第15話 運命の鎖を壊す、未来を掴む
「第二獣化。――運命の鎖を壊し、未来を掴むアンチェイル・ノヴァク」
発声したルクスの言葉は、第二獣化の力の真名。ウェアウルフ変身時は、声が低くくぐもったものに変わるのだが、今のルクスの声はあの無鉄砲な少年のものだった。
静かに声を発するルクスの仮面は、よく見れば銀を削って作った彫刻のようにも見える。開けられた鋭い目を模した穴、頭部付近を尖らせた耳のように二部分、逆三角形の形は狼の骨格。ウェアウルフの感性を持つアインから見れば、それは一種の芸術品のように思えた。
ようやくルクスが一歩を踏み出した足音で、アインは我に返る。何を惚けているんだと頭を振り、アインは右手を大地に置き、不可視の刃を呼び出す。そして、不可視の刃は悠然と迫りくるルクスへと振り落とされる。
『ひとまずは、僥倖ですが……どのような姿だろうと、私は容赦しませんよ。……ルクス』
まだまだ十数メートルと距離があるというのに、ルクスはその場で足を止めて右腕を前に突き出し左手を引いて戦闘態勢を取るようなポーズをとった。
第二獣化を覚醒させた以上は、何らかの特異な魔術的な能力を扱うことのできるのだということをアインは警戒していた。しかし、今回ばかりは異質過ぎた。
何度か第二獣化を覚醒させるウェアウルフと戦ったことがあったアインでも、外見が逆に人間の姿になるというのは初めてのことだった。第二獣化が、本来ならウェアウルフの血脈の奥底に眠る神代の血を目覚めさせるものであるなら、なおさらウェアウルフとしての血の力を高めるものである。しかし、今のルクスの姿はおかしな冗談のように真逆である。
『非常に気になる外見をしていますが、私はそこで手は止めませんよ。力を使わせる前に、終わることもあるということを学習させてあげましょう』
質量を持った不可視の魔素の刃が、少しずつ歩み寄るルクスに迫った――。
※
一度目は、頭上からだった。
一度目を回避し、二度目は横からだ。
一度目を潜り抜け、二度目を飛び越え、三度目は下から。
一度目を潜り、二度目を飛び、三度目の時点で宙で反転、それから木を踏み台にして飛びかかる。
※
ほんの一瞬の出来事だった。
不可視の刃を向けられたルクスは、一度目を潜り、二度目を飛び、三度目を反転し、四度目を放つ前にアインの前に降り立った。
『それが、ルクスの……』
「アイン、俺は未来を掴み取ったぞ」
ルクスの硬く握りった拳がアインの腹に深々と突き刺さっていた。拳はアインの体を突き飛ばすことはなかったが、刃物でも突き刺したように腹を貫通していた。
血の沁みを広げるアインの腹からルクスが拳を抜き取れば、多量の血を吐き出しつつそのまま前のめりに倒れ込めば、ウェアウルフの肉体は徐々に小さくなりズボンだけになった半裸の人の姿に戻っていった。
倒れたアインが戦意を無くしたことを確認したルクスは、右手で自分の顔に触れれば、狼の仮面はその手に吸い込まれるようにして消失した。
「カリス! 夜が明ける前に出発するから、準備を頼む!」
まだ事態が飲み込めないカリスだったが、ルクスのその言葉にようやく戦いが一段落したことが分かったのか、「う、うん……」と返事してミリアと共に店内に踵を返した。
「ルクス……あの力は一体何だったのですか……。一つ、後学の為にお聞かせください……」
余力の残っていそうなアインも、もうしばらくすれば傷は塞がりそうだったが、既に戦う意思はなさそうだった。ルクスもこれ以上戦うのは不要だということが、声にしなくても理解できていた。
「言ったろ、あれは運命を壊し未来を掴む力なんだ。短い時間になるけど、時間を巻き戻せるんだ」
「時間を……まさか、いや……それなら納得というものですが……」
