第五章 古城

 マリア達は街道を通り、古城が建つ少し小さな町へ来ていた。もちろん、町といえど昔は大いに栄えた町であるのでそこそこ広さはある。けれど、町はかつての面影が残ったまま寂れてしまっていた。

 昔の建物のまま、目新しいものがなく家にはツタが這いひび割れ、中には人が住まなくなったせいか倒壊している家もある。


「ここは数年ほど前まではそれなりに栄えていたのですが、昔のこの地の地主に子がおらず、地主が亡くなってからそのままこの地は放置されて寂れてしまったとか」


 ギルの解説にマリアは、後を継ぐ者はいなかったのかと問いかけるとダミアンが首を横に振る。ダミアンが言うには今のカリフォルナイトの地主がここを受け持っているが、放置状態であるのでこんなに寂れてしまったらしい。

 マリアは思わず渋い顔をする。コーラル国に国を乗っ取られる前から、この国にはこんなにも“ほころび”があるのかとマリアは自覚してしまう。小さなほころびがいずれ大きな事になってしまうのだろうかと考えたらマリアは「なんとかしないと」と心がマリアを突き動かす。けれどマリア自身、自分がまだ未熟であることを知っている。だからこそ、動き出せずにいるのだ。

 具体的なことが何一つ分からない。こうして何かしようと動き出す度に“その壁”にぶち当たる。歯がゆさに腹が立つ。


「この国をまとめるには、どうすればいい」


 マリアは、凛と前を見つめて言った。守人達は驚いたようで、目を見開き顔を見合わせてからマリアの方を優しい眼差しで見つめた。


「もっと学ばれればよろしい。自ら国を知り、“まつりごと”を知ろうとなさっている姫様ならば俺は出来ると思います」


 ギルが言えば、他の守人も同意するように頷いた。皆の頷きに励まされ、マリアは嬉しく思うと同時に仲間がいて良かったと深く感謝した。


「けれど、いつになるかわからないよ」


 半ば自嘲気味にマリアは言ったけれど、ギルはかまわないとでも言いたげに優しくマリアの頭を撫でた。その手つきは柔らかい。


「焦って得られるものではございますまい。むしろ、慌てて勉強しても何も得られない。じっくり自ら考え動いたことこそが“本当の知恵”になると俺は思いますから」


 ギルの言葉にマリアは納得し、深く彼に感謝した。またギルの言葉に救われたのだと実感する。 それと同時に沸き上がってきた感情をそのまま口にした。


「ありがとう」


 マリアが満面の笑みを浮かべて言えばギルは、柔らかい表情を浮かべて見せた。そのとき、土に何かを置く音が聞こえたかと思えば、しゃがれた声がマリア達に問いかけた。


「このような地に何のご用かな」


 マリア達が声に振り返るとそこには、杖をついた老人がいた。老人は、ここには宿も何も無いから日が暮れる前に街道を抜けた方がいいと言った。そんな老人に珍しくもレジーが口を開いて言葉を紡いだ。


「あの古城、誰かいるのですか」


 レジーの問いに老人は、ゆるりと首を横に振る。どうやら誰も住んではいないらしい。レジーは、老人に「ありがとうございます」とだけ告げて古城へ視線を戻した。老人はゆったりとした足取りで自分の家に戻っていく。それを確認してからマリアはレジーに問いかけた。


「レジー、どうかしたの」


「いえ、風が古城に集まっているから」


 レジーの言葉につられるように皆が古城の方を眺めて「何かあるのだろうか」とマリアはボソリと呟く。その呟きを受けてかダミアンが口を開いた。


「よし、ここで思案していても仕方ない。俺が様子を見てきてやろう」


 すると、ギルは「いやいや」と呟いて「俺が」と言った。二人のそんな様子をエリスは呆れた様子で眺めて「何を張り合っているんだろう」と呟けばギルとダミアンの顔がとエリスの方を向いて声を揃えていった。


「俺の方が姫様の役に立っていることを証明するんだ」


 二人の言い分にやはりエリスは、呆れてしまって大人げないと呟いた。マリアも思わず苦笑いを浮かべて、ふとレジーの方へ視線を向ければ、姿はそこにはなく古城の入り口にあった。


「レジー!」


 思わず名を呼んでレジーの後を追いかければ、「調べてきます」と言って古城の中へ足を踏み入れた。マリアが入ろうとしたけれど、何があるか分からないからとエリスがマリアを止める。そんなマリアの脇をすり抜けてギルとダミアンも古城に足を踏み入れた。その場にはマリアとエリスが取り残され、仕方なく皆を待つことにする。

