誰もが救われる終わりのために

 惨劇。

 魔王の間に広がっていたのはココが覚悟していた以上の、惨劇であった。


「アレン、大丈夫、アレンッ!!」

「……うるせえ、そこを、どけ……」


 仰向けに突っ伏したアレンは目の焦点が合っていない。それでも剣を探し手を這わせている。

 うわ言のように、呪いのようにアレンは言う。


「殺すんだ……ゼファルを……殺す……」

「もうやめて! もうこんなのいやっ!」


 アレンを抱き抱え、その命の危機を感じながら、しかし軽々にアレンを回復させる訳にはいかなかった。

 ショコラならきっと、とは思う。

 だがアレンの体力が回復したらどうなる。アレンが再び剣を取れば。

 間違いなく聖なる一撃でもってゼファルを殺す。

 そんな事をさせる訳にはいかなかった。ゼファルのためにも、アレンのためにも。

 復讐など果たしても誰一人として救われはしない。

 そもそもにして、ショコラもまた魔法が使える状態には見えない。息をしているかどうかすら危うい。

 魔力を根こそぎ奪い去った何かを呼んだショコラはショコラではない別の誰かに見えた。


「ショコラ! 起きてよショコラ!!」


 魔力の失われたこの場所でゼファルが直ちに復活する事はない。人間離れした体力をもつアレンもまた直ちに死にはしない。

 彼らよりもショコラが危険だ。

 アレンを横たわらせ、念のため剣を蹴って離し、ココはショコラに駆け寄った。

 鼻を衝く血の匂い。死の匂い。

 小さな血だまりに倒れた青白い横顔を覗き見れば僅かながら息をしていた。しかしその目にココが見えている様子はなかった。


「手帳……!」


 ショコラの傍らに落ちていた手帳を拾う。回復魔法が使えれば、あるいは。

 パラパラとページをめくり、ココが顔を歪めた。

 書かれてある文字が読めない。

 それが手帳の性質か、他人に使わせないための工夫かは分からないが、どのページも、どのページも、ココに読解できるところは一つもなかった。

 ココは己の無力を嘆いた。

 己の無能を悔いた。

 少しでも、何か一つでも人間の魔法について教わっていれば、もしかしたらこの絶望的な状況を何とかできたかもしれない。

 機会はいくらでもあったはずだ。時間はたっぷりとあった。なのにどうだ、学ぼうとしなかったのは己自身だ。

 アレンやショコラがきっと何とかしてくれると思っていた。悪い意味でそう信じていた。

 結果が今の惨状だ。己が無能を知るにはあまりにも遅過ぎた。

 もうすぐ魔王城が地に堕ちる。基本的に不死たるココやゼファルは死なないが、アレンとショコラは、おそらく――間違いなく。


「いや、こんなのいや……!」


 両手で顔を覆い、ショコラはうずくまった。震えていた。

 そうして現状から目を背けかけていた、その時。


「あれもいやこれもいや、こうしたいああしたい。あんたってほんとわがままね」


 突然の声にココは顔を上げた。


「アンジェ!? 何でここに!?」


 そこには軍服を肩に掛けたアンジェがいた。赤い髪を耳に掛けながら屈み込み、横たわるショコラの顔を覗き込んでいた。

 何事でもないようにアンジェは言う。


「そんなの決まってるでしょ。堕としに来たのよ、この城」


 ココは絶句した。灯ったかに見えた希望の光はすぐにかき消された。

 旧知の仲であるはずのショコラの、血の気の引いた頬を指でつつきながらアンジェは続ける。


「あんたやアレンが死のうが私には関係ない事だし? そこのカエルなんてもっとどうでもいいし。でも、この子を巻き込むのは面倒なのよね。瓦礫の山から探し出すなんて細かい仕事はうんざりだわ」

「……瓦礫の、山?」

「こんなバカでかい城が堕ちたら潰れるに決まってるでしょ。それこそ山ができるじゃない」

「待って!! お願い、城を堕とさないで!!」


 ココが叫び、アンジェは初めて顔を向けた。虫を見るような目をしていた。


「ほらまたわがまま。自分では何にもしないくせに。そういうの大っ嫌いなのよね」


 言葉を返せず、ココは拳を震わせた。ショコラの頬をぺちぺち叩いてアンジェは続ける。


「起きなさいメリッサ。帰るわよ」


 ぎぎぎ、と。

 もう動かす力などないはずのショコラの腕が動き、顔に血を張り付けたまま、虚ろな目のままショコラが立ち上がる。見えない糸で吊り上げられているかのようなその様、さながら人形のように。


