと女の子を見つめる。母親は女の子に白銅の5ペニヒ硬貨を握らせるとエリスと一緒に買い物に行っておいでといった。女の子はよろこんでそれを受け取り、エリスと一緒にどこかへ出かけていった。

 母親はそこでようやく口を開く。


「昨日の箱に詰めた紙に書いてあったとおり、この街はおかしいんです」


「“クスリ”か」


 母親の言葉にギルがそう言えば母親は、こくりと頷く。母親が言うにはこの街の貴族が密輸を行い売りさばき私腹を肥やしているという。


「ですから、この街は犯罪者が多い。かくいう、あの子の両親もクスリに冒され亡くなったのです」


「あの女の子は、あなたの娘ではないんですか」


 母親だと思っていた女性はこくりと頷く。


「私はエマと申します。あの子はフィーネ。私の姉の娘なんです」


 フィーネを養子にしているとエマと名乗った女性は答えた。マリアは驚いてしまって少し目を見開いたけれど「大変だったんですね」と呟いた。それ以外に言葉が出なかったというのもある。けれど机の下にあるマリアの手は強く握り締められており、悔しさから来るものなのかマリア本人ですらわかなかったけれど、どうにかしたいという感情は確かに渦巻いていた。

 それ以上は何も分からないとエマは答えたのでマリア達は仕方なくエリスが戻ってくるのを待つことにした。けれど、エリスが戻ってきたときには夕刻を過ぎていた。ぐったりとした様子を見るとフィーネに相当振り回されたのだろう。

 苦笑いをマリアは思わず浮かべてエリスをねぎらう言葉をかけてやるとエリスはフィーネには聞こえないような小さな声でボソリと呟いていた。


「取扱説明書が欲しい」


 その呟きにマリアは答えることが出来ず、ただ苦笑いを浮かべていた。それから皆で宿に戻るとエマから聞いた話をエリスにする。エリスもどうやらフィーネには気づかれないように街の情報を集めてくれていたらしくマリア達に新たな情報をもたらしてくれた。


「この街にもスラム街に近い場所がありました。フィーネが一緒だったので行きませんでしたが“クスリ”を流すとしたらそこではないでしょうか」


 エリスの言葉に皆が頷いた。そこでマリアはエリスに再度調査をお願いしようとしたが、ダミアンがいぶかしそうに眉を潜めた。


「なあ、姫さん。あんたまさか“クスリ”の出所を探し出してとっちめようとか考えてねえよな」


「そのまさかだよ。わたしはこの街に“復興”のために来たんだ。この街が内部から破滅の一途を辿る前にわたしが何とかしなければならない」


 まっすぐにマリアはダミアンを見つめて答えればダミアンは驚いたように目を見開いた。けれどレジー、ギル、エリスは初めからそのつもりであったようで驚いた様子も無い。


「どうして……」


「どうして? 目の前に困っている人がいれば助けるのは普通でしょう」


 ダミアンの呟きにマリアは凛とした声で答える。ダミアンは、少し驚いた表情を浮かべたけれど、すぐにいつもの表情に戻って小さく笑った。


「さすが『我らが王』だ。じゃあ、これからどうする?」


 ダミアンの言葉にマリアは嬉しそうに表情を綻ばせた後、言葉を紡いだ。


「明日、地主がいるであろう城へ向かう。そこであれば、貴族がいるだろうからな。ギルとダミアンはわたしと共に城に、レジーとエリスは街で情報収集をお願いしたい」


「御意」


 守人達は跪き声をそろえてそう答えた。その言葉を聞いてマリアは日だまりのように柔らかく微笑んで見せた。



 次の日、マリアとギルとダミアンは街から少し離れた地主の住まう城へ来ていた。城へ着くとすぐさま門を通された。どうやら国王から通達が来ていたようで特に何も言われなかった。

 城の中に足を踏み入れるとずらりと使用人が両側に並び、腰を低くしている。あまりこうして出迎えられることが少ないため、マリアは驚いて思わず数歩、後ずさってしまった。そんなマリアを知ってか知らずか地主であるザシャが出迎えてくれる。指にはうんと豪華な指輪をはめ、お腹周りはでっぷりと肥やした男であった。国王よりも国王らしい体格をしているとギルは密かに思う。


