私は
クロードの部屋にココとショコラが招かれ、タクミは立ち上がった。クロードと対面するソファは三人掛けだ。代わりにココとショコラが座り、タクミに小さいアンジェという変わった顔ぶれを見、ココは不安そうに尋ねる。
「物々しい顔が揃っておるの。一体何があったのじゃ?」
「俺にもよく分かってねえが、ショコラに大事な話がある。……ショコラ、心当たりは?」
「手帳がありません。犯人はこの中に……?」
「おう。まずは黙って話を聞け」
「すっ、すみません……」
肩を落としてショコラはクロードを見つめた。王の私室、しかも対面に座っているのだからクロードから話があると思うのは当然だろう。そんな様子を見て取ったか、小さいアンジェはクロードの隣に腰掛けた。
「ショコラ、私の事覚えてる? 覚えてないわよね」
「えっ、覚えてますよ? ラッタンジ砂漠で会ったアンジェさんですよね。転移魔法で一緒に戻ってきました」
「そうね。じゃあ呪いについては?」
「……呪いですか。ずっと昔に失われた特殊な力、魔法の発展により失われたものと考えてます、けど」
理由の分からない質問にショコラは戸惑い、また重苦しい雰囲気に息苦しさを感じているようだった。しかし、そんな事などお構いなしにココは言う。
「待つのじゃ。呪いじゃと? ものの本に書いておったぞ。人間が持つ特殊な力じゃ。おじいちゃんのおじいちゃんのそのまたおじいちゃん、ぐらいが呪いを操る一人の女に封印されたままと聞くが、本当なのかの?」
「あんたは黙ってなさい。誰よこの子連れてきたの」
「私ですけど、ココちゃんに聞かれちゃいけない話なんですか?」
「……そう。ま、いいわ。話を戻すわよ」
小さいアンジェはそう言い、話を戻す前に姿を変えた。
大きい方、即ち普通のアンジェだ。その変貌を見たショコラの目が虚ろになる。
「わぁーっ! いかんのじゃ! またショコラが固まってしまうのじゃ!」
「いいえ。固まらないわ。そうよねショコラ? あんたは私の姿を見ても記憶を消したりはしない」
虚ろに固まるショコラの目を覗き込み、アンジェは静かに訴えた。閉じかけた心の扉を無理矢理にこじ開ける。その目、その言葉に宿る、只ならぬ力。
「私は……記憶を、消さない……消さない……?」
「そうよ。消さない。消せないの」
「私は、記憶を、消せない」
目を覚ましたかのように、ショコラはハッと正気を取り戻した。周りを見回し、ココの手をぎゅっと握り――不安げに尋ねる。
「……アンジェさん、ですよね? いつの間に大きくなったんですか? もしかしてそれが呪い、ですか?」
「そうね。これも呪い。だけどショコラ、この姿の私を見るのは今が初めてじゃないわよね」
「初めて……じゃないです。ラッタンジ砂漠でも……あれ? でも、私……?」
「アンジェやめるのじゃ! ショコラが苦しそうなのじゃ!」
「やめないわよ。あんたさっきからうるさいわ。黙りなさい、私が許すまで」
「…………ッ!?」
「ココちゃんっ!?」
口元を抑え、ココは目を白黒させた。ジェスチャーでショコラに告げる。
声が出ない、と。
それを受け取ったショコラはキッとアンジェを睨み、立ち上がった。
「ココちゃんに何するんですか! どういうつもりか知らないですけど、やめてあげてください!」
「ショコラ、落ち着け。今はお前に話があるんだ。お前の大切な話だ。ココも落ち着け。何かあったら俺が何とかする」
アレンが制止に入り、二人は落ち着きを取り戻した。タクミにアンジェ、それにずっと黙っているクロード。この三人を相手にアレンが何をできるかは分からない。
だが、アレンはいつだって何とかしてきた。いつの間にかその信頼は確固たるものになっていた。もちろんアンジェへの警戒を解く理由にはならず、再びソファに座ったショコラは依然厳しい目をしていた。
その目を見つめてアンジェは言う。
「私から伝えても信用しそうにないわね。アレン、あんたから伝えなさい」
「俺が? その呪いってやつもよく分からんのにか」
「そんなのどうだっていいでしょ。いいから話しなさい」
「アレンさん、何なんですか? 私、気になります」
ココ越しにショコラはアレンの顔を覗き込んだ。怒り、不安、戸惑い。複雑な思いが表情に表れている。
アレンは難しい話が苦手だ。眉をひそめ、端的に告げる。
「要するに、お前はメリッサらしいんだ。伝説の魔法使いって言われてるメリッサ」
「…………違いますよ。何を言って――あれ? でもこの話、どこかで……?」
「天蓋竜も言ってたはずだ。ずっと昔タクミが死んだと勘違いして、悲しんで記憶を封印したらしい。そうだよなタクミ?」
「そこで僕に振るのはひどいと思わないかい?」
「私が?? タクミさんが死んで??」
「あーもうめんどくさいわねっ!!」
