魔王の覚醒

「待て待て待て待て」


 ベッドから身体を起こしたココは手を前に突き出し待ったをかけた。

 一緒に起こすのはまずいと感じたアレンは、ショコラを外で待たせてココを起こした。今は昨晩からの経緯を説明し終えたところだ。


「ツッコミどころが多過ぎじゃろ。何じゃ秘密の場所て。何じゃそのおかしな女は。その手帳もヤバ過ぎじゃろ」

「俺もそう思う。だが事実だから仕方ねえ。そういう訳でそのイカれた女が外で待ってるんだが、覚悟はできてるよな?」

「封印を解かれる覚悟はできておる。じゃがショコラとやら、本当に信用して大丈夫なのかの? ベリッとページを破られたら私が消滅するとかありそうで怖いんじゃが」

「それはない。俺もショコラをよく知ってる訳じゃねえが、あいつは極度の魔法オタクだ。魔族を消滅させる聖なる魔法程度じゃああはならねえ。タクミの紹介でもあるし、寝てるあいだに消滅させる事もできたはずだしな」

「ふむ」


 応え、ココは黙った。目覚めきっていない頭で考えているのだろう。


「しかしあれじゃな、ここにはベッドが一つしかないの」

「うん? そうだな。ショコラだけの秘密の場所だし」

「本がいっぱいで、足の踏み場もないの?」

「そうだけど、それがどうしたんだ?」


 頬を赤らめ、ココはぷいっと顔を逸らした。


「……という事は、私はおぬしと一緒に寝ておった……?」

「そうだけど?」


 さらりと返したアレンをキッと睨み、すぐ顔を伏せココはポカポカ殴り始めた。


「バカバカバカーッ! おぬしにはデリカシーというものがないのか!? それとも女と寝るのに慣れておるのか!? 不潔じゃ不潔! 私もうお嫁に行けないーっ!」

「は!? つるんぺたんのガキが何言ってんだバーカ! 俺だっておんなじ寝るならおっぱいドカンのケツばいーんの方がよかったわ! ついでに背が高けりゃパーフェクトだな!」

「まさか眠っておるのをいい事にイロイロ触ったりしてはおるまいな!?」

「残念だが触りたいとこがどこにもねえな! あとさっき言わなかったけどショコラ巨乳だから!」

「知らんわそんな事! このどスケベアレンの変態変態変態ーっ!」

「何とでも言え! 二百年後に相手してやるから感謝しろ!」

「もうよいっ! さっさと封印を解き痛い目に遭わせてくれるっ!」


 そう吐き捨て、アレンを押しのけココは小屋を出ていった。

 扉をバタンと強く閉められ、残されたアレンは頭を掻きながら笑みを浮かべた。


「さて。封印が解けた魔王と俺、どっちが強いだろうな」



 激怒していたココだったが、外に出た途端に目を丸くした。


「……う、う、う」


 唸り声。ではない。


「海じゃ――――ッ!」

「ココちゃんお待ちしてましたっ! さっそく封印を解きましょう!」

「む。おぬしがショコラか。思っていたより幼いの。そんな事より海じゃぞ海!」

「そんな事より封印を解きましょう解きますね!」

「待て待て少し待て! わーい海じゃーっ!」

「……えぇー、ずっと待ってたのにまたお預けですかぁ~」


 ショコラはがっくりと膝をついた。イカれた魔法オタクだが、アレンとの約束を守る程度には常識があるらしい。


「くんくん。不思議な匂いじゃ。ひいては寄せておる。彼方まで何もない! 間違いなく海じゃ!」


 波打ち際まで駆け寄り、ココはしゃがみこんだ。ざぁっと寄ってきた波に手を当て、小さな舌を出しぺろりと舐めた。


「しょっぱい! あははっ! 本当にしょっぱい!」

「ショコラちゃんは海に来るの初めてなんですか?」

「うむ。ものの本で知ってはおったが、実物を見るのは初めてじゃ! 本当に広く果てしなく、美しい。世界は本当に素晴らしいもので満ちておるな」


 感慨に耽るココを優しい目で見つめ、ショコラは微笑んだ。


「そうですね。水平線のずーっと向こうにはとても大きな滝があるそうです。きっと壮大できれいなんだろうなぁ」

「人間は泳げるのじゃろ? 泳いで見にいけばよいではないか」

「あはは。私は泳げないんです。それに水平線はずっと遠くて。船にも酔っちゃいますしね。ココちゃんこそ、封印が解けたら海を割ったりできるんじゃないですか?」

「そのような魔法は知らんが、あるいはおぬしならそうした魔法も作れるかもしれんの」

「うふふ。作れてもココちゃんしか使えないでしょうね」

「じゃろうな。……よし。封印を解いてもらうとしよう」

「待ってましたっ!」


 ココは立ち上がり、ショコラと向かい合った。

 ショコラは興奮気味に手帳を開き、改めて尋ねる。


「アレンさんがいませんけど……構いませんか?」

「む。構わぬ! 封印が解けたら真っ先にあやつを痛い目に遭わせるのじゃ!」

「そうなんですか? まぁ、私は魔法が試せればそれでいいので!」

「うむ、よろしく頼む」

「はい! では、いきますっ!」


 魔王の封印を解く、と言えば大げさだが、行為はほんの一瞬で。

 ショコラが手にした手帳のページを破るだけで。

 それでもココは緊張した。

 封印が解け、強くなるという事。

 新しい自分になり、古い自分ではなくなるという事。

 怖くないとはいえない。

 しかし、覚悟はとうに決めている。


 ぎゅっと目を閉じたココの耳に、紙を破る音が、聞こえた。


「おお……おおっ!?」


 自分の中で何かが変わるのを感じ、ココは目を見開いた。

 足元で黒い魔方陣がゆっくりと回り、黒い光を発している。ココを包み込んでいる。

 いつの間にか青い空は曇天が覆っていた。紫の稲妻が走り、ちょうどココの真上を中心に渦巻いている。

 漆黒の雷がいくつも降り注ぎ、黒煙がココを覆い隠す。

 暴れる風に目を細めながら、それでもショコラはココから目を離さなかった。


「ふふふ、実験は成功です! 私はこの手で……魔王を復活させた! うふふふふふふ!」


 ショコラが恍惚と狂気に満ちた笑顔を浮かべる中、現象は急速に収束していく。

 暴風は止み、曇天は散り、魔方陣はうっすらと消えていく。

 ココを包んでいた黒煙――あるいは黒煙のような何かも消え、すべては何事もなかったかのように終わった。

 青空の下、波打ち際、ココは自らの両の手を見つめた。


「分かる、分かるぞ! 何かが変わった、頭にずっと掛かっていた霧が晴れた気分じゃ!」

「どうですかココちゃん、いえ魔王様! さっそく検証に移りましょう! 何か強力な魔法を使ってみてください!」

「分かっておる。分かっておるわ! アレンのやつを懲らしめてやるのじゃ!」

「言うようになったな、このつるんぺたんのチビッ子が!」


 小屋から出、壁に背を預けていたアレンは笑い、剣を抜いた。


「見せてもらおうか、覚醒した魔王とやらの実力を!」

「ごめんなさいをするなら今じゃぞ! ショコラは下がっておれ!」


 言われるまでもなくショコラは距離を取っていた。手帳で口を覆い、目を輝かせて。

 そして、アレンとココは対峙する。

 否。

 勇者と魔王が、対峙する。

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