 数刻後、あたりはすっかり紅色に包まれて夕方になったことを告げていた。エリスは古城の方を見つめて。


「遅い」


 半ば苛立ったように言葉を吐いた。マリアの前では、決して感情をあらわにしない彼であったがこの時ばかりは苛立って呟いていた。


「まあ、もう少し待ってみようよ」


 冷や汗を浮かべながらマリアは言ったけれど、エリスは「待てない」と言ってマリアにはここに残るように言いエリスまでもが古城に足を踏み入れた。マリアだけが、ぽつんと取り残されてしまって心細くなってしまう。思わずうつむいたマリアに、街の人がさすがに心配に思ったのか声をかけたがマリアが「大丈夫です」とだけ答えて町の人に心配かけまいとした。けれど町の人は、マリアが気になるのかとマリアを眺める。しかしマリアは、その視線も気づかないほど寂しそうな表情を浮かべて古城を眺めていた。ほぼ無意識に手をぎゅと握り締め、レイヴァンの名をぼそりと呟いていた。マリア本人は気づいてはいないが、実はエリスやレジー、ギル、ダミアンと共に旅している時もほぼ無意識のうちに彼の名を呼んでいた。もちろん、皆そのことには気づいていたが、誰もそのことには触れない。ダミアンですら、聞いては駄目なんだろうなと思いとどまりマリアに聞いたりなんかしなかった。ダミアンからすれば誰だかわからないし、聞きたい事柄だろうがマリアの思い詰めたような表情に言葉を飲んでしまう。それほどまでも、マリアにとってレイヴァンの存在は大きい。

 またマリアが、溜息交じりに彼の名を呼んだ時だった。先ほどの老人がマリアの様子を見に来ていたようだけれど、マリアが呼んだ名を知っているようで驚いたように「レイヴァンを知っているのか」と問いかけてきた。


「はい」


 マリアがとっさに老人にそう答えると老人は、細くなっていた目を見開いた。それから「あなたは彼の何なのですか」と問いかけてくる。この質問にマリアは固まった。お忍びで旅をしているのに、あっさりと王族であることを明かしてしまっても良いかどうか悩んでしまう。否、王族であることは隠すべきであろう。王族と言うだけで命を危険にさらされる可能性があるのだ。どうにか誤魔化そうと決め込むとマリアは口を開いた。


「レイヴァンには、とてもお世話になっているから」


 あいまいな答えになってしまった。もっと良い言い方が出来れば良かったのだけれど、残念ながらマリアは“人を欺く”ということがあまり得意では無い。 裏を返せば“嘘をつけない”正直者だけれど、あまりこの場ではよろしくない。こういうとき、ソロモンのように“詭道”を巧みに使えれば良いのにマリアは思う。そんなマリアを知ってか知らずか、老人は細い目をさらに細くしてマリアを見つめた。


「あなたは、レイヴァンをとても大切に思っているのですね」


 どうして老人がその結論に達したのかマリアには分からなかったが、嘘をつく必要も無いので老人の言葉に素直に頷いた。すると老人は古い装丁の“手帳”を渡してきた。不思議そうに表紙を眺めると、老人が「エミーリアの日記帳」と答えたので驚いて老人を見つめる。“エミーリア”という名は、たしかクリフォードが最期に言った言葉の中に出てきた名だ。


「二十年ほど前だったか、赤子を抱えた娘とその夫がこの地を訪れた。二人は、どうやら何かから逃げている様子であったが何から逃げているかということまでは聞きはしなかった」


 老人は遠い目をして昔のことを思い出すように口を開き、言葉を紡ぐ。老人が言うには、“エミーリア”と名乗ったその娘と“ジーク”と名乗ったその男は、しばらくはただ平穏にこの地で暮らしていたのだという。けれど、一ヶ月経ったある日、妙な連中が現れてふたりの中を引き裂いてしまったのだという。そのときに拾ったのが、この日記帳だと老人は言った。


