必ず道は開ける

 なぜだ。

 なぜ俺の前に立ち塞がるんだ。

 ゼファルを殺せばすべてが終わる。お前だって分かってたはずだ。

 なのに、なのに、なのに、どうして。


 ココとゼファルを見失ったアレンはまず玉座を見遣り、異常がない事を確認してから薄暗い魔王の間を見渡し叫んだ。


「ココ、どこだッ!!」


 玉座の下には外へ繋がる隠し通路がある。玉座に動きがないのならばココはゼファルを抱えてまだ魔王の間にいると考えていい。

 裡に眠る優しいノイズを払うようにアレンは剣を振るい、静寂の薄闇に答えを見い出そうとする。

 姿を消す方法には覚えがある。天蓋竜は全面の空に溶け込んでいた。ココと天蓋竜は盃を交わしていないが、それ自体あくまで形式上のものかもしれないし、完全なる魔王は知り得た知識を魔法として再現できるのかもしれない。透き通る氷の壁を斬る寸前まで見えていたのに一瞬で消えた事に関しては理解できないが、壁を挟み見えていたのが虚像だった可能性は十分に考えられる。

 だとすれば相当に厄介だ。

 アレンは認識を改めた。

 魔法に関する知識は乏しいが、もともと魔族が持っていた力である事ぐらいは知っている。だから魔族は人間が魔法を使う時のように宝石も詠唱も必要とせず、世界に魔力がある限り魔法を際限なく使い続ける。更にココは完全なる魔王だ。もし思い付く限りの手段を魔法として行使できるのならばこれ以上に厄介な存在はない。

 僅かな違和感も見逃すまいと目を凝らしながら、アレンはそれを否定する。

 ココは魔法が得意ではないと言っていた。皮肉にもココの事はよく知っている。この状況で、いやどんな状況であれ腹芸ができるような性格ではない。

 ……ココなら次の一手をどこから攻めてくる?

 逆の立場から考え始めてすぐ、アレンは新たな疑問を覚えた。

 そもそも、ココの勝利条件は何か。

 ゼファルを守り切るだけなら玉座の下の隠し通路から逃げたはずだ。六翼を持つココと違い自分には飛ぶ手段がなく、自然落下で致命的なダメージを負う事も知っている。しかしココはそうしなかった。逃走せず、しかし間隙なく攻めてくるでもない。

