フェイルの覚悟1
古めかしさが目に映り、カビ臭さが漂うような老舗。足裏で踏みしめる度にギィギィと軋んだ悲鳴を上げる床に幾ばくの不安を覚えてしまうが、しかしセラは慣れているとばかりに、すいすいと進んでいく。
「・・・・・・気味が悪いな」
狭い室内の左右両端に乱雑に設置された棚。その中には黄ばんだフラスコやビーカー、はたまた用途の想像も付かないような形状の器具が散乱しており、不気味な室内と相まって、恐怖感を相乗させていた。
それらから視線を離せば、今度は部屋の奥に人影が確認できる。これまた古びた椅子に腰掛けているため身長の程は窺えないが、恐らくは百五十も無いだろう。
「フィルおばさん、来ましたよー。」
机の上に置かれた水晶をじっと見つめていたフィルという老婆は、セラの挨拶を受けてゆっくりと顔をこちらに向けた。深いシワが刻まれた気難しそうな顔が心なしか穏やかになったのは、セラが来たからだろうか?
「こんな老いぼれしかいないような店に度々来るような物好きは、この都市広しと言えど、あんたくらいだよ。外は祭りで五月蝿いって時に、一体何の用だい?」
狭い店内を反響する声は、見た目と相反することなく、しわがれたそれだ。
「今日は占いをして貰いに来たんですよ。確か後一つか二つを除いて、全ての占いをやってるじゃないですか。だから、残りをやってもらおうと思って。私がやってないのって、どんな占いですか?」
「そんなことのために、わざわざここに来たのかい。そうだねぇ。星座占いに、手相占いはやっただろう?新生術もやってるだろうし─────恋愛占いくらいかねぇ、終わってないのは」
項目ごとにチェック欄がある───恐らくは記録帳のような物を取り出した老婆は、それに目を通しながらそんなことを言った。
「え?恋愛占いですか?他には何か、残ってたりはしませんか?」
「残るも何も、そんなもんはないよ。毎度毎度来る度に『恋愛占いなんて、やりたくありませんよ』なんて言ってあからさまに避けるからだろう。で、どうするんだい?占いの結果なんてよっぽどのことがない限り、ひと月やふた月で変わったりはしないよ。何もしないなら、とっとと帰っておくれ」
棘の含まれた口調にはしかし、悪感情は感じられない。逆にそれが明確な本心の代弁者となっており、セラはどうしようかを迷っているようだ。
「う~~ん・・・・・・。じゃあ、フェイルも一緒にやらない?」
何故恋愛占いを頑なに拒むのかは分からないが、熟考を重ねた上でセラが思いついたのは、俺というワンクッションを挟むことらしい。何故ここで俺を巻き込んだ?
「何を悩んでいるんだい?占いをやるかやらないか、必要なのはそれだけだろう」
煮え切らない態度を示すセラを急かすような言葉を吐いた老婆だが、不意に思い付いたように、口を開いた。
「ヒヒヒヒ。何だい、そういうことかい。あんた、ちょっと耳を貸しな」
老婆の言う通りセラは耳を貸し、老婆は俺が聞き取れないような小さな声で、ひっそりと何かを耳打ちした。
初めは平然とした表情を浮かべて話を聞いていたセラだったが、何を囁かれたのだろうか?その表情が、少しずつ驚愕に染まっていく。
「────な?!そんな訳ありません!何を言っているんですか!」
「ヒヒ。やっぱり図星だっのかい?」
「違います!第一私は────」
何かを取り繕うように言葉を紡ごうとするセラだが、しかしそれは含み笑いを浮かべる老婆に遮られてしまう。
「あんたの恋とやらが叶う可能性は、このままいけば百パーセントだね」
「え、・・・・・・は?」
その瞬間、セラからあらゆる挙動が消失した。
「それって、あの?え?!」
「何を慌てているのさ?そんな初々しい反応を見せられても、イライラするだけだよ。それに百パーセントと言ったって、その未来が変わらないなんて保証は、どこにもないさ」
「保証・・・・・・ですか?」
「保証というよりは、未来の分岐点のようなものだけどね。そうだねぇ。あくまであんたを占っただけだから詳しい事は分からないけど、あんたが好いた男は、今大きな目標のようなものを持っているんじゃないかい?」
「まぁ。本当に最近の話ですけど。でも、それと何の関係があるんですか?」
「何だい。これだけ言っても、まだ分からないのかい。その男とやらが目標を達成したら、あんた以外の別の女とくっ付くって言ってるんだよ。幸い今男は悩んでる真っ最中のようだからね、せいぜいそうならないように祈ってるんだね」
「そう・・・・・・ですか」
その男が誰かは分からないが、セラにとって好きな人の不幸を望むということは、相当堪えるものらしい。色のある未来だというのに、その表情は決して明るいものではない。そしてその様子を見ていた老婆が、付け足すようにこう言った。
「まあ、わしが言ったのはあくまで方法の一つだよ。あんたが気にくわないなら、別の方法を探せばいいさ」
話は終わりだとばかりにそっぽを向いた老婆は、記録帳を取り出して、恋愛占いの項目にチェックを入れた。それを仕舞った老婆は、今度は俺の方向に顔を寄越す。
「さぁ、次はあんたの番かい?そろそろ疲れてきたからねぇ。やるんなら早──────」
─────くしておくれ。
これまでの会話から、次に何を言うかは容易に想像出来たが、それが耳に届くことはなかった。代わりに鼓膜を揺さぶったのは、ダンジョン都市中の空気を揺るがすような、とてつもなく大きなサイレンだ。
ウウウゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥ!!!
