再戦に向けて

「私は記憶を消しませんし、メリッサさんの記憶もいりません! 私はショコラです、これからもショコラとして生きていきます!」


 クロードの私室に入ってくるなり、ショコラは強く宣言した。


「そう。好きにしたら? 手帳のないあんたがどこまでできるか知らないけど、私にはどうだっていいわ」

「好きにさせてもらいます。なので勝手に記憶をいじったりとか、もう絶対しないでくださいね!」

「記憶を封印したのはあんただし、それを思い出させないように頼んできたのもあんたなんだけど」

「それはメリッサさんで、私じゃないです!」

「……もういいわよ、さっきからうるさいわね」


 面倒くさそうに吐き捨てたアンジェに、ショコラは勝ち誇るように笑った。

 やり取りを見ていたタクミは表情を強張らせていたが、こほんと咳払いし、アレンに一振りの剣を差し出した。


「アレン君。おそらく天蓋竜は以前のような気まぐれを起こす事はないだろう。絶対に勝たなければいけない戦いになる。随分と遅くなってしまったけれど、よければ使ってくれないかな」

「何だよこれ。お前の作った剣か?」


 受け取り、アレンは剣を抜いた。蒼く輝く美しい細身の剣だ。


「いや、僕の師匠に作ってもらったものだよ。それを超えるものを作ろうとずっと頑張ってきたんだけれど……結局間に合わなかった。まだ竜の姿をしていた頃の天蓋竜の牙から作られたものだ」


