第四章『異人達の反抗』
第16話 海から来た異人
ルクス達が村の出口を進めば、そう長く歩かない内に森を抜けることができた。ルクスの記憶の中だと、馬車に乗っても村から森を抜けて外に出るには、それなりの時間が必要としていたように覚えていたが、結界の構造上必要な順路があったのかもしれない。
森から離れていけば、次第に歩きやすい道に変わり、拓けた土地が視界に広がっていく。途中で、畑を耕している老人達に道を聞き、街までの道が間違っていないことを確認すると再び旅を続けた。
それは、街まではそう遠くない距離で野宿をしていた時だった。
「明日には、街に着きそうだな。ミリアさんの言っていたマリリアさんて、どんな人なんだろう……」
焚き火を二人して囲み、岩の上に腰を下ろしていた。パンをちぎり、口に運びつつルクスは呟いた。
常にドタバタしていたせいか、カリスと二人でこういうゆっくりとした時間を過ごすのは酷く落ち着かず、ここ二日程のルクスは口数が多くなっていた。
「……分からないことばかりだねぇ」
両膝を掴んで体を丸めて座るカリスを見ていたルクスは、本当にこんな女の子が狼人達を相手に戦って来たのかと疑問すら浮かんでしまう。しかし、トゥリアから身を挺して庇おうとしたカリスの行動は、普通の女の子にはとても真似することができないのも事実だった。
「ミリアさんは、俺達の事情を知った上でああやって協力してくれるんだ。俺は最後までミリアさんを信じたい。……俺達に出来ることは、ミリアさんの信頼しているマリリアさんを頼るしかない」
「……うん」
頷きながら両膝に顔を埋めるカリス。最初は疲れが溜まっているのだろうかと心配になったルクスだったが、日中に平然と一日歩き続けているカリスの姿からしてみれば違和感を与えた。
「どうかしたのか?」
囁くように問いかけると、首を横に振った。
「私は大丈夫。だけど……ずっと後悔はしている。私が巻き込んだせいでルクスを苦しめているんじゃないのかな、とか、最初から私だけ大人しく死んでいれば……ルクスはあのまま幸せに暮らせたんじゃないかなって……」
「馬鹿なこと言うな、カリス」
思わず立ち上がったルクスは、カリスの辛そうな声を遮った。
「俺はお前に生きる理由を教えてもらった。それは、ただ生きることよりも大切なことなんだと思う。だから、俺はカリスに感謝している。……いいんだよ、カリスは後悔なんてしなくていい」
しばらくの沈黙の後、涙で目元を濡らしていた。
緊張したルクスだったが、寄り添うようにカリスの隣に座ると、自分が半分にちぎったパンの片方を渡した。顔を逸らそうとしたことに気づいたルクスは、強引に口に押し込んだ。
「ルク――むぐぅ!?」
「昨日から少ししか食べてないだろ。いくら日持ちのする物をミリアさんから貰ったて言っても、食べないと腐ってしまうよ。……それに、あの人から受けた恩を無駄にするわけにはいかねえだろ」
パンを押し込まれたカリスは怒ることもせず、もぐもぐと口を動かしつつ何か言いたそうにルクスを見る。
「……私より、ルクスが食べた方がいいのにて思ったんだもん」
「俺のためだと思うなら、なおさら食べてくれ。一緒に食べてくれないと、せっかくの食事がおいしくねえよ」
最初は渋々としていたカリスだったが、徐々に口の動きを早くして口内に吸収していく。
「もぐもごもぐもごもぐもぐもごもぐもごもぐもご!」
「うおおおぉぉぉ――!? 俺の手まで食べないで!?」
一時的かもしれない平和の中に二人して身を委ねながら、その日の夜は更けていこうとしていた――。
「――カリス、聞こえたか?」
パンを食べ終わり、口元を拭っていたカリスにルクスは神妙な口調で声を発した。
「何が……?」
「悲鳴みたいなのが聞こえたんだ。少し、様子を見て来ようと思う」
最初は鳥の鳴き声や風の音と聞き間違えたのだろうと思ったカリスだったが、今のルクスはウェアウルフだということを思い出した。ウェアウルフは人よりも視覚はもちろん、聴覚も高くなるのだ。
もしもシルバハルトの追手が既に動き出しているなら、ウェアウルフにしか届かない超高音で誘い出すこともある。カリスは、不安を払拭するようにルクスと共に立ち上がる。
「私も行く。シルバハルトの追手なら、私が居た方が役に立つ」
「本当にいいのか、シルバハルトはカリスの……」
「気にしないでいいよ。ルクスが、私を守る為にトゥリア達と戦った時から、私の覚悟はできている」
二人して頷くと、焚き火を消して音を辿って森の中へと進んだ。
※
必死に一人の少女が森の木々を掻き分けて進んでいた。
少女の年齢は十五歳前後。ルクス達とそう変わらない年齢だが、訓練してきたカリスとも体を鍛えてきたルクスとも違い、運動能力は平凡である。どこにでもいる普通の少女が、道から外れた山の中を駆けるのには理由があった。
「――助けて」
ぜえはあ、と荒い呼吸の間に少女は助けを求めた。
毛先がカールした淡い水色の髪は綿毛のように揺れ、乱暴に払った枝歯が宙に舞い、少女の髪に降りかかる。彼女の自慢の髪も、今では視界を遮る障害物に過ぎなかった。
「お嬢様ぁー! お待ちくださぁーい!」
「ふざけんなよ、バカでかい声出したお嬢ちゃんに分かるだろっ」
背後から三人分の足音と下品な笑い声が聞こえた。
少女の背後からは髭面の男達が、醜悪な笑みを浮かべて追いかけてきていたのだ。
今まで美術品のような扱いしか受けたことのない少女は、道を自分で切り開くような獣道なんてろくに走ったこともない。それに比べて、男達は初めて通る道を自分の庭のように走っていた。
逃げる少女を兎でも狩るような遊びの気持ちで追っていた男達と少女の距離は確実に縮まっていく、そして――。
「――きゃああ!?」
もともといつ転んでもおかしくなかった少女は足元をもつれさせて転倒した。
転がり込んで来たチャンスを見逃すわけもなく男達は腰からサーベルを抜き取ると、少女を取り囲んだ。
「楽しい楽しい追いかけっこも、ここでおしまいだぜ。おじょうちゃーん」
月夜の照らされた少女をよく見れば、破れたスカートの裾からほっそりとした白い足が男達の目に飛び込んで来た。
女日照りの男達は自分の体が熱くなっていくのを感じれば、一人が鼻息荒く「な、なあ」と声を漏らせば、他の男も喋り出す。
「へへへ……。少しぐらい遊んでもかまわねえよな。抵抗したって言えば、依頼主も許してくれるぜ」
「だよな……だよなあ! こりゃ、しょうがねえことなんだ! 年の割に、いい体してるし……」
舐めるように見回していた男は、こぼれそうになる唾液を拭き取れば、少女の衣服を乱暴に引っ張った。
「や、やぁ……いやあああぁぁぁ――!」
夜の森の中に、虚しくも少女の悲鳴が響き渡る。
誰も助けなんて来ない、そんな人なんてもうどこにもいない。悔しさとこれから起こるであろう恐怖に唇を少女が震わせた――。
「――勘弁してくれよ」
男達の動きがピタリと止まり、少女の悲鳴は降って湧いたような第三者の声に停止した。
横になったままで少女が視線だけを上げれば、一人の
「うーん、くじ運が悪いというか……新たな問題の火種になりそうな予感が……」
青年の脇からひょっこりと顔を出した可愛らしい
突然現れたげんなりとした顔をした二人と状況が飲み込めない悪漢達、それから今にも純潔を奪われかけている少女の間に違和感しかない静寂しかない。
そんな空気に耐えきれなくなったのか、一人の男が声を荒げて一歩前に出た。
「お……おい! ガキ共、痛い目みたくなかったら、さっさとここから出ていけっ!」
威嚇するようにサーベルを乱暴に振りながら男立ち上がれば、枝葉が叩き落されて地面に散った。偶然にも持っている武器の殺傷能力を見せつけられたことで、男はにたりと笑みを浮かべた。
震えあがり泣きすがりつき、逃げていく男女を想定した男だったが、予想に反してルクスの肩に顎を乗せたカリスは大欠伸をしていた。
「ルクスゥ……いい加減気づいているんじゃないかな?」
「奴らが刃物を見せびらかすだけで、うまくやってきたただの運の良いおっさん達ていうところか?」