「ようこそ、いらっしゃいました。わたくしは、この地の領主、ザシャと申します。ささ、どうぞこちらへ」


「ああ」


 ザシャに促されマリア達は食事をする部屋へ通された。そこには王族を迎えるというだけであってうんと豪勢な食事が並べられていた。エリスがいれば目を輝かせて作り方をあれこれ聞いていたかも知れない。

 マリアはザシャに他にも臣下がいるが、今は訳あって街に出ていることを言い食事を始めた。まだ朝食すら食べていなかったのだ。

 ダミアンは静かに食事を取っていたがギルは、女中にあれこれ話し掛けていた。俗に言うナンパである。それをマリアは苦笑いを浮かべて見ていたけれどザシャに話し掛けられ、ギルからザシャへ視線を移した。


「この地は昔から交易が盛んでして、王子が見たこともない食材もございましょう」


「確かに、このような料理は初めて見た」


 ザシャの言うとおりマリアが見たことのない料理が並べられている。それらを眺めてマリアは、食事を口に運んだ。今まで食べたことの無い味付けにマリアが気を緩めていると「ところで王子」と切り出した。


「王子は今年で御年十四歳になられますかな」


 マリアが「ええ」と肯定の意を示してスープを口に含んだ時だった。


「わたくしには王子より一つ年下の娘がおりまして、いかがですかな。ぜひ王子のお側で」


 ザシャが言い終わる前にマリアが、口の中に含んでいたスープを喉に詰まらせかける。なんとか難は、免れたが言葉の方が難題だとマリアは思ってザシャの方を見る。笑みを浮かべていたが、どこかゾッとして言葉を失った。


「王子もそろそろ、許嫁がおられてもおかしくは無いお年頃です」


 つまりザシャは、自分の娘を妃として迎えて欲しいと言いたいのだろう。マリアはどう言えば良いのか分からずおどおどしてしまった。けれど、自分の意志を伝えるのが良いと思って言葉を紡いだ。


「ありがたいお言葉ですが、お断りいたします。わたしは、まだやらねばならないことがございますから」


「なんと逞しいお言葉。しかし、妃のことを考えてもよろしいのではございませんか」


 マリアの言葉にザシャは返した。どうやら引くつもりは無いらしい。この場にソロモンがいれば、うまく言いくるめてマリアを助けてくれるであろうが残念なことに彼はいま王都にいる。

 共にいるギルはどこか面白そうにしていて、ダミアンは口をはさみたそうな表情であるが、相手が地主であるので挟めない様子であった。

 結局、マリアが「考えておきます」と言ったことで場は収まった。そのあと、部屋へ案内されマリアだけは個室でギルとダミアンは相部屋に通された。

 まだ昼間であるから眠ろうなどとは思わなかったのでマリアは、ギルとダミアンの部屋を訪れた。部屋へ入るとマリアの部屋よりは小さい部屋で二人で過ごすには少し狭い印象を受ける部屋であった。


「俺たちの部屋を訪れた理由はなんですか」


 マリアが口を開く前にギルが問いかけた。わざわざ王子と呼んでいるのは、聞かれていてはまずいと思ってのことだろう。


「ああ、もっと上手い言い方があったのではないかと思って」


 先ほどのことですか、とギルが問いかければマリアはコクリと頷く。マリアは二人に相談するために訪れたのだとわかればギルはマリアとまともに向き合って口を開いた。


「期待を持たせてしまう分、よいとも言いませんが悪くは無かったのではないですか。だいたい王子は、“おべっか”も“嘘”も苦手でしょう」


 ギルの言葉が当を得ていてマリアは苦笑いを浮かべる。社交界へ出たことが無いから“飾りだけの言葉”というものをマリアは知らなかったけれど今回、身に染みて感じて確かに苦手だと感じた。


「ザシャとか言うあの男、自分の娘と王子を結婚させて権力を握ろうとしているのか、はたまた別のもくろみがあるのか」


 ギルの考えにマリアとダミアンが頷く。そのとき窓を叩く音がしたかと思えば、そこにはエリスがバルコニーに立っていた。窓を開けてエリスを招き入れるとエリスはマリアに跪いて口を開く。


「ご報告いたします。街に流通している“クスリ”のことですが、売っている店を突き止めましたが店の者はクスリを流してくれている相手のことは何も知らないと答えました」


 嘘じゃ無いのかとギルが言えば、エリスはゆるゆると首を横に振る。脅しをかけたが「知らない」と言うばかりであったし、嘘をついているようでも無かったという。


「そうか……」


 マリアは、少しばかり困ったような表情を浮かべて考え込んだ。けれど、すぐにエリスの方を向き直って「引き続き、調査をお願いしても良いか」と言えばエリスは短く「御意」と答えてまた外へ出て行く。そのあともマリアは何やら考え込んでいたがギルとダミアンに部屋へ戻った方が良いと言われ部屋へ戻った。

