第一章 旅立ち
辺りが闇に包まれて人々が眠りにつく時間帯。時刻は草木も眠る丑三つ時とも言われる午前二時。
レイヴァンは、図書館でランプを片手に何やら本を開いた。古い装丁の本は、表紙に古めかしい飾り文字で「ティマイオス」と記されている。開いたページには、何かの地図と共に“アトランティス”という表記がある。けれど、その大陸について詳しい表記は無くただ“幻の大陸”だと記されていた。
あまり情報が無いことが分かるとレイヴァンは、本を閉じて本棚へ返した。それから、本棚を眺めていると“ある本”が目にとまる。それはかつてクリフォードから貰った本で兵法が書かれた本であった。懐かしさで思わず本を手に取り、開くと
(ティマイオスがバートの研究を? でも、どうして)
レイヴァンが心の中で疑問を口にしたが、紙切れにはそれ以上のことは書かれていなかったため、レイヴァンは紙切れをポケットに詰め込むと本を元の位置へ戻した。それから、もう特に本は無いと見ると図書館を後にする。
すると、冷たい風がレイヴァンの側を駆け抜けた。春といえど、この国の気候は比較的に寒い。しかも朝晩は冷えるのだ。冬ほどで無くともやはり、凍えるほど寒い。思わずレイヴァンが身震いした時だった。
「レイヴァン、こんな時間まで調べごとか」
後ろから声をかけられレイヴァンは思わず驚いて振り返る。すると、そこにはソロモンの姿があった。月明かりの照らされて明るい夜であったから、すぐにソロモンが酒を呑んでいることが分かった。頬がほんのりと赤かったのである。
「お前はこんな時間まで酒場にいたのか?」
「ああ、久しぶりに飲んだぞ」
「お前はいつだって飲んでいるだろう」
ソロモンの返しにレイヴァンが思わずそう言えば、ソロモンはよたよたとレイヴァンにもたれかかった。と思えば、そのまま寝息を立て始める。
「すー、すー」
「おい、起きろ。寝るな、まったく」
いくら揺らしても起きる気配がないものだから仕方なくレイヴァンはソロモンをおんぶして城まで運ぶ。それから、兵の一人にソロモンを預けるとレイヴァンは自分の部屋へ戻った。 けれども、寝付こうとはせず何やら本を開いた。その表紙には「錬金術」と記されている。少しでも錬金術の事を知り、バートの研究が何かを知ろうとしているようだった。
夜食としてロッゲンブロート(ライ麦で作るパン)を囓りながら本を読んでいるとコンコンと扉の叩く音が聞こえてきた。控えめなその音を不思議に思いながらレイヴァンは扉を開ける。すると、外套を羽織りランプを片手に水差しをのせたお盆を持ったバルビナが立っていた。たちまち驚いてレイヴァンは目を丸くした。
「部屋の明かりが見えましたので、水差しをお持ちしました」
「すまない」
レイヴァンがそう返せばバルビナは、部屋の中へ足を踏み込み水差しを机の上へ置いた。それから、机の上に広げられた本を見て目を見張った。
「お勉強、なされていたのですか」
そう問いかけてきたバルビナにレイヴァンはこくりと頷いて「ああ」と答えれば突然、レイヴァンの手を取ってぎゅと握り締めた。
「もう少しご自身を労ってください。こんなに毎晩、お勉強ばかりなされていては体が持ちませんよ」
レイヴァンは小さく微笑むと、バルビナの手を優しくふりほどいた。
「いや、大丈夫だ。姫様が前を向いて頑張ろうとしているのに、俺が立ち止まってはいけない。姫様の隣に立つにふさわしい『騎士』でありたいですから」
レイヴァンの決心にも似た言葉にバルビナは言葉を失い固まってしまう。それから「でもほどほどにしてくださいね」とだけ言って部屋を出て行く。それを見届けてからレイヴァンは、ふと時計を見て「そろそろ寝ないとな」と思いながら本をぺらぺらとしながら、そのまま本の上へ突っ伏してしまった。
次にレイヴァンが目を覚ました時、すでに太陽は昇ってしまっていて慌てて時計を見ると朝の七時を回っていた。しまった、と思い体を起こして騎士の服に着替えると部屋を後にする。
今日は旅立つための準備をしなければならなかった。街へ下り、少ないながらも店として開いている店へ足を運んだ。そこで、思わず目を見張る。
古めかしい飾り文字の看板がぶら下がっている店の中で一際目立つ薄い金の髪。
普段は気にもとめていない様子で、美しいのに無造作にしているが、今日は内巻きにしてふんわりとした女の子を印象づけている。着ている服もまた可愛らしい。いつもは、服を選ぶのが面倒なのか、ディアンドルの服を着ているが、違っていてラグジュアリーな白のワンピースを着ていた。その白いワンピースには、控えめながらも薔薇の絵が描かれており、スカートの裾にはレースが縫われていて可愛らしい。ワンピースの上には、春らしいくすみカラーのローズ色カーディガンを羽織っている。靴はワンピースに合わせた白色のレースアップシューズであった。
普段では見えないマリアの姿にレイヴァンは思わず見とれてしまって「かわいい」と呟いていた。すると、マリアに近くに居たギルがこちらに気づいて悪戯な笑みを浮かべるとレイヴァンにささやいた。
「なあに、見とれてんの」
「べ、別に!」
無意識に頬を赤く染めてレイヴァンは、ギルから逃れるために顔を背ける。すると、ギルはニヤニヤと笑みを浮かべながら言った。
「クレアが一度でいいから、うんと姫様を着飾りたいと言ってね。それで、もう少ししたら姫様が発ってしまうから今日、クレアが姫様をコーディネートしたんですよ、正騎士殿」
「そうだったのか」
ギルの言葉に返してレイヴァンがマリアの方を見れば、隣にはクレアもおり、いつものおさげではなくハーフツインテールにしていた。服もディアンドルではなく、透明な薄い布を重ねた青い色のワンピース。靴はマリアと一緒で白いレースアップシューズであった。
「それでクレアも可愛い服着てるのか?」
「あいつは趣味だろう」
レイヴァンの問いにギルがあっけらかんと答えれば、クレアがこちらへ気づいて駆け寄ってきた。マリアも駆け寄るかと思えば商品を見ているふりをしてレイヴァンと顔を合わさないようにしていた。頬が赤いから、恥ずかしいと思っているのかもしれない。
「レイヴァンも来ていたのね」
「ああ、俺も少し買いたいものがあってな」
クレアの問いにレイヴァンが答えると、クレアはマリアの腕を掴んでレイヴァンの前に出した。刹那にレイヴァンの鼻孔を甘い香りが刺激する。香水でも付けているのだろうか。
「ちょ、クレア!」
「いいじゃない、せっかく可愛いのに見せないのはもったいないわ」
マリアは、ますます頬を真っ赤に染めてうつむいた。いっこうにレイヴァンと目を合わせようとしない。そんなマリアから離れてクレアは、ギルの腕をぐいぐいと引っ張った。クレアなりに気を遣ったのだろう。けれどマリアとしては、恥ずかしくてたまらないから側にいて欲しかったのだが。
二人の間に沈黙ばかりが満ちた。その沈黙を破るようにレイヴァンが口を開く。
「可愛いですね」
「あ、ありがとう」
レイヴァンが率直に言葉を口にすれば、マリアはそう答えただけで会話は頓挫した。普段であればこんなに会話が続かないことは無いだろう。けれど、この時ばかりはお互いが意識しすぎて会話は続かない。それを遠目で眺めていたギルが思わず呟く。
「甘酸っぱくて素直になれない思春期の初恋かよ」
「まあまあ、ギル」
クレアは、ギルをなだめつつマリア達の様子を見つめる。
「いいじゃない、あれぐらいの方が。軟派な男より、よっぽどマシよ」
「だが、レイヴァンは立派な大人だぞ。ここまでうぶだと逆に心配じゃ無いか」
「いいのよ! 逆にギルみたいに女慣れしている男の人は、本当の意味で好かれないわよ」
「俺はいいんだよ。誰かに愛されたいなんて贅沢、今更言えないからな」
クレアはギルを不思議そうに見つめて「どうして」と問いかける。他意の無い純粋な問いかけにギルは言葉が詰まってクレアから視線を外せばたった今、思い出したように言葉を発した。
「そういえば、早く旅に必要なものを揃えないとだったな」
ギルはそのまま体を翻して店を後にした。その後ろをクレアも続いて店を出て行く。
マリアとレイヴァンは、しばらく棒立ちのまま向かい合っていた。けれど、マリアの緊張も無くなってきたのか普通に話せるようになっていた。
「それではギル、クレアと共に旅に必要なものを揃えていたのですね」
「うん。わたしは、そういうのわからないから」
「もう二人に任せてしまってもかまわないのではございませんか? 二人ともどこかへいってしまいましたし」
「本当だね」
レイヴァンの言葉に賛同しつつマリアは笑顔を浮かべていた。その笑顔を眺めながらレイヴァンは柔らかい笑みを浮かべる。