 アレンは剣身に見入っていた。試さずとも分かる。只ならぬ力を感じる。極めて薄く研がれた刃は、おそらく目に見えている以上に鋭い。

 尋常ならざる業物だ。息も静かに鞘へ納め、アレンは言う。


「お前さあ、こんなすげえもん持ってんなら言えよ! つーか寄越せよ! 何で今の今までもったいぶってたんだよ!」

「本当は復讐の念がなくなってから渡したかった。だけれどそんな事も言っていられない状況になってしまった」

「……うるせえ。余計なお世話だ」


 タクミを睨み、しかし剣はしっかりと握り締めた。


「よし、今度こそ天蓋竜をぶっ倒すぞ。クロード、頼む」

「待て」


 ここに来て初めてクロードが口を開いた。

 その声重く、若さに似合わぬ面持ちで。


「ゼニアは魔族殲滅への準備を整えた。専守防衛から攻勢へと転じる。天蓋竜への挑戦は次で最後だ」


 重い沈黙が下りた。

 アンジェはもちろん、タクミも知っていた様子だ。隣に座るココを見遣ると、ココは放心したように目を大きく開いていた。

 沈黙を破りアレンは叫ぶ。


「何でだよ!? 何でいきなり――」

「以前から準備は進めていた。ゼニアは国民の命を脅かす脅威を看過しない」


 クロードの目は、声はあくまでも冷たい。しかし一国の主として至極当然の判断だ。


「……どうやって魔王城へ行くつもりなんだ。もしかしてお前、天蓋竜を従えてるのか?」

「向かう必要などない」


 淡々とクロードは話す。事務的に、機械的に。


「天空城を地に堕とす。場合によっては海になる可能性もあるが」

「なんだと……ッ!?」


 雲より高く、目視できない魔王城を、地に堕とす。

 魔王城は跡形もなく崩壊し、基本的には不死身の魔族も尋常ではないダメージを受ける。復活にも相当な時間が掛かるだろう。

 何より人類間での戦争でもそうであるように、王城の崩壊は敗北の象徴だ。

 問題はいかにして魔王城を堕とすかだが、アレンにはそれよりも大きな疑問がある。


「……ココは、どうするつもりだ」


 答えに気を付けろ。

 アレンはそんな表情をしていた。


「ココが魔王だと知ってるのはここにいる者と少数の信頼に足る人間だけだ。以前話していた通り、人類との共存を望むのであれば問題はない。ココ、お前の意見が聞きたい」


 突然の言葉に心を空白にしていたココだったが、呼び掛けられ、背を正しまっすぐクロードを見つめた。

 その姿凛として、魔王として人の王に言う。


「まずはおぬしの恩情に感謝したい。いつであれ私を殺せば済んだ話じゃ」


 魔王を封印、もしくは殺せばすべての魔族は弱体化する。伝説に語られる、誰もが知る事実だ。

 一国の軍事力など必要ない。かつて魔王を殺した伝説の勇者がすぐそばにいる。

 それらをよく理解した上でココは続ける。


「父上の代から我が代、魔族が人類の敵である事は確かじゃ。無論、率いるべき私の責任もある。どのような方法か見当も付かぬが、城を堕とされても致し方なかろう」

「いや、駄目だろ! お前がずっと暮らしてきた場所じゃねえか! それに、こんなかたちでゼファルが戦闘不能になったら――」

「アレン、済まぬが少し黙っておってくれんか」


 クロードを見つめたまま手をかざし、ココはアレンの言葉を遮った。


「しかし、理由が分からぬ。城を堕としてどうなる? 地上の魔族には何の影響もないはずじゃ。一体何のために?」

「政治だ」


 クロードは端的に結論から述べた。


「軍事力の誇示。そして未知なる魔法が記されているとされる魔導書、古代遺産の回収。お前を封印すれば城がどこに埋もれるか分からないが、今ならゼニア国領に狙い堕とせる」

「それはいつまで?」

「今日の日暮れだ」


 今日の日が暮れるまで。それがアレン達のリミット。

 神妙に聞き入っていたココは深く頷いた。


「おぬしらの考え、よく分かった。しかし、それには及ばん」


 そう言ってココは両隣、アレンとショコラの手を繋ぎ、二人に目を遣り、最後にクロードへ勝気な笑顔を向けた。


「今日中に天蓋竜を倒し、魔王の名においてすべての魔族を降伏させる。その暁には天空城の宝、おぬしらにくれてやろう」

「それでも構わん。魔族を制した英雄がゼニアから生まれる事も含め、十二分の収穫だ」

「決まりじゃな。時間がないの。アレン、ショコラ、急ぐのじゃ!」

「おう!」

「はいっ!」


 手を繋いだままココは立ち上がり、アレンとショコラも立ち上がった。クロードも立ち上がり、本棚の仕掛けへと向かう。

 アレン達がそのあとに付いていったところで、唯一座ったままだったアンジェが舌打ちした。


「あんた達バカなの!? 何の策もなきゃまた負けるに決まってるじゃない!」

「そんなのやってみなきゃ分かんねえだろうが!」

「あんたはそれで何回も負けてるんでしょうがっ! いい? あの竜は気まぐれなの、何となくでココやショコラが殺されたっておかしくないのよ!?」

「……しかし、対策つったってな」


 アレンは力押しの男だ。ショコラは自慢の手帳がないし、ココに至っては戦力外である。アンジェは嘆息した。


「夕暮れまでまだ時間はあるわ。ショコラ、ちょっと付き合いなさい。あんた楽園の禁呪も使えたわよね」

「時間掛かっちゃいますけど、足のない蛇なら」

「十分よ。天蓋竜向けの禁呪を教えてあげる。こっち来なさい」

「それなら、僕はアレン君に剣術を教えようかな」

「はあ? タクミてめえ、まだ何か隠してやがったのかよ!」

「全部伝える前に飛び出していったのはアレン君だったはずだけどね?」


 どうやらそれぞれ天蓋竜対策に時間を取るらしい。そう察したココはきょろきょろと辺りを見渡した。


「私は? 私は何かないのかの?」

「茶を運ばせよう」


 そう言ってクロードは再びソファに腰掛け、指を鳴らした。


「やっぱり何もないという事かの?」

「前線に出向く王は無能だ」


 クロードの対面に腰掛けたココの頭を、アレンは後ろからぽんと叩いた。


「これから魔王として働くんだろ? 王様の心構えでも教えてもらっとけ」


 そう言い残したアレンはタクミに連れられ、ショコラはアンジェに連れられ、それぞれ部屋を出ていった。

 クロードと二人、ココは肩身を狭そうにして言う。


「おかしな話じゃ。魔王は魔族で一番強いはずなんじゃがの……」

「それについては少し気になるところがある」

「む。何じゃ」

「そもそもお前は本当に魔王なのか、いくつか疑問点がある」

「何じゃと?」


 ココは身を乗り出し、しかしクロードはさほど興味もなさそうに語り始める。

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