「それと、完全に素人てとこね。あれなら、田舎に左遷された兵士の方がマシよ。あれで、裏の仕事やっているつもりなら、質の悪い冗談と言われてもおかしくないわね」
「言い過ぎだ。俺は比較対象が無いから何とも言えないが、あの服を脱がされて押さえつけられてるお嬢さんの召使いていう可能性はないのか? 着替えるのが嫌すぎて、馬車から脱走したとか?」
緊張感の欠片もない男女の会話を耳にした男達は、とうとう頭にきたのか、サーベルの剣先をルクスとカリスに向けた。
「好き勝手なこと言いやがって! もう許さんぞ! 俺達は、悪名高いと言われた三兄弟! ”三体の竜頭”と呼ばれ――」
「――はいはい」
男の口はそれ以上、先を喋ることはなかった。男の顔面にカリスの膝が突き刺さっていた。その時、男の歯が砕け散り、白目を剥きながら倒れていた。
動揺する男達の間に、遅れてルクスが飛び込んだ。「なにっ!?」と叫んだ男の一人に、ルクスは呆れる思いだった。喋る暇があれば、一瞬でも生き延びる方法を実行すればいいのにと。
「さっき、クソガキて言ったな? 俺のことはいいが、カリスのことをクソ呼ばわりする汚ねえ口は……潰しておかねえとな」
右手首がスナップしながら、男の一人の顔面をルクスは弾いた。鼻の折れる音を耳に、ようやく振り上げたサーベルを振り下ろした残った男の脇を通り背後に回り込む。
「は、はやっ――」
「――本当に素人よね」
はっとした男が振り返った時には、もう遅い。カリスが引いた拳を、男の視界を黒く潰すところだった。
※
気を失った男達からルクスとカリス、それに襲われていた少女を連れてその場から離れることにした。
焚き火をしていた場所から水場は近く、抵抗した際に付いたものなのか消毒も兼ねて少女の傷ついた手足の血や泥を川の水で流すこととした。
「助けていただいて、感謝しています……」
申し訳なさそうに川の中に手を入れていた少女が言った。
ルクスは腕を組みながら、近くの木陰に腰掛ける。
「名前は?」
「……キャロルと申します」
言い辛そうに水面の己の顔を見ながら少女――キャロルは告げた。
はぁ、とため息が聞こえれば、カリスはキャロルの隣に腰を屈めて服に付着した土を払い落してやることにする。
「まず最初に聞いておくけど、どうしてあんな奴らに襲われていたの? 旅人にも商人にも見えないから、旅の道中で行き当たりばったりで襲われたようには見えないし。……明らかに、あの男達は貴女を狙って雇われているように見えたわ」
答えないままキャロルは口を閉ざす。
沈黙していたキャロルだったが、ルクスとカリスから見てみれば次の発言を思案しているようにも見えた。
ルクスとカリスが互いに目線を合わせれば、キャロルに寄り添うように座っていたカリスは立ち上がる。そんなカリスをキャロルは、心細そうに見上げた。
「言いたくないならいいわ。どちらにしても、私達にできることは無いだろうし、急ぎの用事もある。この川を下流に沿って進めば、街が見えてくるから、そこまで頑張りなさい。そう遠くないから、大丈夫なはずよ」
行きましょう、ルクス。とカリスが後ろ髪引かれているルクスの背中を押した――。
「――ま、待ってください!」
「みきゃ!?」
足を止めたルクスの背中にカリスは頭をぶつけてしまい、不満そうにキャロルの方に視線を移した。
「……何か用?」
余計なトラブルに巻き込まれるのは御免だとばかりに迷惑そうな視線を送るカリス。
ルクスとカリスを交互に見たキャロルは、意を決して発言した。
「――シルバハルトに追われているんです」
「は……?」
思いもよらぬところから耳にした言葉に、カリスは呆けたように開口すれば隣に立つルクスも、似たり寄ったりな顔をしていた。
間抜けな顔をした二人を知ってか知らずか、キャロルは疑問を補完するように言葉を続けた。
「私は、
ルクス達に掲げてみせたキャロルの手の甲が月夜に照らされて、ぎらりと光った。――それは、まるで鱗のように。
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