アインの脳裏に思い出せるのは、直前までのルクスなら到底回避不可能な攻撃の隙間を通り抜けてみせたのだ。どんな攻撃にも必ず隙というものが生まれ、そこに入り込めれば次の攻撃の切り口に利用できる。そこで、攻防の応酬が作られる。
そのはずだが、ルクスは理屈を無視した動きをみせた。最初から自分にとって都合の良い道順を把握していたように避け、なおかつ計算していたと言っても違和感のない有利な位置に着地した。目で見ることすら不可能なアインの攻撃を避け、勝利を手にするなど未来でも見えない限り不可能であると同時に不可解なのだった。
「最初から未来が見えたわけじゃない。死んでからは巻き戻すことはできないから、傷つき、死なないようにして、何度か方法を試してみながら、そして度重なる敗北の後に……俺はこうやって運命を壊した。さすがだよ、アイン。本来ならここまで来るのに、三十回以上死んでいる」
敗北したことすら愉快に考えるように、アインは小さく噴き出した。
「ふふっ……ならばこそ、あの姿ということですか。肉体を強化するでも、破壊力のある魔術を使うわけでもない。ほんの僅かな未来と過去と現在を行き来する為に、思考と視覚と魔術を使用することに必要な魔術細胞を補う為に、仮面という形でルクスは覚醒した。実に興味深い……今のルクスになら、称賛されたことを光栄に思います」
饒舌に語るアインは、やはりもうほとんど傷は癒えようとしていた。程なくして準備が済んだのか、駆け足でカリスがルクスの側まで駆けてくる。
「行こうか、カリス」
カリスの両目が、もう別れは済んだのかと問いかけてくる。ルクスは、ゆっくりと首を横に振った。
「いいんだよ、これ以上のお喋りは余計だ。だよな、アイン」
横たわったままでアインはルクスと目を合わせると頷いた。晴れ晴れとした表情を見ていると、つい先程まで不安で一杯のルクスの胸中も軽くなっていくようだった。
「――ルクス」
振り返ったルクスの前には、ミリアが複雑そうにこちらを見つめていた。
「ミリアさん、お世話になりました。俺達……行きます」
引き寄せるようにカリスの手をルクスが繋げば、隣のカリスは血が首から上に集中してしまったかのように赤面した。
大人と子供を同居させたかのような二人の姿に、ミリアは破顔すれば口元に手を当ててクスクスと笑った。
「その様子なら、もう心配はいらないわね。……カリスちゃん、ルクスて無鉄砲なところあるから、必ず近くで支えてあげてね」
吹っ切れた表情のルクスの横顔を窺いつつ、カリスはミリアに返答する。
「はい! ルクスの向こう見ずなところは、もう嫌という程に分かりました! だから……必ず、ルクスを……支えます……」
涙が我慢できずに顔を歪めるカリスの頭にルクスは手を置いた。
「ミリアさん、アインのことをお願いします。……それに、トゥリアも。……じゃあ、さよな――」
「――それ以上は言わないで」
ルクスとカリスは突然ミリアに強く抱きしめられた。最初は驚きで目を合わせた二人だったが、ミリアの震える体と涙声に次第に甘い香りのする優しい温もりに身を委ねた。
「必ず、必ず、ううん、絶対に……また会いましょう。さよならなんて言わないで、別れの言葉は……またね、よ」
声はか細くなり、ルクスの右肩とカリスの左肩にはミリアの涙が染み込む。零れる熱い涙の一滴一滴が、自分達の為に流れているのだと考えれば、二人はうまく言葉に出来ないものの一つの愛の形を知ったような気がした。
夜明けまではまだまだ遠く、ルクスは堪えるように涙を流すミリアとわんわんと子供のように泣きじゃくるカリスの声を耳にしながら、しとしとと降り続く雨のような涙に温もりを感じ続けた――。
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