「それで、その赤子の名が確か“レイヴァン”であった」


 マリアはたちまち驚いて目を瞬く。別人かも知れないが、その日記帳は預かっていてくれと老人はマリアに言った。去ろうとする老人にマリアは、慌てて問いかける。


「あの、そのあと赤子はどうなったのですか」


「確か“ジーク”の方が赤子だけを連れて各地を転々としていると聞いた。そのあとのことは、わからない。すまないね」


「いえ、ありがとうございます」


 マリアは老人にそれだけを告げて日記帳に目を落とした。古びた日記帳にはどこかぬくもりを感じ、なんだか開けるのが後ろめたい。けれど思い切って開けてみた。

 日記帳の中身は、泥で汚れたり破られていたりで残念ながら内容を読むことは不可能であった。後ろめたさもあったから、少しだけほっとしたけれど。

 マリアは日記帳をかばんにしまいこみ、古城の方を向いた。あたりはすっかり、闇に包まれ不気味な烏の鳴き声ばかりが響く。

 さすがに戻ってくるのが遅すぎる。妖しい雰囲気の古城をマリアは臆さずまっすぐ古城を見つめ、かばんからランプを出すと火を灯して古城へ足を踏み入れた。

 扉を開くと嫌な音を立てる。それに顔をしかめて床をふむとまたギと音を立てて少しへこんだ。相当、古くなっているらしい。これは慎重に進めねば足場が崩れてしまいそうだ。そのため慎重に足を進める。その度に、ギギと足下が音を立てた。そこでふとマリアは疑問に思う。少し歩いただけでこんなにも音が立つのに守人達の足音も何も聞こえない。嫌な感覚がざわりとマリアの中を駆け巡った。けれど首を振ってそれを打ち消す。それからランプで辺りを照らしながら足を進めた。するとどこからか何か重たいものが崩れる音が響いてくる。マリアは思わず肩を振るわせてランプで辺りを照らしたけれど、何も崩れた様子は無い。どこかの部屋で何かが崩れたのであろうか。


「みんな、どこ?」


 マリアは屋敷の中でそう声をかけた。その声は自分が思っているより、震えており弱々しい。自分自身にむち打つようにマリアはしっかりとした足取りで歩き出す。それから少し歩くと階段が現れる。マリアは踏み外さないように一段ずつ進んでいくけれど、階段には“ツタ”が這っており歩きづらい。と思ったら、足が“ツタ”に取られ階段を踏み外してしまう。


「わあ!」


 痛みを覚悟してマリアが目を閉じたけれど、マリアの体は痛みを感じることは無く柔らかく抱き留められた。驚いて目を開ければエリス、レジー、ギル、ダミアンがマリアの体を支え心配そうに覗き込んでいた。


「ご無事ですか、姫様!」


 エリスが真っ先にそう問いかけてきた。マリアは皆の顔を見回してゆるりと笑みを浮かべて「うん、ありがとう」と答えた。刹那に皆の表情も和らいだ。それからマリアは床の上へ降ろしてもらうと皆に問いかけた。


「皆があまりにも遅いから来ちゃったよ。皆はここで何をしていたの?」


 マリアが問いかけるとレジーがマリアの前に何かの紙の切れ端を渡してきた。そのあと、レジーは「風がこれに集まってきていた」と言葉を紡ぐ。

 その切れ端を受け取り、マリアは少しだけ思案した後この切れ端と先のあう“モノ”を思い出してカバンから取りだした。それは先ほど老人から貰った“日記帳”であった。日記帳をぺらぺらとめくり切れ端と合う部分を捜す。やがてあるページで手を止めて切れ端と合わせればピタリと合わさった。


「これで読めるかも!」


 マリアがそう期待を込めて見れば確かに今まで読めなかった文字が切れ端と合わせることによって読めるようになった。まるで暗号のようでマリアは何だか楽しい。そんな事を思いながらマリアは文面へと目を滑らせて日記帳を読んだ。そこには、こう書かれていた。


『腕の中で眠る君は、ずんと重く私の腕にのしかかってくる。命の重みはこんなにも重く、けれど優しい温もりを孕んでいることを知った。そして、握りかえしてくる小さな手が私の心にあたたかな日だまりのようなものを落とす。この子を私の手元で育てることが出来なくなってしまうかもしれないけれど、それまではどうか君の側にいさせてね』


 レジーが見つけてくれた切れ端ではここまでしか読めなかった。少し残念に思いつつもマリアは皆にも老人から聞いた話を話した。ダミアンはレイヴァンを知らないのでこっそりエリスに聞いていた。それから、もうここには用は無いとマリア達は街道を通っていくことになった。町に滞在しても良かったがあいにく、この町には宿が無い。ということもあって、マリア達は街道の近くまで行き野宿をすることになった。


