最終章『未来で生きる』
第23話 初めては命懸け
タイガに一撃を与えたことで、戦いは完全に決着を迎えた。
人の気配が消えていた大通りは、つい数十分前まで当たり前だった喧騒に包まれ、今ここで何が起きたのかも知らない住人達はいつもの日常を過ごしている。
あまりの空間の落差に少し呆けていたルクスだったが、ウェアウルフの仮面を顔から消せば、カリスが戦っていた方向に駆けだした。
心の中で何度もカリスの名前を呼びながら、カリスの飛び込んだ民家の前に立つ。窓から中を覗き込めば、家の主と思われる年配の女性が食事の準備をしている最中だった。
「ここには、居ないのか……」
もし家の中にカリスが居るなら、騒ぎになっているはずだ。見当たらないカリスに焦りつつルクスが、民家の脇の路地に足を踏み込んだ――そこに、カリスとキャロルが居た。
横たわるカリスをキャロルは神妙な顔つきで抱きかかえていた。二人の姿に最悪な結末を思い浮かべたルクスは、キャロルを突き飛ばしそうな勢いで走り寄るとカリスの顔を覗き込んだ。
「カリス! 一体、どうしたんだ……!?」
腹部を赤黒く染めたカリスの姿にルクスは愕然とする。
どうして、カリスがこんなことになっている。酷い量の出血。もしこの血液が全てカリスの物だとするなら、既に致死量だ。それに、よく見れば血が固まっている。つまり、長い時間が経過している証拠だ。この状況を見るなら、カリスはもう――。
「ルクス様……ルクス様……ルクス様!」
そこで初めてキャロルに声をかけられていることに気付いたルクスは、ハッとして顔を上げる。すると、目の前には真っすぐにこちらを見つめるキャロルと目が合う。
「安心してください、カリス様の傷は塞がっています」
言い聞かせるようにゆっくりと声をかけたキャロルは、事態を飲み込めないルクスに袖の下に隠した右手を見せた。
キャロルの右手は、半透明に透き通っていた。ただ透けているだけではなく、手の形をガラス製のグラスに水を入れたようにも見える。
「フィッシャーンの中でもごく一部の者達が使える癒しの手と呼ばれる特殊な能力です。この手に魔素を込めれば、触れた個所の傷を治療させることろができるのです」
「じゃ、じゃあ……カリスは無事なのか!?」
「癒しの手にも限界はあります。……しかし、治療が早かったことが幸いしたようで、おそらく無事だとは思いますが……」
じれったく思ったルクスは声を大にする。
「……はっきり言ってくれっ」
「申し訳ありませんが、はっきり言えないのです……。やれるだけのことはしました。……カリスの体力次第になるでしょう」
言い難そうに告げるキャロルに、ルクスは火照った体に冷水を浴びせられたようだった。
「そんな……」
キャロルの口から放たれた現実に、ルクスの無意識に手が震えだす。数度経験した戦いの中でも、これほど明確な恐怖を感じたのは初めてだった。
青ざめたカリスの頬に触れたルクスは、氷のような肉体にぞっとした。恐怖を払いのけるように、ルクスはキャロルに詰め寄る。
「どうすればいい!? どうしたら、カリスを救える!? 他に、カリスを救う方法はないのか!?」
ルクスの眼差しから逃れるように、キャロルはルクスから視線を逸らした。既に答えが出てしまったかのようなキャロルの反応にルクスは、キャロルから奪い取るようにカリスを抱きかかえた。
「ルクス様っ!?」
「俺が……絶対にキャロルを救う! こんなところで、死んでいいわけがない! 何があっても、守るって約束したんだよ!」
このままじっとしているだけなんて嫌だと思ったルクスは、僅かに残るカリスの温もりを信じてその場から離れようと――。
「――待ちな、小僧」
「アンタは、さっきの……?」
先程の結界での戦いに飛び入りで参戦したマリリアが路地裏の入り口に立っていた。さらっと三人の様子を見渡せば、大体の事情は把握したようで背を向ける。その動作が、自分についてくるように促していることはルクス達にも理解できた。
「知らないかい? 私の名前は、マリリア。ただの魔術師さ。……ついておいで、その子を救ってやるさ」
※
ルクスとキャロルが探していたマリリアが彼女だったのは驚きだったが、カリスが緊急事態である以上は手放しで喜ぶこともできなかった。だが、何よりも二人が信頼している人物が紹介してくれたマリリアが何かしら解決策を持っているということは渡りに船だった。
どうやら、事前にルクスの件も知らせが来ていたマリリアはさっさと挨拶を済ませてキャロルとルクスを連れて自分の船へと案内した。
いろいろと魔術的な仕掛けが多くしてあるらしく、下手に触れないように注意だけをマリリアから受けたルクスとキャロルは船の下部にある部屋に案内された。