 ならば、身を隠す理由は。


「アレン、身体はもう大丈夫なのかの?」


 突然の声は闇淀む天井から。アレンは即座に顔を上げたが、天蓋竜もまた天からの声がブラフであった事を思い出した。


「てめえ、俺を舐めてんのかッ!!」


 身を隠す理由、否、時間を稼ぐ理由は、アレンの体力の回復。


「そんな訳ないじゃろ。おぬしじゃぞ? アレンじゃぞ? まだ震えが収まらんわ。……どうしてこんな事になってしまったのかの」

「ゼファルを寄越せッ!! そうすりゃお前まで殺さずに済むッ!!」

「お断りじゃ。おぬしは考えた事があるのかの? 復讐を果たしたとして、それからどう生きていくのか」

「お前に何が分かるッ!!」


 闇に向けアレンは吠えた。


「村が燃えていた、友達もみんな魔族に殺された、俺を地下に隠して庇った母さんは遺体すら見つからなかった!!」


 不気味な笑い声と共に、幼いアレンにとって世界のすべてだった村が燃え崩れていく。鮮血、悲鳴、断末魔。すべてが黒く塗り潰されていく。

 決して忘れる事のない光景、幼なかったあの日、アレンの世界は確かに一度終わっていた。


「何の罪もなかったみんなが!! 何の意味もなく殺されたんだ!! お前に、何にも知らなかったお前に何が分かる!!」


 痛切過ぎる叫びにココは震えた。

 知っていたつもりだった。分かっていたはずだった。しかしアレンが裡に秘めていた深淵の闇は、心を深く抉るに十分過ぎた。

 本当は、闇に潜みながらアレンを死なない程度に攻撃し続け、諦めさせるつもりだった。最適解とは言い難いが、他に方法が思い付かなかった。

 涙をぼろぼろ零しながら、ココはアレンのすぐ目の前に姿を現した。突然の出現にアレンは剣を振るおうとしたが、何かがそれを押し留めた。


「ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい」


 溢れる涙を拭いもせず、ココは謝罪した。

 謝って済むものではない事ぐらい分かっている。死んだ人間は蘇らない。アレンが奪われたすべてのものが返ってくる事は決してない。

 それでも魔族の王として、アレンの人生を終わらせた者達の王として、謝らずにはいられなかった。

 だからココはアレンを見上げ、震え声で嘆願する。


「私を、殺して」


 震えているのは死ぬのが怖いからではない。無論、死は恐ろしい。だがそれ以上に、ちっぽけな己の命を捧げた程度ではアレンが救わる事などないと分かっていて、それでも自分にできる贖罪はそれしかなく、アレンが地獄を生きているあいだ自分は何の罪の意識も感じずに生きていた事が許せず、気付けば言葉が零れ落ちていた。

 バキリ、と硬質な音がした。


「てめえは関係ねえだろうがッ!!」


 アレンが硬い床を斬り裂いた音だった。アレンは怒りに燃えていた。地獄の業火が宿る目でココを睨み、怒鳴りつける。


「ゼファルはどこだ!! お前じゃねえ、ゼファルだ!! ゼファルを寄越せ!!」

「私を殺せば魔法は解ける! おじいちゃんの居場所なんてすぐに分かる!」


 アレンの優しさに訴える一か八かの賭け、ではない。ココにそのつもりはない。幼い彼女にそこまで考えられる賢明さはない。

 あったのは、魔族の王としての責任と。

 復讐を果たしたアレンと、同じ世界で生きていく光景が、想像できなかったから。

 結局はわがままだ。結果的にすべての責をアレンに押し付けておきながら、そうと自覚していないどうしようもないわがままだ。


「このクソガキが……ッ!!」


 鬼の形相で、アレンは剣を両の手で高く掲げた。

『葬る』。普段は口にしない言葉。魔族を絶命せしめる聖なる一撃を放つために、アレンが選んだ言葉。

 自らの死を願ったココは目の前にいる。殺せば魔法によって隠されたゼファルは現れ、悲願たる復讐が果たされる。

 もしかしたら、ココを殺さずとも致命的なダメージを与えるだけでゼファルにかけられた隠匿の魔法は解けるかもしれない。むしろその可能性の方が高い、否、間違いない。

 想像を絶する苦痛は致し方ないが、ココを殺さずゼファルだけを殺す方法は確実にあり、実行も容易い。更にココはおそらくそれに気付いていない。アレンに顔を向けたまま、静かに目を閉じていた。


「……ショコラ、どうして何も言わない」


 ショコラやアンジェなら気付いているはずだ。干渉しないアンジェは置いておくとして、ショコラがココに伝えない理由が分からない。

 しかしショコラは答えず、小さく首を横に振った。

 それが何を意味するのかアレンには分からない。

 いや、そもそも、なぜ俺はショコラに尋ねた? 伝える間も与えずに斬り伏せればいい。今だってそうだ、今斬り伏せれば復讐は果たされたも同然だ。

 ココだって死ぬ訳じゃない、ショコラの魔法があればすぐにでも回復できる。

 何を躊躇っている。

 斬れ。

 今だ。

 斬れ。

 ココは死ぬ覚悟を決めた。俺がゼファルを殺す事も認めた。

 何も迷う事なんてない。

 斬れ。

 斬るんだ!


「……分からねえ」


 カラリ、と空虚な音が響いた。

 振り上げていたアレンの剣が、床に転げる音だった。


 なぜだ。

 なぜ俺の前に立ち塞がるんだ。

 ゼファルを殺せばすべてが終わる。

 そのためだけに、俺は生きてきたんじゃなかったのか。

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