***


「レイヴァン、私のかわいい息子」


 暖かな日差しの射す聖堂で一人の女性が、赤子を腕に抱いていた。時刻はまだ朝の早い時間のためか、聖堂には女性と赤子以外には人はいなかった。女性は、腕の中ですやすやと眠る自分の息子を愛おしそうに眺めている。聖堂には、赤子を祝福するように明るい日差しと温もりが溢れていた。


「あなたは、きっとこれから大変な目に遭う。でも、どうかくじけないで絶望しないで。私とジークの息子だもの。強くたくましく生きてくれるよね」


 祈りともとれる女性の声は、どこか悲しげで寂しさを孕んでいる。


「でも、そうね。ただ優しい子に育って欲しいな。願うのはそれだけだよ。きっと君が物心つく頃には、私は君の側に居ない。すごくつらいことだけど、私の家が君という存在を認めてはくれない」


 女性は涙をぽたりとこぼした。やがてその涙は、止めどなく女性の瞳からあふれ出せば、そのまま女性は泣き崩れてしまう。すると、眠っていた赤子が目を覚ましてしまった。女性の感情を汲み取ったように赤子も泣き出せば女性はあやすように赤子をゆらゆらと揺らす。


「君とは笑ってお別れしたいんだけどな。笑って、レイヴァン。笑って」


 女性は赤子の頬に頬を寄せて頬ずりする。その頬を涙が伝った。そのとき、聖堂に一人の男性が入ってきた。


「エミーリア、本当にいいのかい?」


 女性は男性の方を振り返りこくりと頷いて答える。それから腕の中の赤子を優しく見つめて言った。


「もう一度こうして抱けただけでも嬉しいもの。この子の父はこの子を守って亡くなってしまった。クリフォード、どうかこの子を守って。過酷な運命がこの子を襲うことになっても、どうか……」


 男性は女性に恭しく頭を下げて「約束しよう」と言った。


「その子を命に変えても守り通します」


 男性の言葉に女性は嬉しそうに微笑んでまた腕の中の赤子を見つめた。赤子はぐすぐすと涙目で女性を見つめている。そんな赤子に精一杯の笑みを女性は見せた。


「大丈夫だよ、レイヴァン。心はずっと君の側にいるからね」


 そう言って女性は男性に腕の中にいる赤子を優しく手渡した。男性は赤子を腕に抱え、どこか悔しそうな表情を浮かべている。


「クリフォード、そんな顔したらレイヴァンが泣いちゃうわ。もうあなたは顔がこわいんだから」


「はい、申し訳ございません」


 平謝りする男性に女性は小さく笑ってもう一度、「もう」と呟く。けれど男性は、やはり悔しそうな苦しそうな表情を浮かべていた。


「この子だって、エミーリアとジークの元にいたかっただろうに」


「クリフォード、あなたがこの子に私たちの分まで愛情いっぱい注いでちょうだい。この子が愛されて産まれてきたのだとわかるほどに」


 いっぱい愛してあげて、と女性は言葉を紡いだ。赤子はにこにこと笑みを浮かべて女性を見つめる。女性もまた赤子を愛おしそうに見つめ返した。


「さようなら、レイヴァン。どうか君の進む道が険しい道であってもきっと道は開かれる。君をうんと愛してうんと甘やかしたいけれど、それは叶わないから。遠くに離れてしまうけれど私はいつでも君を思ってるよ。また会おうね」


 それだけを告げると女性は男性に「しかめっ面は止めてね」と言ってその場を去って行った。取り残されたようにぽつんと立っていた男性は腕の中にいる赤子に視線を移す。


「君の名は、レイヴァン。その名は君がふたりから祝福された証だよ。君を愛しているからね」


 男性は赤子を預かって初めて笑みをたたえた。すると赤子もそれがわかるのかふんわりと笑みを浮かべる。


「君を守ろう。そして君が運命に負けないように」


 自分の持てる全てを君に捧げよう、と男性が決意にも似た言葉を漏らせば近くにあった木がそれに応えるようにさらさらと揺れた。



 ハッとして、クライドは目を覚ました。ふと目に手を当てれば指が涙で濡れる。

 クライドは、たまにこうして誰かの強い思いも感じてしまう。それはこの世に未練を残してしまった人の思いであったりする。

 これは眠れないと悟るとクライドはベッドから抜け出して中庭へ出た。冷たい夜の風がクライドの側を駆け抜ける。心地良いとクライドは思った。冷たい夜空を見上げるとそこには、小さな星の輝きが散らばっている。その星々に向かって息を吐き出せば白く濁った。


