空が落ちてくる
空が落ちてくる。
無数の、無限の、欠片となって降り注ぐ。
その間隙を縫い、アレンは上へ上へと跳躍していた。
「天蓋竜、出てこいッ!!」
「そう焦るな。たっぷり楽しもうじゃないか」
遥か上空から聞こえる声。しかしその空もまた崩れ落ちてくる。
常識が覆る、狂気の光景が広がっていた。
「何じゃ、何がどうなっておるのじゃ……っ!」
「分かりません、アレンさんを信じるしかっ!」
ココとショコラは一緒になってうずくまっていた。空を見上げる余裕などない。かといって足元にも何もなく、遥か彼方まで空が広がっている。ココは泣きそうな顔でぎゅっと目を閉じていた。この空間には確かなものなど何もなかった。
ショコラの絶対防御に触れた空が白光を放ち、爆発する。
破壊の白と爆発音に埋め尽くされ、ココは耳を塞いだ。ココを抱きかかえるショコラはそうもいかない。
二人が無傷なのを見て取ったか、崩落していた空がぴたりと宙に静止した。
「ほう」
どこからか天蓋竜の声が響く。
「ショコラと言ったな。いつ魔法を使った?」
「そんなの言う訳ないじゃないですかっ!」
「そうだな。では、これならどうだ?」
「……えっ」
ココとショコラがうずくまる、その下。空が歪み、天蓋竜が像を結んだ。
その右手には剣を携えている。
「きゃあっ!!」
斬撃。
防げると分かっていても本能に届く恐怖。
「何じゃショコラ!? 竜が近くにおるのか!?」
「大丈夫、大丈夫ですっ! ココちゃんはじっとしててくださいっ!」
「物理も防ぐ……やはり絶対防御か」
目を見開いたままのショコラをまっすぐに見つめ、天蓋竜は笑う。
「どういう理由か知らんが、メリッサ、記憶を消したな?」
「記憶を、消した……?」
ショコラの目が、虚ろになる。ココを抱きかかえる力が、緩む。
「違う、私は……私は……?」
「ショコラ、どうしたんじゃショコラっ!?」
「くくく、なるほどな。記憶を消した事すら思い出せないようにしたか。実に、実に興味深い!」
「捉えたぞ天蓋竜! 『斬り落とす』ッ!!」
ショコラの悲鳴が届いたか、急速に降下、アレンが戻ってきた。
最速の斬撃は剣で防がれ、高い金属音が響いた。至近でアレンを見据え、天蓋竜は問う。
「お前は知っていたのか? この女はメリッサだ。どうして二百年の時を超え生きている?」
「『叩っ斬る』ッ!」
「……そうだったな。お前は他人に興味を持たない男だ」
渾身の一撃も片手の剣で防がれる。圧倒的な力の差、竜王は揺るぎない。
「アレン、生憎だが興味が失せた。――消えろ」
言葉とともに、ココとショコラを支えていた何かが消えた。宙に投げ出され、落下しながらココは叫ぶ。
「アレンッ!」
「ココッ!」
見下す天蓋竜から離れて急降下、アレンはココとショコラを抱きかかえた。そのまま自然落下していく。落ちゆく果てに底は見えない。泣きそうな声でココは言う。
「ショコラの様子がおかしいのじゃ! 固まってしまったのじゃ!」
「ショコラ、しっかりしろ! 絶対防御はお前しか使えないんだろうが!」
反応がない。ぐったりと身体の力が抜けている。虚ろに開いた目は何も見ていない。
魔法の手帳はショコラにしか扱えない。絶対防御にはリミットがある。
アレンは折れんばかりに歯を食い縛り、苦渋の決断を下す。
「天蓋竜、俺の負けだッ!」
「それがどうした」
返ってきたのは嘲笑の声。
落下するアレン達の隣、天蓋竜は頭を下にしていやらしく笑っていた。
「勝敗に興味はない、だが助けてやらん事もない。無様に助けを乞え。お前は他人の命を守るすべなど持ち合わせてはおらんのだろう?」
「……このクソ野郎がッ!!」
「手帳だ」
アレンの罵倒を無視し、天蓋竜は手を差し出す。
