第二章 ひだまり

 マリア達は、暖かな日だまりに満ちた街道を通っていた。春であるから、暑すぎず寒すぎないちょうど良い季候だ。けれど、夜になれば冷えるのを知っているため荷物には防寒具も入っている。

 太陽がちょうど頭上へ上る頃、エリスの言葉で昼食となった。レジーは魚を釣りに行き、エリスは持ってきた道具と食材で何かを作っていた。マリアはギルに頼み込んで剣の練習相手になってもらうこととなった。

 ひらめきと共に、剣の音が辺りに木霊する。けれど、やがてギルの剣がマリアの剣を弾き、目先に剣の切っ先を向ければ、唇から溜息交じりに「強いな」と呟きがもれる。


「レイヴァンほどでは無いにしても強くなくては、主を守れませんからねえ」


 おどけたようにギルは、言って見せたけれどギルも十分強い。レイヴァンとは流派が違うようで剣筋が違うがそれはそれで新鮮でマリアはどこか面白いと感じていた。


「また相手をしてくれないか」


「気がむいたら、いつでもいたしますよ」


 ギルの矛盾がどこかおかしくてマリアはクスリと笑った。それから、剣を拾うと鞘へ戻せばレジーが戻ってきて魚をエリスに渡した。エリスは食材が増えたことを喜びながら調理にかかる。

 やがて、料理が出来上がるとエリスは鍋の蓋を開けて皆を呼んだ。


「シュパーゲルズッペです。白アスパラガスを裏ごししたクリームスープです。それから、レジーが釣った魚は小型のパンブロートヒェンにはさんでフィッシュブロートヒェンにしました」


 どちらもおいしそうでギルは、もうさっそく木の皿にシュパーゲルズッペを入れて食べて、紙に包んでフィッシュブロートヒェンを口に運んでいた。それを見てマリア、レジー、エリスも食事を始める。

 マリアがリスのように頬袋いっぱいに、フィッシュブロートヒェンを頬張るとエリスは小さく笑った。


「そんなに急いで食べなくても大丈夫ですよ」


 告げてエリスはマリアの頬に着いていたパンくずを指で拭う。マリアは頬を赤らめながら口の中にあるものを飲み込むと言葉を発した。


「いや、おいしすぎてつい。やはり、エリスの料理はとても美味しいな」


「そこまで褒めて貰うと、とても嬉しいです。料理の勉強をしたかいがありました」


 エリスは喜んでそう答えた。マリアも嬉しそうに頬を綻ばせて今度は、シュパーゲルズッペを頬張る。それをエリスが眺めているとギルがスープを飲み込んで言った。


「エリスはいつでもお嫁に行けるな」


「嫁になんて行きませんよ!」


 とっさにエリスがそう反論すればギルは、にやにやとこちらを見てくる。からかわれたのだと分かってエリスは頬を真っ赤にさせた。


「まったく、あなたはそうやっていつも、いつも人をからかって……」


 エリスが拳を振るわせながらギルに言えばマリアは慌てて「まあまあ」と仲介する。ギルはというと下手くそな口笛を吹いて誤魔化そうとしていた。

 その口笛にエリスは、「誤魔化そうとしないでください」とぴしゃりと言った。それを聞いてギルは小さく笑って肩をすくめる。


「やれやれ、俺はエリスを褒めたというのに」


「褒めていません! それをというんです」


 ギルの言葉にエリスが反論した。マリアは困った表情を浮かべて二人を交互に見る。レジーはというとじっとしてもそもそを食事をしていた。

 人数が減っても騒がしい旅路にレジーは、ほほえましそうにそっと笑みを浮かべる。すると、マリアがレジーに近づいて「どうしよう」とオロオロと言った。


「いいんじゃないですか。放っておいても」


「けど」


 レジーの言葉にマリアはどこか不安そうな表情を浮かべる。そんなマリアの髪をレジーが優しく撫でればマリアが驚いたように顔を上げる。


「ケンカするほど仲が良いとも言いますし」


「確かに」


 マリアが納得してほっと表情を緩ませればレジーも表情を柔らかくして今だ何かを言い合っている二人を見つめた。マリアもつられるように二人の方を見れば、小さく笑みを浮かべる。


「レジーはよく人を見ているのだな」


「いえ、そんなことはございませんよ。オレが特別、皆のことを見ているんじゃないです。ギルの方がオレよりも皆のことを見てます。その人が求めている言葉もよくわかっていますから。裏を返せば人がいやがる言葉もよく知っておりますが」


