第19話 鋼の男 時間停止の女
ルクスの渾身の一発は確実にリックドの顔面を強打したはずだった。しかし、当の本人であるリックドは表情一つ変えることなく、ルクスの拳を受け止めていた。
「そこらの武人より、お前の一撃は何倍も重い。僅かながら、魔術の流れを感じるが……まさか、その仮面か?」
拳を引っ込めたルクスは、すぐにリックドから距離を空けた。
思案するリックドから一度視線を外して、自分の拳を眺めてみるが、どうやらヒビが入っているらしい指の関節から激痛が走る。しばらくすれば、ウェアウルフの治癒能力によって回復するだろうが、それまでは堪えるしかないだろう。
「どういう、顔の作りをしているんだよ。アンタ……」
「俺が行使しているのは、人体硬化アムドグロウと呼ばれる魔術。火を吹く異人だろうが、爪が刃になる異人だろうが、例え巨人が相手だとしても……肉体さえ強くしてしまえば敵ではない。我の皮膚は、剣も炎も通すことはない」
「えらく簡単に正体を教えるんだな……」
まあな、とリックドが答えれば、地面を蹴った。大地は大きく捲れ、岩石の塊のようなリックドが一瞬にしてルクスの前で足を止めた。
「巨大な岩石も、転がってみれば……思いのほか早いぞ」
そこには流派なんてものはない。リックドが拳を構えることなく、軽く腕を振るっただけだ。ただそれだけのことで、ルクスの胸を激しく打つ。
「があぁ――!!!」
肺が潰れ、あばらが折れていくのが目に見えるように理解できる。
ゴトン、と巨大な岩が傾くようなリックドの足音にルクスは戦慄を覚える。まさしく、それは明確な死の予言を神経が肉体へ知らせているのだ。
死の輪廻から逃亡する為に、吐き出していた肺に再度空気を流し込む。
「戻れええぇぇぇ!!!」
叫びながら、ルクスの目にした景色は、両手の関節を絡めてハンマーのようにして振りかぶったリックドの姿だった――。
※
誘われるがままに民家に飛び込んだカリスを待ち構えていたのは、足を組み民家のテーブルに腰掛けるアーキラ。異性が見れば、それなりにそそる仕草というやつなのだろうが、生憎とカリスにはピンと来るものはなかった。
「あら、罠の一つでもしておくかと思ったけど……。その気が無いなら、こっちから行くわよ」
ほほ笑むだけで答えることのないアーキラまでの距離は、大股歩きで五歩というところ。詠唱するには、十分な距離である。
右手にナイフ、左手には魔素を発生させる。
(我が肉体は迸るだけの血であり、失せる熱すら呼び起こす炎である)
一歩踏み込んだカリスは、さらにもう一段階腰を低くさせた。
(嗚呼、熱いなら触れよう。嗚呼、熱いなら逃してしまおう)
少し大げさに右手を掲げてみせれば、既に後一歩で手の届く距離。
「――バンドラーアド!」
これ見よがしに構えた右手のナイフは単なる牽制、笑みを浮かべたままで溶かしてやると灼熱の左手をアーキラへとカリスは伸ばした。
民家にアーキラが入ったのは幸いだ。ルクスには、そんな凄惨な光景は見せたくなかった。それは、殺しでしか気を回せないカリスなりの気遣い。
「――私に近づいたことが、貴女の盲点よぉ」
最初はアーキラの熱っぽい呼気に、眩暈を覚えたのかとカリスは思った。だが違う。――左手を伸ばしたままで、カリスは動けなくなっていた。
唯一、心臓と肺だけは動いてくれていること以外は、不細工な彫刻のようにカリスは完全に停止していた。まるで、自分だけ時間が止まってしまっているかのように。
アーキラは生温かい吐息をカリスの鼻にかけながら、身動き一つできないカリスの顎の下に人指し指を添えた。
「若いわぁ、本当に若いっていいわぁ。貴女の年齢は、子供でもなければ大人でもない。だからこそ、大人ができないような無茶もできるし、それがゆ、る、さ、れ、るぅ。でもぉ……背伸びする小娘は、私ってば大ッキライなのよぉ!」
避けることも守ることもできずに、カリスの頬をアーキラの鋭い蹴りが襲った。
「――きゃぁ!?」
甲高い悲鳴を発しつつ、カリスは壁に叩きつけられた。すぐに顔を押さえて立ち上がれば、自分が動き喋れることにとりあえず安心を覚える。
完全に先手必勝は失敗だった。油断したわけではないし、素早く殺害するといった点に関してはカリスは頭一つ抜きんでていた。しかし、今目の前で起こった出来事は早いとか油断で済まされる事態ではない。
狼狽するカリスを見て、アーキラはおかしそうに噴き出した。
「何をしたのか分からないって顔をしているわねぇ。これが、本当のシルバハルトの力よ。……そもそもね、貴女は勘違いしているのよ」
「勘違い?」
カリスを蹴る為だけに立ち上がったアーキラは、再びテーブルに腰を下ろすと足を組んだ。
