愚か者達の終わりの始まり

 伝説の魔王の肖像画が広く高い壁一面に飾られ。

 その手前には魔王の玉座があり。

 そして、その前にゼファルはいた。

 カエルの顔に白く長い髭を蓄え、土色のローブを頭から被っていた。

 ゼファルはアレン達に背を向け、跪いていた。

 迷える者が創造主を崇めるように。

 神聖なる静謐を破ったのは、ココの叫びだった。


「おじいちゃんっ!」


 ゼファルへ駆け寄ろうとするココに、アレンは反射的に手を伸ばし――

 しかし引き留める事はなかった。

 ココの声にゼファルは振り返り、抱き付くココをカエルの手で優しく包み込んだ。


「おお、ココよ。無事であったか」

「おじいちゃんのばかっ! ばかばかばかっ!」


 顔をぐしゃぐしゃにして、ココは泣きじゃくる。

 聞きたい事は山ほどある。確かめたい事がいくつもある。しかし今はゼファルと再会できた事が何よりも嬉しかった。

 亡き父に代わり、ゼファルは実の親同然に自分を育ててくれた。家族の絆は他者にとり不可侵の領域だ。

 アレンは近寄る事なく、しかしきっぱりと明言する。


「話を聞かせてもらおうか。この城が地面に叩き落とされる前に」


 ココには人類と共存を図っていると嘯き、現実には伝説の魔王と同じように侵略を繰り返していた、その理由。

 ゼファルはアレンを見据え、ココのつばの広い帽子を取り、優しく髪を撫でた。


「ココ。あの人間達のもとに戻りなさい」


 それでもココは離れようとしなかった。

 アレンもゼファルも、力づくで引き離そうとはしなかった。


「おじいちゃん、どうして嘘ついたの」


 ゼファルの身体に顔をうずめたまま、ココは尋ねた。ゼファルはアレンを見遣り、それからココを見つめた。

 答えるのにはしばらく時間が掛かった。


「……魔族は、人類に勝てはしない」


 知らず、アレンの手が剣柄に触れているのを、ショコラだけが見ていた。


「永遠の命を持つ魔族は、成長し進化する人類に勝てはしない。かつて魔族が支配していたこの世界も、今や人類のものだ」


 ゼファルは語る。知られざる真実を、知られざる胸の内を。


「初めに共存を拒んだのは人類だ。永遠の命を持ち、多様な姿を持つ我々を迫害し、遂には空に浮かぶこの城に幽閉した。否、ここは城などではない。忌まわしき牢獄だ」


 人類が知る事のない歴史。あるいは隠匿し続けた歴史。


「魔族の王達はそれを受け入れるしかなかった。わしもそれを受け入れていた。しかし伝説に語られる魔王――お前の父は、そうではなかった」


 そして伝説に語られる魔王は勇者達の手により永遠の命を絶たれ、その娘たるココは封印された。魔王城は地に沈み、魔族は力を失った。

 それから、二〇〇年。


「わしはお前の封印を解く事に力を捧げてきた。微々たる力を少しずつ積み重ねて――ようやくお前は蘇った。長かった、とても長かった」


 ココの覚醒により魔王城は再び浮上、ゼファルを始めとした四天王は力を取り戻し、地上にいた残党たちもまた力を取り戻した。


「魔族は人類に勝てはしない」


 噛み締めるようにゼファルは繰り返す。


「お前の父も分かっていたはずだ。分かってなお挑んだ。敗北と屈辱の歴史に終止符を打とうとした。わしがどう言おうと聞こうとはしなかった。愚かな男だ」


 同じ過ちを犯さぬよう、ゼファルは幼いココから真実を隠した。

 怨恨と復讐の歴史は根深い。

 たとえ敵わぬと知れども、その爪痕を残そうとする愚か者が現れるほどに。


「じゃあ、どうして?」


 ついにココは問う。


「どうしておじいちゃんは人類と戦ってたの?」


 ゼファルはココの髪を撫で、アレンに目を向けた。

 否、人類に目を向けた。


「弔いだ」


 その言葉、鉛のように重く。

 呪詛に等しい怨恨を含み。


「我が子を殺され、座して死を待つ親がどこにいようか」


 その言葉はココにもアレンにも理解できなかった。

 思わず顔を上げたココをそっと押し離し、ゼファルは一歩二歩と後退り、頭から被っていたローブを脱ぎ捨てた。

 その頭に生えているのは――カエルの頭にそぐわぬ、二本のツノ。


「わしも老いた。力を使えば日没にも保つまい。だが、それだけあれば十分だ」


 ゼファルの手に宝杖が現れた。無から有を生み出すその力は、ココの力とよく似ていた。

 その石突を床に強く叩き付け、突如としてゼファルは叫ぶ。


「我が名はゼファル・ジャグスリバグス!! 魔族の王にして、牢獄の牢名主なり!!」


 甚大なる魔力の炎が、瞬時に魔王の間を埋め尽くした。

 翻る黒き六翼。老いたカエルは変貌し、長く伸びる銀髪、人類によく似た姿。

 その姿は、伝説の魔王とよく似ていた。

 宙に浮き、赤い目に殺意を滾らせ、牙を剥き、魔王ゼファルはなお叫ぶ。


「出でよ暗黒の騎士団!! 復讐の時は来た、今こそ人類を討ち滅ぼせ!!」


 魔力の炎が集約していく、無数の人のかたちを取り、無数の暗黒騎士へと変貌する。


「おじいちゃんっ!!」


 泣き叫ぶココの手はもはや届かず。


「ゼファアアアアアルッ!!」


 剣を抜いたアレンが駆け。


 そして、最後の戦いが始まる。

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