リライト

死神の通告(陽月様)

 死の宣告などと言う代物が己の身に降りかかった時、人はどうするであろうか。狼狽?困惑?それとも真に受けずに、笑って誤魔化すだろうか。己の内に芽生えた恐怖を。

 さて、私の場合はといえば。

 そう、あれは丁度二四時間前のことであった。


桑原くわはら真澄ますみさん」

 そう背後から声を掛けられたのは、先日の同時刻。会社に行こうと改札を通った時であった。フルネームで呼ばれたのは、何時以来であろうか。その声に、私は不用心にも振り返ってしまった。尤もそれをしなかったからといって、意味が有ったかは分からないが。

 振り返った先にいたのは、全身黒尽くめの男性であった。黒い帽子を目深に被っているせいで表情がうかがえない。ご丁寧に黒色の手袋までしている。身長は一九〇はあるだろうか。しかし、その割には細身で、圧迫感は感じられない。


「桑原真澄さん」

 私が答えあぐねていると、彼はもう一度私の名前を呼んだ。何の目的か知らないが、こんな人混みの中だ。滅多な事は無いだろう。私はそう判断し、返事を返した。

「はい。私が桑原ですけど、すいません、どちら様ですか?」

 彼はそれを受け、帽子を取り、胸の前に持った。やけに白い肌と、赤い唇が印象的であった。美しい、そういった形容詞が似合う人である。彼は恭しくもお辞儀をし、和やかにこう言った。

「私は死神です。桑原さん、あなたの死期を伝えに参りました」


「は?」

 何の冗談だ。理解が追いつかない。

 そんな風に混乱する私に、彼は更に追い打ちをかけた。

「あなたの寿命は後二四時間。丁度一日です。どうか残された時間を有意義にお過ごしください」

 彼は舞台の台詞を読み上げる様に、流暢に、淀みなくそう言った。まるで、何百年も同じ事を言っているかの様に。

 訳の分からない事を立て続けに言われ、脳髄の処理が追いつかなくなった私を尻目に、死神と名乗った男は帽子を被り、「では」と踵を返した。


「一寸、一寸待って」

 思わず彼を呼び止めてしまった。こんなのは何かのドッキリだそうに違いない。私はそれを確かめるように彼に問いかける。

「どういうこと?」

 彼は、今度は帽子を取ること無く、私の質問に答えた。

「言葉通りの意味ですよ。貴方は、明日の、この時間に、死にます」

 私に言い聞かせる様に、ゆっくりと語る。

「死因は?死ぬからにはそれが有るのでしょう?死因は何?」

 これは我ながら冴えた質問である。これに上手く答えられないようなら、この死神は偽物であるし、答えた所でそれを避ければ良いのだ。

「それに答えるには難しいですね」

 それ見ろ。私はそう思った。しかし、彼はそれに続けて言った。

「と言うよりも、決まってないのですよ。例えば、貴方がこの駅の階段で、足を滑らせて死ぬとしましょう。それを避けようと、タクシーでも使って会社に行ったとしても、事故か何かで死ぬでしょう。それを避けようと、家に引きこもっても、ぽっくり死になってしまう。或いはガスか何かの中毒死かもしれませんが。既に運命は決まっているのですよ」

 彼は、そう、冷たく言い放った。そう聞こえたのは、或いはその内容の所為かもしれないが。


 私はその後も、浅ましくも、質疑を重ねたが、それを行うたびに、彼が本物の死神ではないのかと思えてくるのである。

 オマケに、知りたくもない知識を得てしまった。

 死神は、命の終焉を知らせる役割を担っている。よく勘違いされていることだが、命の蝋燭を消すのは、死神の仕事ではないのだ。尤も、誰がそれを行っているのかは、彼らも知らないらしい。彼らの任務はそれを知らせるだけ。或いはラプラスの箱なぞで定まっているのかもしれない。

 もうすぐ死ぬ人間が、死期を悟った様な振る舞いをするのも。死ぬ数日前に突然連絡をよこすのも。彼らが律儀にも役割を果たした結果らしい。

「尤も」

 彼は、最後に付け加える様に言った。

「私の言葉を信じるのも、信じないのも、これからどう過ごすのかも、貴方の自由です。貴方の人生ですから」


 何も言えなくなった私に、彼は軽く会釈をし、雑踏の中に消えていった。

 その瞬間、私の耳に、靴の音、人々の話し声、改札の音といった、雑音が再び聞こえてきた。その時になって漸く、先程まで周囲の音が無かった事に気付いた。それはいきなり死の宣告を受けた所為か。それとも。


 そうだ。私は急いでいたのではなかったのか。もうすぐ電車が来るはずだった。今となってはもう遅いかもしれないが。あれほど会話をしていたのだ。優に一〇分は経っているであろう。そう思い、腕時計を確認した私は驚愕した。時計の長針は微動だにしていなかったのだから。

 考えるより早く、私はホームに駆け下りた。この電車を逃せば、遅刻してしまうからだ。幸い、電車は到着した所であった。


 私の脳裏に、会社を無断で欠席し、羽目を外して遊ぶという考えが無かったと言えば、嘘になる。しかし、結局、私はそれを選ばなかった。あれが質の悪いドッキリや嘘だったなら?そうでなくともやけにリアルな白昼夢を見たのであれば?羽目を外した後の生活が、惨憺たるものに変貌するのは想像に難くない。

 結局私は、あの死神の言葉を信じないことにしたのであった。


 そして今日、昨日とは違い、遅刻気味ではない。こういう時には私は階段の下に並ぶ事にしている。満員電車ほど人体に悪い物は無い。それを少しでも和らげられるのだ。

 電車がホームに入って来る。そういえば、あの死神が予告した時間は……

 その時、後ろから押された、気がした。

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