第四章 堅持

 この街にいれば仲間とも合流できるだろうと言うことでマリアはダミアンの案に賛成し、ひとまずはここにとどまることになった。けれどダミアンはどこか落ち着かない様子でしきりに辺りを見回す。マリアが尋ねても「なんでもない」で通すものだからマリアは困ってしまう。強引に聞きだしてしまっても良いのか、このまま聞かずにいるべきなのか。結局、マリアは後者を選択してしまう。あまり親しくも無い相手にそういうのは、良くないと判断したからであった。

 彼の様子が気がかりつつもマリアは、ダミアンと共に先に宿を取ってから店を回っていた。

 騒がしい街は本当に祭りのようで皆が浮かれ気味だ。その雰囲気にマリアは飲まれそうになるけれど、あくまで仲間を捜すのが先決だ。しかし、国中から人が集まってくると言うだけあって人は多いし、街は王都ほどでは無いにしても広く人捜しどころでは無い。人波を歩くだけで精一杯だ。

 マリアも何度か人波に飲まれそうになったが、ダミアンがマリアの手を引くため回避できた。


「ありがとう」


 人波をくぐり抜け少し寂しい路地まで来てやっとマリアがそう言葉を発した。ダミアンはそんなこと言われると思っていなかったのか驚いて目を見開いていた。けれどそれも一瞬ですぐに無愛想な表情へと変わってそっぽを向いた。


「別に」


 無愛想にそうダミアンは言ったがマリアは特に気にした様子も無く笑みを浮かべていた。それからぐるりと辺りを見回す。市場を抜けて少し離れただけで薄暗くどこか寂しい雰囲気の場所に出た。同じ街であるのにここまで違うと治安はどうなっているのだろうとマリアはふと疑問に思う。

 今度はじっくりと辺りを見回せば建物自体がどこか古くところどころヒビが入り、もろくなっている。その中には確かに人の気配も感じるが奥に引っ込んでいるようで路地には歩く人すらいない。そのため、路地の舗装された道を歩いているのはマリアとダミアンだけであった。


「なんか、寂しいね」


「ここは昔からこうだ。市場を離れれば貧民層ばかりが暮らす貧民街スラムになる。だから、とって喰われないようにしろよ」


 マリアがダミアンを振り返った時だった。マリアの服の裾を薄汚れた子が引っ張ったのは。


「どうしたの」


 驚いてマリアがそう問いかけると肌も汚れ、服もボロボロで明らかに貧しい生まれの女の子は言葉を口にした。


「お金、ちょーだい」


 マリアが困惑しているとダミアンは眉根を寄せてマリアの腕を取り、引っ張っていく。何も出来ずただダミアンに促されるままにスラム街の道を進むと少しずつ建物から人が現れて二人のあとを付けてきたり、前に立ちふさがったりする。そんな人たちをくぐり抜けながら、道を進めば聞こえてくるのは浴びせられるような罵声や怒声。意味も無く騒ぎ立てる声にマリアは思わず恐怖した。


「言葉を聞くな」


 ダミアンがそっとマリアに言えばマリアは少し安堵して前を行くダミアンの背を見つめた。広く大きいその背中にもどこか安堵して「うん」とだけ答えた。

 スラム街をやっと抜けたと思えばそこには掃きだめのようにゴミや惨殺したあとのようなものが広がっていた。思わず「う」とマリアは息を詰める。


「この街は“いびつ”なんだ」


 ダミアンはマリアの方には目もくれず言葉を紡いだ。この街は歪んでいる、と。表向きはきれいにしているけれど裕福な者と貧しい者との差が激しい。今のカリフォルナイトの地主が国王を欺いて見せかけばかりをきれいにして貧しい者からばかり不正な税を巻き上げているのだという。そのことにより、ますますこの街の貧困化は進み、“貧民街スラム”と呼ばれるほどに治安もかんぱしくない。

 嘆かわしいことだ、とダミアンが言えばマリアは悲しげに目を伏せた。


「けれど、貧民街スラムのやつらに何か与えてみろ。もっと人が殺到して大変なことになっていた」


「大変な事って?」


「お前の持ち物、衣服……全てはぎ取られていた」


 ダミアンの言葉にマリアはぞっとする。思わずマリアが自らをさすれば、ダミアンはマリアの頭を優しく撫でる。彼なりにマリアを思っているのだろう。マリアを撫でる手は優しい。

 マリアがダミアンを見上げれば彼はどこか悲しげにマリアを見つめていた。


「とにかく、貧民街スラムには近づかない方が利口だろうな」


「なら、どうしてわたしをここへ連れてきたの?」


 ダミアンの言葉にマリアが問いかければダミアンは困ったような表情を浮かべた。しばらくそのまま思案顔であったが言葉を紡ぐ。


「お前ならこんな歪んだ世界を変えてくれるかも知れないと期待しているのかもしれない」


 ダミアンの言葉が意外でマリアは目を丸くする。ブルーダイヤモンドの瞳が零れんばかりに見開かれているとダミアンは、それには気づかないふりをしてマリアの手を取るとスラム街を後にしてとってあった宿へ向かった。それから部屋へ入ると木で作られたベッド二つと同じく木で作られた小さなテーブルがひとつ、置いてあるだけであった。いかにも質素な部屋は何も無く寂しいけれど、眠るだけであれば十分な部屋であった。

 そこでやっと緊張の糸が切れたようにマリアは床へ座り込めばダミアンは驚いて片膝をついてマリアと視線を合わせた。


「おい、大丈夫か」


「何とか、ただ少し恐かった」


 素直にマリアが言葉を吐けばダミアンは「仕方ない」と呟くとマリアを抱き上げてベッドの上へ座らせた。


「恐いと思っても仕方が無い。ただお前に見て欲しかったんだ。この世界の“いびつ”さを」


 マリアはダミアンの言葉に何も返せず、じっとうつむいてしまう。けれど彼の言う“いびつ”というものを少しだけでも理解できただろうかと思って彼を見つめた。ダミアンはマリアに柔らかく微笑んでぽんと頭に手を乗せる。それから言葉を紡いだ。


「歪んでいるなら正せばいい。正してくれる人がいないのなら自分が正せばいい、俺はいつもそう思ってる」


 ダミアンの言葉にマリアが少しだけ目を丸くした後、すぐに笑みをダミアンに向けた。そしてヒーローみたいだと呟けば今度はダミアンが目を丸くしてマリアの言葉をオウム返しに呟く。


「そう、ヒーロー。みんなが困ったら助けてくれる、そんな人。強くて優しくてかっこいい、正義の味方」


 マリアの言葉にダミアンは驚いたけれどすぐに嬉しそうに笑みを浮かべて見せた。それから「正義」という言葉を呟くとマリアの隣に座る。


「俺はそんなかっこよくないぞ?」


 自嘲気味に言うダミアンにマリアは首を横に振って「そんなことない」と答えたあと、自分はダミアンに助けられたと言葉を紡いだ。そのことにダミアンは少し照れたようにはにかんで笑う。


「ただの気まぐれだ」


「それだよ、ダミアン。気まぐれで誰かを救うなんて出来る人あまりいないもの。少なくともダミアンはわたしにとって正義のヒーローだよ!」


 凛とした視線でダミアンを見つめマリアは告げた。その視線にダミアンは目が離せなくなってマリアを唖然とした表情で見つめる。そして何か言おうと口を開いた時だった。 外が何やら騒がしくなったのは。ダミアンは眉根を寄せて窓へ近寄り、外の様子を見れば人々は“何か”から逃げ惑っていた。彼らが逃げている方と逆の方向へ視線を走らせれば、そこにいたのは妙な黒のローブを前身に纏った集団がおり、いかにもあやしい雰囲気を出している。かと思えば、扉が激しく叩かれる。

 びくっとマリアは肩を振るわせダミアンの方を見つめた。ダミアンはというと扉の方をじっと見つめ、出てはいけないとマリアに目で訴える。それから扉を壊されて中へ入られる前にと荷物とマリアを抱え、窓から屋根へ飛び移った。


「わ!」


「悪い、しっかりつかまっててくれ」


 静かだけれど、強い口調でダミアンが言えばマリアは彼らにばれないようにと口を噤み、こくりと頷くだけにとどめた。それを見てダミアンは小さく微笑んで「よし」と呟くと屋根から屋根へと飛び移り、場所を移動していく。軽々とした動きであるからか妙なローブを纏った集団もこちらには気づいていないらしい。マリアがざっと辺りを見回した限りでは、彼らはこちらには見向きもしない。この調子であれば、大丈夫かとマリアは思ったが中の一人がこちらの様子に気づいて「あそこ」と指で指された。

 マリアは焦燥してしまってダミアンを見つめればダミアンは軽く舌打ちしながらも軽い足取りで屋根から屋根へと飛び移っていく。

 そうしてやっと馬を預けた馬小屋までついたと思ったら、黒いローブを纏った集団が待ち構えていた。

 屋根を飛び降りようにも彼らがいて下りられない。もし、下りたりしたらどうなるかわかったもんじゃない。さすがにダミアンも冷や汗を浮かべて背中にじっとりと汗をかいた。

 ダミアン一人が下りてパルチザンで倒してしまってもいい。けれど、仲間がこちらの異変に気づいてさらに大勢の人が来れば逆にマリアを危険にさらしかねない。一瞬でも彼らが手薄になる瞬間に馬に乗り込むことが出来ればよかったけれど、馬はいま小屋の中だ。つまり小屋の中から出す必要もある。そんな時間があるだろうか。けれど、迷っていられないとダミアンは覚悟を決めればマリアを屋根の上へ残して地面へ降りた。そして、パルチザンで斬撃し、その場にいる黒のローブを纏った集団を倒した。そして彼らの仲間に気づかれる前に馬小屋へ入り、馬を持ち出して鞍を付けてマリアの下まで来た。


「マリア、下りろ!」


 マリアも頷いて屋根から飛び降りればダミアンが抱き留めてくれた。けれど周りにはローブを纏った集団がマリア達の周りに集まっていた。恐くなってマリアはダミアンの服を握り締める。

 ダミアンはそんなマリアを強引に馬へ乗せると、そのまま馬に一むち打ってマリアをクサンサイトへとつながる街道の方向へ逃がした。


「ダミアン!」


 マリアが思わず心配そうに彼の方を見て名を呼べばダミアンは、どこか悲しげに微笑んで唇だけで『生きろ』と伝えていた。その意味がマリアにも伝わって思わず息を飲む。やがて、その姿も見えなくなると舗装されているレンガ道へ出た。これがクサンサイトへとつながる街道なのだろう。けれどマリアは馬を止めて元来た道を引き返す。


(やはり、“命の恩人”を見捨ててなんていけない!)


 堅く心の中で思うと同時にマリアは覚悟を決めてカリフォルナイトの街へ戻った。

 少し経って街へ戻ると街は炎の渦に飲まれていた。思わず息を飲み、馬から下りて街を見渡せば先ほどの黒いローブを着た集団が手にたいまつを持ち、家々に火を付けていた。ひどい、とマリアは思わず呟いた後、ダミアンを捜すべく炎を避けながら進んでいく。すると、先ほどの馬小屋の隣で倒れている彼を見つけた。名を叫んで彼に近寄ると、どこかに隠れていたのだろうか。ローブを着た集団が現れてマリアの前に立ちふさがった。そして、マリアに向かって複数の槍の先が向けられる。マリアは血の気が引くのを感じながら剣を抜いた。

 このまま殺されてしまうのだろうか、という考えが頭をよぎったが不安をかき消すようにぎゅと剣を握り締める。マリアの手の中をじっとりと汗が溢れた。

 恐怖で足がすくみそうになるものの何とか勇気を振り絞り踏みとどまる。そのとき、ふとソロモンの言葉が脳裏をよぎった。


『勝算が無ければ戦わない』


 そんなことを言っても命の恩人を見捨てるのは、何か違うとマリアの心が叫ぶ。ソロモンの言葉は的確で胸に深く突き刺さる。けれど人として捨てられないものだってあるのだ。


(『兵法』としては正しくとも、それが『人』として正しいとは限らない!)


 マリアは心の中で決め込むと剣を振るった。しかしレイヴァンのようにうまくいかず、槍を斬るにも二、三本が限界だった。他の残った槍がマリアを狙って投げられた、刹那。風に乗って歌が聞こえてきた。


『パセリ、セージ、ローズマリーにタイム

 忘れないでおくれ

 光をもたらす変わりに我らをまぼり奉らんことを』


 “ツタ”がビュッと伸びてマリアを守るように盾となった。マリアに向かって放たれた槍は、マリアに刺さること無く“ツタ”に絡め取られる。


『パセリ、セージ、ローズマリーにタイム

 忘れないでおくれ

 自由を授ける変わりに我らの道を阻まぬ事を』


 次に鋭い風が吹いてローブを纏った集団だけが吹き飛ばされた。


『希望をもたらす水よ

 我らの声に答えておくれ

 枯れ果てた大地に未来をもたらすために

 パセリ、セージ、ローズマリーにタイム

 忘れないでおくれ

 我らが王を栄光へと導かん』


 暗雲が立ちこめ、一気に空からどしゃぶりの雨が降り注いだ。マリアは妙な集団がいなくなったことを確認してから、ダミアンに駆け寄ってダミアンを揺さぶった。けれど意識は戻らず目も開かない。

 辺りを見回せば、瞬く間に火が沈下していく。それにも半ば驚いていると遠くから足音が響いてきた。足音の方へマリアが視線を向けると、エリスにレジー、ギルがこちらへ向かってきていた。


「エリス、レジー、ギル!」


 マリアは嬉しそうに三人の名を呼んだ。三人もまた嬉しそうに笑みを浮かべてマリアに駆け寄る。マリアは駆け寄ってきた三人にダミアンの事を話せばエリスの提案でとにかくこの街から離れ街道へ向かう。そして、木の下までギルがダミアンを運べばエリスがダミアンを手当てした。


「ひとまずはこれで大丈夫です」


「そうか、良かった」


 マリアがほっと息を吐き出した時、ダミアンが息を零して目を覚ました。それを見てマリアはたちまち喜び心の底から安堵した表情を浮かべる。そんなマリアにつられてダミアンも思わず笑みを零したがふとその視線がエリス、レジー、ギルの方へシフトしていき、驚いたような表情へと変わる。


「うわ!」


 ダミアンが三人を見て驚いた様子にマリアは驚いて目を丸くした。そして「どうしたの」とダミアンに問いかけたけれどダミアンは答えない。代わりにエリスが言葉を紡ぐ。


「あなたは〈眷属〉の守人、ですよね?」


 エリスの問いかけにマリアは驚いてしまって目をさらに丸くする。それからダミアンの方を見れば、分が悪そうな表情を浮かべていた。どうやらばれたくない事であったようだ。 けれどばれてしまったのであれば仕方ないとあきらめると体を起こしてマリアの方をきちんと向き直り、恭しく跪いた。


「今まで黙っていて申し訳ございません。改めましてわたくしは〈火の眷属〉の守人、ダミアン」


 マリアは驚いてはいたがすぐに柔らかく微笑むと「そうか」と呟き、だから初対面であんなに守ってくれたのかと納得する。彼の行動はなんだか不思議であったけれど、その言葉に全てが納得してしまう。マリアに仲間が居るのを知っていたこと、「人々が俺を恐れる」と言ったこと。それから、何よりも“何か声が聞こえたように辺りを見回す”という行動だ。あとから思い返してみると彼が〈眷属〉の守人だと言っているような行動ばかりだ。


「だが、俺はあんたに仕えるつもりは無い。悪いが――」


「別にわたしは、あなたに仕えろなんて言ってないよ」


 ダミアンの言葉をマリアが真っ向から否定すればダミアンは驚いたように目を見開いて「え」と呆然と呟いていた。


「だって、わたしがいつダミアンに“仕えろ”なんて言ったの?」


「いや、確かに言ってないが。だが、お前は守人を仲間にしているじゃないか」


 彼の言い分はどうやら、マリアに守人が仕えている、よってマリアは守人を集めていると勘違いしているらしい。

 けれどマリアは、その考えを笑い飛ばした。


「わたしは、彼らに一度なりとも“仕えろ”なんて言ってはいないよ。それにみんなから、力を貸してくれているだけだから。わたしは『主』だなんてたいそうなものでもないよ」


 マリアの言葉が意外なようでダミアンは、目を丸くしている。それからどこか困ったような表情を浮かべて頭をぽりぽりとかいたあと、唐突にくつくつと笑い始めた。


「勝手な俺の懸念だったか。面白い」


 ニヤリとダミアンは、笑うと立ち上がった。マリア達が不思議そうに見つめていると、恭しく頭を垂れる。


「俺を連れて行け、『我らが王』よ。俺があんたを助けたように俺もまたあんたに命を救われた。その礼をするためにも、俺を連れて行ってくれ」


 ルビーの瞳に炎が宿ったようにマリアは感じた。それほどまでも彼はまっすぐにマリアを見つめていったのだ。そんな彼をマリアもまた真っ直ぐに見つめ、柔らかく微笑むと「うん」と答えて手を差し伸べた。


「これからよろしくね、ダミアン」


 差し伸べられた手をダミアンが取れば、ギルが意地悪そうな笑みを浮かべて口跡を紡ぐ。


「“仕えない”んじゃなかったのか?」


「俺は“仕える”んじゃない。あくまで“かり”をかえすだけだ」


 ギルの言葉にダミアンが反論したけれどギルが「本当かなぁ」とニタニタと笑みを浮かべてダミアンを弄る。まるで昔からの知り合いみたいな様子にマリアは、思わず笑みを浮かべた。


***


 ベスビアナイト国、王都ベスビアスの王城。

 ソロモンは相変わらず自室で、ぐったりとしていた。そんな彼の面倒はエリスの代わりにクライドが行っていた。といっても、部屋の簡単な掃除と茶を出したりするぐらいであるが。たまにクレアもソロモンの元を訪れて様子を見ていた。

 この日もクレアは仕事を早々に終わらせて、ソロモンの部屋にクライドと共に来ていた。


「どうかしたの」


 クレアは、椅子に座ってクライドが出したお茶をすすりながら問いかける。ソロモンは顔を上げてクレアの方を見つめながら言葉を紡いだ。


「少し、やっかいなことになっててな」


「やっかい?」


 こくんとクレアが小首を傾げて立ち上がるとソロモンの眺めている書類を盗み見た。そこにはオブシディアン共和国からの申請で援軍を寄越して欲しいとのことだった。なんでもシトリン帝国が攻め入ってきたらしい。


「まったく、こちらだっていっぱいいっぱいだというのに。こんなときに、攻め入らなくても良かろう」


「こちらから援軍を寄越すのが難しい時期だからこそではないですか?」


 ソロモンの言葉にクライドが淡々と言えば、やはり初めから分かっていたようで「ぐぬぬ」と眉間に皺を寄せる。


「でも、シトリン帝国はどうして逆に今まで攻め入ってこなかったの? どう考えてもコーラル国に乗っ取られていた時期にオブシディアン共和国に攻め入ってきた方が落としやすいのに」