(今は、この笑顔を独り占め出来るだけでいいか)
そんなことを思いながらマリアと共に店での買い物を済ませて外へ出た。すると、ソロモンと出くわしレイヴァンはどこか嫌そうな表情をする。レイヴァンは、ソロモンに何か冷やかしの言葉のひとつでも言われると思ったようだった。けれど、ソロモンはいつもみたいに面白がるような表情は浮かべずにいたって自然とマリアと接した。
「まさか、このような場所で会いますとは思いませんでした」
「ソロモンも、何か買い物?」
不思議そうな表情を浮かべるレイヴァンの隣でマリアも自然とソロモンと会話をしている。レイヴァンはソロモンにからかわれないのはいいがマリアを取られた気がして面白くない。どこか不機嫌そうな表情になってしまった。それを眺めてソロモンは、肩をすくめてみせると言葉を紡いだ。
「さて、そろそろわたくしは参りましょう。あなたの専属護衛殿が恋人を奪われたような顔をしていらっしゃいますから」
「誰がそんな顔しているというんだ!」
ソロモンの言葉に反論するようにレイヴァンが言えば、ソロモンは「お前だ」と言った。
「他に誰がいる」
レイヴァンは思わず黙ってしまえばマリアは、どこか不思議そうな表情を浮かべた。そして、心の中でこう思っていた。
(レイヴァンはバルビナが好きなんじゃ無いのか? 接吻はしたけどあれは酔っていたからであって他意は無いはず!)
心の中で半ば言い聞かせるように呟くマリアをレイヴァンはじっと見つめていたかと思えば、愛おしげに薄い金の髪を撫でる。マリアの肩がびくんとはねた。ソロモンは、そっと立ち去ろうとしたけれど、やはり旧友のことが心配であるからか足を少しだけ止めてすれ違いざまにこう言った。
「悲しませることだけはするなよ」
マリアのことを言っているのを、レイヴァンはすぐにわかった。当の本人であるマリアは聞こえていないのか首を傾げていた。そんなマリアに「何でもございません」とだけ言って、レイヴァンはマリアの手をひいた。
「少しだけ俺に付き合ってはいただけませんか」
「もちろん、かまわないよ。でも、どこへ行くの?」
小さく微笑むとレイヴァンは、マリアの手を取ったままどこかへ向けて足を進めた。そうして、たどり着いた先は王都から少し離れた場所にある小さな花園だった。
「わあ、きれい! こんなところがあったんだな」
マリアが感嘆と共にそう言葉を紡げば、嬉しそうな“あるじ”見つめてレイヴァンも笑みを浮かべる。
「いつか姫様に見せたいと思っていましたが、こんなに遅くなるとは思いませんでした」
「でも、すごく嬉しい。ありがとう」
満面の笑みを浮かべてマリアが言えば、レイヴァンもまた綻びを浮かべる。それから、マリアは一面に広がるエリカの花園の中へ足を踏み入れた。
「わあ、こんなにエリカの花がいっぱい!」
マリアは呟くと座り込み、ワンピースが汚れるのも厭わずに何かをせっせと編み始めた。やがて何かが出来上がるとマリアはレイヴァンを呼んだ。
「こっちへ来て!」
レイヴァンは、マリアの元へ行く。それから跪くように言われ、そのとおりにすると頭の上に白いエリカの花冠が乗せられた。
「こうすると、どこかの国の王子様みたいだな」
「いえ、そのようなことは」
「ううん、本当にとても似合っているよ」
にこにことマリアが微笑めば、レイヴァンもつられて笑みを零した。それから、マリアに花言葉はご存じですか、と問いかければ「知らない」と答えが返ってくる。
「白いエリカの花言葉は、『幸福な愛』。俺は今、とても幸せです」
「わたしも!」
笑顔で答えたマリアにレイヴァンは、密かに決め込んだ。エリカの花にはある言い伝えがあり、白いエリカを見つけて思い人に贈ると幸せになれるという。そんな言い伝えを信じるわけでは無いが、無事にこの国に戻ってきたら白いエリカの花とともに言い伝えのことを教えてあげよう、と。
夕方になってレイヴァンとマリアは城へ戻った。すると、旅立ちの準備は着々と進んでおりいつでも出発出来るようであった。
マリアはレイヴァンと別れ、部屋へ戻るといつもの着慣れた男物の服へ着替える。それから、薄くではあったがしていた化粧を落とせばマリアの表情も切り替わる。“王子”に戻ってからマリアは部屋を出るとそこにレジー、エリス、ギルが待ち構えていた。