「どうしたの」


 突然、後ろから声をかけられクライドは思わず肩をビクつかせて後ろを振り返れば、そこにはクレアがいた。


「どうしたの、眠れないの?」


 同じ問いをクレアが繰り返す。クライドはクレアの方をじっと見つめてこくりと頷いて「夢を見たんだ」と言った。


「夢?」


「おそらく、レイヴァン殿の母親」


 クライドの言葉にクレアは驚いたようで目を見開きクライドの隣まで来る。それからじっと次の言葉を待っていた。

 クライドが夢で見たことをありのままクレアに聞かせればクレアは涙をポタポタとこぼす。


「レイヴァンのお母さん。きっと、自分の元で育てたかったでしょうね」


「うん、その思いが強く夢を通して伝わってきた」


 クライドの言葉にクレアは涙を流して「不思議ね」と呟けばクライドが不思議そうにクレアを見つめる。クレアの言葉の意味がいまいち分からなかったようだ。クレアはその視線を受けて言葉を紡ぐ。


「私も家族とは離ればなれになってしまったけれど、側に居た時はこんなに恋しいと思うとは思わなかったんだ。いつだって、大切なことに気づくのはあとからなんだなーって」


 クレアの言葉はクライドにもわかるのか頷いて空を見上げた。クレアが“不思議”といったことにも納得して思わず悲しげな表情を浮かべる。


「“悲しい”こと“つらい”こと、十分味わってきたと思うけれど、まだまだ降りかかるんだろうな。姫様の悲しい顔はもう見たくないけれど」


 クレアは同意するように頷いて答える。そのとき、欠伸をしながらソロモンまでもが中庭へ来たからクライドとクレアは驚いてしまう。ここ最近、ソロモンは忙しそうで夜中ともなればだいたいぐっすりと眠っていた。それほど日中は働きづめであったのだ。


「おやおや、守人達は何かに導かれでもいたしましたか」


 どこかおどけた口調でソロモンが言ったけれどふたりとも気にした様子は無く、ただじっとソロモンの方を見つめていた。そんなふたりの様子にソロモンが小首を傾げて「どうかしたのか」と問いかければクレアがクライドが見た夢のことを話した。ソロモンはべつだん驚いた様子は無かったが、何か考え込むように眉根を寄せて腕を組んだ。


「そうか、レイヴァンからクリフォード殿が“エミーリア”という人物の名を死に際に口にしたことと、残されていた手紙からレイヴァンの母が口にすることも出来ないほどの名家だと聞いたが」


 詳しいことは何一つわからない、とソロモンが言葉を紡げばクレアとクライドは少しだけ顔を伏せる。ただ“エミーリア”という人物がレイヴァンの母親であると断定したとソロモンは、言葉を紡ぐ。


「もちろん、その赤子が俺たちの知っている“レイヴァン”であればの話ではあるが」


 そう言ったソロモンにクレアは、クリフォードとの関係もわからないのかと問いかければソロモンはコクリと頷く。ソロモンが言うには、クリフォードは皆が知っているとおりベスビアナイト国が誇る正騎士で確かに強かったけれど彼以上に強い正騎士がいたという。


「それは?」


「クライドの夢の内容を汲み取るにおそらくは、レイヴァンの父親。確か名を“ジークフリート”といった。愛称は“ジーク”。レイヴァンが十八歳という若さで正騎士の称号を得たように彼も当時、二十歳という若さで正騎士の称号を得ている。レイヴァンが正騎士の称号を得るまでは、彼が最年少だったんだ」


 もし赤子が“レイヴァン”であるならば親子で正騎士で、しかも同じ最年少で“正騎士”という称号を得ていることになる。


「じゃあ、その“ジーク”って人はどうなったの?」


「さあ、詳しくは知らないがカリフォルナイトを超えた先にある街道の途中の町で妻と子を連れて隠れ住んでいたらしいが、町が何者かに襲われ妻はそのまま行方不明。何とか子だけを連れて王都へ一度、戻ったと聞いた」


 そのあとの消息は俺もわからないとソロモンが言葉を紡げば、クレアが落胆したように肩を落とす。そこでふと顔を上げて「それにしても随分とよく知っているのね」と問いかければソロモンは小さく笑って口を開く。