 部屋へ戻るとほどなくして部屋の扉がノックされ、マリアが扉を開けるとそこには、ザシャが立っていた。小首を傾げるマリアにザシャは「娘を連れて参りました」と言ってきれいなドレスに身を包んだ少女をマリアの前に出した。


「名をリカルダと申します」


 告げてザシャは、マリアにリカルダという少女を見せた。マリアと一つ下というだけあって背丈はあまり変わらない。否、リカルダがヒールのついた靴を履いている分、マリアよりは低いかも知れない。

 身に纏ったふんわりとしたピンクのドレスがまた可愛らしい。ツインテールに結ばれた長い茶髪は、幼さを感じる。同色の瞳もまだ幼さがあって可愛らしい可憐な少女であった。その瞳がわずかであるが、ぴくりと動く。


「それでは王子」


 ザシャはそのまま、その場を去ってしまった。取り残されたマリアは少し焦りながらもリカルダを部屋へ通し、椅子に座るよう促す。リカルダは促されるままに椅子に座るとマリアをキッとにらみ付けた。


「王子様と言うからどんな素敵な方かと思ったら、とんでもない子どもじゃ無い」


 自分も子どもであるのに棚に上げてリカルダが言った。見た目は可憐な少女以外の何者でも見えなかったのに実際に口を開くと、とんでもない高飛車なお嬢様のようだ。


「えっと、とりあえず名乗るね。わたしは――」


「クリストファー・M・アイドクレーズという名なんでしょ、存じているわ。コーラル国を追い出した王子と言うから立派な筋肉を持った殿方と期待したのに」


 リカルダは一体、王子にどんな理想を抱いているのだろうか。マリアには計り知れなかったが、台詞の内容を汲み取るにリカルダは筋肉好きなのだろうか。そんな風に考えを巡らせているとまた扉を叩く音が聞こえてきた。リカルダに断ってから扉を開けるとギルとダミアンがそこには立っていた。


「王子、さきほどザシャが尋ねていたようですが何用で」


 ギルの問いかけは、部屋にいるリカルダの存在に気づくと打ち切られた。そして、リカルダがザシャの娘であることがすぐにわかったのだろう。

 リカルダはと済ました表情で椅子に座っていたがふとその視線がこちらへ向いて頬を赤らめたかと思えばこちらへ近づいてくる。ギルに近づいているのかと思ったがギルの脇をすり抜けてダミアンの元まで来ると彼を見上げて頬を真っ赤に染めていた。


「逞しい筋肉、素敵な殿方」


 やはり、リカルダは筋肉好きらしい。そんな様子のリカルダにギルは自分をアピールするように「ここにいい男がいますのに、お嬢さん」と甘い声で言ったがリカルダは下衆でも見るような目でギルを見て「ひょろひょろな男になんて興味ございません」と告げた。ギルはがくっと膝を折って大げさに落胆して見せてから立ち上がるとマリアに耳打ちする。


「つまり王子は、この子に出会って即行で振られたわけですね」


「うん。まあ、そうなるね」


 そもそも告白自体していないのにな、とマリアは心の中で付け足しておく。ギルと一緒にダミアンの方を見ると女の子が喜びそうなことをしていた。壁に押しやって逃がさないようにし、不敵な笑みを浮かべ甘い声で言葉を吐いた。


「悪いがお嬢ちゃんは俺様にはついて来れねえよ。俺について来れるのは王子だけだからな」


 ダミアンの言葉にリカルダは頬を染めて一生懸命、言葉を述べる。


「わたくしは努力してあなたに見合う立派な淑女レディになりますわ!」


 頬を真っ赤に染め純粋な目で見つめられれば、ダミアンは思わず内心冷や汗をかいて焦燥する。やんわり断ったつもりであったようだが、逆にリカルダの中の乙女心を燃やしてしまったらしい。

 ダミアンがとこちらを向いて、目線だけで「助けて」と懇願してきた。そんなのだったら初めから突き放せば良いのに、とマリアとギルは思いながら二人で顔を見合わせて苦笑いを浮かべた。

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