こころ
「おぬしはバカじゃ! 大バカなのじゃ!!」
「だから何でだよ! それが分かんねえっつってんだろうが!」
ココを小脇に担ぎ、二人は騒々しく城内を駆け回っていた。無論、ショコラを探すためだ。
「何で分からんのか私には分からん! 実は自分が自分の知らない誰かでしたと言われて、おぬしは何とも思わんのか!?」
「…………分かんねえな。俺は俺だし、記憶が消える訳じゃねえし、その時になってみねえと」
「雑!! 雑アレン極まっておる!!」
しかし、これもまた仕方のない事だ。
アレンは復讐に生きている。それだけでなかったとしても、言わばゴールがある。その過程で自分が自分でなくなろうとも、自らの手で復讐できればすべてよしという考えが根底にある。つまるところ、アレンは自分に興味がない。
「そんな事より、もう城ん中にいねえんじゃねえか? お前ショコラの行きそうなところに心当たりねえか」
「聖堂ではないかの? それ以外思い付かん」
「確かにそうだ! むしろ城に残ってる方が不自然だ!」
今更に気付き、アレンは城を飛び出した。
王城から下り、泉の広場へ。そこから西へ向かえば大聖堂がある。
そろそろ大聖堂、というところでココがじたばた暴れ始めた。
「待て、待つのじゃアレン! 私はこれ以上行けんのじゃ!」
「うん? ああ、結界か。じゃあここに置いていくぞ」
「仕方ないが、ちゃんと謝るのじゃぞ! 理由が分からんでもとにかく謝るのじゃ! 今回は全面的にアレンが悪い!」
「分かった、分かったって!」
聖なる結界が張られた大聖堂にココは近寄れない。
ココを降ろしたアレンは帽子を深く被らせ、大聖堂へと駆ける。
静謐なる大聖堂の中、宣教台の前、ショコラは跪き祈りを捧げていた。
その背から近付いてはならない無音の言葉を感じた。聖堂にはあまり来ないと言っていた。それでも静かに、熱心に祈りを捧げる姿はまさしく聖女だった。
初めてここに来た時と同じように、アレンは並ぶ長椅子の一番後ろに腰掛けた。今は声を掛けるべきではないと感じた。祈りがどれだけ長いものになろうとも、遮る事は許されなかった。
信心のないアレンは祈らない。しかし今だけは創造主に願っていた。どうかショコラの心を鎮めてやってくれと願っていた。
どれほどの時が経っただろうか。ショコラはまだ祈りを捧げていた。アレンは黙し、分からないなりにショコラに思いを巡らせていた。
様子がおかしい時もあるが、ショコラはいつも微笑んでいた。半ば強引に連れ去ったのに、快く同行してくれた。怒る事など滅多になかった。ましてや自分の事で怒った事など一度たりともなかった。
そんな優しいショコラが激怒し、悲しんでいるという事。
その原因が自分にあるという事。
とにかく謝らなければいけない、と考える自分に、アレンは違和感を覚えた。
いつから自分はこんな人間になったのだろう。
復讐を果たせればそれでよかった。そのためだけを考えれば、こうして待ち続ける理由などない。
しかし今、自分は確かに、何時間、何日掛かろうともショコラに謝罪し、また一緒にいてほしいと考えている。
優しさは毒だったはずだ。
幾度となく復讐に生きるのはよくないとタクミから諭され、その度に反発してきた。生ぬるい優しさなど己の軸を蝕む毒でしかなく、復讐を果たす事なくのうのうと生きるぐらいなら、死んだ方がマシだと考えていた。
それが今はどうだ。ショコラの優しい微笑みを懐かしみ、求めている。それが正しい事かどうかは分からないが、自分が変わってきているのだけは分かる。
思えば再会した人々は口を揃え、自分は変わったと言っていた。
「あの、アレン、さん?」
知らずに深く思い耽けていた。顔を上げればショコラがいた。微笑んではいなかった。不安そうな顔をしていた。
「……ショコラ」
名を呼び――しかし次の言葉は出てこなかった。
沈黙に耐えかねたようにショコラは尋ねる。
「ずっと、待っててくれたんですか?」
「……ああ」
謝罪の言葉が出てこないのは、言葉に実を伴えないからか。
聖堂内は薄暗い。ショコラの表情は読めない。
「私も、きっと、ずっと待ってたんだと思います」
アレンにはショコラの言葉の真意を図り兼ねた。意図せず訝しむように眉をひそめたアレンに、ショコラは口元だけに儚い笑みを浮かべた。
「ずっと待ってたのに声も掛けてくれないなんて、アレンさんはずるいです」
やはり分からない。ショコラが何を言いたいのか、自分はどう返せばいいのか。
悩むアレンに構わず、ショコラは言葉を口にしていく。
想いを、打ち明けていく。
「私、アレンさんの事が嫌いになりました」
儚げな笑みを浮かべたまま、沈んだ様子はなく、むしろ明るい調子で、歌うようにショコラは続ける。
「私、アレンさんの事好きだったんです。さっき気付きました。私、アレンさんの事、好きだったんですよ」
小さな発見を無邪気に喜ぶ子供のようにショコラは笑った。
一言一句噛み締めるようにそう言って笑ったショコラに、いよいよアレンは分からなくなった。なぜ今? なぜショコラはそんな事を打ち明けた?
戸惑うアレンから目を離し、ショコラは恥ずかしそうに笑う。
「嫌いになって初めて気付いたんです。おかしいですよね。笑っちゃいますよね。いつの間にか好きになってて、勝手に嫌いになって、好きだったって、気付くなんて」
声から明るさが消え、笑みが消え、心底残念そうにショコラは呟く。
「……本当に、好きだったのになぁ」
アレンの心が鋭く深く抉られた。溢れ出る血が心拍を高める。視界が薄暗い、ショコラを見失いそうになる。
「なので、アレンさんには責任を取ってもらいます」
急に弾んだ声にショコラを見つけた。ショコラは微笑んでいた。いつもと同じ微笑みながら、アレンはそこに懐かしき憧憬を見た。ずっと昔、まだアレンが故郷で無邪気に笑っていた頃、同じ微笑みを見ていた。
泣いちゃだめよ、アレン。
何があっても、絶対に泣いちゃだめ。
「あの……アレンさん? 聞いてますか?」
目の前にショコラがいた。ずっと目の前にいた。アレンの意識が離れていた。
気付けば心の傷は消えていた。
「……ああ。聞いてる。大丈夫だ」
「大丈夫、ですか」
「ああ。……責任が、どうとか」
ショコラは再び優しく微笑み、アレンに告げる。
「そうです。私にもう一度、アレンさんを好きにならせてください」
アレンは聞き違えたかと思った。意味が分からなかった。
「…………もう一度、俺を?」
「そうです。アレンさんを」
「好きに、ならせる?」
「そうです。好きだった頃と同じ、ううん、もっと好きにならせてください。今、ここで約束してください。でないと、もう一緒にいられません」
「……それは、困る」
「じゃあ約束してください」
「……分かった。約束する」
「はい。約束されました」
明るくそう言って、ショコラは背を向けた。高い位置で結ばれたポニーテールが細かく震えていた。
「要するに、俺はどうすればいいんだ?」
「そんな事私に聞かないでください。自分で考えてください」
「……おう」
何もかも、本当に何もかもさっぱり分からないままだ。なぜこんな話になったのかも分からなければ、女心も分からない。
「私もすぐ行きますから、アレンさんは先に戻っててください。私は手帳を取り返さなきゃですし、魔王城の蔵書にもすごく興味があるんです。だから、置いていかないでくださいね?」
「だったら一緒に――」
「先に行っててくださいって言ってるんですっ!」
「……すまねえ」
アレンは立ち上がった。長い髪が、小さな肩が震えていた。
よく分からないが、戻ってきてはくれるらしい。
「ありがとう、ショコラ」
そう言い残し、アレンは大聖堂から出ていった。
扉が閉まる音を聞き、ショコラはようやく涙を拭いた。
「……バカだなぁ、私って。本当にバカだなぁ」
嬉しそうに、悲しそうに流す涙は止めどなく、ショコラはその場にうずくまった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます