勇者の目覚めと一つの書簡

 茜差す部屋の中、ベッドでココは目を覚ました。


「……む。ここはどこじゃ」


 目をこすりながら思い返す。口の中がやけに苦い。

 はっと目を見開き、身体を起こした。


「アレンは!? アレンはどこじゃ!」


 掛け布団を放り上げ、部屋から出たココは、ばたばたと階段を下りていく。


 アレンとタクミは作業場でパンとスープを食べていた。甘く優しい香りが漂っている。


「ようココ、おはよう。つっても夕方だけどな」

「おはようではないわっ! 起きたなら起きたと言わんかっ!」

「いや、よく寝てたから起こすのも悪いかと思って。ま、俺もさっき起きたとこなんだけどな。お前も食う? タクミが作ったまずいメシだけど」

「それより何か言うべき事があるじゃろ!? おぬし死にかけておったそうではないか!」


 あらかじめ用意されていたイスに座りながら、ココは怒鳴り続けた。

 二人のやりとりを優しく見守りながらタクミは皿にスープを盛る。


「死にかけてなんかねえよ。一晩寝たら治るって言ったろ?」

「私とタクミが頑張ったからじゃ! おかげで未だに口の中がイガイガしとるわ!」

「それを言うなよ! お前とタクミの唾液を無理矢理飲まされた身にもなってみろ!」

「タクミ、こやつどうかしておるぞ! おぬしからも何か言ってやれ!」

「ははは。アレン君は意地っ張りだからね。どうぞ、簡単なスープだけれど」

「む。これは何じゃ」


 甘く香る豆と野菜のスープを差し出され、ココは訝しげに眉をひそめた。


「……まさか魔族を煮て焼いたものではあるまいな」

「ははは。さすがに魔族は食べないね。どこにでもある普通のスープだよ」

「うちではこんな料理はなかったが?」

「バーカ、地上ならどこにでもあるって意味だよ。つーかココ、お前って普段何食ってんだ?」

「バカはおぬしじゃ黙っておれ! ……しかし、私は何を食べておったのかの? 茶色のような黄色のようなとろっしたものに色々入った料理が好きじゃった」


 好物の味を思い出したのか、ココは嬉しそうににやけた。


「お前、料理とかしねえのな。つーか自分が食ってたもんの名前すら分かんねえのかよ」

「む。私は魔王じゃからな、王は料理などせんのじゃ。しかしゼファルのやつ、嫌いじゃと言うておるのに緑色の苦いのを食わせようとしてくるのじゃ……。このスープとやらには入っておらんようじゃが」


