一晩の幸福

 タクミは歳を取らない。

 信じ難い事実を、ショコラはタクミ本人の口から聞いてしまった。手が熱くなり、震えているのが自分でも分かる。

 大きな鍋がぐつぐつと音を立てている。

 丸いテーブルの向かいで、タクミはいつもの微笑みを浮かべている。


「だけど不老不死って訳じゃない。死んだ事がないから分からないけれど」

「……魔法、ですか?」


 不老不死の魔法は禁忌にして実現不能と言われている。タクミが不老であり、もし不死でもあるなら、どうあっても魔法の歴史に名を刻む事実だ。


「いや、おそらくは違う。彼女は呪いと呼んでいた。この世界には僕達の知らない事がまだまだたくさんあるみたいだね」

「じゃあタクミさんは呪われたって事ですか? 呪った人は今も生きてるんですか?」


 ショコラは興奮していた。禁忌などショコラには関係ない。

 呪いであれ何であれ、その構造が理解できれば魔法に応用できるかもしれない。

 しかし、無情にもタクミは首を横に振った。


「ショコラさん、この話はもうやめにしよう。きみがこういう話にとても興味があるのは知っているけれど、あまり口にしたい話題じゃないんだ」

「でもっ!」

「お願いだ。きみにも分かるだろう? 過ぎたる力は脅威になる。人間はまだ、それを受け入れられるほど成熟してはいないんだ。悲しい事にね」

「それでもお願いします! 絶対、絶対他の人には話しませんから――」

「だめだ」


 微笑みを消し、強い口調でタクミは言葉を遮った。


「自分と違う、自分達と違う。そんな思いが争いを生む。脅威ともなれば尚の事だ。それにこれはショコラさん、きみにも言える事なんだ」


 ――竜の力を与えられない、理由。

 言い返そうとして、ショコラは言葉が出なかった。

 分かっていた。自覚していた。

 自分が、普通ではない魔法使いである事。

 沈んだ様子のショコラを見つめ、タクミは言う。


「すまない。初めから話さなければよかったんだけれど、いずれきみには気付かれると思っていたし、ごまかせるとも思えなかった。本当にすまない」

「…………私の方こそ、すみません」

「きみは謝らないでくれ。全部僕が悪いんだ。それより、アレン君達の前では普通に振舞ってもらえないかな」

「分かりました」


 不老の呪い。タクミが自ら呪われた理由。

 気にはなる。頭から離れる事など絶対にないだろう。

 しかしタクミの言い分も、自分の事のように理解できてしまうから。


「すみません、私も少し休んできていいですか」

「もちろん構わないよ。……ありがとう」


 立ち上がり、ショコラは二階へと上がる。

 頭の中はタクミの言葉でいっぱいで、なぜだかとても不安だ。

 性に合わず、分からない事を分からないままにしているからだろうか。

 考えるのは好きだが、悩むのは苦手だ。

 ショコラは一部屋ずつ扉を開けていき、最後に一番奥にある部屋の扉を開いた。


「………………えっ」


 そこはアレンの部屋だ。革の鎧を脱いだアレンが眠っている。

 その隣で、ココが眠っている。


「ええぇ――――――っ!?」

「……何だよ、うるせえな」


 ショコラの叫びに目を覚ましたらしく、アレンが身体を起こした。


「何? メシできた?」

「違いますよメシじゃないですよそれどころじゃないですよっ! なんでココちゃんと一緒に寝てるんですかーっ!?」

「…………うん?」


 気持ちよさそうに隣で眠るココを見、しばらく静止し、アレンはココを床に落とした。

 ごつんと落ちたココは身体を起こして目を見開き、周りを見渡して叫ぶ。


「痛った! えっ、何じゃ!? 何が起こったのじゃ!?」

「何だじゃねえよ! てめえ何で俺の隣で寝てやがったんだ!?」

「何でって……眠たかったから?」

「そうじゃねえよ! 他にいくらでも部屋あっただろ!」