 そういってレジーがくすりと笑った。マリアも「そっか」と呟いてギルの方へ視線を投げた。すると、マリアの視線とギルの視線が絡み合って、しばし見つめ合ってしまった。少ししてギルがマリアに近づくとずいと顔を近づけた。


「なあに、笑っているんですか」


「え! いや、ええと」


 困ったような表情をマリアが浮かべればギルの視線がレジーへと移る。 そして、ひょいとレジーの木の皿にのっていた王冠の形をしたパンカイザーゼンメルを奪った。

 エリスが城から持ってきたパンであるため、誰でも手に取れるようにバスケットに入れて真ん中に置いていたがわざわざレジーのものを奪うあたり彼らしい。

 レジーが何かを言うかと思ったが何も言わずじっとギルを見つめていた。マリアはというとそんなレジーの様子を眺めて怒り出すのでは無いかとハラハラと様子を見守っている。やがて、沈黙ばかりが辺りに満ちて小鳥の小さな泣き声までもがよく聞こえた。

 皆が口を噤んで成り行きを見守っている中、のそりとレジーが動いた。何をするのだろうと皆が見守っているとレジーは無言でカイザーゼンメルを手の取って囓る。それから、何事も無かったように食事を再開したレジーを見てマリア達も食事を再開した。

 食事を終えるとまた馬にまたがろうとしたマリアにギルが近寄ってそっと囁いた。


「ねえ、姫様。レジー、何も言いませんでしたね」


「ああ、そうだな。レジーはそれぐらいでは動じないんだろう。いつもどこかをぼんやりと見つめている印象があるけれど、何か考えているんだろうな」


 マリアがレジーをそう評すれば、ギルはどこか不満顔だ。ふとその表情が悪戯な笑みへと変貌する。それを見てマリアは冷や汗を浮かべた。こういうときのギルは、何か悪戯を考えている時だと分かってきたからだった。


「姫様、レジーを怒らせてみませんか」


「だめだよ、そんなの。悪いし」


「そうですけど、あの表情を変えてみたくは無いですか」


 ギルの言葉にマリアは「確かに」と思ってしまった。レジーの何を考えているのかわからない、あの表情を少し変えてみたいと思うと同時に「駄目だ」と思う感情が混ざり合う。


「いや、やはり駄目だ。そんなこと」


 マリアはギルの言葉にきっぱりとそう告げて馬にまたがった。すると、ギルは少しつまらなそうにしながら馬にまたがる。レジーとエリスも馬にまたがると馬を少し叩いて駆けだした。駆けると言ってもあまり早くは駆けず、散歩よりは早いぐらいの速度で街道を通っていた。

 暖かな日差しが心地よく思わずまどろみの中へ誘われそうになってしまう。けれど、それをマリアは何とか振り払った。


(だめだ! 眠ったりしたら、落馬してしまう)


 マリアが自らを戒めると小さな汗が頬を伝った。春といえど、汗をかくほど暑くないはずであるのになぜか汗が伝う。そのとき。


「あれは」


 エリスがぼんやりと呟いた。その声に反応して後ろを振り返ると街道の先にある深い森に煙が上がっているのが見えた。


「何かあったのだろうか」


「姫様、はやく遠くへ行きましょう」


 マリアの呟きには答えずギルは、マリアが走り出そうとする前に先手を打って告げた。マリアが森へ向かおうとする前にギルはマリアの乗っている馬に一むち打って先に走らせる。


「ギル、エリス、レジー!」


 マリアが思わず名を呼んだけれど、馬の足の方が早くあっという間に三人と離れてしまった。

 ギルはそれを見届けると燃える森の方へ視線を向ければ、この国の者では無い武装した人間がぞろぞろと現れた。森を燃やしたのは彼らの仕業で間違いないようだ。彼らの手には、昼間であるのにたいまつがたかれている。


「さあて、あんたらを片付けないとなあ」


 ギルは、そう言ったと思ったら刀を引き抜き馬上から飛び上がると斬撃した。たちまち、街道に赤い血が染みこむ。レジーは弓をかまえ、次から次へと矢で打ち抜いた。エリスも弓をかまえれば矢で射っている。やがて、襲ってきた人間の中でいちばん身分が高いと思われる人間を捕縛するとギルはその人間に問いかけた。


