第26話 絶望はいずれ幸福へ

 ――三ヶ月後。



 ルクスはマリリアの船の上から、広々とした海を眺めていた。どこまでも果てしなく、終わりなんてない本当の無限の景色。右手を伸ばしてみるが、その手に触れるのは潮風のみだ。

 マリリアの船は、ほぼ全てをマリリアの使い魔達が動かしている。基本的に目的地に着くまでは、各々が自由に過ごしている。近頃は、海釣りがルクスの趣味になろうとしている程に。


 「ルクス様」


 名前を呼ばれて振り返れば、そこにはキャロルの姿があった。もう何日もキャロルがスカートを履く姿を見ていないが、船乗りのように少しぶかっとしたズボンと長い髪を結んだポニーテールがよく似合っている。

 シルバハルトの追手と戦ってからのキャロルは、少し前に比べて別人のように勇ましくなっていた。出会ったことのない人種であるマリリアをまるで人生の師匠のように崇めているせいか、どんどん彼女の真似を始めている。いつかマリリアのような大胆な格好をするんじゃなかと内心ルクスはドキドキしていた。


 「随分と海の女が似合ってきたな。お嬢様をしていた頃よりも、今の方が楽しいんじゃないか?」


 「えへへ、そうでしょうか? でもですね、こんな風になれたのは目の前でどんな強敵を相手にしても、諦めることなく戦うルクス様達の姿を見たからなんですよっ」


 自分のしている格好と育ちの良さそうな喋り方が、アンバランスに感じてルクスは思わず吹き出してしまう。


 「ななな!? 何を笑っているんですか!」


 「いやいや、これは俺の問題だから。……ところで、要件は? マリリアに言われた仕事は終わっているよ」


 慣れるのはしばらくかかりそうなので、ルクスは強引に話を逸らすことにする。

 もったいつけるようにキャロルはルクスに向かってニコニコと笑顔だけ浮かべてルクスの行動を待っているようだった。


 「なんだよ……。俺は、これから釣りをする予定が入っているんだ。魚の群れを逃がしちまうから、邪魔するな散れ散れ」


 「もう! 何で、分からないんですか!? ――もうすぐ、起きそうなんですよ!」


 「え……もうすぐって……まさか……」


 目を細めたキャロルは大きく首を縦に振った。

 次の言葉を喋る前に、ルクスはキャロルの脇を抜けて走り出す。――眠ったままのカリスの元へ。




                         ※



 カリスの精神世界を徹底的に破壊したルクスだったが、目覚めたのはルクスだけだった。カリスはあれからずっと眠ったままになっていた。

 マリリアが言うには、例え偶発的に生まれたカリスの精神世界であったとしても、ルクスの行った行為は心を破壊したという事実には変わりない。その時、精神に強い負担を受けたカリスには新たな心を作り出す時間が必要になった。ただし、カリスがいつ目覚めるかどうかは本人の体力次第ということになっていたのだ。

 毎日、小さく胸を上下させて寝息を立てるカリスを見舞いに来ては、背を向けて帰る日々を繰り返していたルクスにとっては、カリスの目覚めの報せは何よりも待ち望んだことだった。




                         ※



 私は、星一つ無い夜の闇の中で小舟の中に居た。ぷかぷかと暗闇の海の上で揺れている。

 そこは、とても冷たく恐ろしい場所だった。だからだろう、いや、何故だろう。ここに居てはいけない、ここは私の居場所ではないと思った。

 小舟の上から暗い水面を見つめれば、あまりの闇の深さに自分の顔すら映らない。

 それでも構わない、ここではないどこかが自分の居場所というなら、私は闇の中にすら居場所を作ろうと決めた。

 大きく息を吸い込み肺に溜めると、海の中に飛び込んだ。体は浮かぶことなく、見えない力に引かれるように闇に落ちていく。

 ばたばたと手足を動かすが、さらに深く海底へと体を引きずり込んでいく。次第に息が苦しくなった私は、口から泡の息を吐き出した。

 どんどん意識は遠くなり、どんどん闇に心も肉体も染まっていくようだった。


 「――」


 私は海の底で、愛の形を、好きの印を、大切の音を声にする。そして、手を伸ばす。

 

 私はここにいるよ。




                          ※


 その頃、マリリアの船のカリスの為に用意された部屋では、額に汗を浮かべたマリリアと神妙な表情をしたルクスが立っていた。



 「ルクス、もうすぐで目覚めそうなんだ! 魔素が肉体から放出されている! 呼びかけろ! 呼びかけて、今度こそココがお前の居場所なんだと連れ戻せ!」


 二度と失ってたまるかとルクスはカリスの手を握り、愛した印を、好きの形を、大切の声を発した。


 「――カリスッ!」





                          ※




 温かな光が見えた。

 落ちていくカリスに向かって、闇を切り裂きながら手が伸ばされる。顔も見えないし、端から見れば怪しいものだ。

 だが、私はそれを知っている。それの温かさを学んでいる。それの強さに気付いている。それの生きる意味を刻んでいる。

 私は躊躇なく、むしろ、待ちくたびれたような気持で伸ばされた光の手を掴んだ。


 「――ルクスッ!」




                          ※




 ――目覚めると同時に、目を充血させたルクスと少しだけやつれたカリスは強く抱き合った。

 触れ合ったカリスからは、強い命の鼓動がルクスには感じられた。それは、カリスも同じことで今までで一番大きくルクスの胸の音を聞き取れた。

 そっと体を離した二人は見つめ合う。


 「おかえり、カリス」


 「ただいま、ルクス」


 互いの瞳に映る自分の姿に、大切な存在の近くに、心の波紋の中に、自分の存在が居ることを確認する。

 目に涙を溜めたカリスが破顔すれば微笑みかけた。


 「暗闇の中で、ルクスの声を聞いたよ。私は、ここにいてもいいんだよね? 私の居場所はどこにも行ったりしないんだよね」


 零れた涙をルクスは指の先で拭いながら、力強く頷いた。


 「当たり前だ。カリスの居場所はここだ。それに、ここだけじゃない。これから先も、俺達の大切な居場所を見つけて行こう。今がどれだけ辛くても、生きていれば大切な人にも居場所にも辿りつける。……生きて行こう、どれだけ辛く苦しい道だとしても」


 ルクスに負けず劣らず勢いよく頷いたカリスは、今度は知らず知らずのうちに涙を流したルクスの頬の滴を拭う。そして、二人は優し気に見つめるマリリアとキャロルに気付けば、二人して頬を赤らめた。


 「……うん、無かったなら作りに行けばいい話だったんだよね」


 「ああ、世界に壊され世界に飲まれようとした俺達の、俺達なりの……この世界への反乱だ。きっと、この反乱は楽しいものになるはずさ」


 潤んだカリスの瞳に吸い込まれるようにして、ルクスはカリスの唇に自分の唇を重ねた。

 マリリアの冷やかすような口笛と、キャロルは何かとんでもない光景を目撃してしまったかのような悲鳴を耳に、幸福な世界の音色を聴くように瞼を落とす。



 幸福を求めて抗い、愛を探して傷ついた。

 これから先も傷つき続けて苦しみ続けることだろう。しかし、それでも構わない。

 苦しみの先が絶望なんて誰が決めた?

 悲しみの果てが破滅だなんて誰の言葉だ?

 いいや、とルクスは全ての絶望論に首を振る。


 ――絶望の先の幸福を信じる。

 

 

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ウルフボーイ×ハンターガール~弱者達の咆哮~ 構部季士 @ki-mio

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