冷たい夜に触れて

 次なる竜へ挑むため、アレン達はラッタンジ砂漠を進んでいた。しかし暑さによりショコラは意識を失い、倒れてしまった。


「うぅん……」


 砂漠の夜の冷たい空気に触れ、ショコラは目を覚ました。まだぼんやりとした視界に帆布が見える。アレンが背負っていたテント、その屋根だ。パチパチと枝の爆ぜる音がする。焚き火の音だ。

 灯りを遮り、ココがにゅっと覗いてきた。


「アレン! ショコラが起きたぞ!」

「おう。そいつはよかった」


 嬉しそうな声を聞いたショコラは記憶を辿り、ほどなくして倒れた事を思い出した。身体を起こそうとして、毛布が掛けられていた事に気付いた。

 砂漠の夜は寒い。ショコラはぶるりと身体を震わせた。


「うぅ……すみません。まさか私の方が先にへばっちゃうなんて」

「謝る事はないのじゃ! 自分基準で考えておったアレンが悪いのじゃ!」

「言い訳できねえ。マジですまん」


 謝るアレンから大きなカップを受け取った。いい香りがする。干し肉の入ったスープだ。どういった経緯か知らないが、アレンと合流できたらしい。


「いえ、ありがとうございます。いただきます。……と、その前に」


 ショコラは状態異常回復のページを破った。パッと意識が鮮明になる。

 湯気の立つスープを飲むと、干し肉の甘い風味が口いっぱいに広がった。ほぅ、と息を吐き、改めて周りを見渡した。六角形のテントの中だ。床には絨毯が敷かれている。


「もう大丈夫なのかの?」

「はい。ありがとうございます。……ところで、どうしてアレンさんと合流できたんですか?」

「呼んだら戻ってきたのじゃ」

「えっ?」


 ショコラが覚えている限り、アレンは地平線の彼方へ走り去ったはずだ。呼んだところで声が届くはずもないのだが。


「……まあいいじゃねえか。そうだ、起きたら聞こうって話してたんだが、何で砂漠の夜はこんなに冷えるんだ?」


 何かアレンは話したくない事情があるようだが、それなら詮索はしない。


「夜の砂漠が冷える理由、ですか。何ででしょうね? 分かりません」

「何じゃ、ショコラも知らんのか。意外じゃの」

「そうだな。何でも知ってそうなのにな」

「……うぅ、すみません。魔法以外の事は興味なくて……」

「ま、どうでもいい事だ。別にいいさ。それよりどうする? 夜のうちに竜のところまで行くか、一晩休んでからにするか」

「私は寝たいのじゃ眠いのじゃ! 夜はおやすみの時間なのじゃ!」


 眠っているあいだに二人で相談していたのだろう。夜は寒いが、陽が昇ればきっとまたすぐに暑くなる。

 しかし答えは考えるまでもない。


「夜が明けてからにしませんか? ゆっくり休みましょう」

「じゃあそうしよう。だけどショコラ、眠れるか?」

「大丈夫です。私、いつまでだって眠れますから」

「そうなのか? まあ、眠たいココを連れてくのも面倒だしな。ショコラがそう言うならそれでいい」


 ショコラは嘘をついた。

 さっきまで意識を失い深く眠っていたのだ、またすぐに眠れはしない。

 しかし倒れたのは自分のせいだし、きっとココも自分が目を覚ますまで起きていてくれたのだろう。ココも眠りたいようだし、わがままを言うつもりはない。言える訳がない。


「決まりじゃ! おやすみなのじゃ――すやこや」

「一瞬で寝やがったな……」

「うふふ。疲れてたんでしょうね。私もスープを頂いたら休みますね」

「おう。ゆっくり休んでくれ」


 昼間とは打って変わって、アレンがやけに優しい。倒れたから気を遣ってくれているのだろうか。それとも、他に何かあったのだろうか。

 小さく首を横に振り、ショコラは考えるのをやめた。ふぅふぅとスープを冷まして飲む。

 食事はいい。雑念を消してくれるから。


「それではアレンさん、おやすみなさい」

「おう、おやすみ」


 毛布にくるまると、パチパチと焚き火の爆ぜる音が聞こえた。アレンが木をくべたらしい。

 焚き火の音、ココの静かな寝息。他には何の音も聞こえない。

 眠れない夜、ショコラは決まって新しい魔法について考える。まず効果を想定し、そのために必要な要素を考える。魔法の可能性は無限だ。ああでもないこうでもないと考えているうちに、いつの間にか眠りに落ち、夢の中でも考え続ける時もある。

 しかし、今晩はそうもいかなかった。

 何かが魔法について考えさせまいとしている。

 今まで感じた事のない、何か。

 薄く目を開けると、アレンはじっと焚き火を見つめていた。瞳に炎が揺らめいていた。普段は見せない目をしていた。


「……アレンさん、眠らないんですか?」

「まだ起きてたのか。気にするな。ゆっくり休んでくれ」


 アレンのこういうところが、不器用だと思う。


「少しだけ、外に出てもいいですか?」

「何だ。やっぱ眠れねえのかよ。まあそうだよな」


 そう言ってアレンは腰を上げた。付いてきてとは言っていないのに。

 アレンのこういうところが、優しいと思う。



「わぁ……!」


 満天の星空を見上げ、ショコラは思わず声を漏らした。

 今にも落ちてきそうなほど燦然と輝く星海、月はまるで夜の女王だ。


「すげえもんだな。夜より星の方が多いんじゃねえか? こんなもんが昼にはどこに隠れてるんだろうな」

「本当ですね……不思議です。素敵です」


 アレンは物珍しそうに星空を見上げている。その横顔を見つめてショコラは尋ねる。


「アレンさんはいろんなところを旅してきたんですよね。こんな素敵な星空や、他にも素敵な景色をいっぱい見てるんですよね。羨ましいなぁ」

「いや、こんなにゆっくりしてるのは初めてだ」


 星空を見上げたまま、何事でもないようにアレンは話す。


「魔王を倒す事しか考えてなかったからな。景色なんか気にした事もなかった。星がきれいなんて思ったのも今が初めてだ。きっと何回かは見てるはずなんだけどな」


 ――ああ、またやってしまった。

 アレンの旅は復讐の旅だ。未知を求める道楽の旅ではなかった。星空や景色なんて興味もなかっただろう。きっとすべて色褪せて見えていたんだろう。

 いや、そもそも今だって、本当に同じ星空が見えているのだろうか。


「……ごめんなさい」

「うん? 昼間の事ならマジで気にすんなよ。あれはほんとに俺が悪かった」


 的外れな言葉に胸が痛む。見えない細い糸で締め付けられているみたいに。

 復讐だけを心に刻み、そのためだけに生きてきたのだろう。

 当たり前に、違和感もなく、つらいとも思わず、純粋に。

 ヨモギはそれを揺るぎない信念と呼んでいた。

 しかしショコラにはそんなアレンが哀しく見えた。寂しくて冷たい――この砂漠の夜のように。

 だからショコラはアレンの頼もしい腕に触れ、肘へとなぞり、手に触れた。

 意外にもその手は熱いほどに温かい。


「どうした?」


 答えず、指を絡ませ手を握った。大きな手だ。優しい手だ。


「何だよ、ホームシックか?」


 そう言ってアレンは笑った。

 アレンのこういうところが、ずるいと思う。

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