薄暗い部屋には一つだけランプが垂れ下がり、心細い明りが必死に室内を照らしていた。部屋の中央には魔法陣が描かれ、周辺には魔術道具の類だと思われる物が転がっている。
「危険だから、踏まない方が賢明だぞ」
おどけた口調でマリリアがそう言うが、とても冗談として聞き流せないルクスとキャロルは慎重に歩きながら前進した。
波に揺れる船内で、マリリアはそっとカリスを魔法陣の中心に寝かせた。
ルクス達には聞こえない声で、何か詠唱すると魔法陣の線からは光が溢れ出す。魔素の輝きだった。
「私はね、魔術のことを心だと考えている」
「心?」
反応したのはキャロルだったが、ルクスは急にマリリアが何を言い出すのかと眉をひそめた。
「多くの魔術師が、魔素とは何か、魔術とは魔法とは……たくさん考えたようだけど、結局は答えを出せる人は誰もいなかった。だから、私は私なりに答えを出してから、魔術の究明を始めたんだ」
部屋の角の暗がりの棚から薬瓶を手に取り、カリスの口から流し込む。意識のないカリスの口からほとんど零れ落ちてしまったが、気にしている様子もなくマリリアは腰を上げた。
「魔術はある種の心の形だと考えるすぐに結論が出せた。人間にも、ウェアウルフにもフィッシャーンにも、誰一人変わりなく心はある。他者を守りたい心や憎しみの心が、魔素を形作るんだってな。……ルクス、カリスの隣に座れ」
声を掛けられたルクスは、何故自分が呼ばれたのか分からぬままにカリスの隣に腰を下ろした。
「そして、心は命と直結している。心が壊れれば命は死ぬ。肉体が死ねば心が壊れる。その状態は、魔術と使用者の関係にも置き換えられるはずだ。……私の言いたいこと伝わるか?」
独自に魔術を生み出し、そもそも魔素がどういったものなのかあやふやなルクスには魔術の在り方や根源については考えることもなかった。ルクスは、首を横に振る。
「だろうな、お前の元ご主人様は人間同士の戦争と同じぐらい酷い魔術嫌いだ。……もう小難しいことを言うのはやめたよ、ルクスお前のやるべきことは一つ。これからカリスの最も命に近い心の部分に、特殊な魔術を使う。お前にはその手伝いをしてほしいのさ」
「俺に!? だ、だけど、俺は……魔術らしい魔術なんて一つしか使えない素人だぞ」
「何があっても、カリスを守るんだろ。本当に魔術の知識が必要だっていうなら、最初からアンタには頼まないさ。でもね、今ここで必要なのは魔術の知識でも人殺しの技術でもない。……心さ、カリスを想う心が、救うことができる」
最後の一言を強く言ったマリリアは、ルクスの胸の辺りを指先でトントンと突いた。どこか懐疑心を持っていたルクスだったが、うまく言葉にできないもののマリリアのことを本気で信じてみようと考えるようになっていた。
「俺は……何をしたらいい?」
やけに男らしくルクスの頭をぐしゃぐしゃとマリリアが撫でると、その撫でた手でカリスを指さした。その指先は、口から薬の液体を垂らしたカリスの唇に向けられている。
「――接吻しろ。おそらく、初めてのキスをチューをちゅっちゅっを奪うんだ」
「……――はあ?」
前言撤回だとルクスは思った。やはり、このマリリアという女は信用できないのではないか、もしかして自分達を騙しているだけではないのかとすら考えた。
訝しそうなルクスの眼差しに気付いたマリリアは、表情を引き締めた。
「今のは少し冗談交じりに言えば、肩の力が抜けると思った私なりの気遣いだ。感謝はされても、その目は遺憾だよ。……しかし、私の言ったことは事実だ。口から粘膜と粘膜による接触により、お前は一時的にカリスの心に接触することができる。それは、私やキャロルではダメだ。最も心に近い人物でないとな」
ルクスは今一度カリスの唇を見つめた。先程までは、何も感じなかったが、口元から垂れた液体やぷっくりとした桃色の唇がやけに官能的に思えてきた。心臓のバクバクが違ったものに変わってくる。
「目つきがいやらしいぞ、ルクス」
「う、うっさいわ! ……わ、分かった。分かりました! カリスを助ける為なら、やってやるよ!」
「まあ若い二人の初めてをこんなところで奪うのは、年長者として申し訳ない気持ちだが、仕方ないねぇ」
「そうこう言いつつ、ワインを片手に持つマリリア様は酒の肴にする気まんまんですね……」と、たははと苦笑するキャロルの声は既にルクスの耳には届いていない。
ルクスの視線は、カリスの唇に注がれていた。頭のてっぺんの方が熱くなるのを感じるが、熱を逃がすように頭を大きく振れば、真剣な表情でカリスに顔を近づける。
「ごめん、カリス。こんな風にするのは、これっきりだから……」
気を抜けば呼吸が荒くなるのをごくりと飲み込み、花の蜜に吸い寄せられるような気分で唇と唇を重ねた。
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