背丈の低い草木が横に薙ぎ、建物の窓ガラスが、ガタガタと歪んだ音を立てる。祭りに興じる人々の喧騒は、一瞬にして混乱の叫び声に豹変し、大通りは、我先にと逃げようとする人々で埋め尽くされた。
────そう。魔術的に音響操作されたこの独特なサイレンは、″ダンジョンがスタンピート″したという警報だ。二カ月に一度行われる避難訓練で、都市中の人は否が応でも聞かされるため、ここに生きる者ならば誰しもが知っている、最悪な災害。
「ねぇ、フェイル。今のって──────」
「間違いない。スタンピートが起こったんだ!早く逃げないと」
腰に下げた剣をしっかりとくくりつけ、かかとを踏みつぶしていた靴を、しっかりと履き直す。自分の身支度を終えたところで、ラーシェの安否が確認出来ていないことに気がついた。
『ラーシェ?今どこにいる?!』
念話(普段なら俺からは使わない)を使って心でラーシェに語りかけると、意外と直ぐに返答が返ってきた。
『ダンジョンの中にいるよ!今のところは無事だけど、ちょっと今は手が離せないんだ──うわぁっと?!ごめん、切るよぉーわ!!危ないなあ!この、これでも食らえ!!』
どうやら知り合いに会いに行ったところで、スタンピートした魔物の一部と遭遇してしまったらしい。魔物の数は少なくないようだが、ラーシェなら後れをとることは無いだろう。取り合えずば安心だ。
「セラ─────」
セラの方を見れば、老婆の手を取りながら、少しずつ歩き始めているところだった。その表情は恐怖感に浸食されながらも、気丈に振る舞っている。
「フェイル、あなたは行きなさい」
ダンジョン都市の中で、ギルドは生活区の最東端にあり、ダンジョンの入り口は、さらにその向こう側にある。そのため、サイレンが鳴ったとき、冒険者と駐屯兵はギルドにて防衛線を張ることになっているのだ。
こうなれば、おれも右手が動きにくいなどと言っている場合ではない。
「俺達が抑えるから、そのうちに宿にいるセラの家族と一緒に逃げろよ!」
背中に掛けられる言葉を待たずに、俺は占いの店を飛び出した。大通りにはなりふり構わずに逃げ惑う人々がごった返しているが、道幅の広さが最悪の事態を防いでいるようだ。人と人がぶつかり合って、ドミノ倒しになったりはしていない。それを確認してから、こちらに向かってくる人々を押しのけて前に進むが─────それでもこの都市は、いかんせん広すぎだ。後一キロ程というところで、とうとう剣戟の音が響き始めてしまった。断続的に響き渡る金属と金属がぶつかりあう音や、魔法が建物を爆砕させる音が辺りを反響し────俺がたどり着いた頃には、死者こそ出ていないが、明らかに冒険者側が押されている状況になっていた。向こう側から押し寄せる魔物の数は千を越えており、剣を構えている冒険者達の表情には、既に諦念が浮かび上がっていた。
このままでは、すぐに押し切られる。何か、何かないか!?目先でもいい。何か希望として縋れる物が!
衝動に任せて前線近くまで走り、そこでふと思い浮かんだ。
「この都市には今、勇者パーティーの内の四人が来てるんだ!きっと直ぐに駆けつけてくるから、それまでここを抑えるぞ!!」
気付いたら口にしていたその言葉は────折れかけた闘志を再びたぎらせるには、十分過ぎるものだった。
負傷者を迅速に退避させ、タンク役が前に出る。その後方には詠唱を唱える魔術師達が隊列を組み、うち漏らした敵は、遊撃部隊がとどめを刺した。次第に形勢が逆転し始めて、とうとう冒険者達の活気が最高潮に達し、秒を数えるごとに敵が死んでいく。
勇者を待たずとも、いける!!
誰しもがそう思った瞬間─────タンク役の八割方が、唐突に吹き飛んだ。
飛び散る血華が周囲を妖しく、怪しく染め上げ、阿鼻叫喚の地獄絵図を作り出す。抉れ、クレーターとなった爆発の中心には、腕や足が弾け飛んだ死体が重なり合い、守りを失った魔術師達が、魔物の餌食となっていく。
「無駄な抵抗は、しないほうがいいわよ。私がいる時点で、あなた達の敗北は決定事項よ」
子供を寝かしつけるような優しい口調で死刑宣告をするその女は、いつの間にか魔物達の最前列にたっていた。
────格が違う。
悠然たる態度が、溢れ出る魔力が、今し方の爆発が。
俺達の戦意を、バラバラに打ち砕いた。
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