「なぜ俺たちを狙った」


 しずかにギルが問いかけたけれど、男は口を閉ざして開かない。仕方なくギルが刀を振り下ろそうとした時だった。


「待って!」


 静かな街道に鈴を転がすような女性の声が響いた。驚いてその方向へギルが視線を向けるとそこには、薄い金の髪に青い瞳をした女性が立っていた。その女性は慌ててギルと男の間に割り込むと強い眼光でギルを見つめる。


「この者達は、雇われただけよ。何も事情も知らないの。だから、見逃してあげて!」


 ギルは「ふうん」と呟くと女性を嘲笑うように鼻で笑った。


「あなたはずいぶんと“そこらへんの事情”に詳しいようだ」


 ギルがそう言えば女性は僅かに息を飲む。そこでふとギルの後ろにいるレジーとエリスが驚いたように女性を見つめる視線を感じた。

 ギルも驚いてしまって思わず後ろの二人に問いかける。


「お前達は何にそんな驚いているんだ」


「まるで、姫様の容姿にそっくりですから」


 素直にエリスが言えばギルも思わず女性をまじまじと見つめてしまう。なるほど、エリスが言うのにも納得がいく。女性はマリアと同じような薄い金の髪をしており、髪を片側に束ねている。朝のような青い瞳は、マリアと同じようにブルーダイヤモンドを連想させた。


「だとしても、こいつは姫様じゃ無い。それに似た人がいてもおかしくないだろう」


 ギルが言うのも最もであったが、レジーとエリスは困惑気味だ。どうしても、マリアと重ねてしまうらしい。そのとき、女性の後ろにいた男が縄をほどいて、そのまま逃げてしまった。


「あーあ、取り逃がしちゃいました」


 ギルがさして残念でも無さそうに言えば女性に近寄った。


「あんたは何者だ」


 ドスの利いた低い声でギルが問いかけて女性が逃げないように腕を掴んだ。すると、女性は驚いて零れんばかりにブルーダイヤモンドの瞳を見開いた。


「私は」


 その先の言葉を女性は飲み込んだ。あたりは春の草が風にそよぐ音だけが耳に届くばかりで寂寞に満ちた。やがて、寂寞を打ち砕くように女性は凛とした声を辺りに響かせた。


「今は言えないわ。でも、時が来ればおのずとわかる。きっと、また会うことになるでしょう」


「それじゃあ、答えになってないよね」


 女性の言葉をギルは、あっさりと切り捨てた。けれど女性も負けじとギルを見つめ返す。


「本来なら今は、あなた達の前に姿を現すべきでは無かったわ」


 女性の意味深な言葉にギルは、半ば仕方なく女性を解放すれば女性は、マリアのような笑顔を浮かべてほんわりと言った。


「ありがとう」


 その言葉にギルは困ったような表情を浮かべた。それから女性はギルに一度、頭を下げてからその場を去って行った。女性の背を眺めつつギルは頭をかく。どこか困った様子のギルにレジーが声をかけた。


「どうかした」


「いや、『ありがとう』なんて言われるとは思わなかったから」


 素直にギルが言えばレジーが小さく笑って未だ動こうとしないギルに告げる。


「あの人は、“オレ達”を守るために動いている。少なくとも、姫様の敵では無いよ」


 ギルは振り返りレジーを見つめて「わかるのか」と問いかければレジーは無言で頷いて柔らかく微笑んだ。その微笑みにもギルは驚きを隠せない。


「あの人が何者なのかはわからないけれど、それだけはわかる。風が、あの人を導いているから」


 ギルはもう一度、女性の方を見た。レジーのように風が見えないから本当かどうか判別は着かない。けれど、確かに女性の周りにはどこか日だまりのような空気を感じた。


「はやく、姫様の元へ参りましょう」


 エリスのその一言でギルは現実に引き戻され、馬へまたがると三人は街道を一気に駆け抜けた。



 街道を一息に抜けてマリアは、ひとりでどこか森の中を彷徨っていた。辺りは暗く木々や草がぼうぼうと覆い茂っている。

 馬は、あまりに早くてマリアを放り出していってしまった。そのため、マリアは自分の足で歩いて行くしか方法は無い。けれど、踏み込む度に足下を木の枝が音を立てるし草ががさがさと音を立てる。静かで暗い森には、それだけで恐怖をかき立てられた。それに野生動物の目があって食べられてしまうのだろうか、とマリアは考えてしまう。


(レイヴァン)


 離れてそんなに経っていないのにすでに彼の名を呼んでしまう自分が何だか情けない。認められたいと言いながら、彼に頼ってしまう自分が嫌いだ。思わずぎゅと手を握り締めれば上質な絹の服に皺が寄ってしまう。けれど、それを気にしている余裕などマリアには無かった。


(何度わたしは、レイヴァンに救われたのだろう)


 森を彷徨いながらマリアは、ふとそんなことを思った。すると、どこからか草の揺れる音が耳の届く。やがて、草からは小さなウサギがひょっこり顔を出して去って行った。


「もうウサギさん、びっくりさせないで」


 思わずマリアがそういったときだった。マリアの腕を“誰かが”強引に掴んだ。驚いてマリアが振り向けばそこには見知らぬ男性がいた。

 黒い森の中で一際目立つ赤茶色の髪に燃えるような赤い瞳。炎のようだとマリアは思った。

 そんな男性はすっと伸びた背筋に男らしい骨太な体つき。マリアを掴んでいる手も無骨だ。胸板もがっしりしているのだから、なお逞しい。全体的に均等な体つきをしているから日頃から鍛えているのだろうか。

 その上、顔立ちもいいのだから女性は放ってはおけないだろう。こんな男に甘い言葉の一つや二つ囁かれれば女はすぐにころりと落ちてしまいそうだ。

 そんな男性に思わず見とれマリアが固まっていると男性は、マリアの腕を強引に引っ張った。


「こっちだ」


 レイヴァンよりは少し高いくらいの声がマリアの耳に届いた。マリアは男性に導かれるままに森の中を進んでいく。やがてマリアの瞳にまばゆいばかりの太陽の光が映った。思わずマリアが目を細めると心地の良い風がマリアの側を駆け抜けて薄い金の髪を弄ぶ。

 目が光りになれてくると、そこには広い野原があった。


「こんなところがあったなんて!」


 マリアは思わず感嘆の息と共に言った。それから男性の方を見てお礼を告げると男性は、そっけなく「じゃあな」と去ってしまおうとする。慌ててマリアは男性の手を取った。


「ここにいればお前の仲間が見つけてくれるだろ」


「どうして、仲間が居ることを知っているの?」


 マリアの問いに男性は口を噤んだ。男性が答える気が無いのを見て取ると口を開いた。


「わたし、地理に明るくないの。出来れば側に居て欲しいのだけれど。もちろん、無理にとは言わない」


 マリアの言葉に男性はどこか困ったような表情を浮かべ、うっすらと汗をうかべている。何かいけないことでも言ったのだろうかとマリアが心の中で首を傾げれば男性は「少しだけだぞ」とぶっきらぼうに答えた。マリアはぱっと花を咲かせるように微笑んで「うん」と言えば男性が僅かに息を飲んだ。

 それから二人はじっとしていたが、マリアは沈黙が耐えられず男性に声をかける。


「そういえば、お主は槍を使うのだな」


 ふとマリアが男性の持っている槍に目を向けてそう言えば男性は無言で頷く。


「パルチザンという槍だ。斬る、突くという機能に特化している」


「へえ」


 武器についてこうして教えてくれるのはあまりないからマリアは興味をそそられてしまう。けれど男性はあまり話すのが好きでは無い様子でまた口を噤んだ。マリアも男性にあれこれ聞くのは良くないと判断してそれ以上は口を噤んだ。

 辺りは柔らかな春の日差しとさらさらと音を立てる草花の音だけが響く。ふと男性が顔を上げたかと思えばマリアの手を引いた。


「え、あの!」


 驚くマリアに何も言わずに男性はマリアの手を引いてズンズンと草原から離れ、森の中へと足を踏み入れていく。不思議と不安は無かったが、「どうしたのだろう」という感情がマリアの中で渦巻いていた。けれど男性は答える様子も素振りも無いのでとりあえずは男性に従うこととした。

 男性に連れられるまま森の中を進んでいくとふと男性の表情が険しくなる。マリアが男性を不思議そうに眺めていると男性は、マリアを抱き上げてそのまま森を突っ切ってゆく。

 驚いたマリアは思わず息を飲んで男性を無言で見つめる。その視線を受けながらも男性は口を開こうとはせずに走っていた。


(この人はどうして、ここまでわたしを守ってくれるのだろう)


 そんな疑問を抱きながらもマリアは、男性に抱き上げられたまま、そっと男性から落とされないように服を握り締めていた。そのとき、後ろの方で「あそこだ」という声が聞こえてきた。


「ちっ」


 男性は軽く舌打ちするとマリアを見つかりにくい茂みに隠し、自らは武装した人の前に姿を現してパルチザンで武装した人々を次々に引き裂いていった。茂みからそれを眺めながら、マリアは驚いて目を見開く。

 自分が気づいていないところで、こんなにも多くの人が自分を狙ってきたというのか。それに初対面だというのにここまで自分を守ってくれている男性の強さにもまた驚いた。彼が迎撃すれば、あたりには何十もの屍が積み上がる。その屍にマリアは弔いながら、彼の強さに愕然とした。レイヴァンと同等ほどの強さを持つ人をマリアが初めて知った瞬間でもあった。

 やがて、武装した人間が目視できなくなると男性は、パルチザンについた血を軽く払ってからマリアをまた抱き上げて駆けだした。

 彼の服には大量の返り血がこびり付いている。それがマリアにもついて、たちまち服に血が染みこんだ。

 少し経って川のあるところに出ると男性は、マリアは石の上に座らせてマリアに付いてしまった返り血を水で洗う。それから、自らについた血を洗い流しパルチザンについた血も流せば、ようやくマリアは落ち着いて口を開いた。


「ありがとう、助かった。お主は本当に強いのだな」


「そんなこともねーよ」


 そう答えながら男性はやはり、険しい表情を崩さない。まだ何かあるというのか。


「まだ残党がいるのか」


「いや、この辺には気配を感じない。大丈夫だろう。ただ、あんたのお仲間からはだいぶ離れてしまったからな」


「きっと彼らとは合流できる。そんな気がする。ただ心配なのはわたしが地理に暗いことだ。お主からすれば迷惑だと思うが出来れば一緒にいてくれまいか」


「俺は面倒ごとは嫌いだ」


 マリアは息をつまらせて、困った表情を浮かべる。


「確かにそうだな、お主を面倒ごとに巻き込んでしまった。すまない」


 これは望めないだろうなとマリアは思って肩をしゅんと落とした。すると男性はガリガリと頭を乱暴にかいた。


「あんたを一人残していく方が面倒そうだな。仕方ない、付き合ってやる。そのかわり、ちゃんと報酬をくれよ」


「報酬?」


「ああ、ただでそんな面倒なことしてやるわけ無いだろ」


 マリアは頷いて答えてみせた。


「わかった、善処しよう」


「交渉成立だな」


 言って男性はにやりと笑う。それからずいとマリアに顔を近づけて口を開いた。


「もちろん、体で払ってくれてもいいんだぜ?」


 マリアはいまいち意味が分からなかったのかポカンとしてオウム返しに呟けば男性は、溜息一つ吐き出して「何でも無い」とだけ告げれば興がそがれたように顔を離した。

 マリアは何が起こったのかすら分かっていない様子でいたが、ふと「なるほど」と呟いたかと思えば口を開いた。


「わたしは料理も出来ないし、武術もあまりよろしいとは言えないので出来ることはあまりないが出来るだけお主のために働いてみようと思う。“体で払う”とはそういうことだろう?」


 マリアが導き出した答えに男性が今度はポカンとしたが、すぐに意味が分かったらしくヒクヒクと顔の筋肉をけいれんさせて大声で笑い始めた。驚いてマリアは男性をまじまじと見つめる。


「そりゃあ、いい。少しでも俺のために働いてくださいな。お嬢さん」


「ああ、わかった!」


 喜んで答えたマリアに男性はまた笑って、それから落ちついたと思えば「ダミアン」と名乗った。それを聞いてマリアも名乗れば男性ことダミアンは「よろしくな」と言った。


「よろしく」


 マリアも答えればダミアンは、どこか気の抜けたような表情を浮かべていた。いくらか彼と距離を縮められただろうか、とマリアは思う。


「それでマリアはどこへ行くつもりだったんだ?」


「クサンサイトへ向けていくつもりだ」


「クサンサイトか。“ローレライ”のある街だな」


 マリアはローレライがわからないのか首を傾げる。ダミアンは「おいおい」と言った。


「まさか“ローレライ”を知らないとか言わないよな」


 マリアが素直にこくんと頷けばダミアンは若干、頭を抱える。それから“ローレライ”はクサンサイトが面している海にある岩の名前だという。その岩の周りは流れが急で多くの船が海に飲まれてしまうのだとか。それから、ローレライ付近の航行は難しいため『岩山にたたずむ少女が船頭を歌で惑わせて魅惑して船が海に飲まれてしまう』という伝説があるらしい。