皆を見回してマリアは王子らしい笑みを浮かべる。
「みんな、待たせた」
マリアの一言に皆も頷いて見せて、それから国王が呼んでいることをマリアにエリスが伝えれば謁見の間へ向かい中へ入った。すると、玉座には国王が待ち構えており、マリアが旅立つのを見送るかのようだった。
マリア達は国王の前に跪く。国王は威厳をたっぷりと込めた口調でマリア達に言葉をかけた。
「よく来たな。実はお主達が旅立つにあたって渡したいものがある」
国王がそう言って臣下に命じれば臣下は、マリア達に赤い包みに覆われた何かを差し出した。国王から許可を貰うと赤い包みを開けた。
マリアに手渡された物の中からは、マリアの手に合うぐらいの剣が出てきた。それを見てマリアは驚いたように自らの父親を見上げる。
「マリアにもマリアの剣が必要だと思って密かに作らせていた。今までマリアが使っていた剣は、練習用のものだからな実践ではあまり使えない。これはわたしからのプレゼントだ。持って行きなさい」
「ありがとうございます!」
父親からのプレゼントにマリアは目を輝かせ、国王に言われるままその剣を帯剣する。それから次にレジーが包みを開くと中から短剣が出てきた。
「レジー、君の短剣は確か激しい戦闘でずいぶんと刃こぼれをしていたようだね」
レジーは驚くと共に、国王に頭を垂れてお礼を告げた。次にエリスが包みを開けば中から、小さめでコンパクトであるが両側に刃のついた武器が出てきた。
「それは“くない”というものでな。玻璃国の物であるが、特別に取り寄せた物だ。壁を上ったり、壁や地面に穴を掘ったりも出来る優れものだ。もちろん、それだけでなく投げて相手の気をそちらへ向けることも出来る。エリスであれば使いこなせると思ってな」
エリスはたちまち喜んで、国王に頭を垂れると共に謝辞を述べた。最後にギルが包みを開けば中から刀が出てきた。それを見てギルは驚いてしまう。
「そちらも玻璃国の物だが、知っているか?」
「はい、刀ですよね。ありがとうございます」
ギルはありがたく刀を貰うとさっそく帯刀する。それを確認してから国王は口を開いた。
「くれぐれも危ないことはしないで欲しい」
「はい」
国王の言葉にマリア達がそう返せば下がるようにと言った。それから、マリア達は謁見の間を出た。次に国王はレイヴァンを謁見の間に呼べばレイヴァンは、扉をくぐるとなれた仕草で恭しく跪いた。
「レイヴァン、ただいま参上いたしました」
「レイヴァン。もし国を荒らしている者達の始末を終えたら、お前に正騎士長の任について貰いたいと思っている」
国王の言葉にレイヴァンはたちまち、驚いてしまって目を丸くしてから国王を見上げた。
「そのような大それた任、わたくしには勿体のうございます。わたくしよりも、もっと適任の方が居るのでは無いでしょうか」
「しかし、正騎士で生き残っているのはお主とエイドリアンだけだ。あの“遊び人”のエイドリアンにこのような任を与えるわけにもいかぬだろう。あいつはどうも、こういうのは向かぬ。それに、あとの者は、“裏切り者”に殺されてしまったからな」
生き残っている正騎士の中で一番、適任なのがレイヴァンだと国王は言いたいようだった。けれど、レイヴァンとて人の上に立つのがうまいわけでは無い。それどころか、兵達の士気を挙げるのは苦手であるから“長”としては未熟だ。
「もう少し考えさせてください」
「かまわないよ。でも、いい返事がもらえると期待している。それで、レイヴァン。わかっているとは思うが無茶だけはしないでくれ。お前の体はクリフォードから預かっているのだから」
「ですが、正騎士長クリフォード様は、もう」
「わかっている。それでも、約束というのは破れぬものだ。だから、無茶だけはするな」
「かしこまりました」
国王は玉座から下りたかと思えばレイヴァンの前まで来てレイヴァンに手紙を差し出した。レイヴァンはそれを呆然と見つめる。
「それは?」
「クリフォードの机に残されていたものだ。読んでみよ」
レイヴァンはいぶかしげに思いながらも手紙を受け取ると開いて中にある便せんを取りだした。そこには、こう書かれていた。
★
この手紙をレイヴァンが読む日が来るのだろうか。誰にも気づかれぬままホコリをかぶってしまうのがオチだろうな。たとえ、そうだとしても、これはレイヴァンに当てた手紙だ。もしレイヴァンが読んでいるのであれば、それだけで嬉しいことは無い。
レイヴァン、お前に逢えて良かった。お前の成長を見るのが楽しかった。
実はお前は、とても身分の高い家の生まれの子なんだよ。この手紙にすら、その家のことを書くのは憚れるほどの家だ。誰が読んでいるかわからぬから、ここに記すのは止めておこう。
とにかく、お前はいいところの息子なんだ。お前は不義の子であるが、お前の両親ともお前を手元で育てたかった。けれど、お前の母の家がそれを決して許さなかった。だから、わしが預かったのだ。
レイヴァン、忘れないでくれ。愛されて産まれてきたと言うことを。両親を恨まないで欲しい。
お前を幽閉したわしを、許しておくれ。守るためには、こうするしか無かったのだ。すまなかった。
★
手紙を読み終えた時、レイヴァンの目からは涙が流れた。そして、もう本人には届くことの無い思いを手紙へぶつけた。
「恨むだなんて、あるわけ無いじゃ無いですか。俺の両親のことを悪く言わないあなたに育てられた俺が、いまさら恨みなんて抱くはずが無い。あなたに愛されて育てられた俺が、あなたを恨むことも無いのですから」
手紙がぐしゃりと音を立ててつぶれた。どこにぶつければ良いのかわからない感情にレイヴァンは押しつぶされそうになった。そんなレイヴァンを国王はじっと何も言わず側に居て彼が心を持ち直すまで待っていた。
しばらくするとレイヴァンは涙を乱暴に拭いて国王に向き直る。
「申し訳ございません、みっともない姿を」
「いいや、かまわないさ。誰にだって感情はある。それに家族がいなくなって悲しまない人間がマリアの専属護衛になんていて欲しくないからね」
驚いたようにレイヴァンが顔を上げれば黒曜石のような瞳の中で優しい笑みを携えたオーガストが映り込んだ。それを見てレイヴァンも笑みを浮かべる。
「陛下は、そんな優しいからつけ込まれるのですよ」
「はは、そうかもな。でも、わたしはそんなお前だからマリアの専属護衛を命じたのだぞ。誰の心にも寄り添えるお前だからこそ」
「感謝の言葉もございません」
レイヴァンが礼を言えば国王はまた玉座に座り、国王の威厳たっぷりで告げた。
「改めてお前に国を荒らしている者の始末を命ずる」
「御意」
恭しく頭を垂れてレイヴァンは、騎士らしく答えた。
翌日になってマリア達は、馬にまたがるとソロモンに言われたとおり、クサンサイトに向けて行くこととなった。
「では、いってくる」
マリアがレイヴァンに告げるとレイヴァンは頷いて「ご無事で」とだけ言った。マリアはそれを受けて頷くだけにとどめてレイヴァンの背を向けるように馬を翻させて駆けだした。その後ろにレジー、エリス、ギルも続く。その背を眩しそうに眺めてからレイヴァンも新しく新調した剣を腰に帯剣し、その場にいるソロモンだけに「それでは、俺も行くとする」と言った。
レイヴァンがソロモンから言われたのは、マリア達とは反対側のスフェーン街道を抜けた先にある『ビリュアイト』という地であった。
「ああ、くれぐれも気をつけてくれよ。お前になにかあっては陛下に申し訳がつかぬ」
眠たそうに言うソロモンにレイヴァンは、呆れたように「本当にそう思っているのか」と問えばソロモンは、本格的に欠伸をして「本当本当」と言った。
やれやれ、と思わず嘆息してレイヴァンも馬にまたがって駆け出せばその後ろから数人の兵も続いた。
「さて、寝直すか」
何とも緊張感の無い様子でソロモンは呟くと、また欠伸をして城の方へ足を向けた。けれど、ふとその瞳の奥に真剣な眼差しが宿る。
「本当に気をつけてくれよ」
ぼそりと呟いた言葉は誰に耳にも届くことなく中に消えた。それから、ぐっと伸びをすればソロモンの瞳に朝日が染みる。
(良い天気だ。旅立ちに良い朝だ)
誰にともなくソロモンが心の中だけで呟けばソロモンを捜していた様子のクライドがソロモンにそっと近寄り、どうしたのかと問いかける。すると、ソロモンは小さく笑って答えた。
「旅立ちによい日だと思ってな」
「そうですね。ソロモン殿、陛下がお呼びです」
「寝直そうかと思ったのだが」
「仕事だそうです」
仕方ない、とぼやいてソロモンは城の中へ戻っていった。
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