「ショコラ!!」


 ココが叫んでも、ショコラは反応を示さない。


「……ここはどこ? 私はショコラ?」

「違うわ。あんたはメリッサ。この城を堕としにきたのよ」

「そうじゃない! ショコラに変な事言わないで!!」

「私は、メリッサ。私はメリッサ。………………私は、メリッサ?」


 アンジェの言葉を繰り返すショコラの目に、少しずつ光が蘇っていく。

 あるタイミングでハッと、見えない糸から解き放たれたように、ショコラは表情に生気を取り戻して、危うく転びそうになり、踏みとどまり、思い出したかのように、辺りを見渡した。


「大変! アレンさんがっ!」


 先ほどまで瀕死だったとは思えない動きで、ショコラは倒れるアレンに駆け寄った。

 広い魔王の間に響き渡るほど、アンジェは大きく舌打ちした。


「あらかじめ呪いを防いでたのかしら。ほんと面倒くさい子ね」


 本当のところは分からない。あるいはショコラの覚悟が克ったのかもしれない。


「待ってショコラ! 今アレンを回復させたらおじいちゃん殺しちゃう!」

「えっ? あっ、そうですね。でも早く回復させないと……」


 横たわるアレンのそば、ページを破りかけた手を止め、ショコラは逡巡した。


「転移させてもきっとまた同じ事の繰り返しですし……。アンジェさん、どうしましょう?」

「自分で考えなさいよ。いい加減堕とすわよ?」

「さっきから何なの!? アンジェも人間なんでしょ、何で助けてくれないの!?」

「うるっさいわね!! あんた達の事情でしょ、私は関係ないじゃない!!」


 苛立ちを露わにしアンジェはココを怒鳴りつけた。ひっと怯えたココを見遣り、ショコラはアレンの具体的な状態を調べる。

 僅かに、本当に少しずつではあるがアレンの体力は回復しつつある。自然治癒の域を超えた超人的な体力の為せる業か。


「アレンさんはしばらく大丈夫みたいです。でも……」


 仰向けにひっくり返ったゼファルを見、ショコラは顔を曇らせた。

 ひとまずこの場を凌ぐ方法があるにはある。アレンは魔法を使えないのだから、例えば秘密の島にゼファルを転移させるなど。

 しかし、それでは根本的な解決にならない。アレンはどうあっても復讐を果たそうとするだろうし、討つべき仇を知ってしまった。ならば、およそ間違いなくアレンは手段を問わない。例えばの話、ショコラを脅迫し追い詰めてでも。

 悲しい事だがこれが現実だ。

 アレンは復讐の鬼と化してしまった。

 どうあってもゼファルを殺そうとするはず――

 そこまで考え、ショコラにふと疑問が浮かんだ。


「ココちゃん、魔族は不老不死ですけど、魔王はどうなんですか?」

「えっ?」


 倒れているゼファルは老いて見える。ココにしても明らかに幼い。記憶が確かならば、ゼファルは日没まで命が保たないような事を言っていた。

 成長するのであれば不老ではなく、不死でもないのではないか?

 対し、当のココは困惑した様子で答える。


「……どうなのかな? 世界に魔力がある限り魔族は死なないはずだけど」

「何であんたが知らないのよっ!」


 腕を組み退屈そうに壁にもたれかかっていたアンジェが思わず噛み付いた。


「魔王は死ぬわよ。成長しない魔族が長い目で見たら成長してるのはそのため。人間が観測できるようなスパンじゃないけど、あんただっていつかは死ぬのよ?」

「ええぇっ!?」

「そうなんですか。ありがとうございます」


 ココは少なからずショックを受けたようだが、今は構っていられない。

 魔族と違い魔王には寿命があり、ゼファルはそれが迫っているのを自覚していた。

 しかし、そうと知れたところでアレンにゼファルを殺させない方法と結び付くか?

 再びアレンを見遣れば、身体こそ動かせないようだが目に光が戻っていた。復讐に燃えた暗い光だ。

 アレンの回復速度が思ったより早い。あまり時間はないと考えた方がいい。

 あいにくと死なない程度にダメージを与えるような魔法は使えないし、使えたとしても使えない。苦肉の策として仮にそうしたとしても、単なる時間稼ぎなどしていたらおそらくアンジェは痺れを切らす。

 しばらく考え、ショコラは一つの結論を導き出した。


「そうですね、ゼファルさんを回復させましょう」


 ココのみならずアンジェまでもが目を見開き絶句した、二律背反の突破口。

 果たして吉と出るか、凶と出るか。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る