「そこから派生して『ローレライという女性が不実の恋に絶望して海へ身を投げて水の精になり漁師を誘惑して破滅へ導く』とか言われている」


「ずいぶんと詳しいんだな」


 マリアが何気なく問えばダミアンは「まあ」と呟いて答えた。


「結構、最近までクサンサイトにいたのもあってな。もちろん、ローレライは遠目で眺めていただけで近づいてなんかいないけどな」


「なるほど!」


 マリアは頷いて答えて、どこか楽しそうな表情を浮かべ男性を見つめた。その視線を受けて男性は何やら冷や汗を浮かべる。あまり期待された目で見つめられるのには慣れていないらしい。

 困ったような眼差しでマリアを見つめるとダミアンは頭をポリポリとかいた。


「お前って、知的好奇心が旺盛なんだな」


「今までずっと、外の世界を知らずに過ごしてきたからな。でも、城の外へ出て世界を知ってもっと知りたいと思った。わたしは無知であるけれど、その分いろんな事を知りたい」


 ふっと息を吐き出してダミアンが笑って言葉を紡いだ。


「そうか、お前はきっと導かれて外へ出たんだ。お前のような何でも知りたがるような人が閉じこもっているわけにもいかないしな」


「うん!」


 ダミアンの言葉にマリアは満面の笑みを浮かべて応えた。ダミアンもニッと無邪気な笑みをマリアに向けていた。それなりに彼の心と近づくことが出来たとマリアは密かに思っていた。


「しかし、クサンサイトになんて何のようなんだ」


「ああ。国が随分と荒れてしまっただろう、それで復興の手助けをするために」


「ずいぶんなボランティア精神だな」


 ダミアンが素直に感心して言えばマリアはどこか困ったように微笑む。


「そんなつもりはなかったのだがな。ただ、この国を一刻も早くよくしたいと思っているだけであるから」


「それが“ボランティア精神”ってことなんだよ。自分に『利』が無くとも動く人って言うのはそれだけで重宝されるし立派だ。俺はどうもそういうのには向かないしな」


 どこか自嘲気味にダミアンが言えばマリアは首を傾げる。それを見てダミアンは、自分の見た目が恐そうであるからそういうことをすると何か裏があるのでは無いかと思われることが多いと告げる。けれど、マリアは不思議そうにダミアンを見つめていった。


「そうだろうか、わたしにはお主はとてもかっこいいし、すごい人だと思うのだが」


「そんなふうに言ってくれる人の方が少ねえよ。大体の人は俺を恐れてみな、逃げちまう。だから俺は出来るだけ人と関わらないようにして生きてきた。そして、これからも」


 マリアは思わずダミアンの手と自らの手を重ね合う。ダミアンは驚いたようにマリアを見つめた。


「それは、とても悲しいことだとわたしは思うよ。人と接するからこそ傷ついたりもするけれど、それでもわたしは恐れずに大地に立って世界を見つめいろんな人と知り合ってみたい」


 ダミアンは小さく笑う。


「自分でもわかっているさ、自分が臆病者だってぐらい」


 ゆるゆるとマリアは首を横に振る。


「けど、お主はわたしを助けてくれた。人と接するのが嫌いなのであればわたしを放っておけばよかったのに。だがお主はそうしなかったでは無いか。お主だって本当は人と接したいと思っているのでは無いか」


 マリアに言われればダミアンは、困ったように口を噤み青い瞳から視線を外した。


「まったく、面倒だな。〈眷属〉ってのは」


「え?」


 幸いと言うべきなのかダミアンの呟きは、マリアには聞こえなかった。


「いや、何でも無い。それよりも早くお仲間と合流しないといけないだろ。はやく行くぞ」


「うん」


 ダミアンの言葉にマリアは笑顔で答えて、川を後にした。それから、長く続く街道へ出た。そこはマリアが一息に抜けた街道とはまた違う道のようで道がレンガ道になっていた。


「ここは舗装されているのか」


「ああ。道を舗装するにも金がかかるからな。あまり舗装も出来ないんだろうが、ここは旅人がよく通るって事で舗装されたんだそうだ」


「やはり、お主くわしいな」


 マリアが笑顔を浮かべてダミアンに言えばダミアンは僅かに頬を染めてそっぽを向いた。


「どうでもいいだろ、そんなの」


 いったと思えばダミアンは、さっさとマリアを置いて歩き出した。後ろをマリアが慌てた様子で追いかける。そんなマリアの側を暖かな風が駆け抜けた。

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