 スプーンでスープをかき混ぜ、緑色の苦いの(ピーマン)が入っていない事を丹念に確認する。


「もういいから食えよ。人間のメシ食ったって死にはしねえだろ」

「黙っておれと言うておる! 意地を張って死にかけておったくせにごちゃごちゃうるさいのじゃ!」


 アレンに怒鳴ってから、ココはようやくスープを口に運ぶ。


「意地とかじゃねえし。タクミの助けなんてなくても寝たら治ってたし」

「そうだね。それにしても驚いたよ、まさかアレン君が真っ先に魔王まで辿り着くとはね」

「何じゃ、私の事を話したのか?」

「そりゃあな。タクミはマジで俺じゃ無理だと思って武具の一つも寄越さなかったからな。武勇伝の一つも語りたくなるだろ」

「そんな理由とはの……。アレン、おぬし心が狭過ぎやせんか」

「別にいいんだよそんなの。俺はタクミが思ってたより強かった。それでいいんだ」

「そうだね、アレン君は十分に強い。認めよう。ところでココちゃん、お味はどうだい?」

「うまいの! 心が洗われていくようじゃ!」


 ココの感想にタクミは微笑み、空になった自分の皿におかわりを盛っていく。


「ところでおぬしら、一体どういう関係なのじゃ? 知り合いとは聞いておったが、深い仲でもないと聞いた。じゃが私にはそこそこ知れた仲に見えるのじゃが」

「……冒険者と武具屋だよ。それ以上でもそれ以下でもねえ」

「おや、そうなのかい? 僕はかわいい弟子の一人だと思ってたんだけどね」

「アレンが弟子とな? では師弟の仲ではないか。十分に深い仲ではないか」

「覚えてねえな! 旅立つ弟子を送り出すのに武具の一つも寄越さない師匠なんて知らねえな!」

「ははは。だって困るだろう? 僕の武具が魔族の手に渡ったりしたら」


 スープを運ぶ手を止め、アレンは押し黙った。

 タクミの武器を扱う暗黒騎士。

 どこにも勝てる要素が見当たらない。


「しかし妙じゃな。なぜ武具屋に弟子入りしようと思ったのじゃ?」

「……武具も作らされたけど武具屋としてじゃねえよ。タクミが認めた相手にしか武具を売らねえっつーから、その、何だ。そういう事だよ」

「さっぱり分からんのじゃが?」


 首を傾げるココから顔を背け、アレンは白状する。


「俺よりちょっとだけタクミの方が強いんだよ! だから結果的に弟子みたいなかたちになっただけ!」

「えっ、そうなのか!? タクミおぬし、アレンより強いのか!?」

「ははは。あの頃はそうだったけど、今はどうだろうね。どうするアレン君、試してみるかい?」

「…………今の武具でも魔王までは辿り着いた。だからいい。やめとく」


 ココは悟った。

 タクミはアレンよりずっと強い。

 しかし不思議な事に、強力な匂いを感じない。

 あるいはそれも含めて強さなのかもしれない。


「人類には強いのがゴロゴロしておるんじゃの……」

「ははは。まあこの件はうやむやにしておこう。それより、本当にまた魔王城まで戻るのかい?」

「そのつもりじゃ」


 そう言ってココは空になった皿を差し出した。タクミはそれを受け取り、おかわりを盛っていく。


「魔族は基本的に不死身じゃが、倒されると再生まで時間が掛かるのでな。ゼファルの話も聞いたと思うが、あれが私を探しにくるよりこっちから戻った方が早いじゃろう?」


 アレンをちらりと見てから、タクミは言葉を返す。


「アレン君とも少し話したんだけどね、魔王城に行くのもそれなりに手間なんだよ。具体的には竜族の協力を得なきゃいけない。人類と魔族、どちらにも与しない相手に、同じ用件を二回目だからね。それもまた面倒だと思うんだよ」