「そんなに怒る事かの……? 一人は寂しいではないか」


 しゅんと落ち込み、ちょっと泣きそうになっているココを見て、アレンとショコラは慌てた。


「そ、そうだよな! すまねえ、ちょっと寝ぼけてたみたいだ!」

「そっ、そうですよアレンさんだめですよ! ココちゃん、私も一人は寂しいので一緒に寝ましょう!」

「……うむ。アレンなんか嫌いじゃ」

「すまねえ……」



 こうしてショコラはココを連れ出し、隣の部屋のベッドに一緒に潜り込んだ。家具が少し違うが、おおむね同じような部屋だ。


「ココちゃん、あったかいですね」

「そうかの? しかし、何でアレンはあんなに怒っておったのかの」

「……きっと、ココちゃんが好きだからですよ」

「だったら床に落としたりせんじゃろ。私、アレンに悪い事でもしたのかの?」

「してないですよ。ほら、アレンさんツンデレじゃないですか」

「よく分からんのじゃ……」



 二人はベッドの中でしばらく話し、やがてココは眠り、ショコラもうとうとし始めた。

 ココは体温が高い。幼い子は体温が高いらしいが、どうやら魔王も例に漏れないらしい。

 そんな事を考えているうちに、ショコラは悩むのを忘れていた。代わりに、別の事を妄想していた。

 ココではなく、自分がアレンのベッドに潜り込んだら、アレンはどう言うだろうか?

 妄想は膨らみ、転がって大きくなり、そのままショコラは夢の世界へとまどろんでいった。



 三人がタクミに呼ばれたのは、とっぷりと陽が暮れた頃だった。いつもの丸いテーブルより広い作業台に並べられたたくさんの料理。実に香ばしい匂いが工房いっぱいに満ちている。


「肉だっ! 山盛りの肉っ!」


 アレンが骨の付いた大きな肉にがぶりとかぶりつき、溢れた肉汁が皿に落ちる。


「アレン君、せめて座らないか。料理は逃げはしないよ」

「すごい数じゃの! どれもうまそうじゃ! 全部タクミが作ったのかの?」

「ははは。ありがとう。男の手料理だ、口に合えばいいけれど」

「すみません、ここまでしてもらって……」

「構わないよ。それより早く食べた方がいい。遠慮してるとアレン君が全部食べてしまうからね」


 話しているあいだにもアレンは次の肉に手を付けている。ココも見様見真似で肉にかぶりつき、はふはふと幸せそうな顔を浮かべた。

 香り高い澄んだスープを口に運び、その滋味溢れる味わいにショコラはうっとりと頬を緩めた。そのあいだにアレンはまた新しい肉に手を伸ばす。


「タクミさんはすごいですね。武具も作れて、戦えて、料理もこんなに上手で……」

「ありがとう。時間ならたくさんあったからね」

「じゃろうの。この店はいつ来ても客がおらん」

「ははは。痛いところを突いてくるね」


 ショコラに話した事などなかったかのように、タクミはいつもと変わらず微笑んでいる。自然に振舞うとはこういう事なのだろう。


「しかし、サーニャは呼んでやらんでよいのかの?」

「呼んだって来ねえよ。あいつはタクミにビビってるからな。作ったメシだってビビッて食わねえだろ」

「呼んできましょうか? それとも、料理だけ持って行ってあげるとか」

「いいっていいって。メシはある時にそこにいるやつだけが食うべきなんだ。大体俺の取り分が減っちまうだろ」

「それだけじゃろ! おぬし自分が腹いっぱい食べる事しか考えとらんじゃろ!」

「おう。そうだぞ。メシを食わねば何とやらってな」

「何とやらって何じゃ……?」


 タクミも含め、四人はわいわいと晩餐の時を過ごす。

 何のしがらみもなく、淀みなく、楽しいお喋りをしながら、おいしい料理を食べる。

 あるいはこんな何気ないひと時が続く事を、幸福と呼ぶのかもしれない。

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