絡み合う糸


まるでドーランでも塗ったかのようかな真っ白い壁が、シャンデリアの花形が複雑に反射する光を柔らかく受け止める。それに伴いきらびやかな装飾品が黄金色の輝きを放っており、思わず目が眩んでしまう。


これが、目を覚ましてまず視界に映った光景だ。


豪奢な飾りつけをされた部屋の広さは、小さな飲食店ほどはあり、ところ狭しと並べられた調度品は、どれも売りに出せば一財産になるものばかり。


誰もが喉から手を伸ばしてしまう程に羨む環境であると、頭では理解している。数ヶ月前までは平民だった私が、今は国でも最重要人物の一人として扱ってもらっているのだから、大出世だろう。


―――――でも、こんなもの欲しくない。


そんな否定的な考えを巡らせながら布団をめくり、ベッドから降りようとして下半身に力をいれる。


が、足が――――くるぶしから下が、全く動かない。自分の制御下を離れてしまったかのような足は・・・・・・はたして石と化していた。


「やっぱり、夢なんかじゃ無いんだよね」


1ヶ月前から患ってる病気だというのに、毎日朝になるとその記憶は、忘却の彼方へと追いやられてしまう。


こんな病気は、嘘なんじゃないか?


何で私だけなの?


勇者として、決して口にしてはいけない言葉。その数々は喉元まで上がってきては、下がってを繰り返し続ける。


一番最初。


あそこから違っていれば。


スキルなんていらなかった。


そんなものよりも、今すぐフェイルに隣に来て欲しい。


だが、脳内で幾度となく描いてきた妄想とは裏腹に、昨日の朝と比べて数ミリメートルにも満たないが、石化病は確実に私の身体を蝕んでいる。その事実が、私の妄想を徹底的に打ち砕いた。


刻一刻と迫り来る確実な死の気配に、首筋にゆっくりと添えられる死神の鎌を想像してしまう。今はまだ豆粒程の大きさに見えるそれは、日に日に近づいてくるのだ。そして、私の制御化を離れた体は言うことを聞かず、最後には私を嘲笑うかのような濃厚な死が――――。


「・・・・・・フェイル、フェイルぅぅ」


溢れ出る涙が視界をぼやけさせ、自ら手放した幸せが現実を突き付けてくる。出来ることなら、今すぐにでもフェイルにすがりたい。今の私の権力を利用して御触書でも発行すれば、フェイルなら絶対に来てくれるだろう。確信を持って言える。しかしそれは、あの時壊れかけていたフェイルの傷口を、再び抉り出すことと同意だ。私はフェイルのために別れを告げた。だからこそ、そんなことは絶対に出来ない。


―――それに、フェイルはもう私のことなんて好きじゃないかもしれない。


思考がネガティブな方向へ向かおうとしたとき、トントンと扉がノックされた。


慌てて涙を拭い、小声で「あ、あーー」と声の調子を整えた後に、平静を装って入室を促す。


開けられた扉の向こう側から入ってきたのは、金髪で長身の男だ。柔和な笑みを浮かべる顔は穏やかさを湛え、動作の所々には内側から滲み出る繊細さが窺える。


その男は私を一目見ると、表情を心配そうに歪めた。


「目元が赤く腫れています。また泣いていたのですか?」


「レイス樣には、関係の無いことです」


こいつはこの国の第二王子にして、勇者パーティーの内の一人だ。しかし普段は優男面して愛想と人の良さを振り撒いているが、自分一人で解決できない問題が起こると、すぐに権力を振りかざしたり実力行使に出るような奴で、本人は巧く証拠を揉み消しているつもりのようだが、私にしてみればバレバレもいいところだ。


だけど、時々理解できない行動に出る。誰かを助けるために奔走しだすんだ。


「貴女は相も変わらず、僕には手厳しいのですね?そんなにも僕が気に食いませんか」


「レイス樣のことを敬遠している訳ではありません。今までも弁明してきたはずですが?」


嫌いも嫌い。こんなやつ大っ嫌いだ。話し相手にもなりたくない。


顔を背けた私を見て顔をしかめたレイスは、金色に輝く液体が入った瓶と、大きめの受け皿を手にして私の目の前まで近づいてきた。


「私の治療にエリクサーを乱用するのは止めてくださいと、何度も言ったはずです」


「貴女は自分の価値を全く理解していない。例え僕がその考えに力を添えたとして、御父上が首を立てに振るとは思えません。万人の救済より、貴女の余命を数日の間延ばすことの方が大事だと言うことですよ」


