そのノートは提出しないでほしい

 後ろから軽く椅子を蹴ると勢いよく机に伏せていた顔をあげ、絵理が目覚めた。


「……お前が寝るんじゃねぇ。」


 俺はぼそりと不満を口にする。今朝自分に悪態をついてきた人間が目の前で寝ていたことに溜め息をつくと、前の席の見慣れた後ろ姿が申し訳なさそうに肩をすくめて少し小さくなった。


「野村、ノートがヨダレまみれだぞ。夢だけに夢中だったのか?」


 現代文教師の呆れた発言に各所から控えめな笑い声が聞こえる。先ほどすくめた肩を震わせ、耳を赤くして絵理は恥ずかしそうにしている。少し可哀想に思えてきた。


「……教科書、32ページ、4行目の頭から。」


 当てられた箇所を小さめの声で教えると、絵理は目の前で慌ただしく立ち上がりながら教科書をめくり、少し辿々しく音読を始めた。これはお昼のパンくらい奢ってもらってもいいはずだ。音読が終わるまで真っ赤にしていた耳を見ながらそんなことを企んでいた。役割を終えて着席し、ほっとしたのか少しずつ赤みが収まっていく。肩につくかつかないかくらいの生まれつき少し茶色い横髪を右耳にかける仕草を見て少し違和感を覚えた。


「次、珍しく今日は寝てない高間。続きを読め。」


 当然の流れに抱いた違和感をすぐに忘れて教科書を持ち、立ち上がる。音読を終えて着席する。二人で読んだ箇所の解説を終えたところで午前の授業の終わりを告げるチャイムが鳴った。


「だし巻きサンド、よろしく。」


 立ち上がりながら目の前の背中に語りかける。


「えーそんなー。今朝の夢の続きだったんだよ!?」


 頬を膨らませながら絵理が言う。


「知るか、そんなもん。」


 先に部室に行ってるからなと告げ、手を出す。残金を見つめながらがま口財布をぱかぱかしていた絵理は差し出された手に気づくとポケットから自分が所属してる写真部の鍵を取り出し、手渡してきた。

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