一方的な邂逅


重い・・・・・・体が重い――――というよりは、何かが俺を縛り付けている?!


体の異変に気付き、唐突に目が覚めた。


万力とまでは誇張しなくとも、それに準ずる圧力がまるで蛇のように絡み付き、俺の行動の自由を奪っているようだ。


顔は布団から出ているため呼吸には困らないが、肝心の首から下が布団をかぶっている。そのため体の自由を奪取しなければならないのに、現状の把握が出来ない。――――頭だけで何をしろと?


「本当に、何がどうなっているんだ?!」


俺の体を拘束する何かを振り解くために身をよじらせるが、両腕両足共に全くとして動く気配を見せない。


「――――っ!ラーシェ、どこにいる!!ヤバイんだ、助けてくれ!!」


肝心なときだけ頼りになる従魔の名前を叫ぶが、欲しい返事が返ってくる事は無く、俺の声だけが部屋の中を反響していく。


「ラーシェまで?!」


寝ている俺の隙を突くことは、容易い。それこそ俺の生活サイクルさえ押さえることができれば、誰でも不意を突けるだろう。だがラーシェは?今ラーシェの返事が無いということは、ラーシェまでもが落とされたということだ。これはいよいよ危な―――――


その時、俺の布団が唐突に動き出した。


もぞもぞと布団の形を変型させながら、にょきっと飛び出る【人化】したラーシェの顔。ラーシェは寝ぼけ眼を気だるげに擦ると、「ふぁぁぁあ」と大きな欠伸をした。そして、それと同時に俺を拘束していた重圧がスルリと離れていく。


「あるじー、おはよー」


寝起きで意識が覚醒していないのか、ラーシェの口調は普段よりも間延びしたものになっている。


「お前のせいかよ!てか、何でラーシェがここにいるんだ?どうして【人化】までしてるんだよ?」


不要の心配を掛けさせたラーシェにキツイ視線を寄越しながら、俺は慌ててベッドから飛び降りた。しかしラーシェは「ん?」と首を傾げると、ニコニコしながら俺の胸元にすり寄ってくる。


「はっ?!ファっ?!ちょ、ちょちょちょっと待て!!いい加減離れないと、マジで怒るぞ!!」


「えーと【人化】してるのはねー、あるじがその方が良いって言ったからだよ。あの時約―――――」


「何意味の分からないことを・・・・・・あ、あんな所にゴブリンがいる」


俺が話題を逸らすために、デタラメな方向を指差してそう言うと、寝惚けた顔でどこか虚ろな瞳を虚空へと向けていたラーシェが、緩慢な動作で右腕を突き出した。


「呪装天壊ノスト=エクセレスト


舞うは熾天より出ずる獄炎、奏でるは救い手の慟哭。


暗幕に閉ざされた舞踏会で悪魔は天使に鎌を向け、天使は慈愛の賛美を独奏した。


二律背反の奏でる崩落は闇夜に紛れ、骸の嘲笑に―――――」


「何してるの?そんな物騒な詠唱始めて、おい何をするつもりだよ!!」


死に物狂いでラーシェの両肩を揺すると、意識の混濁が晴れたらしい。ラーシェはポカーンと口を開けて、おもむろに腕をおろしたようだ。


ラーシェは辺りをキョロキョロと見回すと、一瞬だけ目を見開いてから、ベッドに腰を下ろした。


「あるじー、ボクはどうしてあるじの部屋にいるの?」


「は?何ってラーシェが入ってきたんだろ。俺が目覚めた時には、布団に潜り込んでたぞ」


「あるじが嘘ついてるー。ボクの体に欲情したからって、嘘付かなくてもいいのに」


俺をからかうように体をくねくねさせて、ベッドに身を投げるラーシェ。どうしてラーシェはこうまでも、俺をイラつかせるのが上手いのだろうか?


「誰が嘘ついてるだよ!本当に俺は何にもしてないからな!」


「またまたぁ。日頃からボクにメロメロで、エロエロで、ペロペロで、レロレロなあるじは、我慢出来ずにボクに媚薬を盛ったんだよね?分かるよ。ボクも何度も同じことをしようとしてきたからね」


「嘘つけよ。ラーシェの体内に入った異物は、すぐに溶かされて無効化されるだろ。あと、さらっと恐ろしいことを言うなよ!!」


状態異常耐性チートが、と二の句を継ぎながらも俺は、ダンジョンに行く準備を始める。


「ほら、今日は五層攻略に行くから、仕度するぞ」


「今日は、古い知り合いに会いに行くから、一緒には行けないよ」


―――――え?






△△△△△△△△△△△△△△△△△


「な・・・・・・何なんだよ?!」


耳元で風が揺らぐ気配を感じ取り、第六感とも言うべき直感が警鐘を鳴らすがままに、大きく前に飛び出す。


直後俺がいた場所を粗削りな棍棒が通過し、俺というターゲットを逃したそれは、有り余ったエネルギーを壁にぶつけた。


ズバァァァァァアン!!!


周囲に耳をつんざくような破砕音が鳴り響き、圧倒的暴力に晒された岩肌がガラガラと音を立てて瓦解していく。その惨状を引き起こした元凶は、巻き上がった砂埃を殺意で上塗りするかのように、俺を真っ直ぐに見据えている。


「ブルァァァァァア!!!」


腹の底を震わせるような雄叫びを上げたのは、体長三メートル程の怪物だ。緑色の体表は、ブヨブヨな皮膚に覆われて様々な形を写し、人間よりも大きな棍棒を容易く振り回す腕は、おぞましいまでの筋肉で盛り上がっている。醜悪な顔面をさらに醜く歪ませるその魔物の名は、トロルと言う。


そう。俺はダンジョン五層で、トロルに追いかけ回されていた。


基本的に群れることなく、単体で行動するトロルに付けられたランクは、まさかのBランク。三メートルを超す程の巨躯であるにも関わらず、トロルの下半身は一メートルにも満たない。そのため同ランク帯の中では珍しく人間よりも鈍足だが、本当に恐ろしいのはAランクにも匹敵する膂力、そして恐怖すら覚えてしまう耐久力だ。


曰く、パーティーのタンクが一撃で昏倒してしまった。


曰く、Bランク上位の冒険者が正面切って戦い、呆気なく撲殺された。


曰く、十回切っても死なない。


曰く、そもそも刃が通らない。


冒険者は、情報が命の職業だ。そのため、互いに新しい情報のやり取りをすることがあるのだが、その中でもトロルによる被害は、枚挙にいとまが無い。


それでは、どうしてそんな魔物が五層にいるのか?そんな些細なことを考える余裕すら、今の俺には無かった。


ダンジョンとは多数の環境が混在する魔境として知られており、その様相は五層毎に変貌を遂げる。そのためここ五層も今までと大差無いと思っていたのだが、違った。ダンジョン内は岩肌が露出する洞窟であるという点では、今までと変わらない。しかし――――通路が複雑になっているのだ。


一層から四層までは、分かれ道があったとしても、精々一ヶ所や二ヶ所だった。それ故素早さを生かした強引な攻略が可能だったのだが、道が入り組んでいては唯一の長所がいかせない。


だから、トロルと出くわしてからずっと、付かず離れずの鬼ごっこを続けざるを得ないのだ。


後方から繰り出される攻撃を、最早勘のみでかわし続けている俺だが、それでも毎秒ごとに我彼の距離は縮まっていく。このまま逃げ続けても、いずれ捕まってしまうだろう。


上からの降り下ろしをサイドステップで回避し、攻撃の余波で発生した地響きに足元をすくわれながらも、俺は次なる逃げ道を求めて角を曲がった。


「――――行きどまり!!」


しかし、そこから先には道が無かった。


背後に濃密な死の気配を感じ、慌てて後ろを振り返ると、眼前にはすでに棍棒が迫り来ていた。


岩から削り取られたであろう棍棒。その表面は凹凸が激しく、もし一撃でももらってしまえば、今後の生涯において完治は望めないだろう。それこそ借金でもこさえない限りは。


「くそっ!!どうしてこんなときに、ラーシェがいないんだ!!」


棍棒を剣でいなそうとするが、互いの得物が接触した瞬間に、俺の腕が力の渦に飲み込まれた。


筋繊維が音を立てて千切れていき、打撃の震動を伝えられた骨が、在らぬ方向へと曲がってしまう。


「ぐ、ああああああああ!!!!」


今までの人生で、一度も感じたことの無いような痛みが全身を走り、激痛に視界が明滅する。


―――――グシャア!!


そんな音と共に、俺の戦意が一瞬で砕け散った。


オートで発動した【再生】が腕を修復しようとするが、それより先にトロルが棍棒を持っていない左腕を、大きく上に振り上げる。


戦意喪失した俺に、その腕が降り下ろされ―――――


突如トロルの右半身が飛び散った。


撒き散らされた血肉が無機質なダンジョンを彩り、しかし俺はそんな現状を理解できないでいる。


取り敢えず助かったという安堵でその場に座り込むと、トロルを倒したと思われる一人の男が話しかけてきた。


「お怪我はありませんか?」


その男・・・・・・・金色の髪の毛を押さえながら、心配そうな表情を浮かべているそいつは、青い瞳で俺を見つめていた。

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