私の足元に大きめの受け皿を置いた第二王子は、私の足に手を伸ばそうとする。


「結構です。石化病に掛かっているとはいえ、足を動かすくらいは容易いですから」


こいつが下心で足に触れようとするのは、何も今に始まったことではない。勇者パーティーに入った初日などは、夜中遅くに部屋に押し掛けてきたくらいだ。


フェイル以外の男―――――特にこいつにだけは、私の身体を触らせるものか。


置かれた受け皿の上に足を移動させると、第二王子は瓶の蓋を外して、中身を私の両足に掛け始めた。


光を纏った液体は私の足――――石化している部分に接触すると輝きを失い、只の水と化していく。それに伴って私の足がほんの少しだけもとに戻るが、この程度では死ぬまで毎日続けたとして、精々数日の延命が出来るだけだ。それに、エリクサーは一度に使用できる量が決まっているから、これ以上使うことも出来ない。


一滴振り掛けるだけであらゆる万病を癒すとされているエリクサー。こうして無駄遣いに等しく水になっていく分を正しく使えば、一体どれだけの人々を救えるのだろうか?


エリクサーを掛け終えて片付けに入った第二王子は、ふと私に話題を振る。


「そういえば、貴女は石化病を患ってから一度も、この王城を出ていませんよね?」


「はい。今の私が何処かへ外出したとして、出来ることは何もありませんから」


エリクサーの瓶を炎魔法で焼き尽くし、さらに受け皿の中の水を蒸発させていく第二王子は、リサイクルという言葉に真っ向からメンチを切っているのだろうか?いや、誰かがやってくれるから、そういう発想が思い浮かばないのか。


「五日後にダンジョン都市で、龍誕祭が催されます。普段ならともかく、祭り事に興味を示すくらいなら、多少の遠出は認められると思いますよ?行きたいのであれば、僕から御父上に口添えもしておきますけど、どうしますか?」


部屋に入ってきた時と違い受け皿だけを持った第二王子は、『まあ、まだ時間はありますからゆっくり考えてください』という言葉を残して、私の部屋から出ていった。


――――龍誕祭か。


フェイルに会いたい。けど、今はどこにも行きたくないよ。








「フシャァァァァァア!!」


十三層ボスであるブレイバーティーグが、肉球から鋭い剃刀のような爪を出して眼前に立つ女に殴り掛かった。Bランク冒険者ですら目で追うのは至難の技であろう、疾風のごとき素早さ。そして何より恐ろしいまでの巨大な体躯から降り下ろされる腕が、位置エネルギーを単純な運動エネルギーに変換させる。


ズドオォォオォーーーン!!


直撃と共に抉り飛ばされた地面が辺りに飛び散り、砂埃が舞い上がる。確かな手応えを腕から感じたブレイバーティーグは口許をニヤリと歪めるが、砂埃で隠れた破壊の中心地から「邪魔よ」という声が聞こえてきた。


その後一瞬で立ち込めていた砂埃がかき消され、その中から出てきたのは無傷の女だった。


女は攻撃を受け止めた右手を数回クルクルさせると、「攻撃っていうものはね、こうやるものなのよ?」とブレイバーティーグに妖しく語り掛ける。


女が腕を振った。








パァァァァァァァァアアン!!!


ブレイバーティーグの周囲二十メートル程が一瞬にして消し飛び、圧倒的なまでの破壊の痕を刻む。唯一無傷であるブレイバーティーグは、クレーターの中心で立ち尽くしているが、先程までの威勢はどこえやら。身体をガクガクと震えさせ、目の焦点は定まっていない。


そんなブレイバーティーグの前に移動し、空中でホバリングするのように静止した女は、右腕を前に突き出し―――――


「あなたの名前は、今日からにゃん太朗よ」


と呟いた。


するとブレイバーティーグの巨体が、暗い光に包まれる。数秒後に見えてきたブレイバーティーグは、既にブレイバーティーグではなかった。あれだけ大きかった身体は人間サイズに縮み、そのぶん魔力や有り余る力が収束されている。


「この私が名付けをしてまで進化を促した意味。それはもう分かっているわよね?」


魔物は格上の存在によって名付けをされると、種族進化を起こす。その名付けを魔王の幹部が行えば一体どうなるのか?


Bランククラスのブレイバーティーグは、Aランククラスに種族進化した。


それを確認した女は満足気に頷くと、次の層に向けて移動を開始する。


「四層のゴブリンソードが種族進化をしなかった。あれはすぐに殺られるわね。まあいいわ。五日後の龍誕祭が来てしまう前に、少しでもネームドモンスターを増やさないと。国中から人が集まる日に城壁内にあるダンジョンがスタンピートを起こしたら?もしそのモンスターが全て私に名付けされていて、尚且つ私までスタンピートに加勢したら?冒険者達は酒に酔いつぶれ、騎士団は都市の警備にあてられる。一体どれだけの死者が出るのかしらねぇ?結局私の可愛いスライム達の謎は分からず仕舞いだったけど、その借りは返させてもらうわ」


――次の層はトロルだったわ。脂ぎっているから、アブミンがいいかしら?――


そんなことを考えながら魔王の幹部である女は、ダンジョンの深層へと降りていく。

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