「まあ、昔のここの参謀殿が俺にいろんなことを教えてくれてね」


 ソロモンの答えにクレアは「参謀って?」と問うた。ソロモンは昔の参謀の話は出すけれど、詳しくは知らないなと思って疑問を口にする。けれど、ソロモンはとたんに口を閉ざした。何か言いたくないことでもあるというのだろうか。クレアは、ますます気になってしまってソロモンにずいと顔を近づけて「昔の参謀ってどんな人?」と問いかけ直した。けれどソロモンはなかなか口を開こうとせずに困ったように汗をうかべるばかりだ。


「何か、隠してるの?」


 クレアがいぶかしそうにしながらそう問いかけた。けれどソロモンはお茶を濁そうとするばかりでいっこうに口を割らない。クレアは彼の様子に疑問を持って首を傾げた。


***


 五日後、マリア達一行は街道を抜けてクサンサイトについた。あまり見る機会の無い海にマリアは、たちまち興奮してしまって頬を紅潮させる。


「海だー!」


 クサンサイトの街が一望できる山の傾斜から眺めてマリアは思わず幼い子どものようにはしゃいで叫ぶ。その様子をダミアンは眺めて半ば呆れつつも年相応の反応に少し「かわいい」と思ってしまっている。そんなダミアンをニヤニヤ顔でギルが見つめればその視線に気づいてダミアンがギルを嫌そうに見つめた。けれどギルは意に返さずニヤニヤと笑みを浮かべたままダミアンと肩を組むと「今、かわいいって思っただろ」と囁く。ダミアンは機嫌を悪くしたように眉に皺を寄せ回された腕を外すとギルの頭をぐりぐりとする。ギルは「いだだ」と思わず声を上げた。

 マリアが止めようかと思ったけれどエリスが「あいつはもっと痛めつけてやってもいい」と言って止めに入ろうとしたマリアを止め、ふたりをほうっておいて街へ入るよう促された。仕方なくマリアは、街へ降りた。

 交易するための港があるということもあって、人も多く見慣れない衣服を身に纏った人も多くすれ違った。


「すごい!」


 マリアが素直に言葉を紡げば、エリスとレジーがほんわりとマリアに笑みを浮かべてみせる。それから、エリスが「ここの食べ物も珍しいモノが多いですよ」と言えばマリアも食いついて目を輝かせる。けれど次の瞬間にはマリアの顔から笑顔が消え失せていた。

 妙な男が小さな女の子を抱え、女の子にナイフを向けていたのだ。マリアが一言、「エリス」と名を呼んだだけであるのに心得たようでエリスは、男の背後から接近するとナイフで男の背を斬りつける。たちまち男が女の子を手放せば女の子は、近くに居た母親に駆け寄った。

 それを確認してからエリスは、男を締め上げて気絶させる。まわりでそれを見ていた野次馬達が一斉に「おおー!」と声を上げてエリスに近寄った。たちまちエリスは街の人々にもみくちゃにされる。


「君、すごいな!」


「感心したよー」


 口々にいう人たちにエリスは困ってしまってマリアの方を見たけれど、マリアもお手上げだと言わんばかりに肩をすくめてみせる。それから、少し経って衛兵が来れば男を衛兵に渡した。そのあと、エリスが助けた女の子の母親が近づいてきて「助けてもらった礼に食事はいかがでしょうか」と言われマリア達もお呼ばれすることになった。マリア達を案内している間も母親と手をつながれた女の子はちらちらとエリスの方を見ては目をそらしている。気になってマリアが女の子に問いかけると「何でも無いです!」と答えが帰ってきただけであった。だが、その表情が真っ赤に染まっていたのでダミアンと共にマリアの元に来ていたギルが「これは面白い」と思ったのかエリスに近寄って声をかけた。


「罪な男だねえ~」


「妙な勘違いは止めてください」


 ギルの言葉にエリスが即反論したけれどギルは、ニヤニヤと意地の悪い笑みを浮かべる。エリスは疲れたように溜息を吐き出した。ふたりのそんな様子をマリアは苦笑いを浮かべながら見守っていたけれどふと不思議そうに目を瞬かせる。


(そういえば、復興するために街へ来たはずなのにどこも壊れた様子が無い)


 ソロモンの言っていた国を荒らした者たちのことも何一つ掴めていないと言うことに気づく。ソロモンが間違えてこの街に送り出したとも思えず、マリアはたちまち首を傾げた。

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