男達の要領の悪さに痺れを切らしたらしく、アンジェは叫んだ。
「いい? よく聞きなさい。これからあんたの矛盾点を指摘してあげる。私が信用できなくてもいいから、事実を受け入れなさい」
「私の矛盾……ですか?」
「例えばあんたがたまに行ってる秘密の島。あんたの転移魔法じゃ自分の行った事のある場所しか転移できないはずでしょ。じゃあ、初めにどうやってその島へ行ったのか覚えてる?」
ショコラは押し黙った。思い出そうとする顔に焦りが浮かぶ。考えてみれば、ヒキコモリがちな魔法オタクがどういう理由であれ、わざわざ海を渡ると思えない。
「思い出せないわよ。あそこはメリッサが作った島だもの。姿を変えて、記憶を封印して、誰とも会いたくないからって作ったのがあの島なの」
「……あの島は、メリッサさんの島……?」
自分だと信じていたものが、あっけなく崩れていく恐怖。ショコラは青褪めていた。自分とは何か、何者なのか。
苦悩のショコラにアンジェは更に追い打ちをかける。
「あんた、幼い頃の記憶もないわよね。両親が誰なのか、どうして教会に拾われたのかも知らない。だけど興味がない。おかしいと思わない? あんたなら思い出す魔法を作るぐらい簡単よね?」
ショコラは絶句した。当たり前に受け入れていた事実に潜む、確かな矛盾。アンジェに指摘されるまで、まったく気付かなかった事への違和感。
そして導き出される、たった一つの結論。
「……私は過去と、それに繋がる記憶を消している……?」
理解はした。理解せざるを得ない情報を叩き付けられた。しかし認める事は容易ではない。
焦点の定まらない目でショコラは面々を見遣った。救いを求めていた。何が救いかも分からず、救われないと知りながら、それでも求めた。自分が信用ならないから、外に目を向けるしかなかった。
真実は、恐怖だ。
だからショコラは精一杯の反論を試みる。
「でも、メリッサさんは二百年も昔の人です」
「それも呪い。あんたが望んだ訳じゃないけど、私が呪った。あんたはずっとあの島にいたわ。外の世界に興味を持つまで、ずっと」
「呪いってそんな万能なものなんですか? そんな強力な力が衰退するなんて思えません」
「衰退した訳じゃないわ。呪術師はもともと限られてたし――ほとんどは私が殺した。歴史ってそういうものよ」
「…………でも」
「もうよしなさい。不毛だわ」
そんな事は分かっている。それでも僅かな希望にすがるのが人間だ。
心が強く震えている。熱い涙が頬を伝っているようだが、これは本当の感覚だろうか。今まで疑いもしなかった自分というものの真実に、ショコラは疑心暗鬼になっていた。自分が信じられなければ、信じられるものなど何もない。
「そんなの知りたくなかった」
小さな悲鳴、心が零した涙の音。
「そんなの教えてくれなくてよかったのに!! どうして、どうしてなんですか!? 忘れたくて忘れたんなら、ほっといてくれたらよかったのにっ!!」
泣き叫び、取り乱すショコラを冷めた目で眺め、アンジェは言う。
「忘れたければまた忘れさせてあげる。だから選びなさい? メリッサの記憶を取り戻すか、忘れてショコラとして生きていくか。言っておくけど、メリッサの力は尋常じゃないわ。今の天蓋竜なんて相手にもならない、規格外れの魔法使いよ」
ショコラは息を呑み、目を見開き、信じられないものを見る目でアンジェを見た。
「そのためにこんな話をしたんですか? そんな事のために?」
「少なくとも私はね。アレンにそのつもりはなかったみたいだけど」
「アレンさんは、どうして? どうして止めてくれなかったんですか?」
まったく想定外の反応に、アレンは動揺を隠せないでいた。
メリッサはタクミが死んだと勘違いして記憶を封印した。だがタクミは生きている。ならば封印を解いた方がよいのではないか。
「……いや、だってタクミは生きてるし、勘違いで封印した記憶なら蘇らせた方がいいかと――」
「私はショコラですッ!!」
喉が焼き切れそうなほど悲痛な叫び。
「私が昔、メリッサだったとしても! 今の私はショコラなんですっ!! ……どうして? どうしてそんな事も分からないんですか、分かってくれてなかったんですか……!?」
顔をくしゃくしゃにして。
涙をぼろぼろと零して。
泣き叫んで訴えたのは、自分が自分であるという、ただそれだけの事。
あまりの気迫に何も返せないでいるアレンに、ショコラは失望の声を落とす。
「もう、いいです」
ゆらりと立ち上がり、ショコラは部屋を出ていった。止められる者は誰もいなかった。
静まり返った部屋、アレンは呟く。
「何でだよ、訳分かんねえよ」
直後、ココはアレンの頬を叩いた。
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