 クレアが指摘すれば、ソロモンは確かにそうであるがと呟いた後、言葉を紡いだ。ソロモンが言うには数年ほど前にシトリン帝国がオブシディアン共和国に進軍してきた。 そのとき、ベスビアナイト国が援軍を送り出した。その援軍の中には、当時十八歳であったレイヴァンがクリフォードの率いる軍の中におり、一介の騎士でしか無かったレイヴァンがオブシディアン共和国の方針に対して異論を唱え、彼らの方針を変えた。もちろん、オブシディアン共和国側からは嫌な顔をされてしまったがレイヴァンの策が見事、功を奏でて数では劣っていたにもかかわらずシトリン帝国を追い返したのだ。

 その事があってから、オブシディアン共和国側からもシトリン帝国側からもレイヴァンは少し特異な立ち位置となってしまった。


「だから、クリフォード殿はレイヴァンを正騎士とし、姫様の専属護衛に付けさせたのだが。って、やつの身の上話はどうでもいいか。とにかくシトリン帝国は、そんなことがあって国内も荒れていたからな。今になってようやく落ち着いてきて攻め入ってきたというところだろう」


 ソロモンの話を聞いてクレアは納得したのか「なるほど」と呟く。それからレイヴァンがどうしてここまで国内だけにとどまらず、その名を馳せているのかという謎も解けてすっきりした様子である。


「レイヴァンって、策を巡らすのは得意そうでは無いのに」


 クレアが思わず呟くとソロモンは、くつくつと笑って答えた。


「あやつは、なんだかんだでよく頭もきれる。なんでもクリフォード殿から武器の使い方から兵法まで教えられたらしいからな」


 クレアだけで無くクライドも驚いた様子で目を丸くしていた。それを見てソロモンは思わず笑ってしまう。この場にレイヴァンがいれば冴えた突っ込みが部屋に響くことだろう。けれど残念なことにレイヴァンはこの場にはおらず国を荒らしている連中を始末しに行っている。少し残念に思いながらソロモンは書面に目を通した。


「とにかく、コーラル国がこちらを乗っ取った時、オブシディアン共和国は“形だけ”とはいえ、こちらに援軍をくれたわけであるし援軍を送らないわけには行かぬだろう。エイドリアンの部隊に行って貰うしか無いな」


 ソロモンの言葉にクライドも同意するように頷いた。クレアはあまりそういうのはわからないのかあいまいに頷く。そんな様子のクレアにソロモンは「何か気になることでも」と問いかけた。


「だって、エイドリアンの部隊まで出て行ってしまったらここが手薄になるんじゃ無いかと思って」


 クレアの考えは最もである。正騎士はレイヴァンとエイドリアンしか生き残っておらず、その両方が王都を出て行ってしまったら軍を指揮する者がいなくなってしまう。もちろん、正騎士の下位である騎士長もいるのだが彼らだけでは不安なのも確かなのだ。主に王都の軍を指揮するのは正騎士であるから。


「だが、ベスビアナイト国を狙おうなんて阿呆な国はおらんよ。いくらこの国がまた立て直すのに時間がかかるといえど他の国は、ベスビアナイト国へ攻め込むほどの軍事力は無い。ましてや、今は“崩せるものがいない”とまで言われたコーラル国を半年もかからずに追い出した国だ。そんな国に攻め込む者がいるか?」


 ソロモンの言葉にクレアは、また納得せざるを得ない。


「まあ、そういうわけでエイドリアンの部隊をオブシディアン共和国へ援軍として向かわせる」


 今度は納得するようにクレアは、頷いた。それを確認してからソロモンはクライドにそのことを国王にも伝えるように言うとクライドは「はい」と答えて部屋を出て行った。

 やっと解放されたようにソロモンは、ぐっと伸びをして机の上に置いてあった冷めたお茶をすすった。クレアも椅子に座ってまだ残っていたお茶をすする。そこでふとクレアが口を開いた。


「そういえば、レイヴァンから手紙って届きました?」


「いや、まだだ。近状を報告するよう言ってあるんだがなあ」


 ソロモンはクレアの問いにそう返して茶をすすれば、扉をノックする音が聞こえた。ソロモンが「どうぞ」と声をかければ兵の一人が部屋へ入ってきてソロモン宛の手紙が届いたことを告げて手紙をソロモンに渡した。ごくろう、とソロモンが言えば兵は一礼だけして部屋を出て行く。それを確認してからソロモンが手紙の差出人を確認すればレイヴァンであった。


「どうやら、レイヴァンからのようだ」


 ソロモンは少し乱暴に手紙を開けると、中にはレイヴァンらしい“くせ”がついた文字が現れた。


(あいかわらず、あいつの“くせ”はわかりやすい)


 旧友の懐かしい文字に思わず頬を綻ばせながらソロモンは読み上げた。


「近状報告、今は街道を抜けたばかりでまだ何とも言えないが途中で妙な連中に襲われた。そいつらは、ただ雇われただけのようであるが、国を荒らしている連中がやつらを雇ったようにとれる。まだ確信がないのでわからないが。それから途中で山賊とも遭遇した。たぶん、そいつらは国を荒らしている連中とは関係ないだろう……以上だそうだ」


 お茶を飲み込んでからクレアは、口を開いて言葉を紡いだ。


「つまり、核心にも迫られていないのね」


「だが、こういう報告も大切だ。ささいなことも、実は大きなことにつながっている可能性だってある」


 ソロモンの言葉にクレアは「確かに」と頷いた同意を示した。すると、クライドが部屋へ戻ってきて国王がソロモンに従うとしたことを報告した。


「そうか、よかった」


「それから、陛下が国の借金が結構たまり始めているからどうすればよいか、と」


 ソロモンはクライドの言葉に頭を悩ませ始める。国王の言っている借金の事に関してはソロモンも悩んでいることがらであったのだ。

 かつて国の景気が落ち込んだ時にソロモンが行った政策。それは国がお金を使うことであった。確かにそうすれば全体的に国のお金の回る量も増えた。しかし、国は“借金”をしてそれを行うしか方法が無いため国は借金を背負っている。その借金をどうするかが一番の悩める種であった。


「国によってはあらゆる国で行っていることを“民営化”し、借金を減らそうと画策しているのだが我が国は、今やっと少しずつであるが立て直していっているのが現状だ。そんな状態で“民営化”なんて出来るはずが無い」


 唸りながら頭を抱えるソロモンにクレアは、なんてこと無いように言った。


「“民営化”すればいいんじゃないですか? だって、そうすれば働き口が増えて国民も嬉しいと思うんですけど」


「いや、だがな……でも、そうか。民営化で無くとも上流階級のものが行っていたことを今の中流階級の者にまかせてしまってもかまわないか」


 城で働くにしても中流階級以下の人は出来ないのが現状だ。城で働く下女であっても、どこかの貴族の子であったり地主の子であったりしたのだ。

 ちなみにソロモンの言う“今の中流階級”というのは元の意味での実業家・専門職の意味と元労働者階級また元は奴隷の身分である者を指す。

 クライドが早速、国王に聞いてくると許しがもらえたどころか「それはいい」と取り入れることになった。


「といっても、現実になるのはまだ先だろうなあ。まだ国の復興すらままならない」


 ソロモンが部屋でぼそりと呟くと聞いていたクレアは、にっこりと笑みを浮かべて見せた。


「でも、きっとそう遠くは無いですよ」


 そうだな、と呟いてソロモンはすっかり冷めたお茶をすすった。

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