「ほんとぉーにシルバハルトの一員になれたの? もしかして、本当はぁ認められてなかったんじゃない? シルバハルトの中心に立つ人達はみぃんな何かしら秀でた魔術を持っている。今、外で坊やの相手をしているリックドも、肉体を硬化させる魔術の使い手よ」
「私だって、魔術は使える! シルバハルトとして、狼の姫の抹殺の指令も受けたわ!」
人を小馬鹿にしたような間延びした声とその発言が、カリスを苛立たせた。既に失ったはずのシルバハルトとしての誇りを思い出させてしまうほどに。
僅かに折り曲げた人差し指を唇に当てて、くすくすとアーキラは嘲笑する。
「かわいそうだけどぉ、その程度の魔術では、とてもシルバハルトの暗殺者とは呼べないわぁ。魔術もろくに使えない小娘をぉ……圧倒的な力の差があるウェアウルフの姫様にぶつけるなんてぇ……ああ! でもでも! 今の貴女なら、偵察ぐらいにはピッタリよねぇ!」
「――言いたいことがあるなら、はっきりと言えぇ!」
アーキラの吐き出す一つ一つの文字が、カリスの神経を逆撫でた。アーキラの力の正体が全く掴まていないというのに、激情のままにカリスは右手に握ったままだったナイフをアーキラへ向かって投げつけた。
しかし、さも当然のようにアーキラは自分へと迫るナイフを空中で停止した。そこだけ写真で切り取られてしまったかのように、アーキラの鼻先でナイフは動くことはない。
自分へ向けられたままのナイフが脅威ではないのだろうアーキラは、にやにやと歪んだ笑みと共にゆっくりと声にした。
「せっかく、言わないでおいてあげたのにぃ。貴女はね、シルバハルトの――捨て駒にされたのよ」
「アーキラッ――!!!」
怒りのままに大きく踏み出したカリスの左足は、壁を蹴り、右足を槍のようにアーキラへと伸ばした。
「その程度……」
嘲りながらアーキラはテーブルから降り、宙に浮いたままのカリスのナイフの柄を掴みつつカリスのキックを避ければ、空を切ったカリスの足は、アーキラの腰かけていたテーブルに直撃し、テーブルはテコのようにして反対側から浮き跳ねた。
舌打ちをしたカリスは振り返りつつ、右手に灼熱の魔法を込める。
「バンドラー――ッ!!!」
カリスが右手を伸ばしたのと振り返ったのはほぼ同時だった。しかし、そこで完全に動きは停止していた。
冷や汗すら出てこないカリスの目の前には、腕を組み、豊満な胸を強調するように寄せてみせるアーキラの姿があった。その表情には、完全に勝者の笑みが浮かんでいた。
「私のぉ、魔術……すっごいでしょう? きっと、貴女の頭に思い描いた通りの魔術よぉ」
アーキラの右手にナイフが握られていた。完全に動きが止まってしまったカリスの前で、ナイフを宙に投げてはそれを掴んで弄んでみせる。
「――時間を止める魔術ゴルドアイ。私のゴルドアイの目に睨まれれば、たちまち時間は止まってしまう。美しいものは永遠に停止し、醜いものは崩れることすら許されない」
ぐいっとアーキラが胸を突き出せば、露出した胸の谷間がたんこぶでもできたように膨らんだ。膨らみはさらに大きくなり、最後は紫色の醜悪な球体となった。そして、球体はぱっくりと皮が割れ、たっぷりと魔素を含んだ赤色の瞳が出現した。
もし動きが止められていなければ、大なり小なり悲鳴を上げていたことだろうとカリスは思った。
「これが、私の愛しいゴルドアイ。異能を破るには異能しかない。その為に、私達は肉体に魔術を通して異能者として変身した。せっかくだけど、貴女はここまでよ。……苦しみながら死になさい、何者にもなれない暗殺者ちゃん」
あっさりとアーキラは、その手に握ったナイフをカリスの腹部に突き刺した。そして、青ざめることすらできないカリスの腹にもう一度ナイフを抜き、それから刺しなおした。
「痛いし、血が出るから、どんどん体の感覚がなくなっていくわぁ。……死の恐怖に震えながら、イきなさぁーい」
肉体は徐々に熱を失い、足の力は弱くなり、視界は暗くなっていくのをカリスはじわじわと感じていた。確かに、これは発狂したくなるほどの恐怖だとカリスも同意してしまうが、止められたままの時間が狂うことすら許可をしてくれない。
「それじゃ、次は坊やねぇ。すぐに坊やも連れて行ってあげるから、楽しみにしておくのよぉ」
相変わらず耳障りな声をアーキラが言えば、カリスから背を向ける。瞬間、カリスは足元から地面に崩れ落ち、手をつくこともできずにナイフはさらに腹部に押し込まれる。
途絶えかけた意識の中で、カリスは虚ろな瞳でアーキラの背中を見つめた――。
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