「メリッサの手帳を寄越せ。それはかつて俺がかたちに囚われていた頃の忌まわしき名残だ。寄越せば命だけは助けてやる」
「アレン! 手帳を渡すのじゃ! このままでは本当に死んでしまうのじゃ!」
ココは焦燥し動揺している。無理もない、この空間には確かなものなど何もないのだから。
いつかは分からないが、絶対防御のリミットは必ず来る。あるいはもうリミットを過ぎているかもしれない。ココとショコラを抱えたアレンに、二人を守るすべはない。
それでも魔法の手帳はショコラにとって、アレン達にとって大切な切り札だ。今は敗北を認め再戦に賭けるとしても、手帳なしでは分が悪過ぎる。
迷うアレンに天蓋竜は無慈悲な追い打ちをかける。
「お前も知っているはずだ。絶対防御の効果はメリッサに触れていなければ他者に効果が及ばず、また攻撃でないものは防げない。分からないか? 今ここでメリッサだけを引き離しても結果は同じという事だ」
嘲笑う天蓋竜を射抜くほどに睨み、それからショコラを見遣る。状況は変わらない、ショコラは意識を失っている。
届かないと知りながら、アレンは言う。
「……ショコラ、すまねえ」
手帳がどこにあるかは知っている。初めて会った時、ショコラは袖から滑らせるようにして手帳を取り出していた。
青いローブの広い袖口に手を入れ、アレンは手帳を取り出した。
嬉しそうに手帳の説明をしていたショコラの笑顔が頭をよぎり、アレンは強く首を振った。
その表情、苦々しく。
己の無力に、耐え兼ねるように。
「……覚えてろ、これはショコラの大切なものだッ!!」
「間違えるな。そいつはメリッサだ」
アレンが手帳を放り投げ――天蓋竜の手に渡った。
天蓋竜は満足そうにぱらぱらと手帳をめくり、閉じ、嘲笑う。
「賢明な判断だ。では、また会おう」
――その言葉をきっかけに、全天全地の空が黒に染まり、アレンの意識は途絶えた。
「起きなさい、いつまで寝てんのよっ!」
目を開くと、アンジェの顔が見えた。ひどく苛立っているようだった。頬が僅かに熱を帯びている。何度か叩かれたのだろう。
身体を起こし、アレンは周りを見渡した。どこかの部屋のようだが、タクミの家ではない。
「……ここは?」
「何寝ぼけてんのよ、お城! 天蓋竜に負けて放り出されたんでしょうがっ!」
言われてアレンは思い出した。同じ部屋かは分からないが、以前天蓋竜に負けた時もこんな部屋で目を覚ました。
ダメージは残っていないが、無理な跳躍と技の反動で体力が削られている。
「ココは、ショコラは?」
「別の部屋で寝かせてるわ。大事な話があるの、さっさと起きなさい」
肩に掛けた軍服を翻し、背を向けたアンジェにアレンは尋ねる。
「……それは、ショコラの事か?」
「それもあるけど、他にもよ。クロードの部屋に来なさい。あの子達が起きる前に」
そう言ってアンジェは部屋を出ていった。
見送るアレンは、放心していた。
敗北の屈辱。ショコラの手帳を渡してしまった事。
天蓋竜に勝つ方法がまったく分からない事。
そして、それらに勝る不吉な予感。
心に空白を抱えたまま、アレンはベッドから起き上がり、部屋を出た。かろうじてクロードの部屋は分かる。
さまようように歩き、アレンはノックもせずクロードの部屋を開けた。
聞き覚えのある――いつだって懐かしい声がアレンを迎える。
「アレン君、大丈夫かい?」
「……タクミ? どうしてお前が」
応接用のソファにタクミが腰掛けていた。その対面にはクロードがいる。アンジェは執務用の机に膝を立てて座っている。天蓋竜の場へ続く扉は本棚で閉ざされている。
「大切な話があるんだ。……ずっと言えなかった、大切な話が」
初めて見るタクミの険しい表情に、アレンは嫌な予感を確かに感じた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます