フェイルの覚悟2
爆発によって空中へと舞い上がった土煙が視界を奪い、豪雨のように降り注ぐ血肉が、辺りに鉄を彷彿とさせる臭気を撒き散らす。そんな不明瞭な場景の向こう側からは、断続的に魔術師達の断末魔の悲鳴が上がっている。圧倒的な力の差を見せ付けられた冒険者達は、戦意を挫かれて恐怖感にわななくしかない。
その様子を見ている女は、凄絶な笑みを浮かべていた。
黙っていれば生気を感じられない程に精緻に整った、作り物じみた美しさを放つ容姿は、妖艶にして沈魚落雁。豊満というよりは華奢な印象を与える肢体は黒いゴシックドレスに包まれており、その色香は既に人の域を越えて魔性のそれだ。場違いにも見惚れてしまう人がチホホラ出てくる程の美貌だが─────魔力と同調して輝きを放つ黄金色の長髪や、獲物を見下すような無機質な視線を向ける瞳が、否が応でも現実に引き戻す。
「只でさえ愚鈍で矮小な生き物なのだから、頭の悪くない立ち振る舞いくらい覚えたらどう?棒立ちになっていては、只の的よ」
「────な?!テメェ!!」
気の短い冒険者数名が、挑発に乗って飛び出してしまった。
その中で最も俊敏な動きを見せていた男が女を必殺の間合いに捉え、両刃の大剣を頭上目掛けて叩き落とした。
轟ッ!!と風を割いて描かれる弧は女の頭上に接触した瞬間─────バラバラに砕け散る。驚愕に目を見開く男の目の前で刀身の破片が光を反射し、その光すら塗り潰す極光の一文字が、男の首もとを剛閃。虚空をひらめく女の手刀は音を置き去りにし、視界の穴を突いていた。
一瞬の内に男の顔が弾け飛び、司令塔を失った体が崩れ落ちる。続く男たちがようやく足を止めるが、時既に遅し。
右腕を振った動作のまま静止していた、女の体がブレた。
「逃げ────」
俺の口からはとっさに言葉が漏れるが、一呼吸の間を置かずに────目の前には返り血ひとつ浴びていない悪魔がいた。その背後には、血飛沫と共に倒れる五つの体。
「あなたが一番利口かしら?」
・・・・・・ゾワァ
第六感にも等しい悪寒に身を任せ、咄嗟に後方へと飛び退く。
──────が。
女は振り上げた右腕を振り下ろすことなく、神速のごとき踏み込みで間合いを殺していた。直後視界の中心部に閃く一刀。瞬く光の線はただの手刀であるはずなのに、俺の前髪をチリチリと焼き落とし────直撃の寸前、俺の眼前で無数に枝分かれした。
あぁ、これは勝てねー。
咄嗟に皮膚を【硬化】でコーティングするが、それすらも薄紙のように切り裂いて、俺の体は棒切れのように吹っ飛ばされて壁に激突した。
体中を焼き切るような激痛が意識を磨耗し、手足の先から力が抜けていく。無数に刻まれた裂傷からは止めどなく血液が流れ出るが、俺にそれを止める手段はない。
砕けた地面へと流れ込む血を見ていると、命の欠片が失われていくのがよく分かる。
──────逃げたい怖い嫌だ面倒臭い怠い死にたい死にたくない
体の先が冷たくなり始め、思考が空白に喰われていく。
──────こんだけ力の差を見せつけられたんだ。もういいだろ。
──────右手が動かないんだろ?それを理由にして、さっさと諦めろよ。
──────どうせ頑張ったって勝てないだろ。
──────ミラの隣で戦っている奴らは、皆こんな馬鹿みたいに強いんだぞ。お前独りが頑張ったって、何になる。所詮有象無象の覚悟なんか、こうやって理不尽に打ち砕かれる。
「くそっ、が」
ミラから逃げるように、ダンジョン都市に移住したフェイル。
だが最初の理由こそ消極的であれ、半年以上も過ごしたダンジョン都市は、フェイルにとって大切なものになってしまっていた。
壁にめり込んだ体を無理やり起こし、剣の柄を握り締める。
周囲を見渡せば、地に足を着けているのは、俺だけだった。ほかの全員は重傷を負って自力では立てないか、既に死んでいる。状況は孤立無援。
「もう、逃げるのは懲り懲りなんだ」
力が入らずに震えてしまう体を剣で支える。既に満身創痍の身では大したことは出来ないが、金髪の女は油断なく俺を見つめていた。
「関節に両手両足、アキレス腱もしっかり切り裂いたはずなのだけれど?」
そう口にしながら、金髪の女は虚空から一振りの長剣を出現させた。
単騎にして無類の強さを発揮する女が、尋常ならざる雰囲気を醸し出す剣を持つ様は、まさに鬼に金棒。さらにその後方には、恐らく金髪の女に名付けされた魔物が千匹以上もいるのだ。何がどう転がったとしても絶体絶命。ここにきて俺の勝機は、虚数の彼方へと飛んでいってしまった。
死を前にすると今までの人生を思い返すと言うが、こんな緩やかな死に際でもそれは同じらしい。恐らく最後になるであろうこの瞬間、俺の脳裏を幾つかの記憶がよぎった。
──────ねえ、フェイル。これから私達、二人きりだね。勝手に飛び出して来て良かったのかな?
──────安心してよ。私が守ってあげるから。
──────もう、私のことは忘れて。
──────いまフェイルさんが進んでいる道は、フェイルさんの物語ですか?
「勝てなくていい?大事なのは、頑張ること?違う。散々逃げてきた。もう、崖っぷちなんだ、後が無いんだよ!!」
金髪の女は俺を警戒したのか、後方に下がらせていた魔物をけしかけてきた。
ゴブリン種にコボルト種、リザードマンやトロルまで。様々な雄叫びが怒号のように飛び交い、足の速い魔物を先頭に、次々に雪崩れ込むように俺の方へとやってくる。致命傷を負っていては何も出来ないか?と疑ったが、どうやらそうでもないようだ。盾を前に構えて突進して来るリザードマンを、半身に構えて剣でいなし、すれ違いざまに首を跳ね飛ばす。その一連の流れが想像外にすんなりと決まってしまうことに驚くが、そんなことに費やす暇はない。今度は二十匹程のリザードマンが隊列を組んで押し寄せて来たのだ。
「グラァァァア!!」
低い体勢で地を駆ける前方の五匹が、同時に剣を繰り出してきた。その左右両端の二匹に【酸弾】を浴びせ、残りの三匹の斬撃を黒剣の腹で受け止める。
ギャリィィィーーーーン!
接触部がガリガリと嫌な音を立て、次第に力で勝るリザードマン達に押されてしまう。
「負けるか―――っ」
体の内側から溢れ出る衝動に任せ、鍔迫り合ったリザードマン達を強引に吹き飛ばす。飛ばされたリザードマンの後を追うように左手を前に突き出し、圧縮したビーム状の【酸弾】を撒き散らした。攻撃を受けた二匹は体中をズタズタにされて即死するが、しとめ損ねた一匹が逆上して襲い掛かってきた。
複数のフェイントを混ぜたリザードマンの剣戟を籠手で受けきり、顔面を鷲掴みにして、至近距離で【酸弾】を発動。生き物が溶ける不快な臭気が鼻孔を刺激するが、それを無視して死んだリザードマンを投げ捨てる。
「負けてたまるか―――!!」
続いて迫るゴブリン達を高出力の【酸弾】で全滅させ、組織的に動かず遊撃してくるコボルトを【威圧】で黙らせる。立ち止まったコボルトを片っ端から切り捨て、リザードマンの部隊と再び対峙した。
迫る剣筋を見切ってスレスレで上半身をそらすと、前髪を掠めた刀身が俺の顔を映し出した。血まみれで汚く、悩むことに憔悴しきった情けない顔を。その光景を忘れ去るように後方に傾いた重心を利用して、リザードマンから強引に盾を引き剥がした。
左手に装備した盾の角でリザードマンの頭部を殴りつけ、振り返りざまに剣を振りかぶる。
前ばかりを気にして、後ろから忍び寄るリザードマンに肩をざっくりと斬られてしまう。体中を焼けるような激痛がほとばしり、盾を持っていた左腕が根元からダラリとたれ下がった。それを庇うように左側にいたリザードマンを斬り殺すが、逆に疎かになった右側からわき腹を串刺しにされる。
「がっは!!······まだっ!!」
そうだ。最初から分かっていた。
ミラから愛情を貰い、居場所を貰い、俺を守るための盾になってもらった。
ラーシェからは力を貰い、あのふざけた下ネタからは、心の余裕を貰った。
第二王子からは現実を突きつけられた。
何一つとして、自分の力で勝ち取ったものはない。
もともと自分だけでは、冒険者になったところで、早々に死んでいたのだ。現に一度、ゴブリンの群れに殺されかけた。コボルトにも、殺されかけた。
―――きっと、強がっていたんだ。
脇腹に剣を突き刺すリザードマンから身を引き、串刺しになっていた剣から逃れる。栓を失った傷口からは有り得ない量の血液がビチャビチャと流れ出て、ガクンと、唐突に意識が薄れていく。───出血多量がとうとう、致死量に達しようとしていた。
―――分かっていた。何も出来ないと。何もないと。
でも、まだ諦められない。
薄れゆく意識を懸命に繋ぐが、視界が白く溶けていく。
ようやく追いついたトロルが間髪入れずに棍棒を振り下ろし――――
世界中のスライムのステータスを引き継げる俺は、賢龍を泣かせるために今日もダンジョンの深層に潜る 双刃直刀 @1090910
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