「む。そうなのか。他に魔王城へ戻る方法はないのか?」

「あったら竜族なんかと関わらねえよ。少なくとも人類だけで雲の上まで行く方法はねえ」

「なるほどの。しかしじっとしてはおれん」


 固いパンをスープに浸しながらココは尋ねる。


「魔族にも飛べる者がいくらかおるはずじゃが、あの者達に協力してもらうのはどうじゃ?」

「だめだ。俺のオーラを感じ取ってまず近付いてこねえ。あと飛んでるやつは大体話が通じねえ」

「私から他の魔族に連絡を取る方法はない……となると、やはり同じ手順を踏むしかなさそうじゃの」

「そうなるか。ココのツテをちょっと当てにしてたんだけどな」

「む。済まない……」


 俯いたココから浸していたパンを取り上げて一口かじり、アレンは言う。


「別に構わねえよ。俺は前にここにいた頃よりずっと強い。ザコな魔族も寄ってこねえ。さくっと行ってくるから、ココはここで待っててくれ」

「は? 何を言っておる。ゼファルに話を聞きたいのは私じゃぞ? なぜ待っておらねばならんのだ」

「言うと思った。タクミ、説明頼む」


 ため息をつき、アレンはタクミを見遣った。

 あるいはココから目を背けた。

 アレンからパンを取り返し、ココはタクミをじっと見つめた。


「僕からも言いにくいんだけど、ココちゃんは竜族の性質を知ってるかな」

「強い者に従う種族と、ものの本には書いておったが」

「そうだね。そしてアレン君は強い。一人で竜族の協力を得られるぐらいには。ただし、それは裏を返すと一人だから強いとも言えるんだ」

「…………つまり」

「うん。アレン君はココちゃんを守りながら戦えるほど強くはないって事だね」


 押し黙り、ココはアレンを見遣ったが、アレンは顔を背けていた。

 顔を背けたまま、言い訳のようにアレンは言う。


「別にそれだけじゃねえよ。竜族と会うには縁のある人間とまず交渉しなくちゃならねえ。そいつらとココを会わせるのがまずいってのもあるんだ。だから――」

「要するに」


 アレンの言葉を遮り、ココは沈んだ声で言う。


「要するに、私はお荷物なのじゃな。情けない話じゃ。世界の本当の事も知らず、自らの城にも帰れず……私は……本当に……」

「……泣くなよ。別にお前のせいじゃない」


 拭っても拭っても、涙は止まらない。そんな自分が不甲斐ない。

 止まらぬ涙が憎くて憎くて、余計に涙が止まらない。

 居心地が悪くなったアレンはタクミにすがる。


「なあ、やっぱりタクミも付いてきてくれないか? お前がいてくれたら心強いし、色々と捗る」

「申し訳ないけど、今は新しい弟子もいるからね。だけど案がない訳じゃない。要はココちゃんが戦力になればいい、そうだね?」

「ココを強くするって事か? 今から魔法のお勉強なんて間に合わんだろ。こいつの魔法、お前が思ってるよりポンコツだぞ」

「ポンコツって言うなー!」

「ははは。その話も聞いたよ。でもココちゃんが本当に伝説の魔王の娘なら、うってつけの方法がある」


 タクミはエプロンから書簡を取り出し、テーブルに置いた。赤い封蠟がされている。


「これを大聖堂のショコラに届けてほしい。おそらくココちゃんは何らかの方法で魔力を封印されていると思うんだ。全部とはいかないかもしれないけど、彼女なら封印の一部を解く事ができるだろう」

「タクミ、お前……」


 アレンは立ち上がり、タクミの隣に立った。


「用意してたんなら最初からそう言えよ! 相変わらず嫌なやつだなおめえはっ!」

「ははは。ごめんごめん。まあ、この方法を使わなくて済むならその方がよかったんだよ」


 アレンの怒涛のラッシュを、タクミは座ったまますべて捌き切っていた。

 無駄に泣いた感のあるココはそんな二人を遠い目で眺めて呟く。


「人間とは難儀なものじゃの……」


 一向に当たらないラッシュをやめ、アレンは言う。


「だけどなタクミ、その案は断る。仮に封印が解けてまともな魔法が使えるようになったとしても、経験値が圧倒的に足りねえ。現実的じゃねえよ」

「もっともな意見だね。人間なら確かにそうだろう。だけどココちゃんは魔王の娘だ。仮に解けるのが一部であっても、その強大さは変わらない。僕が知る限り伝説の魔王とはそうした存在だよ。何より、対案はあるのかい? ココちゃんを説得する方法だ」

「……つくづく食えねえやつだな、お前は」


 吐き捨てるようにそう言い、アレンはココを見遣った。真剣な眼差しをしている。


「私は絶対に付いていくぞ。魔力が封印されているという話には確かに実感があるのじゃ。ものの本に書いてある通りに魔法が発動されておらんからの」

「だめだ。さっきも言ったが場数が足りねえんだよ。どうやって経験を積む? そんな時間がどこにある? ……言いたかねえが、こうしてる今だって魔族は人間を襲ってるかもしれねえ。俺が一人で行った方が絶対に早い。お前は待ってろ」

「ふざけるでないわっ!」


 立ち上がり、ココは怒鳴った。


「そんな事は私もよう分かっておる! 痛いほど分かっておるわ! だからこそ――だからこそ私が行かねばならんのじゃ! 私は魔王じゃ、魔族を統べる王じゃ! 人間に、おぬしに任せきりにする訳にはいかんのじゃ!」


 そのあまりの剣幕に、血が滲むような切実さに、思わずアレンは押し黙った。

 幼く無力であろうとも、ココは確かに魔王だった。


「……おぬしの言い分もよう分かる。じゃが、頼む。お願いじゃ。経験は足らん、足手まといかもしれん。それでも真に魔族と人類が共存するためには、私が行かねばならんのじゃ」


 互いに目を逸らさぬまましばしの沈黙が流れた。

 根負けしたのは、アレンだった。


「……分かったよ。あえて聞くが、覚悟はできてるんだろうな」

「当たり前じゃ」


 揺るぎないココの言葉にアレンはため息をつき、タクミは静かに微笑んだ。

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