愚かでも、愚かなりに
足に抱き付くココを乱暴に振り払い、ゼファルは一歩一歩、確かめるようにアレンへと近付いていく。
揺れは収まっていた。魔王の間にはココの泣き声だけが小さく響いていた。
「やめて、おじいちゃん、やめて、お願い、やめて……」
自分の行いは間違っている。
ゼファルはそれを正しく理解していた。
地上に栄える人類、そのたった二人を殺して何になる。
二人を殺せば、人類は群れを成して牙を剥くだろう。
天空の牢獄に追いやるだけでなく、今度こそすべての魔族が滅ぼされてしまうかもしれない。
しかし。
しかし、だから。
しかし、だからどうしたというのだ。
魔族の誇りをかけて立ち上がった我が子は人間に殺された。勝てるはずのない戦に挑み、そして敗れた。
愚かだ。実に愚か。
それでもたった一人の愛しい我が子だった。
玉座の後ろ、巨大な肖像画は雄々しく、堂々と描かれている。
我が子が今の自分の行いを見れば、果たして何を言うだろうか。
再びアレンに目を向ける。虫の息だがまだ生きている。
必ずやこの手で殺さねばならない。そして杖を構え直した時、僅かなノイズが耳に入った。
「――創造主の左、漆黒の燕尾服、純白の手袋」
「……娘、まだ生きていたか」
まるで見えない糸に吊り上げられるように、ショコラは不自然に立ち上がっていた。前髪に隠れた目が赤く発光している。
ゼファルは魔力の波動を放ったが、効かない。絶対防御が展開されている。
「――己が名を知らず、すべてを忘れ、忘却もまた忘却の彼方」
「ふむ」
ゼファルを顎髭に触れ、アレンに向け魔力の波動を放った。
効かない者よりまず攻撃の通る者へ。この手でとどめを刺したかったが、邪魔が入っては仕方がない。ゼファルは賢明だった。
だが、しかし。
明らかに絶命するだけのダメージを受けながら、アレンはうずくまったまま、まだ息をしている。
「娘、何をした。何をしている」
答えず謳い続けるショコラの前に、手帳が浮かび上がった。ばさばさと勢いよくページがめくられ、開かれたのは白紙のページ――いや。
ショコラの細かい目線の動きに合わせて、ページに赤い文字が刻まれていく。
「娘ッ!!」
ゼファルは瞬く間にショコラのそばへ飛び、杖でもって殴り掛かった。アレンの剣と同じく、ゼファルの杖は絶対防御を貫通する。ショコラの頭ががくりと崩れ、しかしまたすぐに顔を起こして謳う。頭からの血は、流れるというより溢れていた。
血の色をした目が、より強い光を放つ。
「――すべては誰も知らない場所へ。召喚、『亡失の執事』」
暗黒の翼を翻しゼファルは退いた。魔法は本来魔族のもの、しかしこれは知らない魔法だ。
現れたのは人のかたちをした影。燕尾服を着ているように見える。
影は手袋を正すような仕草をして、にぃっと口を歪ませた。
そして巻き起こる強大な渦。
「バカな、これは……ッ!?」
爆発にも似た渦は影を中心とし、魔王の間に満ちる魔力を猛烈な勢いで吸い込んでいく。
ゼファルは反射的に魔力の波動を放ったが、それもまたことごとく吸い込まれる。
これまでにない危機を感じた。
魔族の力の源は魔力だ。魔力はこの世界のどこにでも満ちているものだが、それが失われようとしている事は――つまり。
「娘ぇええええええええッ!!」
影を避け、ショコラに殴り掛かる。
侮っていた。魔族の王ゆえ、魔法使いを侮っていた。真っ先に葬るべきはこの娘だった。
しかし、時既に遅く。
「――てめえ、ショコラに何しやがった」
さっきまで虫の息だったはずの、アレンが。
ショコラに向けて振り下ろした杖を、手で受け止め、握り潰した。
どう見てもアレンは瀕死だ。杖だってすぐに再生できたはずだ。ショコラに至っては動いてこそいるものの生きているかも怪しい。
状況はなお優勢。
しかしゼファルはアレンの鬼気迫る目に、寸瞬とはいえ気圧されてしまった。
「『絶ち斬る』ッ!!」
アレンは大技の代償に体力を削る。
それでも躊躇わない。ゼファルを殺す、そのためだけに生きてきた。
左肩から右の胴――文字通り、アレンはゼファルを断ち斬った。
「おの、れ……人間……ッ!!」
最後までアレンを睨め付け、ゼファルは爆発四散した。大量に溢れ出た魔力は影に吸い込まれ消えていった。そのあとにはツノを生やしたカエルが倒れていた。
魔王の間のすべての魔力を吸い尽くし、燕尾服の影は一礼して消えた。
「……まだだ、動け、俺の、俺の、身体……」
アレンは剣を落とし、崩れるように倒れた。
ぷつりと糸が切れたように、ショコラもまた壁にもたれるようにして崩れ落ちた。
嫌気が差すほどの静寂の中、アレン達のもとへ駆けながらココは泣き叫ぶ。
「アレン、ショコラ、おじいちゃんっ!!」
三人の中で、ココはまずアレンのもとへ駆け寄った。
あるいは無意識に近いその選択こそが、彼女の覚悟の表れだったのかもしれない。
不老不死たる魔族は聖なる攻撃でとどめを刺さない限り死なない。
――復讐に生きた者達の戦い、未だ終わらず。
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